鎌倉時代から対馬を治めてきた宗家は江戸時代に対馬藩主となりました
鎖国の時代であっても釜山に倭館を置き 貿易や外交を行っていたといいます
こうした他の藩とは違う役割があったことから 対馬藩では様々な記録を残していました
これらの記録は宗家文庫史料と呼ばれ 研究されてきましたが
史料があまりにも膨大で研究と整理になんと35年もかかったそうです!!
それらの一部が対馬歴史民俗資料館に展示されていると知り楽しみにしていたのですが
なんと今年の3月でクローズ たった数日の差で見学することができませんでした ><
案内所で「閉館」と聞いたのですが HPで確認するとどうやら2年間の休館のようです
ぶっちゃけ 書物などは見ても理解できませんが
通訳が遺した漢字とハングルの記録書や朝鮮通信使を描いた絵巻 対馬地図 など
現物が展示されていれば見たかった!!
でね、HPを確認したら臨時展示場があったよ…
そういうの教えてよーーー ・°・(ノД`)・°・
いや、せめて案内板だそうよ
と、長いけどここまでが前置きです Σ(~∀~||;)
対馬へ出かけた翌日 釜山の朝鮮通信使歴史館にも足をのばしました
分かりやすく簡潔に紹介されていました (日本語あり)
ちなみに写真中央の黄色いおじさんは徳川家康です ( ̄∀ ̄)
現在 釜山から対馬まで船で2時間ですが当時は10時間だったそうです
それでも半日で着いちゃったんだね やっぱり対馬は近いんだ
ココから先は全て現物ではなく写真ですが 宗家が作った偽造文書
秀吉・家康からの難題に宗家は度々偽装国書を作り 朝鮮と日本双方に渡しました
この偽造は後に柳川調興(やながわしげおき)に暴露されてしまうのですが
これが有名な柳川一件です
でも宗家は人望があったようで他の大名たちから助けられ無罪
逆に柳川家は財産没収されています
通信使に同行した絵師ミョングクの絵は日本で人気があり
寝る暇もないほど絵を求められたそうです
ミョングクではありませんが絵師たちが描いた日本の風景画がこちら
長い道中 病気で亡くなる人もいるだろうな、と思っていましたが やはりいました
釜山出身のキム・ハンジュンは小童(こわらべ)=踊り手として参加していましたが
大阪滞在中に大病を患い竹林寺で看護を受けるも亡くなっています
竹林寺にあるキム・ハンジュン(1743-1764 推定)の墓
釜山の朝鮮通信使歴史館は映像や写真でとても分かりやすく説明されていました
子供たちの学習の場でもあるのかもしれません
この時の来館者は私ひとりだったのでゆっくりと見ることができました
누구나 쉽고 재미있게 이해할 수 있도록 전시된 역사관입니다
釜山 朝鮮通信使歴史館
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