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端午の節句②

「母の日」を挟みましたが、興味深いので、
端午の節句の風習について書きたいと思います。

楚国の愛国詩人・屈原の故事に由来すること、
端午が5月5日を意味することは前回述べました。

<菖蒲湯>
5月は季節の変わり目、今でも体調を崩す人が多くいます。
そのため日本でも中国でも病気や災厄を避ける
宮中行事に菖蒲(しょうぶ)が使われてきました。

菖蒲には薬効があり、その葉っぱが剣のようでもあり、
病気や邪気を払うとされたのでした。
中国では菖蒲で薬用酒を造って飲んだり、
菖蒲を軒先に吊るしたりという風習が残っています。


ラフィーネさんのブログ-しょうぶ

(中国風俗画。軒先にヨモギ、菖蒲、ガジュマルの
枝が掛っている。出典:百度百科「端午節」より。
http://baike.baidu.com/view/2567.htm#7_3)

『日本書紀』に「5月に菖蒲を献上させた」とあり、
日本における端午の節句の起源となっています。
これが奈良・平安のころに屈原由来の「端午節」と
混在して端午の節句になったと言われています

風習として定着したのは武家の勃興からです。
「菖蒲」は「尚武」に通じるということで、
武士階級にもてはやされたのでした。

明治6年に公の節句行事としては廃止されましたが、
民間においてはその後も盛んにおこなわれてきました。
昭和23年に再び「こどもの日」として祭日になったのです。

<鯉のぼり>
ある本に投身自殺した屈原を憐れんで、
楚の国の人々が紙の鯉を作って祀ったのが始まり
とありましたが、原典を確認できませんでした。

ただし、「登竜門」という故事成語があります。
「芥川賞は作家の登竜門だ」と使いますよね。
そこを通過すれば必ず成功出世するという関門のことです。

竜門は黄河上流にある有名な難所です。
鯉がここを登れば龍になれるという伝説があります。
鯉はこのように出世魚として重んじられ、
日本に伝播、鯉のぼりが上げられるようになったのでした。

室町のころから竹を半月型にゆがめ、長い布を張り、
竿に着けて軍旗に似た吹き流しを立てるようになりました。

鯉のぼりは当初、武家の風習でしたが、
江戸時代に入り町人にまで広がりました。
そして「5月(さつき)の鯉の吹流し」は、
江戸っ子の心意気を示すようになったのです。

さらに、鯉のぼりが「五色」であることも、
古代中国の「五行説」に由来しています。

しかし、中国には鯉のぼりの風習はありません。
ただし「望子成龍」という四字熟語があります。
龍は皇帝の象徴であり、「子供が龍に成るのを望む」、
つまり、子供の立身出世を望むことを意味します。

鯉が滝登りをして龍に変身するという寓話には、
親の強い願いが込められているのです。

蛇足ですが、日本でも人気のある香港の映画スター、
ジャッキー・チェンの中国名は「成龍」です……。

母の日

明後日(5月13日)は「母の日」です。

中日新聞にこんな記事が載っていました。

「国際的な非政府組織、セーブ・ザ・チルドレンは8日、
世界の165カ国について『お母さんに優しい国』を国別
にランク付けした報告書を発表、首位のノルウェーをは
じめ北欧諸国が上位を占める一方、日本は30位だった。
(ロンドン共同)」

判断基準がどこにあるのかよく分かりませんが、
“世界の目線”が分かって興味深いものがあります。

結果はともかく、母を思う気持ちだけは、
世界共通なのではないでしょうか。

十億の人に十億の母あらむもわが母にまさる母ありなむや

これは真宗大谷派の僧侶・暁烏敏(あけがらす はや)の短歌です。
全集もあり著名な思想家といってもよい人物ですが、
今日では知る人も少なくなりました。
しかし、言いえて妙、誰もが納得する歌ですね。

そこで、思いつくままに母の詩歌を拾い集めてみました。

たわむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず

石川啄木の短歌は分かりやすく、
心情が吐露されていて大好きな一首です。

みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる
はるばると薬をもちて来しわれを目守りたまへりわれは子なれば
寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば

この三首は斎藤茂吉「死にたまふ母」よりの抜粋です。
代表作『赤光』の中にあります。
「われは子なれば」という一節に心を打たれました。

そこで「死にたまふ母」全首を読み返してみました。
若い頃どのような思いで読んだのか忘れてしまいましたが、
茂吉の母を思う心情が身に染み、改めて感動しました。
自分も「歳をとったのだなぁ」と実感したものです。


ラフィーネさんのブログ-おかあさん

(『おかあさん』詩・サトウハチロー 
画・いわさきちひろ 講談社刊)

おかあさんはわたしを生んだの
それから
わたしをそだてたの
それから
わたしをたのしみにしていたの
それから
わたしのために泣いたの 
それから
それからあとはいえないの

よく知られているサトウハチローの『おかあさん』です。
そこから「おかあさんはわたしを生んだの」を選びました。
そこはかとなく母を恋う気持ちが伝わってきます。
やはりこの詩集を外すわけにはいきませんよね。

T生も老母の声が聴きたくなりました……。

端午の節句①

風呂に入ったら菖蒲湯になっていました。
そうか、今日は子供の日か……、と!

子供が小さかった頃、マンション住まいゆえ、
鍾馗(しょうき)さまの子供人形を置き、
紙の鯉のぼりを壁に掲げたものです。

懐かしいですね!
そうそう、柏餅もよく食べました。

そういえば鯉のぼり、めっきり見かけなくなりましたね。

路地裏散歩をしながら花の写真を撮っていましたら、
鯉のぼりを見かけ、そろそろ端午の節句かと思いました。
しかし、ここ東京では住宅地を散歩していても、
鯉のぼりを掲げていたのはこの1軒だけでした。

若い夫婦では戸建ての家を持つことはかなわず、
核家族化で戸建ての家には子供がいないのでしょう。

なにやらさびしい限りです。
皆様のところはいかがでしょうか?



ラフィーネさんのブログ-こいのぼり

ところで何故「端午の節句」というかご存知ですか?

日本の風習には中国由来のものが多くあります。
今日の中国でも5月5日は「端午節」という祭日です。

T生は北京で暮らした時、この一致に興味を覚え、
随分と調べたことを懐かしく思い出しました。

中国語で「端」は「初」の意味。
日本語でも始まりを「端緒」といいますよね。
「午(ウー)」は「五(ウー)」と同じ発音。
5月5日は中国語で「五月初五日」と書きます。
つまり端午とは5月5日を意味しているのです。

このように名称の語源は一緒なのですが、
その内容は時を経て随分と異なってしまいました。



ラフィーネさんのブログ-人形

そもそも起源は中国の戦国時代に遡ります。
「春秋・戦国」の戦国(紀元前三世紀頃)です。

5月5日、国(楚)を憂えた愛国詩人・屈原は、
汨羅(べきら)の淵に投身自殺しました。
楚国の人々はこれを憐れみ祀ったのが始まりとされています。

今日の中国では「粽(ちまき)」を食べることと、
「龍船競争」が風習としてよく知られています。

日本においてこれらの風習がどう変化したのか、
なかなか興味深いので次回紹介いたします。