梶芽衣子主演のさそりシリーズの最終作 「女囚さそり 701号怨み節」を観て | パンクフロイドのブログ

パンクフロイドのブログ

私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

神保町シアター

女優魂ーー忘れられない「この一本」 より

 

製作:東映

監督:長谷部安春

脚本:神波史男 松田寛夫 長谷部安春

原作:篠原とおる

撮影:仲沢半次郎

美術:北川弘

音楽:鏑木創

出演:梶芽衣子 田村正和 細川俊之 初井言栄 中原早苗 森秋子 根岸明美

1973年12月29日公開

 

さそりこと松島ナミ(梶芽衣子)は刑務所を脱走し、結婚式場から逃走を試みたものの、児玉警部(細川俊之)の執拗な捜査により逮捕されます。しかし、ナミは護送中に、車を電柱に激突させ再び逃走。深手を負った彼女は、ストリップ劇場に潜んでいたところを、照明係をしている工藤(田村正和)に助けられます。

 

元過激派の学生運動家だった工藤は、警察の拷問により片足を不自由にさせられただけでなく、女を抱けない体にされてしまっていました。しかも、拷問に立ち会っていたのが児玉でした。ナミと工藤はいつしか、国家権力に抵抗する者同士として通じ合うようになります。

 

ところが、工藤がナミを匿っているという警察への通報があり、工藤が逮捕されます。児玉は再び工藤に拷問を科し、ナミの居所を白状させようとしますが、工藤は頑なに拒否します。工藤は釈放されると、ナミと二人で児玉の家を襲います。しかし、児玉は不在で、妻の君代(金井由美)が居るだけでした。君代は二人が居ることを夫に報せようとして、誤って窓から落ちて亡くなります。

 

児玉は再び工藤を逮捕し、彼の母親トメ(初井言栄)を使い、ナミの居所を白状させます。その結果、ナミは再び女子刑務所へ送られ、死刑囚専用の第四独居房に入れられます。やがて、児玉たち刑事や法務省役人の立ち合いの下、ナミの処刑の準備が整うのですが・・・。

 

この映画で特筆すべき点は、好印象のイメージのある細川俊之と田村正和のイケメン2人を、悪役もしくは最後に日和る軟弱者に仕立てたことにあります。本作における細川は冷酷非道でサディスティックな児玉警部。元来優しいキャラクターの細川がこうした役を演じることによって、気障な振る舞いが嫌味となり怖さも引き立ちます。

 

一方、田村正和は元学生運動の闘士で現在はストリップ小屋のしがない照明係という役どころ。田村演じる工藤は公安警察から拷問を受けた際に、児玉警部によって不能な身体にされたことから官憲に恨みを抱いています。

 

松島ナミは政治信条も思想も持ち合わせていない(と思われる)犯罪者ですが、権力に歯向かう点と過激な行動の点において工藤と相通ずるものがあり、彼に対してはシンパシーを抱いています。こうしたことから、工藤は警察から逃げてきたナミを匿うだけの理由があり、ある意味、警察に抵抗することによって、消化不良に終わった学生運動にけじめをつけようとする節も見受けられます。

 

工藤は警察の拷問に屈せず一度は釈放されたのに、ナミと現金強奪を謀った際に再び捕まり、母親の泣き落としによりナミの居所を白状してしまいます。母親の情に流されてしまう辺りはどうかつ思いつつも、ひ弱な元活動家は若い頃の田村正和には似合っています。工藤は結果的にナミを裏切ることになる訳ですが、彼女から制裁を受けるのは少々気の毒な気がしないでもありません。そもそも工藤がナミを助けて匿わなければ、とっくの昔に彼女は逮捕されており、工藤は拷問を受けても口を割らずにいました。

 

そんな事情があるにも関わらず、一切容赦しないのが松島ナミという女でもあります。彼女から最後に「あんたを刺したんじゃない、あんたに惚れた松島ナミを刺したんだ」と断言されると、グウの音も出ませんよ。後に岩下志麻姐さんが「極道の妻たち」で、「やくざに惚れたんやない、惚れた男がやくざやったんや」と放つ台詞に一脈通じるものがあるかも?

 

本作は細川俊之と田村正和という恰好の素材を得ながら、全体的に作りが甘いために損をしているのが惜しまれます。工藤がナミを匿うアジトの壁にスローガンが掲げられていて、その文字が当時学生運動家の間で流行っていた中国漢字が使われているのは芸が細かいと感心する一方で、いくら法令遵守がユルい70年代とは言え、刑事が女看守長に無理矢理協力させるため、彼女を集団で犯すのはいくら何でもヤリ過ぎ感があります。

 

しかも、女看守長はそんなことをせずとも、罠に協力させる下地が既にできていました。ナミは心穏やかに死刑を待つ身だった稲垣(中原早苗)に心乱すような囁きをしたため、稲垣が処刑時に錯乱状態になった経緯がありました。女看守長からすればナミに腹を据えかねていて、意趣返しする気持ちになっていた筈。また、用心深いナミが、女看守長の言うままに易々と罠に嵌っていくのもどうかと思います。せめて疑う素振りを見せていれば、敢えて罠に乗ったという見方もできるのですが・・・。

 

児玉がわざとナミを逃がした上で自ら制裁しようとするのはいいとしても、処刑方法が同じ絞首刑と言うのは芸がありませんね。同じ方法ならば、公的に認められた方法でいいじゃないと思いますし、結局児玉に対して身から出た錆、自業自得の印象を植え付けたいがゆえに、絞首刑の方法を選んだのかと勘繰りたくなります。

 

結構、映画の作りとして疑問に感じられる点は多々ありながらも、物言わず目力の強さのみで全てを語っていく松島ナミの魅力は損なわれていません。結局、本作が梶芽衣子主演における『さそり』シリーズの最終作となった訳ですが、引き際としては良いタイミングだったようにも思います。