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の続編で、
にて述べた史実との対比で話を進めます
なお、関連記事には以下の記事もあります。
藤原師通は神罰で死んだのか?藤原師通Wikiの内容から検証してみた
史実を基に検証する藤原摂関家の家庭の事情 忠実-忠通・頼長親子編
※使用した画像はNHKの公式HPや、録画したドラマの
データから抽出して利用しております。
全て批評目的の引用であり、他意はありません。
あらすじ
※分かりやすくするため、頼長・忠実親子の発言を青字、
それに対立する忠通と信西の発言を赤字、
他の人物の発言は黒字とします。
「神輿に矢を射るなど、言語道断
不埒な清盛並びにその父ミキプルーン忠盛は、
断じて流罪とするが相当と存じます 」
」
藤原忠通(ただみち:以下忠通で統一)
「いや、流罪は厳し過ぎましょう
こたびのことは祇園社の言いがかりより始まったこと
山法師の強訴に屈しては、朝廷の威信にも関わりまする」
頼長
「いや、山法師の訴えが、至極もっともなのでございます」
「されど、平氏の武力は、今や世に欠かせん」
※大河ドラマ平清盛では存在感の薄い家成卿ですが、
史実では平氏と非常に親しい関係にありました。
NHKの公式HPの藤原家成の欄にも
>武士の新興勢力である平忠盛・清盛父子との親交が深く、
若年期の清盛は家成の邸宅に頻繁に出入りしていたと伝えられる。
忠盛の正室・宗子といとこの関係にあり、
忠盛や清盛は家成によって引き立てられる>
との記載があり、本来ならもっと目立ってよい人物です。
頼長「さような世になったことが、そもそもの過ち、。
白河の院はあまりにも荘園を増やし、その富を独り占めされた。
法皇様が今なされることは、これら白河の院が敷かれた道を
しかと断ち切ることと存じます」
忠盛・清盛親子の処遇を話し合ってたハズなのに、
いきなり「白河法皇ガー」を始めた頼長さん...。
「信西入道、なんとする」
「今のような世の中になったのは白河法皇のせいである」
という頼長の「白河法皇ガー」な意見に、敏感に反応している鳥羽法皇です
 
 
信西(元高階通憲。出家後信西と名乗った) 
「さすが内大臣(頼長)様。整然たる見事なご説。
されど賛同は致しかねます。白河の院の敷かれた道にて、
この何十年国は治められ、形作られてまいった。
その中で神は公卿から武士、山法師、下は貧しき民草に至るまで皆、
それぞれの生きる道を探ってまいりました。
今更無しとするなど、治天の君が何よりもなさってはならぬこと」
頼長の「神輿に弓射たは不埒」&「白河法皇ガー」のどこが
見事なご説なのか良く分かりませんが、
「白河法皇の政治路線を崩してはならぬ」と頼長と真っ向から
対立する意見を述べた信西入道です。
※後に詳述しますが、史実の頼長は春秋左氏伝の趙盾の
故事を引き合いに出し、清盛の監督責任を問う形で流罪を
主張していました。それであれば、「見事なご説」という信西の
評価は妥当なものだと思いますが、ドラマでは全然違ってます。
藤原忠実(ふじわらただざね:忠通と頼長の父)
「おそれながら、法皇様の御世は長くは続きますまい。
この忠実、神に矢を射たてまつることの恐ろしさ、
誰よりも存じております
神罰にて父師通(もろみち)を亡くしておりますゆえ。
ここで清盛を庇護なされば、必ずや災いが及びまする。
忠盛清盛親子を流罪になさいませ。
これは我らの野心にあらず、忠心よりの進言にございまする」
※溺愛する次男頼長と同じ意見なので、我らと言っています。
「神罰で父師通を亡くした」という件に関しては、関連記事
藤原師通は神罰で死んだのか?藤原師通Wikiの内容から検証してみた
 
にて詳述していますので、ご確認ください。
多分師通は普通に病死だったと思われますが、強訴を撃退するよう
派遣した武士団に命じたことから比叡山側に呪詛され、
その事件の4年後に死去したことから、神罰で死んだとされてしまった
のが真相と思われます。
会議は結論がでず、場面が切り替わります。
ここでは、廊下に佇む頼長と、そこに通りかかった
信西との間で会話がなされます。
「何故、我が意に逆らうことを申した?
そなたと私は、誰よりも分かりおうておると
思うたが?」
一部のツイ民(ツイッターユーザー)に「ホモ長」と呼ばれている
悪左府頼長。「誰よりも分かりおうておる」などという言葉が、
腐女子と呼ばれる皆様や、同性愛描写を期待する
視聴者の妄想を掻き立てます。
ですが頼長の名誉のために申しておきますと、
「頼長はホモではなく、バイです 。
。
男色専門ではなく、いわゆる両刀遣いです 」
」
これは頼長に限らず、当時の貴族階級では
珍しいことではありませんでした。
武士階級だとまた話が変わってきますが、
戦国時代くらいになると武士階級でも男色は一般化します。
織田信長と森蘭丸や、武田信玄と高坂弾正などが
有名なところですね。
「全て誠の思いにございます。
私が目指すは、新しき政による新しき国造り。
私が藤原摂関家による古き政への立ち返りではございませぬ。
俗世にて、我が所存を果たすつもりにございます」
「摂関家が力を盛り返すようなことへの協力は出来ません」
という趣旨を、やんわり伝えるとこうなるんでしょうか?
だとしたら、言葉使いからも信西の深謀遠慮が伝わってくる
ということでOK
何としても、流罪にしてやる 」
」
何だか、思いっきり怨恨の感情丸出しの頼長。ですが、関連記事
「祇園闘乱事件」について、ドラマの描写と史実の違いを検証してみた
 
にて追加補足したとおり、史実の頼長は
>頼長は『春秋左氏伝』宣公2年(紀元前607年)の
故事を引き合いに出し、本人が関知していなくても
山城国内にいて郎党が事件を起こしたのだから、
責任を免れることはできないと持論を展開する。>
といった具合に、怨恨感情から清盛と忠盛の流罪を主張
したわけではありません。
『春秋左氏伝』宣公2年(紀元前607年)の故事とは、
これも前出の記事で説明しましたが、
『晋の趙盾の部下が趙盾と対立していた時の君主霊公を殺害してしまい、
趙盾はその部下を処罰せずに後継者を擁立したため、
晋国の正史に「趙盾、その君を弑す(弑す=目上の者を殺すこと)」
と書かれてしまった』という事件のことを指します。
いわば趙盾は監督責任を問われたのですが、この故事を引用した
頼長は、「清盛の部下が祇園社の宝殿に矢を放った」ことに対して
部下に対する監督責任を問い、流罪を主張したのです。
史実では「清盛の部下が祇園社の宝殿に矢を放った」という事件が
ドラマでは「清盛が神輿を射た」という描写に変わっていました。
それ自体はドラマを盛り上げるための演出として、仕方のないこと
ではありますが、ドラマの頼長はミキプルーン忠盛・清盛親子の
流罪を主張する根拠として、単純に山法師側の
「神輿に矢を射た行為の不埒さ」を挙げ、
「平氏の武力は世に必要だ」という家定の平氏擁護論には、
「武力が必要となったのは白河法皇の敷いた政治路線のせい
であるから、これを廃止するべき 」
」
というタフマン白河法皇ガー攻撃に出ます。
でも白河法皇の政治路線によって皇室(番組では王家と表現。
10話前後から使用回数は激減したようには思いますが...)
の財政規盤は強化されたハズですから、何故皇室に荘園を
集中させた白河法皇路線を否定しなければならないのでしょうか?
皇室への荘園の集中は、武士の武力を背景にしていたことから、
それを否定することで武士の台頭を防ぐ(そのための忠盛・清盛
親子の排斥)こと、及び皇室の財力基盤を切り崩すことで、
相対的な摂関家の地位向上を図ったというように私は解釈します。
それに関連記事
史実を基に検証する藤原摂関家の家庭の事情 忠実-忠通・頼長親子編
 
で検証した結果分かったのですが、頼長の父である忠実が
白河法皇の怒りを何度も買ったおかげで、白河法皇存命時の
摂関家の勢力は衰退続きであり、白河法皇死後のこの時点では、
必死に勢力を盛り返そうとしていたのです。
そういった白河法皇への怨恨的な感情が頼長にもあった
可能性はありますから、一応「白河法皇ガー」を頼長がやってる
ことも理解できなくはありません。
しかし不正なことが大嫌いであった、本当は真面目な人物であった
頼長ですから、ドラマでも可能なら趙盾のエピソードを持ち出して、
清盛と忠盛の流罪を主張して欲しかったものです。
その方が頼長の説が素晴らしいという信西の言葉にも重みが
出ますし、何よりも頼長らしさが出せます。
まぁ一般の大河ドラマの視聴層には、ちょっと難しい話かも
しれませんので、実際には難しいところ...。
「もののけ」タフマン白河法皇を貶めることで、
話の簡素化及び皇室sageを抜かりなくやってるように感じてしまう
私の見方は、穿ちすぎなのでしょうかねぇ...。
こういったところまで考えが及べば、白河法皇の政治路線の維持を
訴えた信西の主張は、保守論のようでいて、実はそうでなかった
ということになります。こういった私の解釈が正しいのであれば、
なんとも分かりにくい大河ドラマであり、一般視聴者へのウケが悪くて
視聴率が振るわないのも当たり前です。
更に言えば、良いと思われるシーンを理解するのにこれだけの
知識を必要とするため敷居が高く、加えて主役のハズの清盛が
いつまでも汚い格好で怒鳴り散らしているシーンばかりであり、
私が散々言ってきたような不自然なまでの
皇室sage&支那大陸(この時期では宋)ageを繰り返している
ことなども原因でしょう。
良いと思われる部分も、酷いと思われる部分もテンコ盛りな
ドラマであると、検証記事を書いててすごく感じる次第です。 
一方、なかなか忠盛・清盛父子の処遇が決まらないことに
腹を立てた延暦寺の荒法師達は、またもや神輿をもっての
強訴に及びます。
強訴を防ぐために駆り出されたのは、またもや源氏です。
このあたりは史実通りの流れですので、どうやら
清盛が神輿を射た一度目の強訴自体がフィクションである
みたいですね。
源氏にとってはもっけの幸いだというのに、
これを阻むのが我らの使命とは!」
この台詞は鎌田通清だと思いますが、彼は為義の家臣です。
なのに何だかタメ口っぽくないっすか?
まぁ、納得いかないという気持ちは良く伝わってきますが...。
 
「確かに因果なことじゃ。
されど、我ら源氏は死力を尽くしてこれを阻む。
源氏の武が、平家に劣らぬことを
見せつけるのじゃ~ 」
」
何だか始めてダメ義為義さんがカッコよく思えたこの台詞。
源氏の武者達も、一斉に奮い立ちます。
「誰が清盛を流罪になどさせるものが
こんな形で俺の前から姿を消させてたまるものか 」
」
自分の手で清盛との決着をつけたい その邪魔は誰にもさせない
その邪魔は誰にもさせない
という義朝の決意の表れなんでしょうが、
腐女子な皆様には美味しい餌的な発言ですねぇ...。
中途半端ではありますが、文字数制限エラーがまたもや
でてしまったので、続編に続きます。
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