今回の記事はコチラの記事の続編です。
2010年3月20日、新宮市街の西、越路峠に眠る初代・越路隧道を攻略した私。
隧道を抜けた先は、紛うことなき廃道だった。この時は知らなかったのだ、不覚にも。
この先に何があるのか、を。
後から知った、痛恨の事実。なんという不覚。こんな遠くまで、そうそう行けない…。だが!願ってもないリベンジの機会が訪れた!
時は移り、2011年4月24日。
13か月前と、ほぼ変わりないように見える。
この年4月23日~24日、よとと隊長及びピカ氏プロデュースによる紀伊半島OFFが行われ、私も末席に加えさせていただいた。四国の同業猛者たちをお・も・て・な・し・するためにお招きし、紀伊半島の濃い穴を1泊2日でシバキ倒すという、修行に近い(爆)コッテコテのハードOFFだったが、この2日目、越路隧道にも訪れることとなったのだ。まーさーにー、千載一遇のチャンス!
それはもう、越路隧道から至近。小さな崩落個所を乗り越えるとすぐに現れた。
もうひとつの、隧道。
いや~、最初から電子地図見てりゃ一目瞭然だったんだけど↓
帰ってから気づいた時のショックったらなかった(笑)。いや~再訪の機会が得られて良かった~。
それにしても、これはまさに、ココを抜かないと越えられない!って類いの、小粒ながらなかなかパンチの利いた物件じゃないか。
名称は不明。越路隧道に比べるとあまりに短いその洞内は、全面コンクリートで巻かれている。だが立地から考えれば、少なくとも初代越路隧道と同じ昭和11年製、あるいはこっちのほうがさらに古い可能性だって捨てきれない。坑門工を持たないことから見ても、オリジナルは素掘りであったと見て間違いないだろう。
コチラ反対側。
ネコまっしぐら!みたいな勢いで先頭切って突っ走ったので(笑)、ようやく追いついてきた仲魔の皆様。
国道169号線の現末端区間、新宮市へのルーティングが現在の旧・熊野川町ルートへ変更されたのは昭和50年のこと。それまでは現在のR309~R42のルートで熊野市~新宮へと至っていたという。
すなわち。
昭和39年完成の二代目越路隧道により旧道となったこの道が、「国道169号線」であったことは一度もなかった、ということ。かといって最後まで道路名称が隧道完成時の「指定府縣道本宮新宮停車場線」のままであったとは思えないが、この名称がロマンを感じられて好きなので、あえて使わせていただいた。
さらに続編あります。