崇神天皇陵の向かい、2年前凄い気配を感じつつ行けなかった神社。

大和天神山古墳でもあるのでした。

 

崇神天皇陵周回道から全景が見えました。

 

鳥居横の説明板は劣化して読み取れず

 

では入ります。

 

空気感だけでなく光感まで変わりました。昼なお暗いとはこのこと。

それほど深い森ではないのに。。。常夜灯がついているいるのがそれを引き立てます。

まさにイザナギ-イザナミ神話の黄泉の国への道。振り返ったらアカンやつみたいでした。

 

なんとか振り返らず、拝殿に進んでお参り。

 

本殿も立派、いいお姿です。

 

境内社もあり、右奥に稲荷神社。

一応、鳥居をすべてくぐりました。

 

それから建勲神社。

なぜここにあるのか??でしたが、これを書きながら調べると、江戸時代この地を治めた柳本藩主が織田氏(有楽斎系)なのでした。

 

後になりましたが、正面鳥居。

 

大和天神山古墳もすごい古墳。出土品は重要文化財!

崇神天皇陵のちょっと前の築造。ということは、3世紀末からこの辺りは古墳の建設ラッシュだったんですねひらめき電球

 

築造 3世紀末から4世紀前半

墳丘長 113m

被葬者 不明

崇神天皇陵の後円部隣にあるのが櫛山古墳。

双方中円墳という珍しい形式になるそうですが・・・例によってその形はうかがいしれず。

 

形は説明板でやや分かりました。

 

墳丘内へ行けそうでしたが、虫、蛇が怖いのでここで止めましたw

 

崇神天皇陵のちょっと後の築造。

この変な形、被葬者併せてその謎が分かる日は来るのか?

1つド素人考えを。

崇神天皇陵のすぐ隣なので崇神天皇と所縁の深い方。

崇神天皇と一緒に祭礼できるよう崇神天皇陵の反対側に祭壇を設ける大きな造り出しを追加した、とかどうでしょう??

 

築造 4世紀末

墳丘長 152m

被葬者 不明

前回の宿題の一つがこの両古墳でした。

国道から拝所までの参道の両隣に前方後円墳の陪塚があったのに気づかなかったのです。後で知ってそこまで疲れてたのかとあせる

 

崇神天皇陵の周回道からよく見えました。

南アンド山古墳

なぜか木が生えてない。何か意味があるのか?

形が良くわかるのはいいです。

かわいい感じですが、これでも墳丘長65m!

 

アンド山古墳

墳丘長120m

 

上から見るとこんな感じ。参道は後世のものですが、それを挟むような感じで狛犬ならぬ狛古墳と言っていいかも。贅沢!

 

次の目的地のために国道を渡ると、、、

御陵餅本舗というお店が開いている!

前回来たときは閉店しているようでしたが・・・店舗が新しくなってました。

“大古墳の甘味”は外せません。

その名の通り御陵餅をいただきました。

 

一口食べて、柔らかい!羽二重餅並み。そして、あんこも柔らかい。あんこの柔らかさを感じたのは初めてです。それにお餅の軽い焼き目の香ばしさが合わさって、めっちゃ美味しかった!

 

陪塚、御陵餅をコンプリートしてこその崇神天皇陵満喫でしたニヤリ