2014年11月15日、2日間にわたる煉瓦祭り@愛知の初日。この日のネタで記事にしているのは、後半の山田下橋梁と日没間近の御殿橋。今宵ご紹介するのは、午前中に訪ねた土木遺産物件。
まずはこれ。
このビジュアルだが、橋ではない。煉瓦祭りではあるが、煉瓦物件ではない。
はて、これ如何に(笑)。現在地コチラ。
お名前は
「明神樋門」。
引きで見るとこんな感じで、
石造の樋門である。
樋門(ひもん)についての解説はしない。各自でお願いね(酷
解説はしないが、
上に立てられていた大府市教育委員会設置の解説看板の転載は対応しましょう(笑)。
大府市史跡案内
名称 明神樋門
寸法 天端幅約十メートル、長さ十五メートル 高さ(川底より)六.四メートル
年代 明治三十四年頃
解説
江戸期に人工的に掘削された五箇村川と西側丘陵地から境川に注ぐ小河川とを立体交差させるために樋門が設けられていた。
たびたび洪水により破損するため、当時人気の人造石工法により改修した。
人造石工法は服部長七という愛知県碧南市出身の人物が考案した。
「たたき」とは消石灰と真砂(サバ土)とを混ぜ、水で練ってたたき固めたもので、土間など湿気防止や水密性をもとめられるところに広く使用され、コンクリート工法が普及するまで施工された。
この樋門はこの人造石工法を使用した貴重な近代化遺産のひとつで、明治期に五箇村川流域で施工された人造石工法樋門の遺構であるとともに、県下に残る人造石の樋門では最初期のものである。
よく思うことだが…この手の解説看板の多くって、文章おかしいよね(爆)。大丈夫か、「教育」委員会(笑)。
えー、つうわけでこの明神樋門、土木学会選近代土木遺産Bランクに選定されてもいる。
で、解説の最初に書いてあるように、明神樋門は人工水路である五箇村川と小河川を立体交差させるためのものであり、当然ながらその上にはその小河川が横切っている。地図を見ればよくわかると思う。
で、その小河川にも、
樋門があるんだな~これが。
明神樋門が立体交差のための樋門だったのに対し、
こちらは小河川が境川に流入するために、境川右岸堤防下を抜けるための樋門である。
明神樋門のような扁額もなく、現場の解説看板にすら完全スルーされている悲しさだが、こちらは明神川逆水樋門として、同じく土木学会選近代土木遺産Bランク物件である。
気づいてない方もおられるかもなので、ここで書いておくと、解説看板にあった「小河川」は文字通り「小さな川」を指すに過ぎず、河川名は「明神川」なのだった。ちゃんと書けよ、大府市教育委員会さんってば(笑)。失礼しました、暴言でした。
記事を書くにあたって知ったのだが、2020年7月、これら二基の樋門は、国登録有形文化財に指定されたそうだ。おめでとう!(謎)
看板直した方がいいっすよ、大府市教いk(ry
たぶん直してるかもな…(笑)。
さて、こちらも石造樋門で、
ちゃんと要石もある。五角形に成形されているのがささやかなアクセント。
しかしながら、内部はモルタル補修されてしまっている…って、
もしかして、これも「たたき」だったりするのか?
たしかに風合いはなんとなくたたきっぽいけど…いや、さすがに違うか。
抜けて、吐口と正対。
門構え的な構造物が目を引くが、これはかつて水門が存在した名残だろう。
しかし…なんでもうちょい引きで撮らなかったのか、もはや記憶がない。
これも今回調べ直して知ったのだが、この吐口の上の方に銘板があったみたいだ。まあこの時はかなり鬱蒼としてた気がするので、いずれ見つけられなかったんじゃないかと思うけど…。
水門が設けられていた理由は、境川本流の水が入り込まないように。逆水(さかみず)樋門とはそういうものだ。オリジナルの姿を見てみたかったな~。
最後に、明神樋門全景。
写真右端の堤防下に明神川逆水樋門がある、という位置関係。
こちらは、
順光で扁額が撮れた。
そうそう、最後で申し訳ないが、
樋門の上、斜面を固めているこの部分が「人造石工法」が用いられている部分になる。樋門上部の石材がずり落ちちゃってて残念と言えば残念。まあこれも味か?
そういえば、樋門ネタってあんま記事にしてなかったな~、と、思い出したやつを記事にしてみた。今後も定期的にやろうと思う。…たぶん。
以上。