働く女性専門~職場で部下・同僚・後輩とストレスフリーな協力体制を作る人間関係サポート -48ページ目
私は以前、知人より「聖書はちっとも意味がわからない」と、言われたことがあります。私も難しいと感じる箇所があります。

今回は新約聖書の一箇所をさらに噛み砕いて説明します。

マタイによる福音書5章3節
「心の貧しい人々は幸いである」と、今日本で一番普及している新共同訳聖書は翻訳されています。こちらの方はより原語に近く翻訳しましたが「貧しい」意味がわかりにくくなってます。

カトリック教会が翻訳したフランシスコ会訳では「自分の貧しさを知る者」、そして共同訳聖書では「ただ神によりたのむ人」と翻訳しました。

この三つの翻訳を読み比べますと、「貧しい人」とは自分の力を過信しない人と理解されます。そして「幸い」とは、神にあらゆる望みを抱き、全てを神の計らいに委ねるという意味です。

いかがでしょうか?
聖書の日本語翻訳はたくさんありますが、直訳はありません、全て意訳です。つまり、意味がわかりやすいように解釈を含めて翻訳されているということです。

それでもやっぱりわかりにくいですけどね。



新約聖書にイエス・キリストが登場していることは知られています。
しかし、新約聖書の中にはイエス・キリスト自身が書いた文章は一文字もありません。新約聖書は全てキリストの弟子達によって書かれました。

何でか?
新約聖書の使徒言行録1章9節には、十字架刑の死から復活したイエス・キリストが天に昇る様子が書かれています。
弟子達はすぐまたイエス様が天から帰って来られると思っていたんですね(使徒1:11)。

けど、待てど暮らせどイエス様は全然来ない。10年、20年、30年経つうちに弟子達は年を取ってどんどん死んでゆきます。「このままではイエス様の生き証人がいなくなってしまう!」。焦った弟子達はイエス様が語られた言葉を思い出しながら書き残すことを始めました。これが新約聖書の最初の4書、福音書の始まりです。

☆このブログは聖書の内容や背景を分かりやすく書くことを目的としています。私は聖書は崇高な内容であると思いますが、書かれた当時の状況や著者は非常に私達と同じ人間くさいなぁと思っています。敷居の高い書物ではなく、身近な書物をとして聖書を紹介することを目標としています。