嵐橋から引き返してきて、
「例の橋」に相対。場所はこちら。
質実剛健なコンクリート高欄が素敵だ。元より嵐橋から引き返してくる予定だったので、先ほどは写真を撮っていなかった。
右側の親柱にはお名前があり、
「湯觸橋」。真ん中の漢字が一瞬何なのかわからない。
が、実はわたくし、現地でこれを見る前に…なんなら「湯」の文字を見た瞬間にわかっちゃっていた。なぜか?その理由は最後に。
左の親柱を見ると
「ゆぶれはし」とあり、これで「触」の旧字か、と気づくことになるシステム(笑)。
湯觸橋東詰からの振り返り。
遠くに嵐橋が見えている。
さてさて、
酒匂川と「平行に」架かっているこの橋、何を跨いでいるのか?そして左側の建屋はいったい何なのか?そのへんも、もうちょい後で(笑)。
親柱の内容もさっきと同じだったし、お誕生日情報は得られなかったのだが、改めてQ地図様で調べてみると、1955(昭和30)年完成、延長32m、幅員5mとのこと。
てな感じで現地ではさほどやれることもなく、
無骨な高欄を愛でることくらいしか。
まあ詫び寂びを云々するには、いささか雨脚が強すぎて、写真を撮りまくるテンションにはなかった。
とりあえず、
雨にしっとりと濡れた苔のテイストはなかなか良かったけどね。
ここまでの写真で、サイドアングルを探る余地がまったくないことは伝わったと思う。開腹アーチ橋であることは嵐橋からの遠望でわかっていたが、改めてちゃんと撮っておきたい。なので…
こっからは、約2時間後の写真。
旧・笹子橋を後にして22分でこのあたりに戻ってきた際に、
改めてサイドアングルを。雨も小止みで助かった。
この対岸からだといろいろと一目瞭然。開腹アーチ橋であることはもちろん、
例の建屋が東京電力の嵐発電所であることも。
水圧鉄管が降りてきているが、それらはもちろん発電所建屋の裏手に吸い込まれている。この遠目で見る限り、湯觸橋は…なにも跨いでいない?のか?どうもそう見える。建屋建造との兼ね合いで、桟橋として架設されたものなんだろう。
で…2枚上の写真には、しれっともうひとつ写り込んでいて、
おやおやおや?
この時に初めて気づいてしまったが
湯觸橋の50mほど下流側に、めっちゃ可愛らしいコンクリートアーチ橋がもうひとつある!
写真元データをまじまじと見たのだが…もしかしたらリブアーチかもしれない。いや、ちょっと判然としない。
これを見て、改めて写真を撮りに行った気がするのだが、なぜか全然残っていない。気のせいだったのか?いやでも、ビジュアルとか覚えてるしなあ。銘板も見た記憶があるし…。そう、名前は車橋っていうのだったが…。
まあ、道路上で見れば全く面白くなかったんだが、一応ストビューを貼っておく。
ほらね(笑)。ちなみに、この橋が大字湯觸と川西の境となっているよう。
それらをわかった上で、改めての引き全景。
やっぱ、東名との対比がいいですなあ…。
最後に、なぜ「觸」の文字とすぐわかったかの種明かしを。
実は、湯觸橋の200mほど上流側に、
このような洞門がありましてな。これは嵐橋へと向かう際に撮影したもの。場所こちら。
これに付いてた扁額?文字パネル?に
「湯觸洞門」とあったんですな。
ここであらかじめ見ていたからこそ、「湯」だけですぐ続きがわかっちゃったと、そういうわけなのだった。
ちなみに、2枚上の写真で気づかれただろうか?この洞門、上からの水を酒匂川に流している。この手の洞門、過去に記事に登場した中で思いつくのは、ライン落石覆工と法善壁のシェッドくらい?
工事銘板によると、
「防水落石防護洞門」というのが正式名?のようだが、この手のやつ、好きなんよね~。
ちなみにこの湯觸洞門もまた、大字川西と湯觸の境になっているよう。このあたり、境界が入り組んでいるんですな。
以上、ここらへん、なかなかのホットスポットだった、というお話。