2014年5月25日、和佐谷橋での北陸OFF解散後、滋賀への帰途で無患子隧道、ハニベ前バス停に続いて立ち寄ったネタをご紹介。あとこの日のネタで記事にしているのは東口橋と、お笑い記事ののこぎり橋。
それは、ごく普通の隧道チェックだった。手持ちの県別マップルで、帰りの道すがら近くに隧道表記を見つけたので寄って帰ろう、ただそれだけ。立地的にはちょっとさびしそうな隧道が予想され、少しは期待していた。
地理院地図だと、こう。
特に印はつけなかったが、地図中央あたりに隧道が描かれているのがおわかりいただけるだろうか。
北側からアプローチした。ここを左折する。
林道西谷線だそうだが、
これを進むこと約400mで、
隧道への分岐に到着した。現在地はコチラ。
もとよりごく普通に隧道を通り抜けるつもりでやってきたが、ただならぬ雰囲気に思わず分岐への乗り入れを自粛した。
その分岐の先が、この景。
ここにノートさんで突っ込むことにいささかためらいがあったのと、地図読みでも隧道まではわずかだったため、ここは徒歩での進入に作戦変更した。
上の写真でも貧弱な棒が道の両側に立っているのがわかるが、これ、
チェーン封鎖の名残り。警告を意味するっぽい紅白の板きれとともに地面に落下してくたばっていた。
これは、この先の隧道…廃、あるいはおぞまし系っぽいぞ?
がぜん楽しみになってきた。身支度を整え、いそいそと進軍開始。
道はきちんと管理されているようだ。廃ではないだろうけど…
とか考えつつ、歩くことわずか3分。
コレは…キタか!?
…と思った次の瞬間。
な、なぬう~。
なんと、坑口が待っていると思われたその場所は、突然道が終わっていた。まさサドン・デス。
あー、このパターンか~。めっちゃしっかり地図に描かれているのに、行ってみたらガチ廃隧道っていう。過去にも何度かあったわ~これ。つうかこれ、廃隧道っていうよりも…崩れた?いや、埋められた?一応このあたりを歩きまわって観察して見たが、具体的な遺構はなんら発見できなかった。
まあ、地図にあんだけはっきりと描かれているからには、間違いなくいつかの時点まではここに隧道が存在したはずだ。それがいつ、どのように姿を消したのか…。現場の様子を見るに、坑口付近が崩落したものを復旧せず、埋めてしまったように感じた。ちなみに先ほどリンクを貼ったゼンリン地図では隧道は描かれておらず、道が途切れた感じに描かれている。
坑口手前あたりだったであろう場所から振り返り。
まあこういうこともある。さほど落胆することもなく、撤収。
ちなみに、帰って調べてみたが、この幻の隧道についての情報は皆無だった。よって、分岐入口にあった名前を採って、自分内仮称として「ヒナ谷隧道跡」として記録した。
探索当日はこの時点で18時36分。この後に訪ねた橋で日没を迎えたために、反対側からは確認しなかったのだが、微妙にそれが気になっていた。もしかして逆から攻めたらなにか見つかったんじゃないか?とか。
先日ふと思い出して調べてみたのだが、探索当時と同じく、情報はほぼ皆無だったのだが、唯一見つけたのが、わたくしが攻めなかった反対側から隧道を見に行かれた方の記事。
http://giwonderworld.web.fc2.com/(リンクはトップページに、との指示があったのでそうした)
「U字倶楽部」という山歩き・古道歩きをされている方のサイトで、当該の記事は2017年の最後、「長峯古道 石峠 土峠 勘定峠」。その一番最後で「地図に描かれた隧道を見に」行かれた顛末に触れられている。結果は…
大御所が興味を示すレベルの物件でもなさそうやし…誰か調べて(久々)
以上、完結。








