2013年1月26日、おろろんさんと敢行した奥三河雪中行軍。この日のネタで記事にしているのは、清水橋、富國橋、ヲヲゾリバス停、太田橋にちょこっとと、宮渕橋などなど。
今宵ご紹介するのは、時系列では富國橋の後、お昼過ぎに案内いただいた橋。
一見して好きなやつ(笑)。
いかにも戦前橋!な親柱と、赤錆びたポニートラス。トキメキしかない。現在地コチラ。
そしてこれもいいね~、って感じの、
立派な袖高欄。
いや~、
バエますなあ。
もう一声、サイドから。
三径間で、手前側ワンスパンがポニートラス。向こう二径間がゲルバー桁。頭悪そうな物言いでアレだが、カッコイイ橋だ。
左側の親柱に
お名前。
その名は
「りゃうこくはし」。両国橋ってことか?
右の親柱には
お誕生日。
っていうか、
「昭和十五年七月改築」。改築か~。ってことはたぶん大正以前の橋ってこと?
調べてみたら、当初は木造トラスだった一径間をポニートラスで架け直した、ということらしい。
そのポニートラス、
探したけれど、
銘板は見当たらず。
残り二径間の桁橋部分との、
テイストチェンジがまた、いとをかし。
橋上から望む、上流側。あっそうそう、川の名は矢作川。
旧橋?でもないかもしれないが、吊り橋の主塔が残っていた。
コチラ下流側。
けっこう上流域だと思うが、堂々たる川幅ですな。
渡った先も、
同じ意匠と思われる、堂々たる親柱。イイね~。
正対。
こちら側にも袖高欄が存在していたが、片側は人道橋設置のため撤去されていた。
実は、対岸の…つまり最初アプローチした右岸側の島崎町は、かつては岐阜県に属していたそうで、つまりこの橋は県境の橋だったという。
ちなみにゲルバー桁二径間は愛知県が、そして木造トラス…転じてポニートラスは岐阜県が架けたのだとか。でも親柱の意匠は共通っていうのは、ちょっといいな。
そういう意味での、
この名前。
いや~、橋に歴史ありですな。
ふむ、ええ感じにまとまりましたな(笑)。