2011年4月24日、紀伊半島一周OFF2日目に訪ねた物件をご紹介。この日のことは過去2回ほど記事内で触れている(コレとコレ)が、単独で記事にするのは初めてのようで。まあ移動時間のほうが長いOFFだったから。
予告篇で書いた通り、今回は「レクイエム」。タイトルも「追憶の」ということで、内容は想像がつかれると思うが、たぶんその斜め上(いや、斜め下か)をゆくことになるだろう。知ってる方はネタバレ禁止で。
では、始める。
現在地はこちら。
わかりやすいヘキサが立っていた。
で、そこのすぐ先に…ドン!
かなりくたびれた、煉瓦ポータルの隧道。明治22年建造の古洞、その名も「由良洞」である。現在地こちら。
この隧道、土木学会選近代土木遺産Aランクに選定されており情報として、「現役最古級の道路用煉瓦トンネル/ポータル: 全面に鳥居形の陽刻(池田側)」と書かれている。
池田側といえばまさにこのポータルで、よく見ていただければピラスターを柱に見立てた鳥居の形が浮かび上がって…くるでしょ?えっ?こない?(笑)
ちょっと補足線を書くと、こういうことなんだが。
ポータル上部は激しく損傷しており、上からのスライディング樹木でもはやその様子はうかがい知れず。扁額の有無も不明。
無事に残っていた端部からは、
鋸歯状のデンティルがあしらわれていたことがわかった。
そしてこの
美しく端正な要石ね。実にいい。
ポータルの無事な部分からはその見事さが伝わってきたので、
往年のオリジナルの姿を拝んでみたかったな~と。
しかしながら、実際のところポータルの損傷は見た目以上に深刻で、
今から11年前の時点ですでにアーチ環を一周するクラックも生じていて、現役隧道として対策が必要なことは明らかだった。
明治22年の古洞が現役で稼働しているその理由は、
国道42号現道の由良トンネルに万が一のことがあった時のための代替路を期待されてのこと…なのだろうか。前後の貧弱な道路(県道なわけだが・笑)を考えれば、大型車は厳しいだろうが。
では、洞内の様子を何枚か。
煉瓦で巻かれたパートを過ぎると、素掘りパートへ。
【後篇】に続く。