こんにちは。

楽生きマスターの’むらけん’です。

 

このブログでは「何物でもない人間がなんでもない毎日を幸せに生きられるようになるストーリー」をつづっていきます。

 

 

 

 

生きているとうまくいくこと、いかないこと、それぞれありますよね。

うまくいく、いかない、という現象自体には意味がありません。

ただ、そういう事象が起こっているというだけのこと。

それに意味づけしているのはわたしたち自身です。

うまくいっているときは機嫌がいい。

そうでなくなると機嫌が悪くなる。

そんな波が人生をアップダウンさせています。

イヤなことが続くという人はつまるところ、自分が創る波に翻弄されているのです。

 

 

 

できることなら日常を穏やかにすごしたい

と思いませんか?

それはものの見方、捉え方ひとつで変わるのです。

 

 

 

なんかうまくいかない

と思うときは、うまくいかないことにフォーカスしているだけです。

執着している

と言ったほうがわかりやすいかもしれません。

でもそのバックグラウンドにうまくいっていることは万とあります。

うまくいっていることはわたしたちにとって

あたりまえ

という認識になります。

だから普段は気にもとめません。

そのあたりまえの日常がなくなったときにはじめてあたりまえのありがたさに気づくものなのです。

 

 

 

雨露をしのげる家があること。

今日も夕飯を食べられること。

今日も一日健康で過ごせたこと。

空気があること。

生きていること。

挙げだすと、きりがない。

 

 

 

うまくいってないことよりうまくいっていることのほうが圧倒的に多い、というかほぼすべてがうまくいっているということをわたしたちは普段から認識したほうがいいのです。

 

 

 

うまくいかないと思っていることのほとんどは、時が解決してくれます。

うまくいったり、やっぱりうまくいかなかったりw、気にならなくなったり。

時が過ぎれば刻々と変わります。

なのになんとかしよう、なんとかしようともがき、苦しむ。

ならば放っておけばいいのです。

 

 

 

放っておけない、ならわたしたちの意志で変えることもできます。

わたしたちは自分のものの見方、捉え方ひとつで自由に現実をえらべることに気づいていないのです。

 

 

 

幸も不幸も実はコントロールできるのです。

幸せにフォーカスするか

不幸にフォーカスするか

の違いです。

 

 

 

人間は元来、うまくいかない、ということに執着してしまうものです。

また、この人生においてその苦難を乗り越えていくことを楽しみにしており、その経験こそが人生を豊かにするものだと生まれながらにわかっているのです。

ただ、このことを潜在意識ではわかっていても、顕在意識では理解していない人がほとんどです。

わたしたちはなんとなく生きて、なんとなく死んでいくもの。

思考で理解すると、コントロールしようという意識が働きます。

 

 

 

うまくいかないと思う現実をコントロールしたいのなら

今ある、幸せ=あたりまえのこと

にフォーカスして感謝すればいいのです。

 

 

 

苦しみと幸せ、どちらの経験が自分たちの中で濃く印象に残っているかというと圧倒的に苦しかった経験です。感情も克明に覚えているものです。

嬉しい経験は覚えていたとしても感情の記憶は薄いものです。

 

 

 

うまくいかないという現象を意識的にコントロールすると気分が楽になります。

そしてその負の経験が財産となる。

結局経験というのはそれを通して何を学ぶか、ということなのです。

その学びが得られるのなら苦痛でも嬉しさでも、宇宙はどちらでもいいのです。

感情をシフトさせる、という意識があればなおよし、です。

苦しみからフォーカスをずらして、その経験を学ぶこと。

日本人は忍耐力があり、苦しみが美徳みたいなところがあります。

でも、もっと楽にわたしたちは生きていいのです。

 


 

どうしようもなくつらいときは、現実をコントロールしようなんて考えなくていい。

そこから逃げることが最善です。

そんな時は嵐が過ぎ去るのを待てばいいのです。


 

 

あなたはどんな世界を見たいですか?

それを叶えるのは自分自身なのです。

この世界は自分の向けたフォーカスが拡大されて現実となります。

 

 

 

うまくいかないときは

時間に任せて何もしない

あるものにフォーカスする

つまるところ

考えをそらすこと

で乗り切ることをおススメします。ウインク

 

 

 

 

 

本日のお話で皆様が幸せに気づくお手伝いができれば幸いです。


皆様の毎日が幸せにつつまれ、さらにその周りの人たちを幸せにすることがわたしのねがいです。

 

最後までご覧いただき

本当にどうもありがとうございました。

 

よければフォローください照れ

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昨日わたしの組織に新たな部下がやってきました。

他の部署でトラブルになり、わたしに面倒を見てほしいとのことでした。

連絡があったのはほんの数日前です。

 

 

 

弁護士さんを巻き込んだトラブルだったため周りの人たちは腫れ物にさわるような感じだったのですが、打診され、内容を聞いても不思議といやな感じがしなかったのです。

本人との面識はありましたが数回少ししゃべった程度です。

その時も独特の感じはありましたが、そんな人はたくさんいます。

 

 

人間の思い込み

がこの世を創っているといっても過言ではありません。

そんな世界でわたしはできるだけフラットに物事を捉えたうえで、自分の思い込みを創っていこうというスタンスで生きています。

 

 

 

悪い思い込みは

偏見

と言われます。

生理的に人も、ものも、一定数の「合わない」というものは存在しますが、偏見の多くは最初の少ない情報を、悪いほうに拡大化することによって形成されます

今回のトラブルもこの偏見が重なって、重なって・・・のうえにボタンのかけちがえになったように感じたのです。

 

 

 

人や、ものや、起こる現象、すべてに良い、悪いはありません。

色付けするのは個人の思い込みです。それでこの世が出来上がっているのです。

ネガティブ思考の人は自分だけでなく他人にもそのような思考を反映してしまいがちです。

もちろん、ネガティブが悪いわけではない。

この世は陰と陽が等しく存在しています。

否定的、ということは角度を変えてみれば慎重である、ということ。

楽観的、ということは角度を変えてみれば向こう見ずである、ということ。

陰と陽のそれぞれの中にもさらに陰と陽があって、バランスをとっているのです。

 

 

 

必要以上にネガティブに捉えてしまうと人生がもったいない。

せっかくのいい出会いががっかりするようなものにもなったりします。

どうせなら毎瞬毎瞬がハッピーでいたいものです。

 

 

 

人も、起こる現象も、いいように捉えたほうが世界は開けてきます。

もちろん、今までの経験から簡単にそうは思えない人もいるでしょう。

だまされた

がっかりした

深く傷ついた

という負の感情が大きいかもしれません。

でもその負の感情は過去の物であり、今の自分とは本来関係がないのです。

「今」は「今」に存在します。

そうだった、そう感じた、ということと「今」は関係がないのです。

また、言い換えればその負の感情、経験の上に「今」があるということも言えます。

 

 

 

過去と今を切り離して考える。

その上で「今」を肯定することで過去の負の感情の癒しにもなります。

トラウマ

などと言われますが過去の負の感情を浄化できないのであれば、このように「今」から過去を変えることもできます。

その時の深く傷ついた感情は残っていたとしても、

過去はそういう意味で変えられるのです。

すべては

捉え方次第

なのです。

 

 

 

悪い、と思うから悪いことろが目につく。

そうじゃない、と思えば、そうじゃないのです。

評判が悪い、と言われる人には偏見という認知バイアスがかかっています。

でも、直感的に「なんかそんな感じはしない」と思えば自分を信じてフラットに考えればいいのです。

わたしたちのもつ直感は宇宙からの叡智です。

直感にしたがえば大概のことはうまくいきます。

自分を許して、自分を愛することで自分につながれば、宇宙から応援されるのでその精度はさらにあがっていきます。

もちろんうまくいかない時もあるでしょうが、最終的にはうまくいくようにはなっていますけどね。

変な色眼鏡をかけていると本来の自分につながりにくくなりますので、なるべくならすべての減少に色をつけずに相対したいものです。

 

 

 

新しく部下になった彼と最初に話をしましたが今後はうまくやっていってくれそうです。

彼には業務だけでなくこんな考え方も含めて一人の人間、社会人として成長できるようサポートしていこうと思います。ウインク

 

 

 

 

 

本日のお話で皆様が幸せに気づくお手伝いができれば幸いです。


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前回のブログで人間の悩みの多くは

人間関係

だと申し上げました。

その中で一番近いコミュニティが

家族

です。

 

 

 

家族というテーマのなかでもこの世界で親になる経験をする人、独身で生きる人、それぞれもって生まれたプログラムにより道は分かれます。

親になることを選んだ方のテーマで外せないのが

親子関係

です。

今回は「親子関係」についてお話しします。

 

 

 

子供の成長こそがわたしの生きがい

なんて方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そう思うのは個人の勝手なのですがお子様は迷惑されてないでしょうかね?

 

 

 

わたしは

子育てという哲学は不要

と考えます。

子を持つ親は子供を育てているのではなく

「親になることを学ばせてもらっている」

ということを知らない人が多すぎるのです。

 

 

 

自分が「導いている」という傲慢さ。

子供を「なんとか困らないようにしてあげよう」というおせっかい。

すべて

反対ですよ。真顔

おこがましいです。

自分の価値観を押し付けるなんてもってのほかです。

小さい頃、親からそういうことをされた経験ありませんか?

その時にどんな思いがしましたか?

 

 

 

確かに社会的弱者である子供の命を必要最低限としてつなぐ責任はあると思います。

それも学びの一環としてですが。

そして、人生を選べる自由を提供できればなおいいと思いますが、別にそれができなくても構わないっちゃあ構わない。

なぜならその子はそういう状況を「選んで」生まれてきたのだから。

そういう意味で親子の関係は何もしなくても完全なのです。

ピッタリ合うことも完全、毒親も完全なのです。

 

 

 

うれしさも、悲しみも、楽しさも、くやしさも、すべてが今の自分にちょうどいい

のです。

 

 

 

見目形は子供であっても一つの魂であり、親も一つの魂、それぞれがリスペクトされるものです。

子供に対しては、何歳であっても「人として」向き合うことが大切です。

違う魂なのだから生まれる前には過去世で自分の知らない経験をしているはずです。

わたしは子供のもっている感覚を教えてもらうというスタンスで向き合っています。

 

 

 

それは理想論だ。

そんなの現実的じゃねぇ。

男だからそんな無責任なことを言えるんだ。

という声もあるでしょう。

そう思ってらっしゃるならそういう世界に生きればいいと思います。

どんな世界を見るのも、信じるのも、自由です。

 

 

 

この世界は自分が思い描くものが現実となります。

現実が出てきて、それを感じているのではありません。

自分のコンフォートゾーンで思い描いたものは、知っているような現実となり、自分の枠から出たところで描いたものは、未知なる現実となる。

「現実的でない」と思っている現実を創造するには枠の外にある「理想論」「非現実的」「無責任」を開放する、許すことです。

自分の枠の外への扉を開くことで新しい価値観が生まれるのです。

 

 

 

他人の子や家庭と比較してしまう方。

他人と自分、よその子とわが子は

1ミリも関係ありません。

比較ばかりをしていると、子供は自分という存在が素晴らしいということに気づかずに大人になってしまいますよ。

 

 

 

どんな子でも

子供として接するから、親として接してくる。

バイアスがかかっている状態です。

バイアスがかかるからお互いに期待をし合って、関係がうまくいったり、こじれたりとややこしくなるのです。

子供に1人の人間として接するなら、親を1人の人間として接するようになる。

人は写し鏡です。

リスペクトすれば、リスペクトされるのです。

 

 

 

子供を「子供扱い」するのはよしましょう。

その人はわたしたちの

先生

なのですから。ウインク

 

 

 

 

 

 

本日のお話で皆様が幸せに気づくお手伝いができれば幸いです。


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人間の悩みの多くは

人間関係です。

コミュニケーションが得意な方、そうでない方、様々です。

本日は「そうでない方」向けのお話です。

 

 

 

他人とのコミュニケーションで大事になってくるのが

自分と他人との距離感

です。

価値観に関しては大体の人が

「なんか合うな」

「なんか違うな」

感覚的にわかりやすいものです。

でも、人間関係に距離感という概念がそもそもあるということに気づいていない人が多く、また、感覚的にわかりにくいものです。

だから

「価値観が合わないとわかっているのにつきあってしまう」

「価値観が合うのだけどなんかしっくりこない」

なんて状況になるのです。

 

 

 

まずはコミュニケーションにおける自分と他人との距離感を考えてみましょう。

それには

コンフォートゾーンとレッドゾーン

を知ることが必要です。

コンフォートゾーンは言わずもがな

自分が心地よい距離感

です。これは感覚的にわかると思います。

問題はレッドゾーンです。

自分がこれ以上他人に合わせると自分ではなくなる、という領域です。

ここで言う「自分ではなくなる」というのは

心地が悪い

ということです。

 

 

 

相手が自分にとってどうでもいい対象である場合は

イヤなら離れる

フェイドアウトする

など自然と対応ができるものです。

無理に付き合う必要はない

と判断できるのです。

 

ただ、「自分の子供」「割と仲のいい友達」「お取引先様」など相手が自分にとって特別な感情を抱く存在の時は要注意です。

相手のペースを主導で考えてしまいがちになるので自分らしくいられなくなる場合があります。

相手のことを慮(おもんぱか)って

「仕方ない」

という簡単な一言で自分に無理を強いてしまい

疲れてしまう

のです。

 

 

 

たとえば子供が相手の場合、普段は大好きで溺愛していて、めっちゃくっつくんだけど、自分の調子が良くないときはめちゃくちゃ離れたい。

そんな方を見ていてこう思うのです。

最初から離れときゃいいのに真顔

って。

それがその人の本来持っている「距離感」なのです。

 

 

 

「子育てとは、~あるべき。」という哲学や

「この人は、~な人。」という決めつけは

すべて思い込みです。

想像するのは個人の勝手ですが、相手を考える前に

自分の距離

を考えましょう。

 

 

 

自分がしんどくなるレッドゾーンを侵されるのは禁忌です。

だって自分の機嫌が悪くなるのだから。

自分の機嫌こそが自分の世界を創っているのです。

他人をコントロールすることはできません。

だから、自分を知って、距離をとるのです。

 

 

 

ボクシングのファイトスタイルには

インファイトとアウトボクシング

があります。

インファイトは距離を詰めて打ち合う。

アウトボクシングは距離をとって有効打を放つ。

インファイトの方が劇的な試合展開があるので見ている方は興奮します。

コミュニケーションにおいてもインファイト型の人は喜怒哀楽がはっきりして波のある人生になります。それが楽しいならそれを選べばいい。

ただ、それがしんどいのなら自分の距離を知って、その場の空気に合わせるアウトボクシング型のコミュニケーションをお勧めします。

 

 

 

自分の距離をよく理解して、フットワークは軽く、前に出たり、後ろに下がったりを細かく行い、コミュニケーションをとる。

いつも自分の距離を守ることです。

が、

こんなの毎回考えてやってちゃ、それこそ疲れます。

だから、こういうことなんだ、と理解だけしてください。

そのうち体が反応するようになってきます。

 

 

 

自分に近しい存在だとしてもコミュニケーションの最低ライン=レッドゾーンはここまで、と決めて付き合わないとしんどいですよ。

周りへの対応を変えて「いきなり冷たくなった」と思われても、気にしない。

そのうちそれが

あぁ、こういう人なんだ

という認識に変わります。

 

 

 

無理をする、ということは自分を偽るということ。

無理をすることを強要するから疲れるのです。

それは長年培ったクセなのかもしれません。

心当たりのある方は、自分が

クセが強い

ということに気づいたほうがいいのです。

 

 

 

わたしは

他人を大切にする前に、自分を大切にすることが基本だと考えます。

自分が幸せでないと周りを幸せにすることなんてできない。

たとえ自分を犠牲にしたうえで周りを幸せにしたところでそれは、嘘くさい。

だから常に気分よくいることを心がけています。

自分を大切にする、ということは自分を守っていく、ということも含まれます。

 

 

 

コミュニケーションをとることが難しいのを他人のせいにするよりもまずは

自分を顧みましょう。

この世界は自分が創造主です。

自分の価値観をファーストにできるのにしようとしない人が多い。

自分で決められることを諦め、放棄している。

わたしも長年そんな人間でした。

 

 

 

楽に生きる

とは、つまるところ

自分らしく生きる

ということです。

自分らしさがわからない、というかたはひとつひとつ固定概念を外して

本当の自分を思い出していきましょう。

 

 

 

このブログを通じて

わたしにそのお手伝いをさせてください。ウインク

 

 

 

 

 

本日のお話で皆様が幸せに気づくお手伝いができれば幸いです。


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みなさんの周りには

わざと聞こえるようにイヤミを言う人ドクロ

っていませんか?

 

 

 

そう思ってたとしてもなんでわざわざ言うんだろう?とつくづく疑問に思います。

なにかしら思い通りにならなかった。だから「○○してほしい!」

という思いが根底にあるのだと思いますが、イヤミを言われた人はますますそれに協力したくなくなりますよね。

きっと

現実は変わらない、とあきらめたのでせめてこのイライラをぶつけてスッキリしたい!

というのが本音なのだと思います。

 

 

 

でもその一言が

自分の品位を下げている。

もったいないなぁ

とつくづく思います。

周りに「あー、そういう人なんだー」と認識される、

という考えに及んでいない。

残念です。

 

 

 

そしてわざわざイヤミを言われる人は言う人から

なめられている。ポーン

バカにされている。ゲッソリ

 

 

 

そう思うと腹立ちますよねw

もちろん、それに対して言い返す、というのも結構です。

が、同じ土俵に乗らない、というのも一つの手です。

 

 

 

起こる現実には意味がない。

その意味付けをするのは個人です。

「あのときイライラしてたから同じようにイライラする出来事が起こったんだ」

と考えるのも

「同じ土俵に乗らない、反応しない、というチャレンジのために起こったんだ」

と考えるのも

自由です。

どうせなら自分が一番成長できる意味づけをしたいものです。

 

 

 

人はそれぞれ自分らしく生きればいいと思います。

わたしの尊敬する小林正観さんや斎藤一人さんは

愚痴泣き言不平不満文句は言わないように

とおっしゃっています。

究極的にはそこを目指すのがいいと思いますが、いかんせん突発的に出る感情には抗えない時もあります。

ネガティブな感情を感じてしまったことは仕方がない

とわたしは考えます。

それを否定することは自分を否定すること。

自分を否定する、ということは自己受容と反対のベクトルなので溜まると爆発します。爆弾

 

 

 

だから

自分を否定することはやめましょう。

だってそのままで完全なのだから。

不完全な自分こそが、完全なのです。

その不完全な部分を、自分以外が補い合って、この世界は調和がとれているのです。

 

 

 

そして「今」の完全と「一瞬先の今」の完全は別ものです。

わたしたちは自分の中の違和感をアジャストしていくことで本来の自分に近づいていくのです。

 

 

 

今回この内容を書くにいたったのはそのような出来事がわたしにあったからです。

もちろんその時はいい気はしませんでしたが、受け流したうえでこうやってブログを書かせていただけて

ありがとうウインク

という気持ちです。

 

 

 

わたしはアウトプットという形をとって昇華しましたが、イヤな気分を思い出してただただモヤモヤする方もいらっしゃると思います。

他人のことを考えている間は、他人の人生を生きています。

イヤなことも、恋愛のことも、すべて。

そうやって考える大体のことは

自分ではどうにもならないことばかり

です。

感じたイヤな気分を元に戻すことはできない、片思いの子の気分を自分に向けることもできない。

 

 

 

そう考えるようになった今は

すべて自分事としてどう捉えるか

という視点に置き換えるようにしています。

そして悪い気分はすぐに浄化する。

他人の人生を生きない、と決めているのです。

 

 

 

アカデミックに考えるとアドラー心理学の「課題の分離」に行きつくのですが、あまりにアカデミックに傾倒しすぎると顕在意識ばかりが機能してしまいます。

わたしたちは

頭で考えて動くこと、よりココロで感じ動くこと

が大切です。

ココロにつながることが本当の自分で生きることなのです。ニコニコ

 

 

 

 

 

本日のお話で皆様が幸せに気づくお手伝いができれば幸いです。


皆様の毎日が幸せにつつまれ、さらにその周りの人たちを幸せにすることがわたしのねがいです。

 

最後までご覧いただき

本当にどうもありがとうございました。

 

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