働く女性専門~職場で部下・同僚・後輩とストレスフリーな協力体制を作る人間関係サポート -47ページ目

旧約聖書のモーセの十戒に「あなたは盗んではならない(第8戒)」と言うのがあります。

中世の宗教改革者カルヴァンは「権力あるものが弱い者を圧迫する。賢い者が無思慮な者を誘惑する」と解釈しました。法人には合法を装った搾取的な労働環境もあろうかと思います。

そんな時、組合などの活動から真っ向勝負に挑む選択もあるでしょうが、カルヴァンの解釈は「争いからは身を引き、自分の物を守るために忠実に働く」としています。

ここで、『自衛』と言う言葉が浮かびました。争わず、保全に努める方法です。それは何も現在勤める会社の仕事に留まらない。自分のやりたいこと、特技を活かしたもう一つの仕事(起業)を始めるのも一つの方法だと思います。


会社の規定で「副業をしてはならない」と定めている起業は多いですね。でもプライベートまでの拘束は誰であってもしてはならない事です。もし法律で争ったら企業側が負けるでしょう。

「副業は駄目なんだ」という 雇用意識からは脱却しても良いと思うのです。

オバマ氏が大統領になってからのアメリカは核の軍縮に積極的だ。


オバマ大統領の核軍縮に関するスピーチを聞いていたとき、日本に投下した二個の原爆への反省が込められていると感じた(諸事情により謝罪はできないのだろう)。


この政策はオバマ大統領個人の考えに留まらず、アメリカ国民も賛成の方向であるから掲げられているのだと思う。


そうだとすれば、戦後60年、心の片隅であれ「申し訳ないことをした、やり過ぎた」と言う念を抱えてきたアメリカの加害に対する記憶・回顧は凄い。


パールハーバーや満州国立国など、継承をあまり重視していない日本は見習った方が良いと思う。

水に流す文化の影響だろうか?


だが、相手のこと想う年月が長いのはそれだけ感情が深く、豊かな証拠だ。これを愛と呼ぶべきか?


日本は死んだおじいちゃん、おばあちゃんが守ってくれるという先祖宗教です(そうでない人もいると思いますが)。

対して、アメリカ人の死人に対する思いは日本に比べてドライです。
アメリカでは肉親が死んだ場合、葬儀は葬儀場で行われ、来会者も参列しますが、他人を招くことにはあまり気配りせず、基本的には家族葬です。

人は死んだらどうなるのか?キリスト教では天国へ行くか地獄に行くかどっちかです。天国とこの世の間行き来することはありえないと考えます。

それはどうしてか?

アメリカ人は聖書の神が地球を、人類を創造し、これらを今も保っている考えておりまして、この聖書の神が将来の自分達の命の営みも全てお膳立てしてくれ、導いてくれるという信仰が根底にあるからなのです。

ですから、死んだ後、死者が遺族を守ってくれるという信仰はないのです。

日本人は無宗教の人が多いと言われることがあります。

年に一度だけ祈祷する習慣が無い外国から見ると、初詣などのお参りなどは、外国からは奇異に写るようです。

では信仰も無いのかと言いますとそうではありません。

●新約聖書 ヘブライ人への手紙11章1節には「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」とあります。

これは人類全てに当てはまります。「見えない事実を確認」とは、例えば、「今日、家に帰ったら、母(または妻)によって晩御飯が作られている」これも信仰です。誰も特別な理由が無い限り、家が爆発して無くなっているだろうと思ってはいません。

私達の生活は見えない事柄を信じ、そして直に見て確認する事の繰り返しです。人は皆、何らかの信仰者であると言えます。

一方、宗教は一つの事柄に対し、複数の人が集まって、儀式や礼拝を行うことで宗教になると思います。ですから何の儀式にも参加しない人はいるでしょう。

てな訳で、無宗教なる人は居ても、無信仰の人は存在のです。
ユダヤ教は聖書の旧約聖書の部分のみを認めている宗教です。
イエス・キリストを救い主と認めないので新約聖書も認めません。
救い主はこれから地上に来られると信じています。

ユダヤ教はさらにタルムードという教典を重要とします。書いたのはユダヤ教の学者・研究者です。これには日常の生活で「こういうときにはこうする」、「こういうときはこう」と事細かく書かれてあります。例えば安息日(土曜日)に物を隣の部屋までの距離で動かしてはならない。など。

一方、イスラム教も旧約聖書を信じています。そして救い主はマホメットという人物です。このマホメットという人がある日「神の声を聞いた!」と言い出し、イスラム教が始まりました。

キリスト教はイエス・キリストが救い主。

この3大宗教の違いは救い主で分かれているのが一番の特徴です。