峠橋梁(仮) (大阪府柏原市雁多尾畑) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2012年6月2日、「亀の瀬地すべり見学会」のために訪れた大阪府柏原市。この日のネタで他に記事にしているのは、上市北架道橋築留二番樋。今宵ご紹介するのは、見学会会場へ向かう途中の脱線物件。

 

 

いきなり、ドン。

まさにいきなりすぎて、何がナンだか?な写真…なんだが、穴の上、白飛びしているところにガードレールが見えるだろうか?あそこが道路である。場所はだいたいこのへん

 

 

 

 

ぜんぜん状況がわかる写真を撮ってなかったので、ストビュー画像を貼っておこう。

目前、右側が件のガードレール、という位置関係である。

 

 

 

 

つまり、上の写真右側路外の崖からの見上げアングルだった、ということ。

伝わってる?

 

地図を見ればわかるように、すぐ横にはJR大和路線(関西本線)が走っている。実はこの上の道路、関西本線の旧線跡で…

 

 

 

 

と、思ってたんだけども。

もしかしたら、違う?

 

 

 

 

というのもこの道、龍田道と呼ばれる古道の一部(時代によっていくつかのルートがあるらしく)だということで、もしかしたら最初から道路橋梁として建造された可能性もあるんじゃないかと。

 

 

 

 

改めて観察。

鉄道橋梁ではかなり珍しいように思える、欠円アーチ。これもまた、出自が鉄道由来じゃないような、という推測を後押しするような、しないような。ちなみに巻厚は三層。

 

 

 

 

立地が立地なので、内部への進入はよじ登る感じになるが、

首尾よく中へ。

 

 

 

 

アーチ部はすべて煉瓦だが、

途中から側壁が補修された痕跡が残る。

 

 

 

 

アーチ部の煉瓦目地、お世辞にもきれいとは言えない。

けっこう施工が雑に見えるな…。これもちょっとなあ…。

 

ちなみにこれ、欠円アーチの中でもかなり扁平な部類に入ると思う。これで活荷重の極めて大きい鉄道路盤を支えるにじゅうぶんなものか?これまた道路由来説を補強するような、しないような。

 

 

 

 

抜けて振り返り。

かなり汚れたご面相だが、こちらでは巻厚が四層に増えているようだ。

 

 

 

 

まあ、現場では何の疑問もなく、

心穏やかに?撤収~。

 

なんかここでこっぴどくアタマをぶつけた記憶があるんだが、気のせいかなあ。気がするだけで具体的記憶が一切ないんだけども。

 

 

 

 

外におわすは、

見学会に先がけてすでに合流していた、よとと隊長とピカさん、往年の名コンビ。たしかお二人はすでに探索済みで、合流したわたくしを改めて案内してくださった、ような流れだったかと…。

 

 

 

前述のように、この道が古道であることは後に知ったことで、当日は完全に鉄道橋梁として見ていたし、今もどちらとも確証がない…けど、どうも自分の中では道路由来くさいぞ、の印象が強いので、思い切って「道路橋梁」テーマに入れてみる。ちなみに、愛と信頼の全国Q地図様には、この橋梁は掲載されていない。

 

 

まあ拙ブログ得意の、謎は謎のままパターンでございます。

 

 

 

以上。