麻生内閣誕生と公明党
自民党の麻生太郎氏が総理大臣に指名され、麻生内閣が誕生した。当然のことながら私は、企業献金と数々の利権によって支えられた自民党による内閣を支持しない。麻生内閣の面々がどのような構成になろうとも同じである。いわゆる「小泉改革」に代表される様々な規制緩和、利権拡大、社会保障の切捨て、労働法制の破壊等々を次々に行ってきた自民党に、期待することはない。新麻生内閣の面々も、マスメディアに取り上げられればなぜかフレッシュな趣を見せるが、当然彼らはこれまでの国民生活破壊に一票を投じてきた面々であり、許すことはできないのである(たとえ一児のママでも心は鬼だ)。麻生内閣が続くようなことがあれば、一般の国民生活はますます窮乏していくであろう。
衆議院の解散・総選挙は近いといわれている。政治力学は不思議なもので、自民党は現在衆議院で3分の2以上の議席を確保しているのであるから、たとえ参議院で否決されたとしても、自民党に都合のよい法案を今のうちに次々と成立させればよいのであろうが、そのような暴挙に出ることはないらしい。さすがに3代続けて民主的基盤の薄い内閣が続くと、国会運営がもたないのであろう。次の衆議院選挙で自民党が過半数の議席を取り(あるいは公明党の議席を加えて過半数を取り)、麻生内閣が続くとすれば、国民の多数は今の暮らしに満足しているということを意味する(あるいは自民党にだまされて自殺行為ををしているといえる)。まさかそのようなことはないと思うが、どうなるだろうか。
戦後の日本を振り返れば、55年体制以降、一時自民党が野党になった時期があったとはいえ、ほとんどの期間は自民党が政権の中枢にいた。戦後になって本格的な民主的ルールが確立して以降、自民党はいわば一党独裁でずっと政権にいるのである。あらためて考えてみれば、政権交代もない国家が本当に民主主義国家といえるのか疑問である。毎度選挙では火花を散らしているように見えても、実は日本は民主主義国家としては後進国なのではないだろうか。
やはり公明党は今後も自民党と連立を組み、麻生内閣を支えていくのだそうだ。自民党が財界に支えられ、財界の代弁者となって庶民の暮らしを犠牲にするのは、それはそれで理屈が通る。自らを支えてくれる(資金を提供してくれる)人のいうことを聞くのはもっともなことだからだ。しかし、公明党が今の極悪自民党政治の幇助をしていることは理解しがたい。私は創価学会の内情を詳しくは知らないが、公明党の支持母体は創価学会である。創価学会幹部の意向で公明党が動いているのは明白である。創価学会は宗教団体であるから、その信者は創価学会幹部の言うことを素直に聞く。そして選挙の際は創価学会幹部の言われるままに投票をする。一般信者は創価学会幹部と自民党にとって、まことに都合のよい存在(集票マシーン)である。創価学会員一人一人はごく普通の暮らしをしている庶民であろう。あるいは宗教に頼るくらいであるから、平均的な一般庶民の暮らしよりも貧しく、身近な不幸や苦しみを背負っていることが多いかもしれない。自民党と結託して国民の暮らしを破壊する公明党に依然投票し続けるくらいであるから、おそらく政治的な教養も低いと推測する。それでも公明党を支持し続けていれば暮らしがよくなるだろうと信じているのである。そんな信者の悲しき願いを受け止めもせず、創価学会幹部=公明党幹部はこれからも自民党と手を組んで財界に都合のよい政治を行っていくというのである。公明党とはなんという罪深い政党であろうか。宗教的にいえば地獄行きだ。ある創価学会員の孫娘は派遣社員で生活不安を抱えているかもしれない。ある創価学会員の息子はサービス残業で雑巾のようにこき使われているかもしれない。それでもせっせと「子や孫の生活がよくなりますように」「今生きているだけでもありがたい」と公明党に投票するのである。こんな悲惨な構図は許しがたい。
ドクターヘリ創設の自慢はもうとっくに聞き飽きたから、公明党は直ちに自民党と縁を切るべきである。
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衆議院の解散・総選挙は近いといわれている。政治力学は不思議なもので、自民党は現在衆議院で3分の2以上の議席を確保しているのであるから、たとえ参議院で否決されたとしても、自民党に都合のよい法案を今のうちに次々と成立させればよいのであろうが、そのような暴挙に出ることはないらしい。さすがに3代続けて民主的基盤の薄い内閣が続くと、国会運営がもたないのであろう。次の衆議院選挙で自民党が過半数の議席を取り(あるいは公明党の議席を加えて過半数を取り)、麻生内閣が続くとすれば、国民の多数は今の暮らしに満足しているということを意味する(あるいは自民党にだまされて自殺行為ををしているといえる)。まさかそのようなことはないと思うが、どうなるだろうか。
戦後の日本を振り返れば、55年体制以降、一時自民党が野党になった時期があったとはいえ、ほとんどの期間は自民党が政権の中枢にいた。戦後になって本格的な民主的ルールが確立して以降、自民党はいわば一党独裁でずっと政権にいるのである。あらためて考えてみれば、政権交代もない国家が本当に民主主義国家といえるのか疑問である。毎度選挙では火花を散らしているように見えても、実は日本は民主主義国家としては後進国なのではないだろうか。
やはり公明党は今後も自民党と連立を組み、麻生内閣を支えていくのだそうだ。自民党が財界に支えられ、財界の代弁者となって庶民の暮らしを犠牲にするのは、それはそれで理屈が通る。自らを支えてくれる(資金を提供してくれる)人のいうことを聞くのはもっともなことだからだ。しかし、公明党が今の極悪自民党政治の幇助をしていることは理解しがたい。私は創価学会の内情を詳しくは知らないが、公明党の支持母体は創価学会である。創価学会幹部の意向で公明党が動いているのは明白である。創価学会は宗教団体であるから、その信者は創価学会幹部の言うことを素直に聞く。そして選挙の際は創価学会幹部の言われるままに投票をする。一般信者は創価学会幹部と自民党にとって、まことに都合のよい存在(集票マシーン)である。創価学会員一人一人はごく普通の暮らしをしている庶民であろう。あるいは宗教に頼るくらいであるから、平均的な一般庶民の暮らしよりも貧しく、身近な不幸や苦しみを背負っていることが多いかもしれない。自民党と結託して国民の暮らしを破壊する公明党に依然投票し続けるくらいであるから、おそらく政治的な教養も低いと推測する。それでも公明党を支持し続けていれば暮らしがよくなるだろうと信じているのである。そんな信者の悲しき願いを受け止めもせず、創価学会幹部=公明党幹部はこれからも自民党と手を組んで財界に都合のよい政治を行っていくというのである。公明党とはなんという罪深い政党であろうか。宗教的にいえば地獄行きだ。ある創価学会員の孫娘は派遣社員で生活不安を抱えているかもしれない。ある創価学会員の息子はサービス残業で雑巾のようにこき使われているかもしれない。それでもせっせと「子や孫の生活がよくなりますように」「今生きているだけでもありがたい」と公明党に投票するのである。こんな悲惨な構図は許しがたい。
ドクターヘリ創設の自慢はもうとっくに聞き飽きたから、公明党は直ちに自民党と縁を切るべきである。
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環境問題とは何なのか
昨今のエコロジーブームに冷や水を浴びせた著作「偽善エコロジー」が売れ続けている。「なんか最近、エコ、エコとうるさい、息苦しい。とりあえず今の自分に関係ない」となんとなく思ってはいても、口に出すことができなかった人々の思いを代弁しているからかもしれない。この著作以外にも、二酸化炭素の排出量取引(京都メカニズム)に異論を唱えたり、地球温暖化はCO2が原因ではないとする説などもちらほら見聞きするようになった。私は科学者でもなければ、自前で自然を調査する技量も持ち合わせていないので、これらの議論のどれがいったい正しいのか判断することはできない。様々な意見に右往左往している。地球温暖化対策に関しては、科学的知見からの議論のほか、様々な政治的思惑も絡んでいるようであり、何が正しいのか分からないのである。ひとまず、地球温暖化対策に関して私の頭に入っている様々な議論を、整理してみたいと思う。
まず、地球温暖化は人類が排出した二酸化炭素が原因ではないとする意見がある。たしかに地球は温暖化しているが、それは太陽の活動などに比例しており、人類の出す二酸化炭素の影響力はないというものである(人為的温暖化否定説)。科学的(らしい)根拠も示されているが、この意見の中には、経済活動を規制されたくない大企業、そして財界の支援を受ける政治家の思惑も含まれている。しかし他方で、この人為的温暖化否定説は、温暖化を口実に環境税や税金による排出枠購入など、国民の暮らしを締め付ける政策には反対、という意見の論拠ともなろう。
次に、地球温暖化は人間のエネルギー消費によるものだとしても、温暖化の悪影響はほとんどないとする意見がある(温暖化無害説)。上記の人為的温暖化否定説からも、この意見は導かれ得る。北極や南極の氷が解けたところで大きな海面上昇はなく、また海水も土地も同時に温暖化で膨張するので、海面にほとんど影響しないという(南極の氷は温暖化でむしろ増えるのだとか)。わずかな海面上昇で海に沈む地域には土地造成などの手当てをすればよいのであり、その費用は京都メカニズムにかける金に比べればわずかなものだという。温暖化でマラリアなどの熱帯特有の病気が蔓延する根拠はなく、逆に温暖になれば農作物などの植付・耕作可能範囲も広がって都合がよいらしい。このような温暖化無害説もまた、経済界にとって都合がよい一方で、先に述べたとおり新たな国民負担増に反対する意見とも親和性があろう。
そして(第一番にもってくるべきかもしれないが)、地球温暖化は人間の莫大なエネルギー消費が原因であり、かつ温暖化による人類への悪影響は甚大だという意見がある。温暖化は海面を上昇させ陸地が少なくなり、生態系が壊れ、未知の病気が蔓延し、異常気象をもたらすというのである(温暖化有害説)。この見解が現在のところ国際的にも主流であり、IPCCの報告にもほぼ沿い、日本のマスコミでも当然のように扱われているようだ。いわゆる京都議定書(京都メカニズム)もこの認識を基にして形成された。この意見を支持する人々は多様である。以下に分類してみることにする。
第一に、二酸化炭素の排出量取引によって儲けようとしている集団がある。それは排出枠を売ることができる国自体のこともあれば、取引ビジネスに関わる金融・証券会社、商社である場合もある(日本においても同じ)。彼らは究極的には、環境税などの名目で徴収される新たな税金を我が物にしたいと狙っているのであろう。
第二に、国家戦略的見地から、他国に削減目標設定と排出枠購入という負担を課し、他国の経済成長を阻害することを狙っている国・集団がある。日本はこの点で、他の先進国から陥れられて無用な排出量削減義務を負わされているとする説もある。また、将来的に削減義務という切り札は、現在の途上国が経済発展しようとするのを抑制する手段となりうる。あるいは途上国は、先進国がエコ商品(エネルギー効率のよい機械など)を売りつけるおいしい市場でもある。
第三に、エコブームに乗じて儲けようとしている集団がある。今時は「エコ」と名を付ければ消費者の受けがよいので、環境に優しい「感じ」、ナチュラルな「感じ」を装って様々な商品が出回っている。トヨタが推奨する「エコ替え」もそのひとつである。エコは大きなビジネスチャンスなのである。もちろん商品を作って売るということは、それだけ原材料と加工のためのエネルギーが必要で、また買い替えた場合は廃棄物が出るのであるから、決して資源の節約にはならないことは明白である。
第四に、エネルギー政策の見地から、原子力発電を推進しようとしている集団がある。これは一部の政治家であったり、彼らを支援して原子力発電事業で儲けたい企業も含まれる。石油や石炭を燃やして電気を作ると膨大な二酸化炭素を排出することになるが、原子力の場合はクリーンだというのである。もちろん本当は二酸化炭素より放射能汚染のほうが断然恐ろしいのであるが…。原子力発電のほかに、太陽光発電事業を進めている企業もこの集団のひとつといえよう。
第五に、「エコ」精神で自己満足している集団がある。これは先に述べたような国家や企業ではなく、個々人である。地球温暖化は恐怖であると信じ、ゲリラ豪雨や新種インフルエンザの蔓延もすべて人類の排出しているCO2が原因であると思っている人々である。ロマンチスト系、ロハス系と名付けてもよいであろう。エコな商品に買い替えたり(資源の節約にはならない)、ごみを分別することに熱心である(分別しても結局燃やされたり埋め立てられたりするので再商品化率はきわめて低い)。上記第三の「エコで儲けようとしている集団」のお得意様である。もっとも、中には本当に自給自足にチャレンジするなどして資源を無駄に使わない主義の人々もいるので、これらの集団を単に嘲笑するのは誤りである。
第六に、反資本主義・反グローバリズムを掲げる集団がある。最近では社会主義、共産主義という言葉を表立って使っても支持を得られないので、社会主義者・共産主義者の看板を下ろし、アンチ資本主義・アンチグローバリズムを掛け声として活動しているようである。社会主義運動・共産主義運動の変態化といってもよい。資本主義の抱える矛盾は、環境破壊、それによる人類の危機の招来という点からも裏付けられると主張するのであろう。○○主義者、というと今時では聞こえは悪いが、私は決して偏見や蔑視の意味でこの語を使っているわけではない。また、社会主義者・共産主義者の中には、京都メカニズムなどでは生ぬるい、先進国の偽善=パフォーマンスだと批判する意見もあるようである。
…私の知る範囲では「温暖化有害説」は上記のように分類される。それぞれの思惑や利害・思想も動機もまったく異なるのに、温暖化防止=二酸化炭素排出削減という目標で結論的に一致してるのは興味深いところである。
さらに、地球温暖化は人類がもたらしたものであり、なおかつ温暖化が将来的に悪影響をもたらすことは承知していても、経済活動を停滞させるわけにはいかないので、削減目標は掲げられない、あるいは企業の自助努力に委ねようとする意見がある。京都議定書をめぐるアメリカの態度がこの意見の象徴であろう。日本の企業の本音もここにあるかもしれない。「われわれ日本企業は他国に先駆けて省エネルギーに取り組んできた。これ以上努力する余地は少ない」と。
最後に、「冷や水」系意見がある。地球温暖化に関する様々な論争自体に疑問を投げかける意見である。そのひとつは、そもそも石油などのエネルギー資源は数十年のうちに枯渇してしまうので、温暖化問題は自然に解消する、というものである。そのときのために、人類は石油に代わるエネルギー開発に真剣に取り組む必要があるとする(あるいはエネルギーを浪費しない社会を作る必要があるとする)。そしてもうひとつは、温暖化問題はいわゆる「環境問題」の中でも下位に位置付けられるべきものであり、総合的な人類の環境問題として、貧困・飢え・病気・戦争といった現前の課題に取り組むことが先決だ、とするものである。
以上のように、地球温暖化をめぐっては様々な立場から様々な意見が乱立しており、複雑な状況になっている。もっとも、様々な意見が出るのは喜ばしいことである。ひとつの見解だけで世の中が動いてしまうほうが危険だからだ。私がこれらの様々な見解を、一般市民の目からまとめてみれば、次のようになる。
「人類の排出する二酸化炭素が温暖化の原因で、かつ温暖化が悪影響をもたらすかどうか、私には分からない。ただし、気温上昇の予測からみれば、それほど大きな害はないように思われる。かといって、限りある地球資源を浪費してよいわけではない。企業活動は省エネの見地から監視すべきであるし(そのためには国際的協調も必要)、個人の生活においても、長持ちする製品を大事に長く使い、資源を節約する必要があろう。環境を口実にした国民負担増には反対である。環境税が排出枠購入に使われるのは反対である。排出枠購入は企業に負担させるか、そうでなければ京都メカニズムから脱退すべきである。環境問題は、温暖化が全てではない。温暖化防止のために莫大なエネルギーと労力を投じるのは無意味である。世界には貧困・飢え・病気・戦争といった様々な「環境問題」がある。目の前で多くの子どもが病気などで命を落としているときに、いつ悪影響が出るか分からない温暖化を論じていても無価値である。私は地球温暖化のみを取り上げて騒ぐ政治家・企業その他集団を信用しない」…いかがだろうか。
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まず、地球温暖化は人類が排出した二酸化炭素が原因ではないとする意見がある。たしかに地球は温暖化しているが、それは太陽の活動などに比例しており、人類の出す二酸化炭素の影響力はないというものである(人為的温暖化否定説)。科学的(らしい)根拠も示されているが、この意見の中には、経済活動を規制されたくない大企業、そして財界の支援を受ける政治家の思惑も含まれている。しかし他方で、この人為的温暖化否定説は、温暖化を口実に環境税や税金による排出枠購入など、国民の暮らしを締め付ける政策には反対、という意見の論拠ともなろう。
次に、地球温暖化は人間のエネルギー消費によるものだとしても、温暖化の悪影響はほとんどないとする意見がある(温暖化無害説)。上記の人為的温暖化否定説からも、この意見は導かれ得る。北極や南極の氷が解けたところで大きな海面上昇はなく、また海水も土地も同時に温暖化で膨張するので、海面にほとんど影響しないという(南極の氷は温暖化でむしろ増えるのだとか)。わずかな海面上昇で海に沈む地域には土地造成などの手当てをすればよいのであり、その費用は京都メカニズムにかける金に比べればわずかなものだという。温暖化でマラリアなどの熱帯特有の病気が蔓延する根拠はなく、逆に温暖になれば農作物などの植付・耕作可能範囲も広がって都合がよいらしい。このような温暖化無害説もまた、経済界にとって都合がよい一方で、先に述べたとおり新たな国民負担増に反対する意見とも親和性があろう。
そして(第一番にもってくるべきかもしれないが)、地球温暖化は人間の莫大なエネルギー消費が原因であり、かつ温暖化による人類への悪影響は甚大だという意見がある。温暖化は海面を上昇させ陸地が少なくなり、生態系が壊れ、未知の病気が蔓延し、異常気象をもたらすというのである(温暖化有害説)。この見解が現在のところ国際的にも主流であり、IPCCの報告にもほぼ沿い、日本のマスコミでも当然のように扱われているようだ。いわゆる京都議定書(京都メカニズム)もこの認識を基にして形成された。この意見を支持する人々は多様である。以下に分類してみることにする。
第一に、二酸化炭素の排出量取引によって儲けようとしている集団がある。それは排出枠を売ることができる国自体のこともあれば、取引ビジネスに関わる金融・証券会社、商社である場合もある(日本においても同じ)。彼らは究極的には、環境税などの名目で徴収される新たな税金を我が物にしたいと狙っているのであろう。
第二に、国家戦略的見地から、他国に削減目標設定と排出枠購入という負担を課し、他国の経済成長を阻害することを狙っている国・集団がある。日本はこの点で、他の先進国から陥れられて無用な排出量削減義務を負わされているとする説もある。また、将来的に削減義務という切り札は、現在の途上国が経済発展しようとするのを抑制する手段となりうる。あるいは途上国は、先進国がエコ商品(エネルギー効率のよい機械など)を売りつけるおいしい市場でもある。
第三に、エコブームに乗じて儲けようとしている集団がある。今時は「エコ」と名を付ければ消費者の受けがよいので、環境に優しい「感じ」、ナチュラルな「感じ」を装って様々な商品が出回っている。トヨタが推奨する「エコ替え」もそのひとつである。エコは大きなビジネスチャンスなのである。もちろん商品を作って売るということは、それだけ原材料と加工のためのエネルギーが必要で、また買い替えた場合は廃棄物が出るのであるから、決して資源の節約にはならないことは明白である。
第四に、エネルギー政策の見地から、原子力発電を推進しようとしている集団がある。これは一部の政治家であったり、彼らを支援して原子力発電事業で儲けたい企業も含まれる。石油や石炭を燃やして電気を作ると膨大な二酸化炭素を排出することになるが、原子力の場合はクリーンだというのである。もちろん本当は二酸化炭素より放射能汚染のほうが断然恐ろしいのであるが…。原子力発電のほかに、太陽光発電事業を進めている企業もこの集団のひとつといえよう。
第五に、「エコ」精神で自己満足している集団がある。これは先に述べたような国家や企業ではなく、個々人である。地球温暖化は恐怖であると信じ、ゲリラ豪雨や新種インフルエンザの蔓延もすべて人類の排出しているCO2が原因であると思っている人々である。ロマンチスト系、ロハス系と名付けてもよいであろう。エコな商品に買い替えたり(資源の節約にはならない)、ごみを分別することに熱心である(分別しても結局燃やされたり埋め立てられたりするので再商品化率はきわめて低い)。上記第三の「エコで儲けようとしている集団」のお得意様である。もっとも、中には本当に自給自足にチャレンジするなどして資源を無駄に使わない主義の人々もいるので、これらの集団を単に嘲笑するのは誤りである。
第六に、反資本主義・反グローバリズムを掲げる集団がある。最近では社会主義、共産主義という言葉を表立って使っても支持を得られないので、社会主義者・共産主義者の看板を下ろし、アンチ資本主義・アンチグローバリズムを掛け声として活動しているようである。社会主義運動・共産主義運動の変態化といってもよい。資本主義の抱える矛盾は、環境破壊、それによる人類の危機の招来という点からも裏付けられると主張するのであろう。○○主義者、というと今時では聞こえは悪いが、私は決して偏見や蔑視の意味でこの語を使っているわけではない。また、社会主義者・共産主義者の中には、京都メカニズムなどでは生ぬるい、先進国の偽善=パフォーマンスだと批判する意見もあるようである。
…私の知る範囲では「温暖化有害説」は上記のように分類される。それぞれの思惑や利害・思想も動機もまったく異なるのに、温暖化防止=二酸化炭素排出削減という目標で結論的に一致してるのは興味深いところである。
さらに、地球温暖化は人類がもたらしたものであり、なおかつ温暖化が将来的に悪影響をもたらすことは承知していても、経済活動を停滞させるわけにはいかないので、削減目標は掲げられない、あるいは企業の自助努力に委ねようとする意見がある。京都議定書をめぐるアメリカの態度がこの意見の象徴であろう。日本の企業の本音もここにあるかもしれない。「われわれ日本企業は他国に先駆けて省エネルギーに取り組んできた。これ以上努力する余地は少ない」と。
最後に、「冷や水」系意見がある。地球温暖化に関する様々な論争自体に疑問を投げかける意見である。そのひとつは、そもそも石油などのエネルギー資源は数十年のうちに枯渇してしまうので、温暖化問題は自然に解消する、というものである。そのときのために、人類は石油に代わるエネルギー開発に真剣に取り組む必要があるとする(あるいはエネルギーを浪費しない社会を作る必要があるとする)。そしてもうひとつは、温暖化問題はいわゆる「環境問題」の中でも下位に位置付けられるべきものであり、総合的な人類の環境問題として、貧困・飢え・病気・戦争といった現前の課題に取り組むことが先決だ、とするものである。
以上のように、地球温暖化をめぐっては様々な立場から様々な意見が乱立しており、複雑な状況になっている。もっとも、様々な意見が出るのは喜ばしいことである。ひとつの見解だけで世の中が動いてしまうほうが危険だからだ。私がこれらの様々な見解を、一般市民の目からまとめてみれば、次のようになる。
「人類の排出する二酸化炭素が温暖化の原因で、かつ温暖化が悪影響をもたらすかどうか、私には分からない。ただし、気温上昇の予測からみれば、それほど大きな害はないように思われる。かといって、限りある地球資源を浪費してよいわけではない。企業活動は省エネの見地から監視すべきであるし(そのためには国際的協調も必要)、個人の生活においても、長持ちする製品を大事に長く使い、資源を節約する必要があろう。環境を口実にした国民負担増には反対である。環境税が排出枠購入に使われるのは反対である。排出枠購入は企業に負担させるか、そうでなければ京都メカニズムから脱退すべきである。環境問題は、温暖化が全てではない。温暖化防止のために莫大なエネルギーと労力を投じるのは無意味である。世界には貧困・飢え・病気・戦争といった様々な「環境問題」がある。目の前で多くの子どもが病気などで命を落としているときに、いつ悪影響が出るか分からない温暖化を論じていても無価値である。私は地球温暖化のみを取り上げて騒ぐ政治家・企業その他集団を信用しない」…いかがだろうか。
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学校で教えるべきこと
世論調査によれば、辞任表明した福田首相の後任として、麻生太郎氏がもっとも人気が高いのだそうである。ついで小沢一郎、小泉純一郎と続く。あまりにも有権者の現状認識が甘いことに驚く。昨日私は「福田首相を辞任に追い込んだのは庶民の怒りだ」と書いてしまったが、はたして本当にそうだったのか心許なくなった。それとも世論調査を受けたのは昼下がりに犬を連れておしゃれなカフェでくつろぐ専業主婦ばかりだったのだろうか? それならばわかる。今の政治の中で裕福に暮らしているのであれば、自民党(+公明党)政治を支持するのは当然だろう。しかし本当はそうでないはずだ。自民党による90年代以降の規制緩和と国民負担増と福祉削減の中で、厳しい暮らし向きの人でさえも「麻生さんがいい」と答えている可能性がある。そしてその理由はいつもあいまいな「人柄がよい」「実行力がある」である。お隣さんの人柄も分からない昨今、どうして見ず知らずの政治家の人柄があなたに分かるのか? あなたのほめる「実行力」というのは、あなたの生活を破壊する「実行力」ですよ!と厳しく追及したいところだが、庶民を責めてみてもしかたがないので控えることにする。
貧乏な人でもなぜ自分の生活を苦しめる今の政治を支持し続けるのか? それは大きな謎であるが、私が思うには、学校教育がしっかりしていないからである。小学校・中学校・高校の課程で、国語や算数などの基礎科目のほかに、現代社会のしくみをもっと詳しく教える時間があってしかるべきである。憲法の原則や三権分立などは今でも教えられているのであろうが、抽象的なことだけでなく、もっと身近なことを教えるべきなのだ。消費者の立場からは、より安心・安全なものを賢く選択できるよう、表示義務等の決まりなどを教えるべきである。銀行・証券会社・消費者金融等の商売方法を示し、世の中のお金がどのように回っているかを教えるべきである(当然、業界が学校に宣伝目的でやってくるのはダメだ)。医療・年金・保険・税金・教育といった身近なことも、実は毎年1月に召集される国会に法案が提出され、その成立した法律と行政機関の執行によって具体的に動いている…すなわち、政治(=投票行動)と暮らしが直接に結びついていることについて、リアルに示して教えるべきである。社会に出て働く直前の人には、労働三権を教えるのはもちろんのこと、雇用形態にどのようなものがあり、労働法でどのように保護されているのか教えるべきであるし、税金や保険料、年金等が差し引かれている給与明細は、いわば社会の縮図であるから、その見方(算定根拠など)を教えるべきである。さらには、民事・刑事を問わず自分の権利が侵害されたとき、具体的にどのような解決手段があるのかも教えるべきである(「裁判所がある」と伝えるだけではダメで、行政の相談窓口や、簡易な訴訟手続、裁判外の紛争解決手続、それらの費用の実情も一緒に教える)。このような教育によって、より政治が身近になり、有権者として誰に投票すべきか賢い選択ができるようになるだろう。このような教育は、決して教育基本法の禁ずる「政治教育」に当たることはない。
自民党をはじめとする今の政治家は有権者が利口になっては困るだろう。有権者が真剣に自らの利益を求めるようになれば、今の政権が倒される恐れがあるからである。「日の丸」「君が代」といった抽象的シンボルに服従を誓わせ、厳しい暮らしを耐え忍ぶ力をつけてほしいと願っているだろう(「愛国心」に名を借りて)。しかしそれは決して社会全体の進展にはつながらない。国民全体を「利口」にしてこそ、豊かな人材が生まれ、将来の発展の基礎ができるのである。
もちろん教育だけではない。今の新聞・テレビ等マスコミの政治の取り上げ方には問題がある。当然彼らは商売でやっているし、面白おかしく取り上げる表現の自由ももっているのだが、それにしてもひどいことがある。そのひどさが原因で有権者の選択肢の幅が狭まってしまうのである。例えば今の時期でいえば、自民党総裁選の行方をこれほど大きく取り上げる必要はない。たとえ次期首相につながるとはいえ、今の段階はあくまで自民党内の派閥抗争の時期である。それをあたかも日本全体の選択肢のように取り上げてはいけない。自民党内で抗争をしているようにはみえても、それは単に利権争いであり、結局は同じ政策のもとで動く集団なのであるから、決して日本の一大事でもなんでもないのである(それにしてもいつの間に「派閥」の呼称が復活したのか?)。本当に政策の違いがあるのであれば、そもそも同じ党にいることがおかしいではないか。またマスコミは、国会の会期中であれば、どのような法律をどの政党が賛成して成立させるつもりか、また野党提出の対案はどのようなものか、どんな対立点があるのか、きちんと示さなければならない。新聞倫理綱領などで「民主主義のため」「公共的使命」をうたうのであれば、有権者に正しい選択肢を提供すべきであろう。
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貧乏な人でもなぜ自分の生活を苦しめる今の政治を支持し続けるのか? それは大きな謎であるが、私が思うには、学校教育がしっかりしていないからである。小学校・中学校・高校の課程で、国語や算数などの基礎科目のほかに、現代社会のしくみをもっと詳しく教える時間があってしかるべきである。憲法の原則や三権分立などは今でも教えられているのであろうが、抽象的なことだけでなく、もっと身近なことを教えるべきなのだ。消費者の立場からは、より安心・安全なものを賢く選択できるよう、表示義務等の決まりなどを教えるべきである。銀行・証券会社・消費者金融等の商売方法を示し、世の中のお金がどのように回っているかを教えるべきである(当然、業界が学校に宣伝目的でやってくるのはダメだ)。医療・年金・保険・税金・教育といった身近なことも、実は毎年1月に召集される国会に法案が提出され、その成立した法律と行政機関の執行によって具体的に動いている…すなわち、政治(=投票行動)と暮らしが直接に結びついていることについて、リアルに示して教えるべきである。社会に出て働く直前の人には、労働三権を教えるのはもちろんのこと、雇用形態にどのようなものがあり、労働法でどのように保護されているのか教えるべきであるし、税金や保険料、年金等が差し引かれている給与明細は、いわば社会の縮図であるから、その見方(算定根拠など)を教えるべきである。さらには、民事・刑事を問わず自分の権利が侵害されたとき、具体的にどのような解決手段があるのかも教えるべきである(「裁判所がある」と伝えるだけではダメで、行政の相談窓口や、簡易な訴訟手続、裁判外の紛争解決手続、それらの費用の実情も一緒に教える)。このような教育によって、より政治が身近になり、有権者として誰に投票すべきか賢い選択ができるようになるだろう。このような教育は、決して教育基本法の禁ずる「政治教育」に当たることはない。
自民党をはじめとする今の政治家は有権者が利口になっては困るだろう。有権者が真剣に自らの利益を求めるようになれば、今の政権が倒される恐れがあるからである。「日の丸」「君が代」といった抽象的シンボルに服従を誓わせ、厳しい暮らしを耐え忍ぶ力をつけてほしいと願っているだろう(「愛国心」に名を借りて)。しかしそれは決して社会全体の進展にはつながらない。国民全体を「利口」にしてこそ、豊かな人材が生まれ、将来の発展の基礎ができるのである。
もちろん教育だけではない。今の新聞・テレビ等マスコミの政治の取り上げ方には問題がある。当然彼らは商売でやっているし、面白おかしく取り上げる表現の自由ももっているのだが、それにしてもひどいことがある。そのひどさが原因で有権者の選択肢の幅が狭まってしまうのである。例えば今の時期でいえば、自民党総裁選の行方をこれほど大きく取り上げる必要はない。たとえ次期首相につながるとはいえ、今の段階はあくまで自民党内の派閥抗争の時期である。それをあたかも日本全体の選択肢のように取り上げてはいけない。自民党内で抗争をしているようにはみえても、それは単に利権争いであり、結局は同じ政策のもとで動く集団なのであるから、決して日本の一大事でもなんでもないのである(それにしてもいつの間に「派閥」の呼称が復活したのか?)。本当に政策の違いがあるのであれば、そもそも同じ党にいることがおかしいではないか。またマスコミは、国会の会期中であれば、どのような法律をどの政党が賛成して成立させるつもりか、また野党提出の対案はどのようなものか、どんな対立点があるのか、きちんと示さなければならない。新聞倫理綱領などで「民主主義のため」「公共的使命」をうたうのであれば、有権者に正しい選択肢を提供すべきであろう。
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