シイタケのブログ -27ページ目

アフガン人質殺害とテロ対策特措法(給油法)

 アフガニスタンで「ペシャワール会」メンバーの伊藤和也氏が拉致・殺害されたとのこと。彼は現地住民の農業支援などをしていたそうであり、そんな彼が犠牲になるとは誠に痛ましい。同じくペシャワール会の中村哲氏がHPに掲載している文章によれば(ちょうど昨年のものだが)、テロ特措法の延長について反対の意思を表明している。すなわち、日本政府はアフガン復興のために1000億円以上拠出している一方で、アメリカの「対テロ戦争」も支援しており、「殺しながら助ける」支援などありえないと主張する。そして、内政不干渉、人命尊重の協力こそが対立を和らげ、武力以上の現実的な安全保障になると訴え、テロ特措法延長で日本が米国同盟軍とみなされれば反日感情に火がつき、アフガンで活動をする私たちの安全が脅かされる、と警告している。

 今まさに、彼の警告していたことが現実となってしまった。今度の臨時国会では、再びテロ対策特措法の延長が焦点となっている。今年の初め、自民党の最優先(!)課題として衆議院の再可決で「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法」が成立したが、これは同法附則により1年で失効するので、延長する必要があるという(自民党の必死さは滑稽だ)。要するにアメリカをはじめとする中東の軍事活動のために、原油高で国民生活が脅かされている中、気前よく日本がGSを設置してあげるというものだ。一部はイラク空爆のためにも使われたということであり、つまりは国民の税金で罪のないイラク人民が殺されているのである。人命を軽視し、税金を無駄にして石油業界と軍需産業を儲けさせるこんな悪法が延長されてよいはずがない。ぜひとも延長法案を葬り去ってほしいものだ。

 石油業界や軍需産業関係者でもないのに、あるいは彼らから資金援助を受けているわけでも株主でもないのに、テロ特措法(=対テロ活動)は日本の石油資源確保のために必要だと主張する者がいる(シーレーン云々)。しかし、石油資源のためにアフガニスタンやイラクの人民の命を奪うことを正当化できないのは当然である。また、石油のためという口実は、日本の税金は国民ではなく特定の民間企業のために使う、ということを自ら露呈している。さらには、当然のことながら、軍事活動がかえって中東の危険性を助長しているのである。そして最後に、「対テロ活動のおかげで我々は安心して石油を使って暮らせる」と信じ込んでいることこそ、楽天的で滑稽だと付け加えておこう。今の日本政府は国民個人の生活のことなど眼中にないのだ。

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反日・売国奴

 ついでというわけではないが、引き続きもう少し「右翼」について考えてみたいと思う。右翼的言説でよく目にする「反日」「売国奴」について。もともとは戦前の日本で、軍国主義国家に協力しない者を非難する目的で生み出された語であろう。当時であれば「国」を「売」る相手は米英等(連合国軍)ということになろうか。しかし現代では少し異なった使われ方をする。とりわけ中国や朝鮮とかかわりの強い日本人や団体のことを指して、「反日」「売国奴」などというようだ。あるいは、左翼的立場から日本の軍備を削減すべきという主張に対し、中国や朝鮮に軍備上劣ることを非難して、そのようにいうことも多い。このようないい方について、少々稚拙ではあるが真正面から考えてみたい。

 まず、「国」単位でものを考えること自体が誤りだと思う。「売国」の反対に国を軍備で強固に守ったからといって、はたして一般市民の生命と財産が守られるのか? アメリカのように世界一の軍事大国でもテロに襲われる。軍備を強めれば逆に隣国との緊張が高まる。万が一紛争にでもなれば戦線に立たされるのは一般市民である。また、軍備拡大は増税につながり国民生活を苦しめる。というように、国としてどうかという問題と、それが国民生活とどう関わるのかという問題は別に考えなければならない。近代国家においては国と国民は支配者と被支配者の関係ではなく、国民は国家に対し統治を委任している関係である。したがって、国家がいくら軍事的に強くなったとしても、それで国民生活が犠牲にされれば、それは国家として義務を果たしていないのである。本当の意味の「売国」とは、個々の日本人の生活を苦しめることをいうのだ。

 次に、「反日」「売国」と非難する相手方を誤っている。「右翼」は戦前の軍国主義を信奉するのが一般だが、日本の大陸侵略から敗戦まで、どれほどの国民の生命が犠牲になったことか。それこそ「反日」的行為なのではないか。さらに、その後日本は主にアメリカに占領され、財閥解体や農地改革など良い政策は採られたものの、その後も米軍は日本に駐留したままであり、いわゆる小泉改革の一連の規制緩和のように、経済政策においても長年、主にアメリカの外圧の下にある。これこそ「売国」行為そのものではないのか。大げさな言い方になるが、アメリカ資本に日本国民の生命も財産も売り渡そうとする自民党の政策こそ、「右翼」が批判すべきではないのか。中国や朝鮮に友好的な日本人を非難している場合ではないのだ。

 ただ、「右翼」の一部には、現在のアメリカ従属関係を非難しているものがある。もっともそれは国家主義的な見地からのものであり、従属関係を離れて日本も軍備を増強し核兵器を持つべきだなどという方向に進むのが難点だ。そのような軍備や兵器は、国家体制を守ることを第一目的とするもので、決して国民を守らない。

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右翼が嫌う「朝日新聞」

 もう少し「右翼」について考えてみたい。
 朝日新聞阪神支局襲撃事件は今もなお記憶に新しく、言論の自由を保障する日本国憲法秩序に対する許しがたい挑戦行為として語り継いでいくべきであろう。当の日本国憲法を破棄したいのであれば、それを支持する世論を味方につければよい。ただし日本国憲法を破棄せよと世論に訴える行為そのものが、日本国憲法によって保障されていることを忘れてはならないと思う。

 ところで実際の襲撃(暴力行為)に至るのは言語道断として、ネット上でも朝日新聞はよくやり玉に挙げられている。「アカヒ」などという蔑称が付けられることもある。「右翼」的思想をもつ人から見れば、朝日新聞は「左翼」「アカ」であり、敵であるということになろう。しかしなぜ朝日新聞だけがとりわけ強い攻撃を受けるのか、私には理解できない。過去の経緯などがあるのかもしれないが、私はよく知らない。ただ、現在存在している全国的な商業紙(読売、毎日、日経、産経…)を見る限り、とりわけ朝日新聞だけが異端だとも思えないのだ。

 読売新聞などは懐古主義、武力信仰主義的な「憲法試案」を発表したくらいだから、いわゆる「右」ということになろう。産経新聞もそのような傾向が見られるのではないか。日経新聞は経営者の視点からの編集であり、労働者が左翼主義傾向をもって団結などされては困るだろうから、「左」とはいえまい(電車の中で一サラリーマンが日経をまじめに読んでいるのを見るとおかしい)。これらに比べると朝日新聞はわりと市民の立場から、また労働者の視点から記事が書かれていることが多いので、「比較的視点」からは「左翼的」ということになるのであろうか。

 とはいえ、朝日新聞も他と同じ、一商業紙である。例えばトヨタやキヤノンの全面広告も載せて広告掲載料を大きな資金源としている。当然、広告主に都合の悪い記事を大々的に載せることはできまい。政治家が発言したことをそのまま記事にするだけで、他の商業紙とまったく異ならないことも多い(多すぎる)。たしかに朝日新聞には一般的に、情緒的、日和見主義的な側面がある。この点を旧社会党や、旧態依然とした労働組合の傾向と似ていると嗅ぎ取り、「右翼」は気に入らないのかもしれない。しかしこのようなことだけで朝日新聞だけを毛嫌いすることもなかろう。私から見れば「右翼」の朝日新聞嫌いは「お門違い」である。

 暴力行為は断じて許されないが、もし「右翼」がどこかのマスコミに非難を向けるとすれば、それはずばり「赤旗」であろう。そして究極的にはそれを愛読する一市民・一労働者が右翼の敵ということになろう。右翼が赤旗の主張を「論難」することによって初めて、まっとうな対立図式となると思う。朝日新聞は敵ではない。

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