記事にしそびれていた物件がまたしても過去帳入りしてしまったとの情報を得て、遅ればせながら追悼記事としてアップする。
2014年12月21日、JR大阪駅から徒歩で、長柄運河跡の橋梁群を訪ねたこの日。記事にしているのは十三小橋と、これまたすでに過去帳入りしてしまった本庄水管橋。
今宵、在りし日を偲ぶその物件は、十三小橋からも目と鼻の先にあった。
下路ワーレントラスの人道橋。いい雰囲気の物件だったのに、残念だ。
場所はコチラ…だった。これは淀川堤防より撮影。
川の下に見える水は、あくまで水たまり。だが1897(明治30)年から1967(昭和42)年までは、あそこには長柄(ながら)運河が流れていた。その運河を跨ぎ、中津の街と淀川堤防をつないでいたのがこの橋だった。そう、この日はこれらの橋を見に来たのだった。
永らく中津の街に溶け込んできたこの橋だが、2019年12月4~5日に撤去されてしまったそうだ。
淀川堤防からは
このようなコンクリ階段でアプローチする。さすが大河・淀川、堤防は高い。
下からの見上げ。
まあ、押さえとかんとね。
橋脚は、
ダブルトラス。華奢だが、人道橋なんで問題なしだ。
さてこの橋、
いったいいつごろのものだと思われるかな?
答え。
「大正十四年十月架設」。そう、大正橋梁だったんである。
銘板の下端には
「NIPPON BRIDGE Co. OSAKA」。
この銘板も失われてしまったのかなあ…。
橋上から望む、
淀川上流方面。水たまりが、図らずも運河の面影を演出してるな(笑)。
こちら下流方向。
向こうに見えるは阪急の長柄運河橋梁。京都本線、宝塚本線、神戸本線と六線分の橋梁の向こうに、十三小橋がある。
淀川堤防を振り返り。
大阪都心部とは思えないこの長閑さが、よかったんやけどな~。
ここで、ようやくお名前の銘板(後付けっぽいけど)。
「中津二之橋」。
「二」ということは「一」もあるのだが、残念ながらそちらも…。
ちなみにこの中津二之橋、
土木学会選近代土木遺産Cランク物件であった。
…が、残念ながら
そんな程度では保存などしてはくれないってことは、これまで何度も目にしてきた。
かくして、この大正の鋼製人道橋は
95年間の務めを終えて撤去された。
最後に、引きで。
中津二之橋、本当にご苦労さまでした。
以上
ではなく、【中津一之橋】に続く。