グアム観光つづき 11
いったい、いつまでつづくのか、このネタは…。
もうちょっとです…。もう暫らくお付き合いください。
チャモロビレッジのウェンズデーナイト。
毎週水曜の夜に開催されるナイトマーケットです。
まるでお祭りですヽ(゚◇゚ )ノ
場所は、あの、パセオ公園です。観光客向けにタモン地区からシャトルバスが出ています。
晩飯はここにしようって事で、やってきました。(私共は、レンタカーで)
ほとんどが、このような露店で、BBQ等をやってます。
すみません、画像を撮ってなかったんですが、
私はプレートで定食みたいな物を食べました。
でも、多いんです。初日のランチ並みだったんです!安いし、おなかいっぱいです。
他の物が食べれない…。
公園内にちょっとしたステージがありまして、生演奏で踊ってるんですね。
いい光景です。
皆さん、とっても楽しそうです。
中には、日本人観光客も一緒に踊ってたりしますγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
2階から。
上から見ながらカメラを向けていると…、
調子に乗ったG3が( ̄□ ̄;)!!
おかしいでしょ!その格好σ(^_^;)
では、おなじみの解説です。
チャモロビレッジ・ナイトマーケットについて
毎週水曜日の夜はチャモロビレッジでナイトマーケットが開催されます。このナイトマーケットは、まるで祭りのような活気に満ち溢れています。このイベントはハガニア地区のパセオ公園内で開催されており、地元の人も多く、グアムの文化に触れることができるおすすめスポットです。そんな観光名所として有名なハガニャにある「チャモロビレッジ」は、夕方にもなると辺り一面にBBQの香りが漂い、日本のお祭りのように露店が所狭しと並び始めます。
ショー会場のステージでは、チャモロダンスやミクロネシアの踊り、時にはライブも行われ、夜店ではグアムの民芸品やアロハシャツ、アクセサリー類など様々な物が売られ“グアムの縁日"を楽しむことができます。
チャモロビレッジ周辺には見所も沢山あるので先に見て周るのもいいかもしれません。また子供と一緒に行くなら少し早めの時間の方が安心です。夜が暗くなるころには、人の数もかなり多くなるので、小さい子供連れは迷子に注意したほうがいいでしょう。
「チャモロビレッジ・ナイトマーケット」は、水曜日の夜だけに開催される夜祭的なイベントです。狭い路地にはグアムっぽい雑貨が並び、中には変わったお店も。お土産探しにも良いエリアです。水牛乗りや移動型遊園地なんかもあったりします。水曜日の夜はココで決まり!!
※特に賑わいを見せるのは水曜の夜ですが、チャモロビレッジは終日(約9~18時)、約40ほどの小さなショップが連ねており、メイドイン”グアム”にこだわったアイテムなどが販売されています。
って事ですが、、まあ人が多いです。
私たちは、晩飯ついでに、雰囲気を楽しみに行きましたが、中にはナンパ目的の奴らも居たりします。
ここにも、なぜか、あの牛が居たり…。
結構、広いのであっという間に2時間位ウロウロしてしまいました。
ああ、観光って感じの内容でしたね、今回は(^▽^;)
次で、終わる…、かな?
グアム観光つづき10
それでは、続きですよ~。
今回は、2日目に逆戻りです。
私は、付き添っただけなんですけど…、、
ナンと、
スカイダイビングです!
この人たちが一緒に飛ぶんですね。
彼らが運命を握っているのです。
この時点では、既にフライトジャケット(作業用ツナギみたいなやつ)に着替えさせられています。
それぞれ、カメラを持っていますが、
飛びながら(いや、落下しながら?)ずーっとカメラを回し続けるのです。
後で、それが編集されたDVDになるのです。(勿論、有料オプション)
この画像の後に、ちょっと大きめのセスナみたいな飛行機で雲の上まで上がります。
グアム国際空港の直ぐ横にあるんですよ。
一応、ランクが3つあって、今回の人たちは最も高い所から落下します。
私は、先に着地地点にやってきました。
なぜか、やたらとニワトリの鳴き声がするんです。
綺麗な空です。
さあ、雲の間を抜けてきました。
着地地点にいるスタッフが、指をさして、「降りてきた」
と(多分、英語でそう言ってると思う…)。
私は、ちょっと無理かな…。
高所恐怖症ではないんですけど、結構お値段もしますしね…。落ちるって感じがねぇ~。
どうせ、するなら妻と一緒がいいな(^▽^;)
妻は、やりたいそうですから…。
で、面白い事が分かりました。
曇って、意外と痛いんだそうです。
まあ、水蒸気の塊ですから、小さな水滴が顔に当たるらしいです。
バイクに乗るときはヘルメットかぶりますが、雨って薄着で当たると痛いですよね。
雨ほど粒は大きくないけども、イメージとしては、そんな感じと思っていいみたいです。
挑んだ社員は2人で、1人はやる気満々なので、良いんですが、
もう一人は嫌々って感じでした。
でも、無事に着地すると、意外や意外、
「もう一回飛びたい!」って!
他の女性グループも、年配の方もいましたが、飛ぶ前の緊張感と
終わってからのテンションの変わりよう(勿論、高い!)。
そんな魅力がスカイダイビングには有るみたいです。
他にも画像有るんですけど、皆さんの顔が出てしまうので、今回はこれだけですm(_ _ )m
つづく…。
グアム観光つづき9
では、続けます。
今回はチャモロ地区です。
実は、1日飛んで、3日目なんです。
因みに最終日。
ここは、ちょっとしたサーフスポットでもあるみたいで、
社員の2名が日本からボードを持ってきて、地元インストラクターに付いて回った所の1つ。
なので、そこに連れて行った時に撮った画像です。(でも、見た感じ、波が無いんですね…)
ここは、1日目のハガニア大聖堂の近くで、人工的に作られたパセオ公園という場所。
そう、下の画像をぱっと見て、自然っぽいけど、不自然なんですね。
その、パセオ公園に面する海から見える宿泊地のタモン地区方面。
何だと思います?影は私です。
かなり大きなパーツって分かるでしょうか?
軍事マニアの先輩社員に見せると
「砲台を回すパーツやな…」
シャフト部分に竹が刺さってる!
そう、ここは戦争で出た瓦礫を埋め立てた所です。
海岸線のそこらじゅうに、こんな物が見え隠れしている公園なんです。
上の画像も、岩ではなく、コンクリート等の瓦礫なんです。
とっても美しい海との対比が何とも…。
でも、私は下調べしてたんで、ここが過去にどんな事が有ったか知った上で行きました。
とても、これからサーフィンする奴らに、この話は出来ません。
どれだけの命がこの海に眠るのか…。
でも、終わってから話しましたけどね。
「聞いてたら、ためらいますね」だって。
旧日本軍、大宮島のトーチカ。↓
現存する物は他にも有るそうです。
特に保存のために囲いをすることも無く、説明も有りません。中に入ることも出来ますが、
私は、入る気持ちになれませんでした。ここで、何人もの兵士が命を奪い合ったのか…。
が…、地元の人がコンビニ袋みたいな物を持って、出入りしてたんです!
丁度いい物置に化している…!
その姿を見て、撮るのをためらっていたんですが、何だか吹っ切れました。
っていうか、安心した気持ちでもありました。
「地元に溶け込んでるんだな…」って。
この公園には、“タシ”という伝統のカヌーを作る作業場があります。
NPO法人らしいですが、作業している所はみれませんでした。
(このカヌーは“タシ”では無く、競技用のカヌーです。南国の光で美しい発色ですね)
地元の漁師の船です。いつの間にか居なくなるんです。
ちょっと分かりにくいですが、ツバメより少し大きい感じで、
このパセオ公園横には港が有り、マリンアクティビティに出入りする船です。
乗ってるのは殆んど日本人(だと思う)
この船の通る、すぐ横でサーフィンしてるんですよ。
おまけです。
何となく、モノクロで撮ってみました。
たまには良いでしょ?カラフルな南国でも、モノクロだと、またちょっと違う趣を見せます。
もう1つおまけ。
この公園には、小さな自由の女神がいるんです。(1/10サイズ)
なんか不思議でしょ。
一部、私が書いた文も入れてます。
チャモロ地区
パセオ公園
パセオ公園は、ローカルにとっては、グアム有数のスポーツ・エリアとして活用されています。公園入口にあるロータリーの中央には、17世紀にチャモロ族の統一を成し遂げた「大酋長キプハの像」がそびえ立ちます。また週末にはバーベキューなども行われています。旅行者の主な利用は敷地内のチャモロ・ビレッジが人気があります。
このエリアはグアムが旧日本軍から開放された1944年、ハガニアにあった瓦礫をブルドーザーで海岸に運んで作った半島状の土地。
その為か、何か人工的な感じ。決して自然ではありえない戦争での残骸が幾つも見え隠れしている。
大宮島のトーチカ
マリーナ側から自由の女神像方向に歩くと、海岸線に正方形の大きなコンクリートの塊が見えてくる。
ハガニア湾から上陸する米国軍を迎え撃つため、戦時中に旧日本軍が立てたトーチカ(射撃陣地)。
尊い命とともに散った「大宮島」の時代
1941年12月8日、つまりハワイ真珠湾攻撃と同じ日、旧日本軍はグアムへの空爆を開始した。2日後の同月10日、旧日本軍はグアムに上陸してハガニアの知事公邸を占拠し、グアム占領を宣言した。それから2年7ヶ月の日本統治が始まった。
グアムを「大宮島(おおみやじま)」と改名した旧日本軍は住民に日本語と日本の習俗を学ばせた。今でも「君が代」や古い日本の歌を口ずさむチャモロの老人がいる。
1944年6月、サイパンを占領した米国軍は、その翌月にグアム上陸を図った。日米合わせて2万を超える人命が失われた戦闘の結果、「大宮島」の時代は終わったのだ。(戦後の再整備の為、米軍は必要以上に激しく空爆したといわれている)
米国軍を迎え撃つ旧日本軍は、グアムの海岸線に無数のトーチカを設営していた。それらの幾つかは、現在もタモン湾やハガニア湾をはじめ各所に残っている。
グアムの戦後は、まだ終わっていない
「大宮島」の記憶は、軍の戦闘だけでは語れない。そこにはチャモロ人をはじめとするグアムの住民がいた。ある者は旧日本軍に強制労働を課され、近親者を殺害され、ある者は日本の統治に抵抗する地下活動に身を投じた。
そして戦争よりもはるか前に日本からグアムへ移住した人々と、その子孫の日系チャモロ人が「大宮島」時代に経験した事は、あまり知られていない。グアムで生まれ、チャモロ語で暮らしていた日系チャモロ人たちは、旧日本軍がやってくると協力を強いられ、米国軍が帰って来ると強制収容所に入れられた。そして戦後は、長い差別に苦しんだという。「日本名だから」という理由だけで。
戦争の記憶をもつ世代がこの世を去りつつある現在、グアムでは「大宮島」の記憶を保存する動きが活性化している。
戦争は、まだ終わっていないようだ。
厳密には戦争をしていないだけで、終わった訳ではないのかも知れませんね。
さあ、これで重いお話は終わりです。
まだ、もうちょっと続きます。。