お盆休みの由来
オリンピック終了とともにお盆休みに入り、
さっそく帰省ラッシュが始まりました。
もっとも日本では観光旅行に出かける人も多く、
海外旅行というとこの時期になります。
一方、今年の国内旅行の第一位は東京だそうです。
東京スカイツリー人気が効いているのでしょうね。
お盆休みや帰省について中国人スタッフのQさんと
話をしていましたら興味がそそられ調べてみました。
中国ではお盆休みに相当するものはありません。
夏休みという考え方も学校のもので、
大人たちの仕事にはあまり関係がないようです。
中国の学校は2学期制です。
9月が新学年、新学期の始まりですので、
児童・生徒・学生は6月の末から約2ヶ月間、
年度末の休み、これが日本での夏休みに相当します。
(ハハコグサ、小石川植物園)
この「お盆」、盂蘭盆会(うらぼんえ)の略称です。
仏教用語ですから本来は梵語(ぼんご)で、
それを漢語に音訳したものです。
古代インドでは死者や祖先を祭る儀式があり、
これを仏教が取り入れて盂蘭盆会の供養が生まれました。
中国でもこれが定着、『菩提心集』というお経に
その由来が書かれているそうです。
仏教伝来と共に盂蘭盆会の供養は日本に入ってきました。
奈良時代には宮中で執り行われていたようです。
鎌倉時代には燈籠を掲げ、迎え火を焚く習慣が
中国にならって生まれたようです。
まあ、死者を弔い先祖を供養するという思いは、
人間として自然な感情ですから、
風習として受け入れやすかったのでしょう。
ここでお盆についてはもう一段階の進展があります。
「藪入り」という言葉を聞いたことがありますか?
先代三遊亭金馬の名演、落語好きには言わずもがなです。
奉公人や嫁を里帰りさせる、あの藪入りです。
「藪入りや 何にも言わず 泣き笑い」
奉公に出て3年目、初めての藪入りの日、
丁稚小僧の思いを綴った俳句です。
なんか、しみじみと分かる気がしますよね……。
この藪入り、江戸時代に習慣化したようですが、
じつは盂蘭盆会の進化形なのです。
死者や祖先に対する供養だけでなく、
現世に生きている父母・親類にも供養すべきという
「生き盆」的な考え方から生まれたものでした。
日頃、世話になっている方に贈り物をする
「お中元」という風習も同じ思いから生まれています。
中国では古来、1月15日を上元、7月15日を中元、
10月15日を下元と言いました(旧暦)。
お盆と同じ時期、同じ考え方から贈るので、
「お中元」と呼ばれるようになったのです。
このように時代や考え方の流れを追ってみると、
風習というのは面白いものですね。
次回はこれを踏まえ、Qさんの帰省、
里帰りについて触れたいと思います。
さっそく帰省ラッシュが始まりました。
もっとも日本では観光旅行に出かける人も多く、
海外旅行というとこの時期になります。
一方、今年の国内旅行の第一位は東京だそうです。
東京スカイツリー人気が効いているのでしょうね。
お盆休みや帰省について中国人スタッフのQさんと
話をしていましたら興味がそそられ調べてみました。
中国ではお盆休みに相当するものはありません。
夏休みという考え方も学校のもので、
大人たちの仕事にはあまり関係がないようです。
中国の学校は2学期制です。
9月が新学年、新学期の始まりですので、
児童・生徒・学生は6月の末から約2ヶ月間、
年度末の休み、これが日本での夏休みに相当します。

(ハハコグサ、小石川植物園)
この「お盆」、盂蘭盆会(うらぼんえ)の略称です。
仏教用語ですから本来は梵語(ぼんご)で、
それを漢語に音訳したものです。
古代インドでは死者や祖先を祭る儀式があり、
これを仏教が取り入れて盂蘭盆会の供養が生まれました。
中国でもこれが定着、『菩提心集』というお経に
その由来が書かれているそうです。
仏教伝来と共に盂蘭盆会の供養は日本に入ってきました。
奈良時代には宮中で執り行われていたようです。
鎌倉時代には燈籠を掲げ、迎え火を焚く習慣が
中国にならって生まれたようです。
まあ、死者を弔い先祖を供養するという思いは、
人間として自然な感情ですから、
風習として受け入れやすかったのでしょう。
ここでお盆についてはもう一段階の進展があります。
「藪入り」という言葉を聞いたことがありますか?
先代三遊亭金馬の名演、落語好きには言わずもがなです。
奉公人や嫁を里帰りさせる、あの藪入りです。
「藪入りや 何にも言わず 泣き笑い」
奉公に出て3年目、初めての藪入りの日、
丁稚小僧の思いを綴った俳句です。
なんか、しみじみと分かる気がしますよね……。
この藪入り、江戸時代に習慣化したようですが、
じつは盂蘭盆会の進化形なのです。
死者や祖先に対する供養だけでなく、
現世に生きている父母・親類にも供養すべきという
「生き盆」的な考え方から生まれたものでした。
日頃、世話になっている方に贈り物をする
「お中元」という風習も同じ思いから生まれています。
中国では古来、1月15日を上元、7月15日を中元、
10月15日を下元と言いました(旧暦)。
お盆と同じ時期、同じ考え方から贈るので、
「お中元」と呼ばれるようになったのです。
このように時代や考え方の流れを追ってみると、
風習というのは面白いものですね。
次回はこれを踏まえ、Qさんの帰省、
里帰りについて触れたいと思います。
勝敗の陰にある人生の妙味
今日も夜中の2時半に起きてオリンピック観戦 )^o^( 。
レスリング・吉田沙保里選手の金メダルを確認し、
なでしこジャパンのサッカー女子決勝を見ながら、
時折バレーボール女子準決勝の様子を確認する……。
いずれも目の離せない熱戦でした。
なでしこジャパン、果敢に攻めましたが、
勝利の女神は振り向いてはくれず、
いいところでのシュートが皆外れてしまいました。
でも、表彰式での自由な振る舞いは微笑ましいものでした。
コートに出てくるとき、前の人の肩に手をかけ、
表彰台のあたりでは手をつないでいました。
この振舞いにアメリカの選手達も手をつなぎ始めたほどです。
T生が若いころアメリカの選手たちに見た、
明るい憧れのアスリートの姿です。いいですね……!
閑話休題。
伊調・吉田両選手のオリンピック金メダル三連覇は
大変な偉業ですが、レスリング女子金メダルで
注目されたのは48キロ級の小原日登美選手でした。
小原選手は世界選手権51キロ級で6回優勝した実力者。
しかし、オリンピックには51キロ級はなく、
55キロ級で挑戦しましたが、吉田選手に阻まれます。
出場機会に恵まれず、一度は現役を引退。
ところが、48キロ級の選手だった妹さんが引退、
さらに銀メダリストの伊調姉も引退しました。
これを受けて、48キロ級に下げて現役復帰、
オリンピックを目指すことになりました。
年齢的(31歳)に最初で最後の機会ととらえ、
オリンピックでの金メダルという夢を結実させたのです。
(デュランタの花が満開、目を引きました)
実は、同じような意味でT生は大会前から
もう一人の選手にも注目していました。
女子柔道48キロ級の福見友子選手です。
このクラス、柔ちゃんの愛称で知られる
谷亮子(旧姓田村)選手が長年君臨していました。
福見選手はこの谷選手を2度破ったことで知られています。
特に北京オリンピック出場をかけての争いでは、
実績を買われた谷選手優位での経緯がありました。
事実、谷選手は北京で銅メダルを獲得します。
協会の判断に何も言うことはできません。
その意味で福見選手にとっては、今回、
念願かなってのオリンピック初出場でした。
T生はこの経緯を知っていただけに、
祈るような思いで勝負を見ていました。
しかし、メダルには手が届きませんでした。
勝敗は時の運とはいえ厳しい結果です。
これが人生の妙味というものなのでしょうか?
確か『老子』だったと思います。
天は事を成すような人には重い労苦を与える、
という内容の一文がありました。
福見選手は現在27歳、次回を期するのか、
今回の経験を得て別な道で大成するのか、
T生には皆目見当がつきません。
それだけに10年後、20年後の福見選手を
見てみたいと思ったのでした。
レスリング・吉田沙保里選手の金メダルを確認し、
なでしこジャパンのサッカー女子決勝を見ながら、
時折バレーボール女子準決勝の様子を確認する……。
いずれも目の離せない熱戦でした。
なでしこジャパン、果敢に攻めましたが、
勝利の女神は振り向いてはくれず、
いいところでのシュートが皆外れてしまいました。
でも、表彰式での自由な振る舞いは微笑ましいものでした。
コートに出てくるとき、前の人の肩に手をかけ、
表彰台のあたりでは手をつないでいました。
この振舞いにアメリカの選手達も手をつなぎ始めたほどです。
T生が若いころアメリカの選手たちに見た、
明るい憧れのアスリートの姿です。いいですね……!
閑話休題。
伊調・吉田両選手のオリンピック金メダル三連覇は
大変な偉業ですが、レスリング女子金メダルで
注目されたのは48キロ級の小原日登美選手でした。
小原選手は世界選手権51キロ級で6回優勝した実力者。
しかし、オリンピックには51キロ級はなく、
55キロ級で挑戦しましたが、吉田選手に阻まれます。
出場機会に恵まれず、一度は現役を引退。
ところが、48キロ級の選手だった妹さんが引退、
さらに銀メダリストの伊調姉も引退しました。
これを受けて、48キロ級に下げて現役復帰、
オリンピックを目指すことになりました。
年齢的(31歳)に最初で最後の機会ととらえ、
オリンピックでの金メダルという夢を結実させたのです。

(デュランタの花が満開、目を引きました)
実は、同じような意味でT生は大会前から
もう一人の選手にも注目していました。
女子柔道48キロ級の福見友子選手です。
このクラス、柔ちゃんの愛称で知られる
谷亮子(旧姓田村)選手が長年君臨していました。
福見選手はこの谷選手を2度破ったことで知られています。
特に北京オリンピック出場をかけての争いでは、
実績を買われた谷選手優位での経緯がありました。
事実、谷選手は北京で銅メダルを獲得します。
協会の判断に何も言うことはできません。
その意味で福見選手にとっては、今回、
念願かなってのオリンピック初出場でした。
T生はこの経緯を知っていただけに、
祈るような思いで勝負を見ていました。
しかし、メダルには手が届きませんでした。
勝敗は時の運とはいえ厳しい結果です。
これが人生の妙味というものなのでしょうか?
確か『老子』だったと思います。
天は事を成すような人には重い労苦を与える、
という内容の一文がありました。
福見選手は現在27歳、次回を期するのか、
今回の経験を得て別な道で大成するのか、
T生には皆目見当がつきません。
それだけに10年後、20年後の福見選手を
見てみたいと思ったのでした。
“絆”オリンピック団体戦
女子サッカー準決勝、子供の観戦につられ、
思わず興奮…! 2試合とも見てしまいました。
なでしこジャパン、決勝に進出が決まり、
因縁のアメリカとの対決が決まりました。
いや~ぁ、ボルテージが上がりっぱなしです。
ところでオリンピックも中盤に差し掛かりました。
金メダルの数は過去に比べて少ないようですが、
今大会は感動させられることが、
いつもより多いように感じられます。
なぜだろうと感動の場面を思い起こしてみましたら、
目立ったのは団体戦における銀・銅の獲得でした。
アーチェリー女子団体(銅)
体操男子団体(銀)
水泳女子100mメドレー(銅)
水泳女男子100mメドレー(銀)
フェンシング男子フルーレ団体(銀)
卓球女子団体(決勝進出)
最初に飛び込んできたのはアーチェリー女子団体、
史上初メダル、さわやかな喜びでした。
体操男子団体は点数の訂正により、
4位から2位へ複雑な思い、でもホッとしました。
圧巻は男女の水泳陣、競り合いでのタッチの瞬間は、
まさに手に汗を握るものでした。
試合後のインタビューがまたよかったですね!
「(北島)康介さんを手ぶらで返すわけにはいかないと、
昨夜、3人で誓い合ったのです」
しかも北島選手もそんな思いに答えるかのように、
銅メダリストを追い越しトップに躍り出たのでした。
「応援、スタッフ、チーム27人で勝ち取ったメダルです」
確かに、試合前には男女合同、チーム全員で
声を合わせる姿が映し出されていました。
まさに“絆”ですね。
東北大震災の中で言われ続けた“絆”、
日本の“今”を象徴する風景でした。
(シオカラトンボ、夏ですね。小石川植物園)
この思いはフェンシング団体でも同じでした。
準決勝、決勝、いずれもぎりぎりのところで競り合い、
これまた手に汗を握り応援していました。
特に準決勝で太田雄貴選手が競り勝った時、
チームのみなが駆け寄って喜ぶ姿は印象的でした。
まだ決勝戦が終わっておりませんが、
準決勝で前回銀メダルのシンガポールを3-0で
下した卓球女子団体も目が離せませんでした。
史上初、念願のメダル決定です。
涙なみだの彼女たち、コーチももらい泣きしていました。
特に福原愛選手は子供の頃からテレビで見ています。
大人相手に負けると悔しくて泣く姿が愛らしかったものです。
そんなわけで、隣のおじさん・おばさん感覚で
見ていた方も随分と多かったのではないでしょうか?
かように団体戦における選手たちの感動が、
こんなにも強く伝わってきたのでした。
みな一様に応援、スタッフ、チームの仲間に
支えられていることを強調しています。
また、自分たちの頑張りが被災地をはじめとした
日本の人々を勇気づけられたらと言っています。
いいですねぇ……!
T生はこの点にも強い感動を覚えたのでした。
連日猛暑が続く中、後半も見どころ満載……。
寝不足でお仕事されている方、お身体、ご自愛ください。
思わず興奮…! 2試合とも見てしまいました。
なでしこジャパン、決勝に進出が決まり、
因縁のアメリカとの対決が決まりました。
いや~ぁ、ボルテージが上がりっぱなしです。
ところでオリンピックも中盤に差し掛かりました。
金メダルの数は過去に比べて少ないようですが、
今大会は感動させられることが、
いつもより多いように感じられます。
なぜだろうと感動の場面を思い起こしてみましたら、
目立ったのは団体戦における銀・銅の獲得でした。
アーチェリー女子団体(銅)
体操男子団体(銀)
水泳女子100mメドレー(銅)
水泳女男子100mメドレー(銀)
フェンシング男子フルーレ団体(銀)
卓球女子団体(決勝進出)
最初に飛び込んできたのはアーチェリー女子団体、
史上初メダル、さわやかな喜びでした。
体操男子団体は点数の訂正により、
4位から2位へ複雑な思い、でもホッとしました。
圧巻は男女の水泳陣、競り合いでのタッチの瞬間は、
まさに手に汗を握るものでした。
試合後のインタビューがまたよかったですね!
「(北島)康介さんを手ぶらで返すわけにはいかないと、
昨夜、3人で誓い合ったのです」
しかも北島選手もそんな思いに答えるかのように、
銅メダリストを追い越しトップに躍り出たのでした。
「応援、スタッフ、チーム27人で勝ち取ったメダルです」
確かに、試合前には男女合同、チーム全員で
声を合わせる姿が映し出されていました。
まさに“絆”ですね。
東北大震災の中で言われ続けた“絆”、
日本の“今”を象徴する風景でした。

(シオカラトンボ、夏ですね。小石川植物園)
この思いはフェンシング団体でも同じでした。
準決勝、決勝、いずれもぎりぎりのところで競り合い、
これまた手に汗を握り応援していました。
特に準決勝で太田雄貴選手が競り勝った時、
チームのみなが駆け寄って喜ぶ姿は印象的でした。
まだ決勝戦が終わっておりませんが、
準決勝で前回銀メダルのシンガポールを3-0で
下した卓球女子団体も目が離せませんでした。
史上初、念願のメダル決定です。
涙なみだの彼女たち、コーチももらい泣きしていました。
特に福原愛選手は子供の頃からテレビで見ています。
大人相手に負けると悔しくて泣く姿が愛らしかったものです。
そんなわけで、隣のおじさん・おばさん感覚で
見ていた方も随分と多かったのではないでしょうか?
かように団体戦における選手たちの感動が、
こんなにも強く伝わってきたのでした。
みな一様に応援、スタッフ、チームの仲間に
支えられていることを強調しています。
また、自分たちの頑張りが被災地をはじめとした
日本の人々を勇気づけられたらと言っています。
いいですねぇ……!
T生はこの点にも強い感動を覚えたのでした。
連日猛暑が続く中、後半も見どころ満載……。
寝不足でお仕事されている方、お身体、ご自愛ください。