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シニアとパソコン②

テレビを見ていましたら農家のおばあちゃん・おじいちゃんが、
タブレレットPCを使って仕事をしていました。
その日の出荷量をタブレットで確認しているのです。

NTTドコモのCMで、新商品の導入事例でした。
主役は徳島県上勝町で葉っぱを栽培する農家のお年寄りたちです。

日本料理に彩りを添える「葉っぱ」。
この葉っぱを全国に出荷しているのが「(株)いろどり」で、
そこに葉っぱを供給しているのが上勝町のお年寄りたちなのです。

とにかく「びっくり!」ですので、まずはその動画を見てください。
「いろどり」「農協」「栽培農家」の3者がパソコンで連携しています。

http://www.docomo.biz/html/smart/irodori.html

上記をクリックすると、写真のホームページが開きます。
次いで、写真に表示されている「▶」をクリックすると動画が見られます。


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実は、T生が上勝町の事例を知ったのはもう5~6年も前のことになります。
80歳を超えた農家のおばあちゃん・おじいちゃんが
デスクトップパソコンの前に座ってその日の注文をチェックしていました。
初めて見たときは、びっくり仰天したものです。

しかも、生き生きと仕事されている姿に、いっそう感動を覚えたものです。

それが、今やタブレットPCを使っているというのですから、
またまた驚かされたのでした。

「必要」こそ学びの第一条件なのだ、とつくづく思わされますね。


シニアとパソコン①

シニアのパソコン指導にかかわって7~8年になります。  パソコン

お年を召した方の多くは、「パソコンなど、自分とは縁なき物」と、
思っておられるでしょうが、実は、これがそうとも言えません。

T生の母親は北海道の田舎で一人暮らしをしています。
80代の半ばとはいえ、本人、気ままな一人暮らしがいいようです。
まだ元気なのでそれほど人様のお世話にはなっていませんが、
ひとつだけ、少し離れたお隣にお願いしていることがあります。

北海道の家はその寒さゆえ窓が二重になっています。
毎朝、その内窓が開いているかを確認してもらっているのです。
つまり、窓が開いていれば「元気だよ」という合図になっているのでした。

まあ、隣家の窓が見える程度の距離ならばこれでいいのですが、
地方の過疎地ではこうはいきません。
これを解決する一つの手段が「パソコン」です。

「今日も元気」メールを自分で送れれば、隣家に頼らなくてもすみます。
無料テレビ電話ともいうべき「Skype(スカイプ)」が使えれば、
遠隔地の子供や孫、さらに友人とも顔を見ながら話せます。
食料や日用品の買い物もネット経由で注文できます。


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「電話があるじゃないか」と思う方もおられるでしょう。     電話
しかし、年寄りにはこれがなかなかうまくいかないのです。

電話は、その場で相手を必要とします。
先方は仕事中、いつもゆっくりとは相手をしてくれません。
しかも上手に話せなかったりして、受け手が要領を得ないことも多く、
年寄りにはなかなか面倒な作業なのです。

その点、パソコンは自分のペースでゆっくりと作業ができます。
相手を気遣い、遠慮する必要もありません。

このようにパソコンはいいことずくめなのですが、
年寄りにはなかなか使いこなせません。

T生も何度母親にパソコンを勧めようと思ったかわかりません。
近くに住んでいれば、繰り返し教えることができますし、
また、パソコンのメンテナンスもできるのですが、
北海道と東京ではこれがかなわず、情けなく思うばかりです。

地方行政の中で「医療のネットワーク」作りが言われています。
必要最小限の機能で、シニアでも簡単に使えるパソコン、
この開発こそが老人医療の簡素化を大いに進めるのではないかと、
ひそかに思っているのですが……。




川越 懐かしい駄菓子屋横丁

知人が工芸製本の個展をするというので埼玉県川越に行ってきました。

都内に住む地理不案内の製本仲間が、
「川越まで行くのは大変だから、ホテルでも取ろうかしら……」
「なに言っているのよ、池袋から東上線の急行で30分よ! まったく……」
と、本人、憤慨することしきりでした (^_^) 。

そんな川越、「蔵のある街・小江戸」をキャッチフレーズに、
今や東京近郊の観光スポットとして大人気です。

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今回行って初めて知ったのは「菓子屋横丁」のあることでした。
駄菓子屋横丁というと都内・日暮里の駄菓子問屋街が有名でしたが、
駅前再開発により2004年に整理されてしまったのです。

懐かしい駄菓子屋横丁のなくなることが残念だったT生は、
川越で同じようなものを見つけ、嬉しくなってしまったのです。



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発祥は江戸時代末期、駄菓子の歴史としてはけっこう古いのでした。
関東大震災で東京の駄菓子屋が大きな被害を受け、それを補う形で、
昭和初期には約70件の問屋が軒を並べていたそうです。

飴細工のおじさんの周りは大変な人だかり!
いいですよね、こんな風景。心なごむ1日でした。


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