【前篇】より続く。
魅惑の奈落道。
その行き着く先を、わたくしは既に知っている。だからこそ、胸が高鳴る。
竹藪が途切れ、川面が開ける。
そして
ズッキーーン!!(萌死
反則ですわ、コレは反則。こんなんあきませんわ。
まるで突堤のように
橋への取り付きがそっくりそのまま、ヒタヒタに水没!
ちなみに対岸に見えるのは霊的なものでなく(笑)、釣り人のおっさん。あっち側の様子も見に行きたくてしゃーなかったのだが、釣りの邪魔をしてはならないので遠慮しておいた。あの五本の杭的なものもめっちゃ気になったのだが…。
しかしまあ、
この絶妙な水位はいつものことなのか?
まさにヒタヒタ。こう見えていきなりめっちゃ深そうな水の色に、本能的な恐怖を覚える。
そして~、我慢してスルーし続けてきたけれど(笑)。
親柱があるよね。
まず、向かって右の親柱。
「金刀比羅橋」
やはり!旧橋確定。
そして、左側の親柱。
「昭和三十二年十一月架設」
コレは重要な情報である。先にチェックした現橋の竣功は
「昭和四十二年五月架設」。
なんと不憫な。旧橋はわずか10年足らずで放棄され、その役目を終えることになってしまったのである。どうしてまた、そんなことに。机上調査スキルLv1のわたくしだけに(爆)単なる推測だが、このことには「あるもの」の建設が無縁ではありえないと思う。
その名は和知(わち)ダム。
この高屋川を北へたどること約2km。由良川本流へ合流してほどなくの場所に位置するこのダムが完成したのは、1968(昭和43)年。コレはやはり、和知ダムの完成に伴う水位上昇に備えて、早々に現橋が架けられて旧橋が放棄された…のではないだろうか?
だとしたら、だ。和知ダムがその工事に着手されたのは、1961(昭和36)年だという。すなわち、旧橋は供用されてわずか4年足らずで死刑宣告を受けたも同然。不憫ここに極まれり、とでも言おうか。
まあ、そんなことは、ついさっき調べたことだがな!
そんな想いで改めて見るこの光景。
無性に哀しい。まるで橋の生霊のようだ…。
振り返り。
現世へと続く、黄泉比良坂。そのてっぺんには我が相棒が待っている。
戻ろう…戻れなくなる前に。
ところで、この明らかに廃道であって然るべき旧道に明らかなダブルトラックがあり、閉鎖もされていない理由についての考察だが…
Courrier_Convoyeurさんにコメントいただいたとおり、【前篇】冒頭の写真をよく見てほしい。
予告篇も含めて三度目の登場(笑)。
分岐の左側に立っている標識が見えるだろうか。そこには「消防水利」とある。
実は、この写真の背後あたりまで住宅が建っている。要は、あの旧橋付近が、この周辺の住宅の消防水利地点になっているがために、定期的に人や車が入り、封鎖されてもいない、ということではないかと。
最後に、現橋を対岸から。
両岸からの見え方が非常に似ている。こういうのもまたちょっと珍しいな。
右側の親柱で読み方が判明。
「ことひらばし」。
…まあ、読めてたけどな!(笑)
この金刀比羅橋の感動も冷めやらぬうちに、すぐ背後の橋へと向かってみたら…
コレだった。この怒涛の展開!
一日のスタートが、金刀比羅、鐘打の二連廃橋。そしてこの日はこのあとも、様々な橋に「呼ばれる」こととなった。これまで記事にしているのは、大野虹の湖歩道橋、小幡橋、下吉田大橋と、橋ネタばかり。他にもまあいろいろあったよ!そのへん、またおいおい…。
以上、完結。