慈眼寺公園の橋【4】~澄心橋 (鹿児島市下福元町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

パリオリンピック、始まってしまいましたやん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…と書いてピンときたコアなお客様は…さすがにいらっしゃらないと思うけど、忘れた頃にやってくるこのシリーズ。

 

 

 

実は2022年2月にやった前回【3】の最後に書いてるんすよ、「次の【4】で一応最後なのだが…これをやるのはいつになるかな?2024年パリオリンピックまでにはやってると思うけど(以下略」って。いや、始まっちゃったのよそれが。

 

 

 

今からでも遅くない、やってしまおう(いや、遅いわ)。ちなみに過去記事、【1】は2015年1月26日公開、【2】は2018年9月8日公開。いやいや、発表ペースがそこそこ名のあるアーティストのアルバムリリース並みなのよ。

 

 

 

ともあれ、これが最後。改めてだが、2013年4月26日のこと。

 

最後のお題は、

こちらの橋。これまでの三橋とは異なり、アーチ橋である。

 

 

 

 

 

さっきの橋(【3】)もそうだったが、

タイミング悪く対象が日陰と日なたの境目にあり、カメラと撮影技術、いずれもショボいわたくしにはもうお手上げだった。

 

 

 

 

 

で、改めて正対。現在地はこちら

ああああ、白飛び激しい~。

 

 

 

 

 

左の親柱に、お誕生日。

「昭和四年十一月」。見た目よりは新しい。

 

ていうか、昭和になってからも石橋が架けられていたなんて、立地的に半ばモニュメンタルな意味合いもあるのだろうか。

 

 

 

 

 

お名前は、

ハイ読めない~。

 

まあわたくしは事前に調べて行ってたので「澄心橋」だとわかっていた。最初の「洗心橋」と対になった命名なのは明らかで、やはりモニュメントとしての側面があるのだろう。

 

 

 

 

 

以下は、写真のみでお楽しみいただきたい。

 

手抜き?その通りだが、基本的に写真ですべてを語れるタイプの橋だと思うので。補足はここまでで済んだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、9年半かかってついに完結。

 

 

ただ、橋で記録したのはこれだけだったけど、同じ慈眼寺公園内でこの後にネタをひろってはいるので、それはいつかやるかも?

 

そうね、たぶん…

 

 

 

 

 

 

 

 

2028年ロサンゼルスオリンピックまでには…(笑)。もうええっちゅうねん。