朝鮮通信使をたどる 対馬の宗家と雨森芳洲 | 韓国語&韓国旅行 てんこ盛り日記♪

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江戸時代の朝鮮通信使をたどる 対馬の宗家と雨森芳洲



対馬藩主 宗義智(そう よしとし)

秀吉の死後 朝鮮と講和交渉にあたるよう家康から命を受けますが

その道のりは厳しく 文書偽造までしてやっと朝鮮通信使を招くことができました




朝鮮通信使は王にあいさつを済ませ陸路で釜山に向かい 釜山からは船で対馬へ


出迎えた対馬藩は接待し 江戸までの案内役も努めますが 最後の12回目は対馬止まりでした

当時大飢饉が起こった上 もてなすには莫大な費用がかかるため幕府が節約したようです





日本と朝鮮の外交に尽力した人物はもうひとりいました

雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)


儒学者として対馬藩に仕えますが中国語と朝鮮語を習得しいわゆる外交官として尽力します

外交においては


『国によって考え方や嗜好は様々だから それを理解したうえで

お互い欺かず争わず 誠信で交流する』 と示しました


この当時から相手国の文化を尊重するという考え方だったんですね

속이지 말고 싸우지 말고


朝鮮通信使と関わりの深い対馬藩主・宗氏と雨森芳洲でした


朝鮮通信使をたどる 漢城から釜山へ

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