穴と橋とあれやらこれやら -97ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

初めてのBAND-MAIDのライヴ参戦を今月20日に控え、昨日チケットに引き換えてきた。

 

 

まだ実感が湧かないが、知らん間にもう来週末。13年半ぶりのライヴ、しかもオールスタンディングとなると…優に20年以上ぶりなのは間違いない。ちょっと緊張してきた(謎)。

当日はCARCASSのTシャツで参戦予定だが(わかる人、笑うとこですよ・笑)、ご当地Tシャツも、やっぱ買わないと。

 

しかし今のチケットって、購入者の氏名まで入るんですな。もしかして本人確認とかされるんだろうか。

 

 

 

 

目下、ライヴで聴くのが一番楽しみなのがこの曲、”endless story”。

 

「ライヴでシンガロングできる曲を、という想いで作った」という旨(たぶん)を、以前のインタビューでKANAMI先生だったかが言ってたが、これまさに感動的だろうなあ。泣くかも。いや、ほぼほぼ泣く(笑)。

 

 

 

 

ああああ、楽しみ。

 

 

 

 

 

2023年4月6日に敢行した、加須市・羽生市周辺の物件群チャリで大爆走シバキ倒し。この日のネタを記事にし忘れていたので、まずは一つということで、今宵はこれを。

 

 

 

ファーストコンタクトはこの感じ。

これはこの日の物件群の中でもプライオリティ高め、ぜひ訪ねたかった橋だった。午後も深まってきた15時10分、ようやく到達だ。

 

 

 

 

 

右岸側を接近し、

サイドアングルその1。場所はこちら

 

なんて優美な高欄。真ん中を頂点としてセクシーな逆アーチ型をしたこの高欄、実はこれとほぼ同系統の橋を以前紹介している。それはまた後ほど。

 

 

 

 

 

サイドアングルその2、

右岸下流側より。

 

 

 

 

 

から~の、正対。

現代の橋を見慣れた目には、異様なまでに低く感じる欄干。完全に前時代の遺物のような存在で、農地の中に取り残されているような。

 

見た感じ、このエリアの多くのコンクリート橋梁と同時期、すなわち昭和初期の戦前橋ではないか、という印象だが、結論から申せば、極めて小ぶりな親柱には、四本とも何の情報もなかった。

 

 

このエリアの物件のバイブル「フカダソフト」さんにおいても、この橋は「名称不明の橋」となっている。こういう時の頼みの綱、愛と信頼の全国Q地図を参照するも、判明したのは「加_4016号橋」という、無味乾燥な管理名のみ…。

 

これだけの橋に名前がなかったとは思えないが、資料なども散逸したのか、今やこの管理名しか伝わっていないのであれば仕方ない。よって、記事タイトルもこういう感じになった次第だ。

 

 

 

 

 

とりあえず、ここを訪ねた橋好きならば、

 

ひゃくパーこういうのを撮りたくなるはず(笑)。

 

 

 

 


こうして見ると、

橋面自体も太鼓橋ぎみに中央が高くなってるんだな~。

 

 

 

 

 

 

橋上から望む、上流側。

ちなみに川の名前は、新槐堀(しんさいかちほり)川という。

 

 

 

 

 

こちら、下流側。

景色だけは滋賀県の湖東エリアに通じるのものがあるなあ。ただ、滋賀にはこんな素敵な橋ないけど(笑)。

 

 

 

 

 

渡って振り返り。

先ほどまでいた右岸側は休耕地なのか、あのような状態。道も丁字路となっている。ダブルトラックの薄さを見るにつけ、利用頻度は極めて少ないような。

 

 

 

 

 

サイドアングルその3、

左岸下流側より。

 

 

 

 

 

そしてサイドアングルその4、

左岸上流側より。うーむ、絵になる。

 

さて、先ほどちょっと前フリしたが、もう9年以上も前に、同じ加須市でもっと市街地に位置する同系統の橋を記事にしていた。羽根橋がそれで、橋長はこちらの方が倍ほども長く、その分欄干に開けられたアーチ型開口部の形も少しワイドになってるようだが、基本的なデザインは共通しているように思われる。羽根橋には昭和四年という竣功年が刻まれた竣功紀年碑があったわけだが、ここにはそういったものは見られなかった。

 

ちなみに建設年について、「フカダソフト」さんにおいては「昭和10(1935)年前後?」と、Q地図においては「不明」となっている。

 

 

 

 

 

折しもこの日は各所で菜の花が咲き誇っており、

入れ込んで撮ってみたものの…センスのなさにドン引きする結果に(笑)。

 

 

 

 

 

いや、それにしても。

 

ええ橋でしたよ。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

そう、とんでもないことに気づいた。先日投下した、京都市内の古い住所看板【16】。これがなんと、このシリーズ一発目でやったものを再度やっちゃってたのだった!我ながらびっくりした~。

 

こんなことがないように、我が探索の記録や物件はすべてエクセルでリストにしてて、記事にしたものもそうとわかるように管理してるのだが、こいつに関してはその「記事化済みチェック」を一行間違えて入れちゃってたので、このような失態が発生したというわけだった。あー、いつかやらかすかも、と漠然と考えていたことを、ついにやっちゃったね。

 

 

 

えーい、

このバカたれーーーい!

 

 

 

そんなわけなんだが、だからって今さら記事を削除するのはなんか違うし、次はしれっと【17】としてアップするつもり。

 

 

 

ちょっと久々の看板ネタ。

 

 

とりあえず今宵は、これでお茶を濁して。

 

これまた久方ぶりの、キリスト看板~。

 

わたくしの場合「死に打ち勝った」は大げさすぎるけど、この夏の体調不良シンドロームをようやく克服したので、無理くりそれに引っかけて、ですね。

 

 

キリスト看板、ゆる~く収集はしてるのだが、車移動だと見つけても止まれないことも多く、だいぶ逃してる実感がある。仁丹看板ほどにがんばって探してはいないけど、情報あれば教えていただければ幸い…って、広範囲かつ多すぎるか(笑)。

 

 

 

ロケ地:鋸南町某所

 

 

昨日10月1日、福岡~大分出張から帰還した。今回はちょっと余裕がなく、記事もほぼ投下できずで申し訳なし。失敗した北九州の物件含め、趣味活もナッシンで。

 

そんなわけで、ようやく仕事から解放されて基本的には帰るだけの最終日である昨日の朝、かねてから気になっていた大分市内の物件を見に行ってきた。そう、拙ブログでは極めて珍しい、最新のネタである(笑)。

 

 

 

ホテル近くから

バスに乗ってね。なーに、全然遠くじゃない。

 

 

 

 

 

乗車時間10分少々、

ターゲット近くのバス停で下車。遠くに見えてるのが乗ってきたバスだ。

 

この道路は大分県道21号大分臼杵線。ターゲットは、ここから反転して背後方向にある。

 

 

 

 

 

まずは遠巻きに観察だ…って、

なに撮ってんねん?って感じ?

 

そうなりますわな。ここは事前にストビューでも見てきていたけど、実になんというか…いや、後で書こう。

 

 

 

 

 

ここまで接近して見ると、どうだろう?

同業者なら、「ざわ ざわ…」とキましたかね?え、まさか…って。

 

 

 

 

 

そのまさか、でしてね…。

肉眼では片鱗をすでに捉えていた。

 

 

 

 

 

わかりますかね…?

なんかあるでしょ?そう、ズバリあそこに、隧道のポータルがほぼ全埋まりで遺されているのだった。

 

 

 

 

 

引きでの観察終わり。

 

つうわけで、ぐるっと回ってターゲット側歩道に。遅ればせながら場所こちら

おおお、これは凄い。何気に左側の擁壁、かつての隧道に続く往年の擁壁が残されてるんだ。

 

 

 

 

 

そしてその先の茂みの中に、

僅かにのぞくコンクリートポータル上部。わずかにアーチ最上部も見えていて、ガッツリ埋められているのがわかる。

 

この時期まだまだ植生旺盛なので、どの程度見えるのか危惧しながらの訪問だったんだけども、この程度でも見えてくれれば十分だ。ありがたや。

 

 

 

 

 

とはいえ、もうちょい見やすいアングルを探した結果がこれ。

中央部にアーチ部分の曲線が見えると思う。冬場になればもっとよく見えるはず。

 

さっき書きかけたことだが、それにしても、よくこの状態で遺したな、っていう感想。どうして完全に破壊して埋めてしまわなかったんだろう。いやもちろん趣味者的にはありがたい限りで、こうして詣でさせてもらってるわけだが。

 

 

 

 

 

こうして見ると、

「明らかにオカシイ」よね、そこだけかつての道型のままで。まあ行き交う車たち、誰も気にしてないのだろうけど。

 

 

 

そもそも個性的な名称のこの隧道の存在は、「tunnel web」さんのリストで知った。そしていくつかの先人の記録も。「隧道データベース」によれば、竣工年度は大正10年、延長47m、車道幅員3.7m、限界高4.5mとなっている。

 

周辺は大規模な明野団地が拓かれており、昭和49(1974)年、その開発・発展に伴う県道21号の拡幅改修によりその使命を終えたというこの隧道、現役時代にはバスも通していたという。

 

この情報は、大分市の「歴史マップ 明野の歴史をたどる」というpdfファイルを参照させていただいた。リンクフリーだったので、よければご覧いただきたい。

https://www.city.oita.oita.jp/o071/rekisi/documents/akenonorekisiteigasitu.pdf

 

 

 

 

 

隧道が穿たれた山をパッカーンして、

巨大な掘割をゆく現県道。言うまでもないが、この左手の土中に隧道が埋まっているわけである。

 

これより反対側へと回るが、先人たちのレポートでは一切その姿は見ることはできなかった。それには明白な理由があって…。

 

 

 

 

 

さあ、掘割を抜ける。

その気になる反対側は…

 

 

 

 

 

こう。

なんとなく感じ取っていただけるだろうか、この隧道西側一帯、完全私有地となっているのだった。そう、アカンやつ。

 

とは言えこの場所には特に立入禁止的な文言も措置もなく、気づかなかったテイで入って行けなくもないな…とストビューでの視覚情報から一縷の望みを持ってきたのだが、この時ちょうど写真右端見切れたあたりに、なにか積み込み作業をされている男性を発見。もし地権者の方であれば許可をいただけるかも、と、足を踏み入れて接近、声をかけた。

 

特に怒られることもなく対応して下さった男性だが、地権者ご本人ではないとのこと。ちょっとだけ隧道を見学したいのですが…と話すも、自分では何とも言えない(許可する立場ではない)と、そりゃまあそうですわな。

 

なので、遠くから見てすぐに退散します、ってことで即行動に移った。なんだかんだでいったん立ち入ったここ、このチャンスは逃せない。

 

 

 

 

 

男性とお話しした場所から振り返って少し進めば、

おおおおう。見えた!埋められてないぞ!

 

 

 

 

 

あれぞ、

ボラヶ迫隧道・幻の西側坑口!見られて嬉しい~!

 

存外に立派なコンクリポータルにちょっと驚いた。埋められていた東側も本来はこんな感じだったのだろうか。大正生まれという出自だから、後年の改修によるものと思われる。そして隧道からこちらへと続いている道路、これが県道旧道で間違いないだろう。

 

どう考えても、これ以上は接近できる状況でなかった。特に特徴のないポータルだったおかげで、悔しさもほどほど(笑)。

 

 

 

 

 

で、非常に悩ましかったのが二枚上の写真にも写り込んでいる、これ。

これさあ、位置的に隧道記念碑を疑いたくなる感バリバリでしょ!

 

もちろんこれもできることなら間近で観察・撮影したかったが、そこへ行くには見ての通りコンクリブロックを踏み越えて行かねばならず、この状況とロケーションでは到底無理。ダンチョネ 断腸の思いで自重した。

でもこれを書くにあたり、改めて元画像をズームして観察してみたが、うーん、どうも文字が刻まれているようには見えないな。なんだろう?彫りが浅くて判読できないだけなのか?

 

どうでもいい話だが、ダンチョネ節の「ダンチョネ」は、実際に「断腸の思い」に由来するという説もあるらしいぞ。

 

 

 

 

 

こうして、数枚の写真だけ撮らせていただいて、ご挨拶の上で速やかに敷地外へ退散~。

中央やや右側の奥に、西側坑口がある、という位置関係である。

 

この日は日曜日だったためか、この会社(あえて文字にはしない)は無人なようだった。隧道前の様子を見ても、間違いなくこの会社が一帯を所有していると思われ、逆に平日であればどなたかいらして見学可能かどうか尋ねられるかも?まあいずれにしても仕事の邪魔にはなるだろうから、節度ある態度が求められると思うが(おまいう・笑)

 

 

またも余談だが、こちらの会社のホームページを拝見すると、創業は昭和35年、会社設立は昭和42年(同い年!)ということで、この時点ではまだ隧道と前後の県道は現役だったはずだ。山がパッカーンされて隧道が埋められ、旧道敷が払い下げられたようなタイミングで、この場所に移ってこられたのだろうか。もしかしたら、当初から倉庫代わりに使えるということで隧道も閉じられてないのかも。知らんけど。

 

 

ちなみに、上の写真撮影位置の背後くらいに、同じく県道の隧道として「松女ヶ迫隧道」という延長24mの隧道が存在したようだが、こちらは完全に開削され、跡形もなかった。

 

 

 

 

 

幻の西側ポータルを記録できたことで大満足、歩いて県道を市街地方向に下っていく。

 

しばらくするとこのように、

パッと展望が開け、市街地を一望。

 

隧道が完成した当初は、まさに峠の細道の隧道って感じだったんだろうなあ…と、時の移ろい、世の移り変わりを感じさせられた。いやあ、思ってたよりかなり楽しめた。

 

 

 

 

このあと、この日行われていた「おおいたサイクルロードレース」の影響で、帰りのバスが全然来ずにかなり焦ったのだが、なんとかギリで予定通りのソニックに乗り大分を離れることができた。

 

 

 

以上。