見ると思わず微笑んでしまう建物っていうのが、時々ありませんか?わたくしはありますね。
これとか、
めっちゃいいですやん。
特に正面からは秀逸で、
癒されるわ~。
ロケ地:徳島県上勝町某所
古い住所看板シリーズ、しばらくは仁丹もの以外を重点的にご紹介していく予定。今宵はこれ。
まずはいつもの
どーこだ?から。
この手のステルス看板が多いのよね…。
はい、これ。
琺瑯じゃなく木製看板である。
最下部の提供社名は?拡大して見ると…
「八田ふとん店」。
右側にも小さな字で何か書いてあるようだが、判読できない。一文字めは「御」だろうか。たぶん「御婚礼」か?
左側には住所が書いてあるが、調べたら現在も「ほぼ」同じ場所で、オーダー枕・オーダーベッド専門店として盛業中のよう。「ほぼ」と書いたのは、現在地は「仏光寺下る」よりも「高辻上る」のほうが近いので、ちょっとだけ移転したのかも、って意味で。いや、誰に対しての正確性確保なのよ(笑)。
ちなみに「はった」じゃなくて「はちだ」と読むみたいだ。いや、わたくし無関係ですよ(笑)。
この看板はお店を構えておられるところから300mも離れていないけど、果たして先代(か誰か)が出した看板がこういう風に残っていることを、今の社長さんはご存じなんだろうか?変なことが気になってしまった。
前回のクリーニング店もそうだったが、古い住所看板にその名を残す会社やお店がまだ存続しているのを知った時、やたらと嬉しくなってしまうのはなんでだろうな~。
以上~。
【3】より続く。
ではこの最終回、
三連橋梁のラスイチ、境橋をこってりと。
サイドビューもお名前さえも前回に開示しているので、今回はコメント最小限とし、ほぼ写真のみでお送りする。
うーむ、くどいな(笑)。
この境橋、ある意味刈谷橋以上に個人的にはどストライクで、写真を撮りまくった。質実剛健で、華美な装飾はなくともシンプルでかっちりとした、端正な美しさをまとった素晴らしい橋。刈谷橋と共通の意匠を与えられつつも、欄干や桁の構成含め、トータルではこの境橋が最もわたくし好みだったかな。
最終的にこの三連橋梁が現役を退いたのは2014年11月、翌12月からの工事で解体撤去されたとのこと。
実はわたくし、2014年11月15日にこの三連橋梁を車で渡っている。それは煉瓦祭り@愛知の初日のことで、明神樋門と明神川逆水樋門の訪問後、東海道本線沿いに南下していく際に通ったのだった。
記事を書くにあたって調べて初めて知った(当日全然気づいてなかった)のだが、なんとこの日は新橋が供用開始されたまさにその日だったらしく、つまりは三連橋梁にとっては現役最後の日だった可能性が高い。
なのでこの航空写真は、
2014年12月~2015年1月ごろの撮影なんだろう。ほんと絶妙な…。
80年余の現役期間の最後に再び渡らせてもらえた。これは…やっぱり運命を感じるなあ。呼ばれたなあ…。
以上、今は亡き三連橋梁の、在りし日の姿をお伝えした。
手前から境橋、刈谷橋、奥に亀城橋。
《境橋》
1934(昭和9)年3月架設
RC桁 土木学会選近代土木遺産C
2014(平成26)年12月~解体撤去
《刈谷橋》
1934(昭和9)年●月架設
RC桁(下路) 土木学会選近代土木遺産C
2014(平成26)年12月~解体撤去
《亀城橋》
架設年不詳
RC桁
2014(平成26)年12月~解体撤去
【2】より続く。
刈谷橋サイドアングル撮影後、せっかくなんで
建設中の(つうかもう完成してるように見える)新橋にお邪魔してみた。
一応、再度これを。
今どこを通ってるのかはおわかりですね?
てなわけで、
特に何にも邪魔されず、新橋へ。
振り返った景が、
絶景だったー!
初回に書いた通り、これはわたくしが仕事で3ヶ月ほど名古屋に住んでいる間に訪ねたもので、タイミング的にはたまたま。単に近辺の土木学会選の近代土木遺産で訪ねやすそうなものを調べて
行ったに過ぎない。
そう、実は刈谷橋と次回最終回にご紹介する橋は、いずれも近代土木遺産Cランク物件だったんですな。まあそんな事実はあって無きが如く、完膚なきまでに撤去されちゃったわけなんだけれど。
そんなたまたまで訪ねてみたら、役目を終える直前。これはやっぱ…呼ばれたね。間違いない。そうに決まってる(笑)。
さて、その新橋。これは東(刈谷)方向を見ているが、
うむ、出来てますな。あとはセンターラインを引くだけって感じ。
この後「刈谷境橋」として供用されることになるこの橋だが、今は静かに開通を待っていた。
ズーーームしてみると、
当たり前ながら、この後接続されることになる県道と、見事に一直線ですなあ。
で、新橋から~の、
刈谷橋!
思えば、この新橋ができてなかったらこの素晴らしいアングルからは見ることができなかったはずの橋。その新橋ができたことで、今では見ることは叶わなくなった橋。なんかもう、どういう感情を持てばいいのやら?
今度は、西(東浦・大府)側。
橋の先の道路がまだ手付かずだったな、この時には。
で今度は、えー…
ええい、紹介記事は次回やけど、もう名前を書いてしまおう(笑)。あの橋、「境橋」という。
刈谷市と東浦町の境だから、というより、境川に架かっているからか。まあいろんな自治体を分けてるからこその「境」川なんだろうけど。ああ、話がとっ散らかってきた(笑)。
つまり新橋の名称である「刈谷境橋」は、失われた二つの橋の忘れ形見でもあるってことか。まあ単に地名と河川名だといえばそれまでなんだが。亀城橋だけは跡形もなし(泣)。
まあ次回、その境橋を舐めまわしてご紹介する。拙ブログ的には斬新な記事構成ですな(笑)。
さて、戻りますか。
【4】に続く。
【1】より続く。
「こっからがメインだ」と鼻息荒く終わった前回。
今回はそのメインひとつ目、三連橋梁の真ん中の橋をご紹介する。これがまた、素晴らしい橋だったんだけどね~(泣)。
正対。
ここまでの二枚の写真で、けしからん部分、お気づきだろうか?もうちょい後で登場する。
まずはこの立派な親柱。
まるで軍事関連の構造物みたいな厳めしさがイイ。
銘板はお名前。
「かり●はし」。まあ事前に地図で見ていたので、「かりやはし」だとわかっていた。
反対側も同じ意匠。
まあそれを言うなら、次の橋も同じ意匠の親柱を持つ。兄弟のような関係の二橋だったはずだ。まあその辺は最終回に。
銘板は、お誕生日。
「昭和九●●●●設」。
これまた錆びて見えなくなる嫌なやつ(笑)だが、最低限欲しい情報は得られた。当然のごとくの、戦前橋。
上流側からサイド気味に見れば、
一見つまんない橋に見える。親柱だけオリジナルが残ってるパターンね、と。
しかーーし。
強烈な存在感を放つ、この不条理なワンスパン。
なぜかこのワンスパンだけ、
ハイパー・マッシヴなコンクリート塊(と表現したい)による欄干?という謎仕様。
まれに巡り合うこの手の物件、大好物なのだが、マルチスパンのうちのワンスパンがこういう仕様っていうのは、現在に足るまでここでしか確認できていない…はず。たぶん。
振り返り。
向こうに小さく見えるのが、前回紹介した亀城橋。
で、向き直れば
先述したとおり、同じ意匠の親柱を持つもうひとつの橋…三連橋梁のラスイチが待っている。バエてるな~!
さて、この場所だが、
ここ、どういう立地なのか気になる?なるよね?ええ、そうでしょうとも。もうちょっと待ってね(笑)。
渡って(ほぼ)正対。
「刈谷市」のカントリーサインがあるが、実際の境界はもう数十m背後、まだ紹介していない橋の真ん中あたりのようだ。
左の親柱には
「刈谷橋」。
右の親柱には「逢妻川」。
先ほどの亀城橋も逢妻川とあったが、あちらは分流というか、大きめの中州で画された流れ。合わせて大きくどちらも逢妻川というわけだ。
こうしてハイパーマッシヴ(以下略)との取り合わせを見ると、やっぱり軍事施設的なイカツさを感じる。
うむう~。
異形な橋だな~。失われてしまったのが、かえすがえすも惜しまれる。
ここでようやく立地の説明を。
何度も書いているように、この連載で紹介している橋たちはもはや現存しないのだが、実はGoogle Mapの航空写真モードでは、極めて絶妙な時期の状態を見ることができる(記事公開日現在)。
亀城橋はまだ残っているが、刈谷橋ともう一本はまさに絶賛撤去中。刈谷橋は例のハイパーマッシヴ・コンクリート(言いたいだけ)までが撤去されてしまったばかりのようだ。
南側には、今記事では建設中であった県道新橋がすでに供用されている。まさに三つの橋梁を含む県道旧道に引導を渡した存在ということになる…。
つうわけで、地図をご覧いただくとこの通り。
今や跡形もなく消え失せているのを確認させられる…。
で、さっきの航空写真で「現在地」を見ていただくと一目瞭然。ここは極めて近接して併流する逢妻川と境川の真ん中なのだった。
その二川を分かつ堤防上にある管理用道路?から、建設中の新橋に行けるようだったので、せっかくなので行ってみた。
そこからのサイドビューが
イヤイヤイヤ、おかしいよ~。なんだこの橋!
なぜ、五径間の中央だけがこのような異形の桁?で構成されているのか?もとから中央だけがこうなのか?あるいはオリジナルはすべてがあのハイパーマッシv(ry だったのか?
なんか、調べればいろんなエピソードを秘めた橋なんじゃないかと思ったものだったが…もちろん調べず(笑)。
いやマジで、
撤去されてしまったことがものすごく惜しまれる。
【3】に続く。