NGOピースウィンズ・ジャパン スーダン駐在スタッフのブログ ナイルでまいる!南スーダン“こにょこにょ”レポート -30ページ目

くるくる コーヒー輸出終了!

みなさま、大変ご無沙汰してしまい、失礼しました。


私たちは東ティモールで、コーヒー生産者支援を行っているわけですが、

(事業について詳しくはコチラ )ここ数ヶ月、怒涛のようなコーヒー輸出作業とコーヒー代金支払い(233世帯)、そして計算教室の立ち上げと業務にくるくるくるくる回っていました。

おかげさまで、コーヒーの輸出作業が先週終了しました!パチパチパチ!

7月のコーヒー収穫から始まり、計量と支払い、ディリでの脱穀作業と輸出関連業務が続いた4ヶ月、初めてのことばかりで、たくさんの学びと仕事の多い、充実した時間でした。

この業務を通じて、コーヒー農園へ何度も足を運び、組合員の人々とたわいの無いおしゃべりをしながら作業する時間は、彼らをもっと理解し、仲良くなるのに絶好の機会でした。なんでこんなにみんな純粋なの!というくらい、モンゴリアンがつまらないジョークを言っても大爆笑をしてくれました。(一番受けがよかったのは、お尻をぺんぺんたたいたり、豚の鳴き声のまねをしながら会話をすること。あー。お嫁にいけるかな・・・)

また、残業(へたをすると夜の10時過ぎ!)も毎週の休日出勤にも全く文句も言わずに頑張ってくれたローカルスタッフには本当に頭が下がりました。PWJの東ティモール現地スタッフは、決してエリート集団ではありません。みな、子どもをたくさん持った気持ちのいい、おいちゃん、おばちゃんたちで、(モンゴリアンがほぼ最年少)高校まで、もしくは学校に一度も行っていない人たち。すっごい計算はやい!とか、ミスが無い!とか、計画的に仕事ができる!とかはないのですが、根気と責任感、そしてユーモアがいっぱいの、いわゆる、「たたぎあげ」タイプ。こちらのオペレーションに関しては、4年以上の経験と作り上げた実績のある彼らは、時には私をとうがらしの辛さ並にしかってくれることもありました。まだまだ新米なのです。とほほ。

異常気象のために昨年よりも収穫量が半減してしまいましたが、騒乱も無い中だったので、品質が格段に向上しました。また、停電も比較的少なく、脱穀作業も昨年の半分以下の時間で終了しました。

生産者とPWJスタッフ、そしてモンゴリアンの(?)汗の結晶は今週中に東ティモールを出発し、はるか日本を目指します。皆さまに、今年も美味しい!私たちのコーヒーを飲んでいただければ嬉しいです。私たちのフェアトレードコーヒーは、Peace Winds Shop または珈琲工房HORIGUCHI、全国のコーヒー焙煎ショップ、牛丼専門店「すき家」などを通じてみなさまにお届けしています。

Peace Winds Shop   

珈琲工房HORIGUCHI   
すき家        


モンゴリアン

CDと柿ピー。

新人2名が無事Borに到着しました。
早速、事業の状況、事務所の説明、治安についての説明などを一通り
行いました。週明けからの活躍を期待。

で、彼らから、日本からの「おみやげ」を頂きました。
東京事務所の人達は、私の大好物が何かをを知っており、スーダンに
出張してくる人がいると必ず、
「ミョウジョウさん、持って来たよ!」といって、いつも「柿ピー」を
もらうのが常でした。
(どうやら、ミョウジョウには、「柿ピー」を与えておけば機嫌がよくなる
と思われているらしい・・・)

ところが、今回は、「柿ピー」は無し。
(密かに私が「柿ピー」を大量に隠し持って、非常用に保存しているのが、
バレてきたのかな?)
でも、今回はステキなサプライズがありました。
以前、「こにょこにょ」にも書いたことがあるのですが、PWJの活動を応援して
くれているボランティアさんでもあり、音楽活動をしている廻田彩夏さんの
新作CDを頂いたのです。(廻田さんについての記事はコチラ

しかも、サイン入り。
しかも、「ミョウジョウさんへ、ブログ見てますよ!」とのコメント入り。

一応チームの責任者との立場から、
「ああ、ありがとう」と普通の返事をしたのですが、内心は、かなり大喜びにひひ

CDの説明を見ると、3曲目に入っている「しあわせに」という歌はPWJの
スタッフを想い作られたとか。(「ってことは、自分のために作られた歌か」
と勝手な解釈をして聞いている次第。ノーテンキな「幸せ者」です。)

廻田さん、東京事務所のCDアレンジしてくれた方、CDを持ってきてくれた
HさんとTさん、本当にありがとうございました。


では、今日はこの辺で。

ミョウジョウ

キレる

今日は久しぶりに井戸建設候補地の調査へ行ってきました。

これまでは主に事務所の拡張工事などを見ている役だったので、
行く前に、事務所の工事の注意点などをAdmin担当のスタッフに指示
することに。今日の作業の中には、先の拡張工事の際に、衛星電話の
アンテナの「線」がコンクリの中に一部埋まって固まってしまったので、
そのコンクリを一旦壊して、「線」をを取り出す、というのがあったので、
「職人さんが来たら、このアンテナンの線は、特殊な線だから、絶対に
傷つけないように、慎重に作業するように、してくれ」と言っていたのです。

で、いざ出発して、1時間ほど過ぎた頃に、事務所から無線連絡が。
ちょっと聞こえづらかったのですが、何度か聞いてみると、
「作業中に線が切れてしまった・・・」と言っているではないですか。
「だから、あれほど言ったのに!」と、ついつい無線で言ってもしょうが
ないことを言い出してしまいました。
線が「切れた」ことに、こっちも「ブチ切れ」。

でも、無線って不便ですね。無線のルールでこっちの質問が終わった
後に必ず「Over(どうぞ)」という言葉を言って相手の返事を待たないと
いといけないし、よく聞こえなかったすると繰り返さないといけなし、

「あれほど言ったのに、何やってるんだ! どうぞ」
「だから、何やってんだって! どうぞ」
「何やってんだって、言ってるんだよ! どうぞ」

と、興奮して怒る割には、「どうぞ」というときに我に返ってしまい、
ちょっと自分でもばつが悪い感じになってしまうのです。

で、仕舞には、電波の調子が悪く、Admin担当から、
「よく聞こえないから、交信終了します」と無線交信も「切れる」始末。

詳しい状況が判らず、イライラが溜まっていたのですが、調査の途中で
帰るわけにも行かず、そのまま調査を進めることとなってしまいました。

でも、調査自体は順調で、とても興味深いものでした。
少なくとも、事業のほうは、切れ味鋭く、「キレキレ」で(いい意味で)
行きたいものです。


では、今日はこの辺で。

ミョウジョウ

ルーキー!

日本では、今頃野球の日本シリーズで盛り上がっている(?)頃の
ようですね。先日の日ハムの先発投手は高卒のルーキーだったとか。
こっちに来ていると、そんな熱戦が見れないのがちょっと残念。

で、今日はうちのスーダンチームにも、期待の新人2名がジュバに
到着しました。これから乾季が始まり、事業の最盛期を向かえるので
増員となったものです。気候や慣習など日本と異なることも多いので
慣れるまで少しかかるかもしれませんが、徐々に肩慣らししていって
もらえればと思っています。
といいつつ、金曜から早速Borに入ってもらい、現場を見てもらう予定
なのですが。

6月ごろまでは日本人3人体制で、ちょっと厳しい時期もあったのですが、
これで、現在スーダンチーム日本人6人体制となりました。
すごい、PWJの全事業地の中で、ダントツで日本人の多い事業地となり
ました。ますます頑張らないといけないですね。

そうそう、そう言えば、7月から9月までの人の手薄だったピンチの頃に、
東京から「中継ぎの助っ人」として出張してきてくれていた三澤が、
スーダンの報告会を日本でするそうです。

日時は、11月7日(水) 午後7時半から。
場所は、Cafe & Bar Charity (東京の恵比寿駅から徒歩3分)という
バーを貸しきって行われるらしい。

彼が滞在中に収録した南スーダンのいろいろな映像も多分用意されてる
のでは? と思うので、是非参加してみてください。

詳細は、下記のページをご参照ください。
http://www.peace-winds.org/jp/news/archives/071005_1800.html

実は、本人から「まだまだ席空いてるから、声かけてー」と切羽詰った
依頼が来たので、今日は「こにょこにょ」で初めて宣伝もしてみました。
(三澤さん、こんな感じでイイッスかね得意げ。)


では、今日はこの辺で。



ミョウジョウ

迷路?

ジュバの町の道路の状況はずっと悪く、舗装されている道路は国会議事堂
から市街に伸びる道ぐらい。しかもその舗装道路もアスファルトがいたる
ところで剥げており、凸凹で、アスファルトが無いほうが快適なぐらい
なのです。

去年から毎日のように道路工事をジュバ市内で行っているのに、地面を
ほじくり、ローラーで均し、雨が降ってガタガタになり、またほじくって、
雨が降って・・・、の繰り返し。

一向に舗装道路になるような気配すら無かったのですが、今回ジュバに
行ったら、一番のメイン道路で、なんと、今まで見たことの無い道路工事を
しているではないですか!!!
路肩を整備し、土を均し、砂利まで敷いている。しかも、その道路への
侵入をいたるところでシャットアウト!これは本気かも。

でも、そのおかげで、今日車の燃料を入れに行ったのですが、一番いい
燃料を売っているガソリンスタンドが、まさに工事中の道路沿い。
なんとかそこにたどり着こうとしたのですが、メイン道路に出るところで
通行止め。迂回路を探して空き地をウロウロすること1時間。似たように
ウロウロする車が回りにもたくさんいて、空き地や私有地にいつの間にか
迷路のように道が出来てました。でも、結局どうにもならず、最後は工事の
人と交渉して、ちょっとだけ通してもらい、何とかガソリンスタンドに到着。

で、ついてみたら、
「今日はディーゼル無いよ!」と言われる始末。。。
どうやら、工事のおかげで、ガソリンスタンドのタンクローリーも入って
これないためらしい。そう言われて、変に納得してしまいました。

その後、別のガソリンスタンドにまた苦労して行ってみたのですが、
そこは、
「ディーゼルはあるけど、電気が無いから汲み上げられない!」とのこと。

結局今日は全て空振り。こんな日もあるんですね。トホホ・・・ショック!


では、今日はこの辺で。


ミョウジョウ

ラッキー ドゥーべ

ちょっと前になりますが(10日ぐらい前)、南アフリカ出身のレゲエ歌手
Lucky Dubeさんが、事件に巻き込まれ亡くなってしまいました。

日本ではあまり知られていないと思うのですが、彼は、南アフリカだけ
でなく、アフリカ全土で人気のあった人でした。
東アフリカのケニアにいたときも、西アフリカのシエラレオネでも、
ここ南スーダンでも、彼の歌をよく耳にします。
私の感覚では、アフリカで最もPopularな歌手だったと思います。
(私自身、音楽にそんなに興味を持っていないのですが、そんな私でも
彼の名前と歌はよく知っているぐらい)

うちのドライバー達も、長距離移動する際にいつもたくさんのカセット
テープを持ってくるのですが、必ず彼のテープが数本入っているほど。

11年前に最初にアフリカに来て、初めて現地でできた友人の家に誘われた
時にLucky Dubeの歌を最初に聞いたのですが、そのときは
4、5人集まって、散々に酔っ払い、彼の歌を聞きながら、みんなで踊りだす
始末。フラフラになって、友人(男)に手を引かれながら、家まで送って
もらったのを思い出しました。

私がアフリカに関わりだしたときから、数少ない私が知っているアフリカの
Artistだったということもあり、時の流れを感じてしまいました。


では、今日はこの辺で。

ミョウジョウ

食事会

ジュバ(南スーダンの中心都市)にでてくると、必ずいくつかの食事会に

行くことが多くなります。
今回も、ジュバにいる日本人、他のNGOのスタッフ、国連のスタッフ
の方などとつかの間の「都会」を楽しみます。

最近のジュバの発展のおかげで、毎晩食事をする所を変えて、場所に困らない
ようになりました。

今回も、
木 中華
金 ピザ
土 タイ
と、バラエティーに飛んだ食事をお腹一杯食べてきました。

会話の内容は、大体、事業の状況、スーダンのいろんな話、ジュバの
最新情報、今後の展開、などなど、ざっくばらんにいろんなことを気軽に
話します。

そうそう、土曜のタイ料理を食べに行ったところは、ここはジュバでは
最新の設備のあるところで、大統領の記者会見などにも使われるところ
だとか。タイ料理レストランのほかにも、別なレストラン、おしゃれな
カフェ、ビジネスセンター、イベント会場を兼ね備えていました。
で、当日はなんと、「美人コンテスト」をやってるではないですか。
何と言う偶然!当然のように帰りがけに覗いて行きました。
中には、貫禄のある人も出てくるのですが、やはり、スーパーモデルも
出しているスーダン。カッコいい女性がたくさん。
かぶりつきには、カメラを構えた現地の人達でごった返していました。
すごい盛り上がり。

すっかり美人に見とれてしまい、「こにょこにょ」の更新を忘れて
しまいました。


では、今日はこの辺で。


ミョウジョウ

ローカルな家を作ろう①

材料は、
その辺の藪で取ってきて、マーケットで売られている
「木の棒」(太いものと細いもの)
「ヤシの葉っぱ」

事務所の敷地内の
「泥」

ちょっと行ったところにある
「砂」
「草」

ガレージからもらってきた
「廃油」

あと、
「釘」と「セメント」各少々。

といったところでしょうか。
「こんなんで、家がホントに出来るの?」と思われるかもしれませんが、
大分、形になってきました。

太い棒で壁と屋根骨組みをつくり、シロアリ防止の廃油を塗って、
細い棒を骨組みの回りにめぐらせ、屋根は草葺(ヤシの葉っぱを紐にして固定)、
壁の中は泥壁、外側に砂でプラスター。一応床だけは、セメント。
(あれっ、工程ってこれだけかな??)

現在は、泥塗りと屋根を葺いている途中まで来ました。多分来週には完成しそうです。





↑骨組み作成。「V字」を下で作って、ひっくり返して屋根の骨組み。



↑「ちょっと行ったところ」の女性達から屋根材の「草」を調達。「この草は背丈が高く
群生していて、その中に盗賊が潜んでいるから、なかなか刈りにいけない。」との
理由で、あまり値段をまけてくれませんでした。



↑骨組み完成。




↑地元の屋根葺き職人のおじさん。


で、この家が完成した暁には、多分、私が住むことになりそうです。
また、進捗を報告します。


では、今日はこの辺で。

ミョウジョウ

津軽弁検定

皆さん、津軽弁検定があるのはご存知でしょうか?

出題内容
初級編:「めー?」「めー。」
中級編:「どさー?」「ゆさー。」
上級編:「わったあずましー。」

寒い地域って、なるべく口を開かずに話すのが特徴らしく、
かなり言葉を短縮するようです。「とってもここちいいー。」

こたえは、「おいしい?(「うめーか?」から)」「おいしいよ。(「うめー。」
から)と「どこいくの?(どこへいくんさ?)お風呂にいくよ。(お湯にいくんさ。)
上級編は津軽出身のお友達に聞いてみてください♪

これは、津軽出身の通称「老師」から教えてもらいました。

収穫期が一段落し、女性グループの活動も新たな局面を迎えました。
インタビュー調査の結果、女性たちの多くが読み書き計算ができず、
家計の管理や様ざまな情報のアクセスなどが困難な状況にあります。
そこで、女性たちを対象に、四則計算の教室を開始することになりました。

一人一人の能力に沿って、一人一人学習し、少しずつ自信を高めて行ける
学習法を実践し、世界45カ国で展開されている、「公文式」。
その学習法こそ、歴史的背景から学校に通うことができなかった女性、
行けても最後まで通うことのできなかった女性、そしてそのことを
恥じている女性たち、にとってぴったりなものだと考えました。
日本公文教育研究会の皆さんが私たちの活動の意義に共感し、
ご協力していただくことになりました。現地に正しい形で導入していかないと
きちんとした効果が計れません。そこで、先月、日本公文教育研究会から
職員の方が指導に来てくださいました。

中国での事業展開に従事し、講師育成などをなさっている津軽出身のN氏。
中国語で先生のことを「老師(ラオシー)」と呼びます。そこで、N氏の
ニックネームは「老師(ラオシー)」になりました。

ちなみに、上記の津軽弁検定は、老師の「どっきりカメラ」だったそうで、
本当には無いそうです。モンゴリアンも、他のスタッフもすっかりだまされて
しまいました。現在、いかに逆襲するか検討中です。


モンゴリアン


東ティモールの公文式算数教室の記事はコチラ

JIU

先週末は、国連でスーダンの軍隊の監視をしているスタッフから、
駐屯地の家族が使用している井戸が壊れかけたので、助けて欲しい
との依頼がきて、うちのエンジニアSを連れて見に行くことになりました。

通常、NGOが軍隊と関係を持つ際には慎重に対処しなければならない
のですが、今回は国連からの依頼ということと、この問題の性格から、
「とりあえず、行ってどういう状況か見てみるのは可能」という判断をして、
現場に行ってきました。

実は、この駐屯している軍隊は、和平合意により、南スーダンの正規軍の
SPLAに加え、南スーダンにおいて内戦中に対立していた「北」の軍と「南」の
軍の混成チームが作られることになり、Joint Integrated Units(JIU)と
呼ばれている部隊。

兵士と家族が多数暮らしており、1本の手押しの井戸を共有している
状態でした。なので、常に井戸の順番待ちなどでいざこざが起き、さらに
井戸が壊れてしまうと、深刻な問題が起きる可能性もあるとのこと。
(些細なことから、「北」と「南」の兵士がいがみ合うといったことも予想
されるのです)

で、井戸の問題は、手押しポンプの土台部分が金属疲労を起こし、割れかけて
いました。うちは、シリンダーやパイプの問題なら解決できるのですが、
土台の金属部分を直すのは、短期的には溶接などで処置し、将来的には
コンクリートから土台を外して土台ごと取り替えるしかないので、残念ながら
手に負えないと判断。
ポンプ内の清掃や簡単なメンテとこれからの使用方法についての指導をして、
帰ってきました。

でも、作業中に「北」と「南」の軍の人達が、エンジニアSの指示に従って
一緒にテキパキと作業をする姿を見ていたら、将来的に和平合意がうまく
いくかもという期待を持たせてくれました。
これからも、お互いの理解が進んでいくといいですよね。


↓国連、北、南、PWJのスタッフの共同作業









では、今日はこの辺で。


ミョウジョウ