十三小橋 (大阪市北区中津) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
たぶん本日未明ごろ、累計訪問者数が130,000を突破しました。訪問・閲覧してくださる全ての皆様、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします!
 
 
で、それにかこつけての今宵の記事。13といえば十三、十三といえば関西人なら「じゅうそう」って読むでしょ!…ってことで(笑)。はい、十三(じゅうそう)は大阪の地名なんです。
 
「十三はええけどなんで小橋やねん!」のツッコミは、関西人にしかできませんよ~(爆)。
 
 
 
 
 
2014年12月21日、長柄運河跡の橋梁群を訪ねて大阪へ行った。この日のネタは初ですかな。
 
JR大阪駅から徒歩で。中津で新御堂に上がり…遠望。
 
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この光景、かなり好きなのよね~。
 
立派な親柱と、雄大なトラス…のほうじゃなくて(笑)、よく見たらその手前にも親柱があるでしょ。
 
 
 
そう、こっち。
 
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これが
 
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十三小橋(じゅうそうこばし)。
 
ほとんどのドライバーが無意識に渡っているであろう、まさに小橋。にもかかわらずこのような立派すぎる親柱が奢られているのは、最初の写真でわかるとおり、この先に続く十三大橋…新淀川に架かる長大橋梁と組みになっているから。でもそっちは割愛(笑)。
 
ちなみに左側に見えている橋は超メジャー物件だが、これまたあえて割愛(爆)。また別の機会に。
 
 
 
反対側を望むと、
 
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三本並列した、阪急電鉄の長柄運河橋梁。
 
手前から神戸本線、宝塚本線、電車が通過しているのが京都本線の橋梁。
 
 
さて、その橋梁名の通り、この下はかつて長柄運河と呼ばれる人工河川が流れていた。明治後期に新淀川の開削とともに造られたこの運河は、土砂運搬や工業用水供給を担っていたが、1967(昭和42)年、役目を終えて埋められた。
その痕跡はご覧のように、今日でも窪地となって明確に残っていて、そこに架かっていた橋梁も一部が現存しているのである。
 
このあたりはソフスプさんのテリトリーですな(笑)。
 
 
 
 
その長柄運河橋梁の下から見た十三小橋がコチラ。
 
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素敵だろ~?(笑)
 
 
 
 
そして北側より。
 
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親柱脇のゴミは…まあ気にするなよ。大阪ってことで(笑)。
 
 
 
 
 
新御堂を渡って、反対側に行ってみますか。
 
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手前の組煉瓦遺構が気になる(笑)。
 
親柱手前には「水防碑」と刻まれた碑が。
 
 
 
そして親柱には
 
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「昭和六年十二月架設」。
 
ちなみに、十三大橋親柱にある架年も全く同じ、親柱意匠も同じ。サイズは違えど「ニコイチ」で架けられた証である。
 
 
 
 
最後に、下から。
 
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コレも素敵なんやけど…
 
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やっぱコレかな!
 
 
 
土木遺産物件の十三大橋ならばいざ知らず、この小橋をこんだけほじくって記事にしたのはわたくしくらいのもんだろう(笑)。
 
 
 
エッヘン!(爆)
 
 
 
13万ヒットを機に、改めて書いておこう。
 
 
「外角低め重箱の隅」。これぞ拙ブログ不変のモットーなり。
 
 
 
 
以上である!