今回も散歩のネタをどうする家康からいただきました。
どうする家康⑦「わしの家」と⑧「三河一揆でどうする」で登場した本證寺(ほんしょうじ)周辺を散歩して来ました。場所は愛知県の安城市です。
昨年の夏に一度安祥城から本證寺まで徒歩で往復しましたが結構疲れました。
今回地図アプリがエラーを出してうまく保存してくれなかったので地図がありません。確か距離は12km、時間は3時間ぐらいだったかと思います。
スタートは桜井駅からです。ここから周辺の城跡を巡りつつ、最後に目的地の本證寺に向かいます。
地図を見たら、近くに城山公園といういかにもなところを見つけたので、とりあえず行ってみたら・・・・・・・桜井城でした。
桜井城
3回目にも関わらず公園の名前を覚えていなかったため到着するまでわかりませんでした笑。
桜井城は桜井松平家の城です。三河一向一揆では、桜井松平家の松平家次が一揆側に付きました。どうする家康で本證寺で吉良義昭と談笑していた松平昌久は大草松平(幸田町)の武将のため桜井城の人ではありません。
入り口だけお城感があります。場所は少しだけ小高くなっています。北の安祥城の周辺が湿地帯だったということなので、桜井城も1kmぐらい東側など低くなっているところは湿地帯だったのかなと想像します。
本證寺とはご近所だったためか、松平宗家に従うのが嫌だったためか一向一揆側に付きました。しっかり旗も立っていました。
ここから真南に向かって道を2~3回曲がれば本證寺に行けますが、それではつまらないので少し東に向かってから南に向かいます。このあたりはお城の跡がたくさんあります。
姫城
このあたりに姫城という内藤氏の居城があったらしいのですが、家しかありませんでした。内藤氏のお墓がすぐ近くのお寺にあります。
誓願寺
先ほどの内藤氏のお墓があります。あと、この門が寺部城の移築門とのこと。
伝内藤重清墓
伝内藤清長墓
内藤重清 安城松平氏の初代松平親忠に仕えた。
↓
内藤義清 松平信忠、松平清康(家康の祖父)に仕えた。石川数正正室の父。
↓
内藤清長 三河一向一揆の際に一揆側に組し、後に幸田町荻城に蟄居。
↓
内藤家長 三河一向一揆の際に家康側に組した。関東移封時に上総国佐貫城主となる。関ヶ原の戦いの前哨戦伏見城の攻防戦で討ち死。
↓
内藤政長 大阪夏の陣時に江戸城の留守居役。
全然知らなかった・・・名門ですね。勉強になりました。
旧神屋跡、古道脇筋
???民家の入り口にありましたが、何でしょうね?
小河神社古宮?貴船神御神?
近くにこの碑もありました。
岩根城址
中部地方の中世城館によると岩根城は明応年間(鎌倉時代)に存在しており、城主は加藤掃部助正成。賤ヶ岳七本槍のひとり、加藤孫六(加藤嘉明)の出身地とも言われているみたいです。wikiには三河国幡豆郡永良郷(愛知県西尾市)出身と書かれています。永良郷がどこなのかがよくわかりませんが、岩根城の目の前の矢作川を渡れば西尾市なのでこのあたりの出身ということなのでしょうか?
この案内板は公民館みたいなところの横にありました。
地図を見ると岩根城は多分この公園の奥のあたり・・・かな?民家です。
寺領廃寺跡
奈良時代初期のお寺の跡。10世紀頃に廃寺になったのではないかということです。結構大きかったみたいなのにどうして消えてしまったのでしょうか?
松韻寺
素盞鳴神社(すさのおじんじゃ)
松韻寺にも素盞鳴神社にも名前が出てくる長松寺。さっきの寺領廃寺跡が長松寺なのかな?と調べてみてもはっきりしてないぽいです。3つとも近い場所にあります。案内板の書き方をみても寺領廃寺跡=長松寺ぽいのは限りなく黒に近いグレーといったところなのかな?裏づけ資料がでるまでは廃寺という名前のままなのでしょうか?付近は住宅も多いので、裏づけのための発掘も難しいのでしょうかね。
木戸村古城
道と住宅しかありませんでした。この写真の左側にあったようです。すぐ隣に長因寺というお寺があります。
木戸観音堂
木戸古城から西に数十メートルぐらいのところにありました。
2つ文章の書いた碑がありました。
全然読めませんでした。
こちらは少し読めました。
観音堂の創立は年代悠久にしに知んに由なきも中ころ能見松平氏●族楫金(全?)平勝志の持仏観世音菩薩を●亡安置せるものなり伝へ云ふ勝忠の老母年来観世音を信仰せしか或時一老翁の示現により観世音●尊像を授●らる老母いたた(??)感激し愈(?)尊崇の誠を盡し(つくし?)之を勝忠に授く勝忠乃一守本尊とし二寸時も離さず戦場に臨むや毎に甲冑に納めた●も●●●と其主本多平八郎忠勝に犀(?)し勇戦奮闘戦へ●●不勝ち身に一創痍●も當(?)らざりしは一に此尊像●霊験加護に因りしも●と云ふへし
楫氏の子孫相伝へに崇敬意(思?)ら(を?)さりしか明治維新●除従僕(?)主右衛門●●も●楫氏●意を奉しに平岩(?)一族の尊奉し来れる堂宇に安置せしものな●●に其由来の概略を記し皆人の大慈大悲の應護を仰くよすかとすと云ふ
(よめなかったところやスペースぽいところは●、自信のないところは(?))
楫氏(かじし)の勝忠が観音像を持って本多忠勝の下で戦って全く怪我をしなかったことから、楫氏が霊験あるこの観音像この地に祭って伝えられているということでしょうか?
南西のひらけた方に進み藤井城に向かいます。
藤井城
指・・・
藤井城は藤井松平氏の居城です。時期は永正年間~天正18年(1590年)。城主は松平利長、松平信一。松平利長は桶狭間の戦いの際の丸根砦攻めで戦死している。子の信一は三河一向一揆の時には家康側について武功を上げたみたいです。後に常陸国土浦藩の初代藩主となりました。
安正寺
藤井城から秒で行けます。
松下円平綱親が本證寺の空誓上人に従って1600年頃長円寺(後の安正寺)に入山したと書いてあります。三河一向一揆のときはなかったということでしょうか?
安城生涯学習まちづくり企画人さんのHPによると、松下円平綱親は松下加兵衛の孫とのこと。松下加兵衛ってどっかで聞いたことあるなぁ・・・と思ったら・・・
これだ。浜松の元城町東照宮。
浜松城のすぐ西にあった踊っているように見える像。この豊臣秀吉が最初に仕官したのが松下加兵衛でした。若いころに秀吉は松下加兵衛のお供として元城町東照宮(引間(曳馬)城)に訪れていたといわれています。
熊野神社
藤井城から木戸城に向かうときにありました。松平利長や松平信一より守護神とされていたらしい。
堤防の上を歩いていきます。何となく春を感じました。(この日はすごく寒かったですが)
春日神社(木戸城)
堤防から撮りましたが、歩道がない部分がありますので堤防からいくルートはおすすめしません。先ほどの熊野神社から堤防をあがらずに東に進んだほうがいいです。
時期は1471年。松平親忠の家臣であった成瀬直庸(なるせなおつね)が城主です。成瀬氏というと犬山城で有名ですね。あとは成岩城にも成瀬氏の名前が出てきていました。その成瀬氏の何代か前の人になります。
神社の周りには土塁ぽいもの、堀(枯れた池?)ぽいものがありました。
本證寺外堀跡
いよいよ本證寺へ向かっていると、たまたま通りかかりました。本證寺がいかに広かったかがわかります。どうする家康⑧「三河一揆でどうする」の最後に放送される紀行でも紹介されていましたね。これも蓮かな?ここからまっすぐ進むと・・・
本證寺
三河一向一揆の3寺のひとつ本證寺。先週どうする家康で話の舞台となっていたためか、この日は30~40人ぐらい人がいたと思います。昨年来たときは10人もいなかったかな?未確認ですが、南西の方に臨時駐車場ぽい広場もありましたね。
時期ではないので枯れていますが、ここは蓮で有名です。
昨年の8月7日に訪れたときはこんな感じ↓でした。もう少し早い時期に来ると蓮の花が見事だと思います。
現在ガイドさんが本證寺の説明をしてくれます。何人もいるので、みなさん説明を受けることができると思います。おすすめです。
ガイドさんがぼやいていました。私は地元の吉良が好きだけど、ここに見学に来る人はドラマをみてくる人だから家康が好きなんですよね。家康好きと言わないとガイドができない。(家康が嫌いとは言っていませんでしたけど)はっと思いました。確かに私も家康の活躍を見に来ているわけですが、本證寺は家康と敵対したお寺ですからね。家康憎しでもいいと思います。勝てば官軍的な見方は気をつけないといけないなと思いました。
このガイドさん声も大きくて聞こえやすかったし、いろんなぼやきみたいなのが面白かったです。いろいろと勉強になりました。ありがとうございました。
矢作川の新流と旧流?が交わったところから矢を射たらここに落ちたのでここに本證寺をつくったという伝承をガイドさんが教えてくれました。あんなところから矢を射てこんなところまで届くわけないんですよ。でも神話ってそういうもんなんですよ。という話もしていました。このガイドさん好きだわ。おもしろい。
お寺の宗派が多くて覚えられないという人もいますが、宗派は13、仏像は4種類。一ヶ月で覚えられます。勉強してくださいとも言っていました。ちょっと勉強してみようかなと思いました。そんなに少ないのね。
お寺の北側に行くと、堀や土塁の跡が残っています。ここをじろじろ見るか見ないかでお城をかじっている人かどうかがわかりました。(ガイドを受けてる15人中3人が見てました)
「北側が手薄です!!」とドラマで言っていましたが、年月を経て埋まった掘や、削られた土塁が現在でも4m近い高さを保っています。ドラマを見ながら「北側は無理です」と思いました笑
以上本證寺でした。左側で犬がチョンマゲのヅラを被せられていましたが、いやだったのかちょっと駄々をこねていました。
3/11にAWCでまた行く予定ですので、私の素人目では気付けなかったことを勉強してみたいと思います。
周辺に史跡が多くて、思いのほか楽しめました。みなさんも本證寺を訪れた際は周辺の史跡も巡ってみてください。