乗り継いだ車の棚卸し | CLAYの日記

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老後の為の忘備録

折角なのでまとめておこうと思いました。

 1台目:ホンダ、トゥデイ(1986年2月~1987年?月、走行距離不明)
CB250RSZのフロントフォークオイルを牛乳瓶で量り売りしてくれた、枚方市の1号線沿いにあったホンダプリモで買いました。
親切な店長でしたが、もうお店は無いみたいです。

4年間ペーパー免許で、受け取ったその足で実家まで帰ると言う中々の冒険をしました。
1986年4月に独りでハレー彗星を見に行きました。
串本に出るつもりが道に迷って新宮に出て、その後潮岬で初の車中泊。
満月の明かりで目が覚めて、当然彗星は見えず(笑)…懐かしい思い出です。
乾燥重量が確か580Kgくらいで大阪府内で18Km/L、最高で31Km/Lを記録した安月給に優しい車でした。

4速マニュアルトランスミッションで、驚くほど非力でしたが。。。
下の写真は1985年6月に開通した鳴門大橋で、派遣で我社に来ていた3つ下の子と四国一周時の。

 


 2台目:日産、サニー(1987年?月~1993年7月、走行距離不明)
弟(三男)は当時外資系のメーカー勤めで羽振りが良く、同時期に日産サニー(1,600cc)を新車で購入。
1年で飽きたので買い替えると言うので、下取りの差額を払って交換して貰いました。
5年を過ぎた辺りから故障が相次ぎ修理にべらぼうな見積もりが出たので、7年目の車検は通さずに買い換えました。

 



 3台目:トヨタ、カムリ(1993年7月~2002年8月、走行距離不明)
実家にUターンしていたので、町内の遠縁が勤務しているトヨタカローラ滋賀で購入。
何も考えずにカローラにするつもりでしたが、母親に「子供が居るので大きいのにしろ」と言われてカムリに変更。
今考えると問題は乗車人数なので、あまり関係なかったよね?
子供3人が小さかったので定員に納まり、通勤に家族旅行にと活躍しました。
9年目の車検を通した翌月に、信号待ちで後ろから追突されて遭えなく廃車。
車検費用20万円、廃車時の査定額20万円で、単に買換えが早くなっただけだったのが悲しかった。
納車までの1ヶ月は代車のカローラセダンに乗ってました。

 



 4台目:トヨタ、ノア(2002年9月~2013年8月、走行距離132,940Km)
「家族6人が無理なく座れて長距離走れる車」と遠縁に頼んだら、ノア推しだったのでこれに決定。
初めてカーナビを積み、迷わずディズニーランドまで行けたのは感動しました。

 

 

 スポ少の送迎にも活躍しましたが、数年で子供達も大きくなりその役目も終了。
家族が相手をしてくれなくなったので、その後はキャンプ・サイクリング・山登りに活躍しました。
車中泊も快適でしたが今度は子供達の学費が掛かるようになり、維持費を下げようと思いました。
なので11年目の車検は通さずに買い換えました。

 


 5台目:トヨタ、アクア(MHP10)(2013年8月~2023年2月、走行距離114,798Km)
8割通勤9割独りの実態に合わせて、通勤メインで選定。
お金が無いのでほぼ”素”の状態で買いました。

 


 平均26Km/Lの低燃費に加え36Lのタンクなので、高速道路使っても1日中走り続けられます。
取り敢えず車中泊(寝るだけ)はできるので遠出も進み、最遠は下北半島。

 


 9年目の車検を受けた1ヶ月後に駆動バッテリーが寿命になった。
定年したら家の近所で再就職するつもりだったけど、結局同じところで働くことになったのでこの際買換えだ。
出来ればずっと乗っていたかった、良い車でした。

 



 6台目:トヨタ、アクア(MXPK11)(2023年2月~)
爺ィなのでナビパッケージと合成皮革パッケージ(シートヒーター目当て)を付けました。
センターメーターでなくなったのは嬉しい。
10年経つともう浦島太郎で、沢山付いてる訳解らん装備を使いこなせるかは不明。
エレクトロシフトマチックと、足踏み式サイドブレーキに慣れる事が出来るかが鍵だと思う。
でないとプリウスの暴走老人みたいになりそう。

 



 私の専用車両はここまで。
目利きが出来ないのでサニー以外は新車。
弟達は車が趣味で新車に新古車とあれこれ乗り継いだけど、私は興味が無いので面倒臭いのは嫌。
「雨風凌げて走る曲がる停まる」を、リーズナブルに実現できればそれで十分。
この次は主は125ccのスクーターで、必要なら妻の軽自動車を時々借りるつもり。
まあそれまでまだ10年程あるから、それまでは新型アクアで楽しませてもらおうと思います。