厳原(いづはら)港から散策開始です
前を歩いている人は全て船から降りた韓国の方々です
私は地図で確認しながら歩いていたのに 皆さんはスタスタ
どうやら何度も来ているようでした
その理由はのちほど明らかに
ほどなく観光情報館に到着 ここでパンフレットをいただきました
この情報館のある場所が1811年 朝鮮通信使がやって来た時
幕府からの使者・井上美濃守(いのうえみののかみ)の宿となった場所
1811年 最後の朝鮮通信使は江戸ではなく対馬で徳川家斉(いえなり)の将軍就任祝賀を伝えています
毎回300人~500人の朝鮮通信使一行を贅の限りを尽くしてもてなしていたので
道中の各藩はもちろん 江戸でも相当な負担だったはず
だんだん経費削減するようになり 12回目は対馬で対応したようです
このすぐ近くにある朝鮮通信使の展示も楽しみにしていたのですが
先月閉館したと聞いて ( ̄□ ̄;)ガーン
ただ観光案内所の隣に小規模ながら通信使を紹介するブースがありました
正使などにはかなりの皿が並んだので これは同行者向けの食事かもしれません
あるいは対馬で提供した食事かも
朝鮮時代 日本人の海外渡航は禁止されていましたが、対馬藩だけは倭館(朝鮮)へ渡ることが許可されていました。倭館には対馬藩の役人や医師、商人、留学生など600人程度の対馬の人々が移住しており、寺や神社も建てられ日本人町を形成していました
倭館を通じた朝鮮との貿易は対馬に大きな利益をもたらしました。17世紀末ごろに朝鮮貿易は空前の活況を呈し、対馬藩は「西国一の長者」と言われるほど莫大な利益を得ていました
<展示紹介文より>
倭館は歴史ドラマにも度々登場しますが 対馬藩の人だったんですね ヽ(゚◇゚ )ノ
散策は続きます
에도시대의 조선통신사는 200여 년 동안 12회 일본에 왔다
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