追憶の由良洞【後篇】 (和歌山県日高郡日高町池田~由良町阿戸) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【前篇】より続く。

 

 

 

ボケボケな写真失礼。

先に人影が見えるが、霊的なものでなく先行する仲間なので悪しからず~。

 

 

 

 

 

やがて煉瓦の巻き立てが復活し、

…とか書いてるが、実際どっち向いた写真なのか、もはや定かでなかったり。

 

 

 

 

 

で、こちらが北側(由良町側)坑口。

はい、こちらはご覧のように、極めて無味乾燥に改修済み~。

 

当然オリジナルはこちらも煉瓦ポータルだったようだが、まあ無神経に改修されちゃったものよ。扁額すらないとは、どうよ?

 

 

まさか、これが繰り返されようとは。ああ、フライングで書いちゃった。で、もう腹立ってきた…

 

 

 

 

 

こちらでは、ポータル上で

 

往時の煉瓦ポータルの一部(笠石部分?)を発見したっけ。

 

ちょっと救われた気分になったのを覚えている。

 

 

 

 

 

ここからは、戻りに撮ってた数枚。

 

改めて、素掘り部分はモルタル吹付もなしの岩盤だったんだなあと驚嘆。

 

 

 

 

 

でー。

いきなりたくさんの人間が登場(笑)。

 

ここまでおおむね仲間が写ってない写真で構成してきたけど、実際このOFFは大所帯だった。これは改めて皆で鑑賞中の図。

 

 

 

 

 

で、問題はここからだ。

改修されずにオリジナルのままの姿を拝めていた南側(日高町側)ポータル。

 

その現在の姿が…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは

ひどい。酷い。非道い。あんまりだ。

 

この画像は、この惨状をいち早くレポートされたブログ様よりお借りしたもの。使用をご快諾くださった「交通遺産をめぐる」管理人まろ様、ありがとうございます。わたくしのこの記事よりも10倍は充実した内容なので、ぜひご覧いただきたい。

 

まあ、繰り返すが我が記事は「レクイエム」なので(強弁

 

 

 

 

 

確かにもう10年前の時点で、早急な対応が必要であることは明白だった。現役隧道として稼働を続ける以上は。然るべき措置が行われたということについては何も言うことはないが、それにしてもただただやり方に愛がない。リスペクトがない。圧倒的に。

 

いくら大きく損傷していたとはいえ、いや、損傷していたからこそ、明治半ばに先人たちが手作業で完成させた(そして現在に至るまで現役で地域交通を支え続けてきた)古洞に対する想いとか、生じないもんだろうか?

 

 

各地で目にする残念改修ではあるが、偏見かもしれないが、この紀伊半島西部エリアでは隧道の残念改修がいやに目に付くんだなあ。海南市の城山洞なんかは今思えばまだマシなほうで、同じ由良町の衣奈隧道なんか、まさにここ由良洞の由良町側とよく似た無味乾燥改修だったりする。

由良洞については既に由良町側が残念改修されて久しいわけだったが、それがまた繰り返された格好。まあその「愛のなさ」具合は、真新しいコンクリの白々しさのせいもあり、頭抜けたインパクトだ。

 

なにもオリジナルを忠実に再現せよなどとは言っていない。面白みのない普通のトンネルでも仕方ないし、お金をかけろとも言っていない。が、最低でも扁額くらい取り付けてあげてよ…。

 

例えば、少し前に記事にした道芝トンネルなんかは非常に嬉しい例というか、先代のイメージを残した、愛とリスペクトをしっかりと感じることができた好例だったし、そういう事例もあるのに、いやはやなんとも。

 

 

 

Q地図によれば城山洞と由良洞は和歌山県の管理、衣奈隧道は由良町の管理となっているが、せっかく素晴らしい土木遺産級隧道を数多く擁する和歌山県、管理者がこのような「意識低い系」改修を重ねているのは残念を通り越して嘆かわしいの一言に尽きる。

 

結局、土木遺産Aランクであってもしょせんこの扱い。いかにその保存が心もとないものか、改めて痛感させられた今回の由良洞「事件」。以後何度か近くを通りかかっていたのに、再訪しなかったことが悔やまれてならない。もう二度と逢えないなんて…。

 

 

現役を張り続けて133年、さらなる延命と引き換えに、由良洞の「なんたるか」は永遠に失われた。「現役最古級」の称号は続いていくが、(趣味者としては)もはやそれに意味を見出すことは困難だ。ああ無情。

 

 

 

 

 

 

気を取り直して、最後におまけ。

訪問時、隧道入口にいらした「主」さん。風格があった。さすがにもうご存命ではないだろうが。

 

 

 

 

 

 

以上。