【序】より続く。
ということで、2018年12月31日、歳末すべりこみ三重県散策で再訪した。当日の流れに沿って、順にご紹介していくが、途中で箸休め的なネタも挟むかも。ちなみにこの日ここまでのネタで記事にしているのは、寺下橋とひみつの裏参道、寺渕橋と先代橋遺構、落瀬橋。
これらを経て、
やってきたのこちら。場所はだいたいこのへん。
ちょうどこの場所で左手前方向を仰ぎ見ると、
そこにあるのが、濁川橋梁。これから向かう再訪に先立って、こちらを先に撮っていた。
さて、再訪のルートは、
この道を進んでいく。
ぱっと見、最初は平穏だ。
…と思ったらこれがトラップ。このまま登っていって、紀勢本線沿いで途切れた。
正解は右側掘割…ノートさんの先で激藪となっていた、あれ実は道だったのだ。
そのまま進むと、
ちょっと開けてくる気配。
各種地図上ではしっかりした道みたいな顔で載っているこの道、ご覧のとおり半分死んだ道である。とはいえその出自は、明治19年に開通した熊野街道の新ルート。かつて栃原から伊勢を経由して松坂(あえて当時の漢字)へと向かっていた熊野街道の、松坂へのショートカットとして拓かれたルートだった。
現在の国道42号の開通によって昭和39年ごろに旧道となり、この日車を停めた場所から丹生地内で現国道へ合流するまでの約1kmは、実質廃道となっている(現在の正式な路線名は、多気町道5087号線)。で、例の物件は、この実質廃道区間に眠っていた、というわけである。
初訪問は北側から、多気町側からだった(とはいえここも多気町内だが)。今回は反対側、大台町栃原側からの訪問で、単純に初めての道で行ってみたかったから。ちなみに今回の2物件、いずれも多気・大台町境に架かっている。
さて、開けてきたあたりで、
いや、もう死んでるやん。
なんか引っかかってると思ったら、
勢和村という名の入った看板。
勢和村は、2006年1月、平成の大合併において多気町との併合によりその名が消えた。
川に沿って、右へとカーブ。
基本川沿いをゆくんだが、川の姿はほとんど見えないという変な道。
ふと足元を見ると、
いつのものとも知れぬ、スカル。いやほんとに、死んでるやん!
右カーブを立ち上がると、ほどなく右手が拡がり、
砕石置き場?が。
その先の広場には、
道路工事まわりの資材が置かれていた。これ、現役?
そのまた先で、
道は収束し、左カーブ。この先は道が現役っぽく見えるようになった。が、それはまやかしだ。
初訪問時に、この方向から車(こんなのを積んで然るべき大型車)の進入ができないことは、見てわかっていた。なので、これらは今通ってきた栃原側から搬入されたものと思われるが…いつの話だ。
全然雰囲気良くないんだけど、
これでも熊野街道ってか。でも、ありがたがる気持ちにはなれない…。
新しい轍もなく、
あるのは、獣の足跡ばかり。
ここらでようやく、傍らの川が見えた。
川の名は、星ケ丘川。宮川支流の濁川…のさらに支流である。そう、例の物件たちが架かっている川だ。
やがて…
見えてきた。胸が高鳴る。
どこに?って?
ここですよ。
【2】に続く。
















