【1】より続く。
「こっからがメインだ」と鼻息荒く終わった前回。
今回はそのメインひとつ目、三連橋梁の真ん中の橋をご紹介する。これがまた、素晴らしい橋だったんだけどね~(泣)。
正対。
ここまでの二枚の写真で、けしからん部分、お気づきだろうか?もうちょい後で登場する。
まずはこの立派な親柱。
まるで軍事関連の構造物みたいな厳めしさがイイ。
銘板はお名前。
「かり●はし」。まあ事前に地図で見ていたので、「かりやはし」だとわかっていた。
反対側も同じ意匠。
まあそれを言うなら、次の橋も同じ意匠の親柱を持つ。兄弟のような関係の二橋だったはずだ。まあその辺は最終回に。
銘板は、お誕生日。
「昭和九●●●●設」。
これまた錆びて見えなくなる嫌なやつ(笑)だが、最低限欲しい情報は得られた。当然のごとくの、戦前橋。
上流側からサイド気味に見れば、
一見つまんない橋に見える。親柱だけオリジナルが残ってるパターンね、と。
しかーーし。
強烈な存在感を放つ、この不条理なワンスパン。
なぜかこのワンスパンだけ、
ハイパー・マッシヴなコンクリート塊(と表現したい)による欄干?という謎仕様。
まれに巡り合うこの手の物件、大好物なのだが、マルチスパンのうちのワンスパンがこういう仕様っていうのは、現在に足るまでここでしか確認できていない…はず。たぶん。
振り返り。
向こうに小さく見えるのが、前回紹介した亀城橋。
で、向き直れば
先述したとおり、同じ意匠の親柱を持つもうひとつの橋…三連橋梁のラスイチが待っている。バエてるな~!
さて、この場所だが、
ここ、どういう立地なのか気になる?なるよね?ええ、そうでしょうとも。もうちょっと待ってね(笑)。
渡って(ほぼ)正対。
「刈谷市」のカントリーサインがあるが、実際の境界はもう数十m背後、まだ紹介していない橋の真ん中あたりのようだ。
左の親柱には
「刈谷橋」。
右の親柱には「逢妻川」。
先ほどの亀城橋も逢妻川とあったが、あちらは分流というか、大きめの中州で画された流れ。合わせて大きくどちらも逢妻川というわけだ。
こうしてハイパーマッシヴ(以下略)との取り合わせを見ると、やっぱり軍事施設的なイカツさを感じる。
うむう~。
異形な橋だな~。失われてしまったのが、かえすがえすも惜しまれる。
ここでようやく立地の説明を。
何度も書いているように、この連載で紹介している橋たちはもはや現存しないのだが、実はGoogle Mapの航空写真モードでは、極めて絶妙な時期の状態を見ることができる(記事公開日現在)。
亀城橋はまだ残っているが、刈谷橋ともう一本はまさに絶賛撤去中。刈谷橋は例のハイパーマッシヴ・コンクリート(言いたいだけ)までが撤去されてしまったばかりのようだ。
南側には、今記事では建設中であった県道新橋がすでに供用されている。まさに三つの橋梁を含む県道旧道に引導を渡した存在ということになる…。
つうわけで、地図をご覧いただくとこの通り。
今や跡形もなく消え失せているのを確認させられる…。
で、さっきの航空写真で「現在地」を見ていただくと一目瞭然。ここは極めて近接して併流する逢妻川と境川の真ん中なのだった。
その二川を分かつ堤防上にある管理用道路?から、建設中の新橋に行けるようだったので、せっかくなので行ってみた。
そこからのサイドビューが
イヤイヤイヤ、おかしいよ~。なんだこの橋!
なぜ、五径間の中央だけがこのような異形の桁?で構成されているのか?もとから中央だけがこうなのか?あるいはオリジナルはすべてがあのハイパーマッシv(ry だったのか?
なんか、調べればいろんなエピソードを秘めた橋なんじゃないかと思ったものだったが…もちろん調べず(笑)。
いやマジで、
撤去されてしまったことがものすごく惜しまれる。
【3】に続く。



















