3年越しの気配あり | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

れいわしておめでとうございます。

 

元号またぎで熊本に帰省しまして、全くその気はなく偶然なのですが、元号変わり早々の初詣(に、なるのかな?)に行ってまいりました。

 

まずは、以前も紹介したことのある山崎菅原神社へ。

 

今回は、献血を164回(恐らく記録を絶賛更新中)した宮司さんはおらず、「くじを引くんだったらまずお参りをしてください」と半分お怒りモードだった巫女さん(多いんでしょうね・・・)にヒンッ!となりながらお参りをした後に、イチハラヒロコ恋みくじリベンジをしたところ・・・

 

 

ひえええええええ!?!?!?

 

な、なんという恋の予感!?

 

ちなみにこちらが前回引いた恋みくじの結果(2016年)。

image

いい具合に話が繋がっておる・・・

 

王子・・・知らないけどね・・・

 

どうしようね・・・・・・

 

王子来訪の一報は全く受けてないんだけど、知らないうちに王子にはもう出会ってたりするのかな・・・

 

この3年のうちに王子来てたっぽいので、全国津々浦々誰が王子か探してみることにします。

 

 

 

また、たまたま熊本駅の近くを歩いたので、おてもやんの記事でも若干触れた北岡神社にも行ってきました。

 

 

おてもやんも慣れ親しんだであろう北岡神社(ご近所さんだからね)は、承平4(934)年の創立で、八坂神社の分霊を勧請した祇園社です。なので、この近所に架かる橋を「祇園橋」といい、京都の祇園祭同様祇園祭が毎年8月に開催されます。近くには熊本市電の「祇園橋」電停があります。

 

一時は八坂神社本社に次いで日本では第二、西海道(九州)一の祇園社と天皇から認められたほどでもありましたが、我らが淳次郎のご先祖様である佐々 成政の手によって廃絶され(そういうとこだぞ佐々 成政!)、その後熊本に入国した加藤 清正によって不死鳥の如く再興されました。以後は細川氏の庇護を受けながら明治維新までを平穏に過ごし、神仏分離の流れを受けて、明治5年に「北岡神社」という名前になりました。

おてもやんの記事でも若干触れましたが、西南戦争では熊本城を見下ろすことができる高台であったため薩軍が本陣を置いており、現在は西南戦争の石碑があります(今回、写真は撮らず)。

 

 

地元では縁結びの神社ということで有名で、夫婦楠と呼ばれる樹齢約1000年の一対の楠があります。

注連縄で結ばれた左側の木を雌楠(めぐす)、右側の木を雄楠(おぐす)といい、この木々の下を男女異なるルートで回ると良縁に恵まれるという良縁まいりという作法があります。雌楠の方が雄楠よりも4mばかし大きいのですが、熊本はクスノキもかかあ天下なのかと思うと笑えてしまいました(笑)

 

楼門。

 

本殿。奉祝の天皇陛下御即位Ver.は貴重かも。

 

末社の稲荷神社。造りがかわいい。

 

 

と、いうことで、遂に迎えましたね、令和。

2019年度は4月が平成31年、5~12月が令和元年、1~3月が令和2年ということで、この年の4月生まれには昭和63年、昭和64年、平成元年生まれのような元号の悲劇が再来するのですね・・・元号が前のものだと年寄りといじられるみたいな(笑)

平成31年4月生まれのみんな、少数派という希少性を武器に、強く生きようね!(爆)