梅雨明けはいつ頃でしょうかねえ・・・(^_^;)

秋葉原は、今日も霧雨がかなり降っています(TOT)

さて・・・そんな、どんよりの中、また、うだうだと・・・


私の人生は、
かなりぐちゃぐちゃです。

私は学生の時に、
受験の常識から逃げ出し・・・

大人になってからも、
社会人の常識を拒否し・・・

経営者になってからは
仕事の常識を否定し続けてきました。

社会の常識を疑うこと。

鵜呑みにしないこと。

それは・・・

私が私であるために、
どうしても必要なことでした。

その結果、
私は拠り所を無くしてしまいました。

私は・・・

陸地に住むことができない人間なのです。

その陸地の常識やルールが、必ず面倒になる。

ちょっとした矛盾や妥協を見過ごすことが出来ない。

良く言うならば、自分を欺けない人間。

悪く言うならば、我慢の出来ない人間。

きっと・・・

それが私なのです。


人間というのは・・・

そもそも、
その内側に矛盾を抱えて生きています。

「善と悪」

「勤勉と怠惰」

「怒りと優しさ」

「優越感と劣等感」

「肯定と否定」

矛盾する思考や感情を受け入れ・・・妥協し・・・忘れる。

目の前にあるけれども見えない。

音はするけど聞こえない。

そういう・・・

「無かったことにしよう」

・・・という緩衝剤なしに・・・

人間同士は、
集まることが出来ないのです。

人間は、集まるからこそ、価値があります。

頭脳の集合体こそが、
人間の力の源泉なのです。

でも・・・

完全に思考を一致させることなど出来ません。

だから・・・

妥協することや、
無かったことにすることは、とても重要なのです。

でも・・・

私にはそれができない。

ある意味・・・社会不適合者なのです。


私は、
自分の言行不一致は我慢できます。

心は傷つきますが、
仕方がないと妥協できるのです。

人間だもの。

仕方ないよ・・・と。

でも・・・

私は、
自分の中の思考の不一致は、我慢できない。

この思考と、この思考とは、矛盾する。

そういう時に妥協できない。

自分なりの結論を出さないと、
気が済まないのです。


皆にとっては、どうでもいいこと。

明確にする必要の無いこと。

いや・・・

明確にしては、いけないこと。

そういう物を、
明確にせずにはおけない人間なのです。

だから・・・

集団生活には、向きません。

私がいることによって、和が乱れるし・・・

私の心も乱れて行くのです。


だから・・・

今いる陸地から、
また離れないといけなくなります。

船に乗って陸地から離れ、
海にプカプカと浮かぶのです。

難破船には、ならないように・・・

静かな海を見つけて、そこに碇を下ろす。

どこの陸地にも船を寄せず、
一人で海の真ん中に自分の船の居場所をつくるのです。

でも・・・

もちろん長続きはしません。

寂しくなるし・・・

自信も無くなります。

所詮・・・

自分一人の碇など、
人生をつなぎ止めるほどの重しにはならないのです。

だから・・・

私の人生は、
ぐちゃぐちゃのふわふわです。

矛盾した思考を受け入れる事なしに・・・

常識という名の、
非常識なルールを受け入れる事なしに・・・

人は・・・生きていくことは、できないのです。

でも・・・

今は・・・

もう少し・・・

波間に漂ってみようかなと、思います。

ぐちゃぐちゃのふわふわな船に乗って・・・

目的の無い船旅を続けてみようと。

どこに行き着くのか・・・

どこにも行き着かないのか・・・

それは、
まだわかりませんけど。




秋葉原・・・今日は結構な雨が降っている。

ブログを書くことは仕事だろうか・・・(・_・;)
サボりだろうか・・・^_^;

そんなこんなで、固め打ちです(^_^;)


一生懸命に働くという事の意味は、
全力を尽くすということである。

では・・・

全力を尽くすというのは、どういう状況なのか。

手を抜かないこと。

サボらないこと。

では・・・

手を抜くというのは、どういう状態か。

サボるというのはどうか。


例えば・・・

150キロを超えるストレートを、
投げることの出来るピッチャーが・・・

緩い球を投げるのは手抜きだろうか。

仕事の合間に休憩を取ることは、
サボっていることと同義だろうか。

正直・・・

そこらへんが、
曖昧なまま生きている人は多いと思う。

それは、
学校教育においても家庭においても・・・

その重要なことを
教えられないまま大人になっているからだろう。

先生の授業に集中しないことや・・・

宿題をやらないこと・・・

学問の点数にこだわらないこと・・・

・・・などは

すべて手抜きで、
サボっているという定義に当てはめられる。

だが・・・

果たして、
世の中はそんなに単純なのだろうか。

授業に集中し・・・

宿題を忘れずに提出し・・・

テストで良い点数を取ろうと努力すること。


それが、
優秀な生徒の定義なのだろうか。

一生懸命に努力して70点を取る生徒と・・・

適当に手抜きをしながら100点を取る生徒の評価は・・・

・・・どちらが上なのか。

考えるまでもなく後者だ。

受験の合否は、
努力ではなく結果で評価される。

しかも、たった一回の試験の結果で。



私は努力することや・・・

一生懸命に働くこと・・・が、

無駄なのだと言っているわけではない。

ただ、やみくもに努力したり・・・

盲目的に頑張るのは
非常にもったいないことなのだと言いたい。

手抜きで100点を取るような生徒は
必ずどこかでしっぺ返しを食らう。

一生懸命に努力し続けた人は、きっとどこかで報われる。

それは本当だろうか。

いったい、どのような根拠があって、
そんなことを断言できるのだろうか。

そもそも・・・努力とは何か。

成果を出すために、
何かを鍛錬し続けることだろうか。

では・・・

成果に結びつかなかった鍛錬は、
努力とは言わないのだろうか。

それとも・・・

成果に関係なくとも
何かを鍛錬し続けることが努力なのだろうか。

なぜ、結果が出ないのか・・・

そんなことを考えている暇があったら鍛錬をする。

考えるよりも先に体を動かす。

立ち止まることはサボることだ。

そのように、
インプットされて生きている人が、
なんと多いことだろう。

「努力」や「一生懸命」の定義を考えないまま努力することなど・・・

・・・出来るはずがないと、私は思う。

「あなたのようにはなりたくない」

そう感じている先生の話を聞き続けられることが・・・

一生懸命に学習するということなのだろうか。


創業15年以上も経ち、
最近は土日休ませて貰っている。

少年団のチビ達を指導するのは、仕事より疲れるが・・・(^_^;)

毎日18時には、会社を出て酒を飲む。

でも・・・ぜんぜん構わない。

なぜならば・・・

私は、一生懸命に生きているという自信があるからだ。


私にとって、一生懸命に生きるというのは・・・

「後悔なく生きる」

・・・ということである。


つまり、言い換えれば・・・

「やりたいことはやるし、やりたくないことはやらない」

・・・ということ。


もちろん、その定義は人によって全然違う。


重要なのは・・・


定義があるのか・・・


それとも、
無いまま生きているのかだ。

一生懸命に生きるとはどういうことか。


全ては、その問いから始まる。


私にとって、一生懸命生きるとは●●なこと。

それが定義できたら、全ての基準は明確になる。

では、私は何のために勉強するのか。

何のために働くのか。

何が努力するということで・・・

何がサボるということなのか。


緩い球を投げたっていい。

打たれないようにすることが努力なのだ。

休憩したっていい。

納期までに、
素晴らしい企画を考えつくことが努力なのだ。

正しい結果は、
正しい努力の上にしか舞い降りては来ない。

そして・・・

正しい努力が何なのかは・・・

結局・・・

自分の人生の定義によって、変わってしまうのである。




気がつけば・・・2ヶ月もサボってしまいました^_^;

反省・・・(・_・;) 結構な雨なので、出かけるのが億劫。

なので、久々の更新を(^_^;)

さて・・・


ビジネスの世界は
「好き嫌い<損得」で語られることが多い。

好きなことだけやっていたのでは稼げない。

嫌いなことをやるから高い収入が得られる。

利益に結びつくのであれば、
嫌なことでも我慢しなくてはならない。

人が嫌がることを
率先してやるのがいいビジネスマンである。

・・・というように。

もちろん、
これらが総て間違っているとは思わない。

むしろ、
「そうだよな」と納得してしまう事の方が多い。

だがその反面・・・

「好き嫌い」を無視して、
ビジネス活動が出来ないことも確かだ。

まず・・・

お客さんは、
損得だけで商品を選んでいるわけではない。

パッケージのデザインやコンセプト・・・

あるいは、
担当の営業マンが好きだから買っているのだ

・・・という顧客はたくさんいる。

顧客だけではない。

自社の社員にしたところで
損得だけで仕事をしているわけではない。

その仕事が好き・・・

会社が好き・・・

上司が好き・・・という社員は、
ロイヤリティーも高く、
質の高い仕事をしてくれる。

反対に・・・

嫌いだけど得だからという理由で働く社員は、
ロイヤリティーが低く、
その割にたくさんの報酬を要求してくる。

つまり・・・

ビジネスは「好き嫌い」を
うまく活用した会社が儲かるように出来ているのだ。


「好き嫌い」を制するものがビジネスを制する。

そういっても過言ではない。

・・・にもかかわらず・・・

好き嫌いを軽視する人間が、ビジネスの世界には多い。

そして・・・

そういう人が結構な収入を得ていたり、
高いポジションにいたりするのも事実だ。

もしも・・・

自分の上司がそういう人で・・・

「稼ぎたいのなら私のように割り切れ」と言われたら・・・

「ハイ、ワカリマシタ。」と従うしかないだろう。

だが・・・

その先に、
明るい未来は待っているのだろうか。

嫌なことさえ我慢すれば、
高い収入とポジションが約束されるのだろうか。

いや、残念ながらそうはならないだろう。

時代は変わったのだ。

我慢して、がむしゃらに働くだけで出世する時代は終わった。

今は「好き嫌い」を度外視して、
ビジネスを組み立てることなど出来ない時代だ。

上司が教えてくれないのならば、
自分の頭で考えなくてはならない。

「好き嫌い」をベースにした、
新しいビジネスというものを。


誤解しないでほしいのだが・・・

好き嫌いを制するというのは、
好き勝手に働くということではない。

自分の好き嫌いアンテナを磨き、
顧客の好き嫌いを予測して働くということだ。

人は、どういう時に好きになるのか。

どういう時に嫌いになるのか。

それを、とことん突き詰めるのである。

自分で考えてみれば解ると思うが・・・

好き嫌いというのは、とてつもなく奥が深い。

「好き⇔嫌い」とうように、
二極化して考えがちだが・・・

好きの反対は嫌いとは限らないし・・・

嫌いの反対が好きとも限らない。

人間の感情は、複雑なのだ。

だが・・・

総ての社会現象において・・・

「損得」以上に
「好き嫌い」が影響を与えていること・・・

そして・・・

その影響が、
どんどん拡大し続けていることは確かである。

これだけシビアな経済状況においても、
人はやっぱり損得ではなく、好き嫌いで結婚相手を選ぶ。

生活に必要不可欠なものよりも、好きなものに・・・

より多くのお金と時間をかけたがる。

それが、
この時代に生きる日本人の習性なのだ。

好き嫌いを無視して、
これからの時代を生き抜くことは出来ない。

とても素敵で、
とても厄介な時代が到来したのである。




GW突入・・・(^_^;)
忙しいような・・・暇なような・・・
もどかしい谷間の4/30。

さて・・・中途半端な午後に妄想を・・・

ひとりっきりの会社。

今、一人で活動していたら!?!

これを果たして、
会社と呼べるのかどうかも疑問である。

・・・が、会計上はまぎれもなく株式会社。

だが、その実態は
フリーランスの個人事業主である。

フリーランス。

どこの組織にも属さない存在。

それが、
とても気持ち良さそうな感じがする。

社会に出てから、30年間ほど・・・

ずっと組織に属していたので、その反動かもしれない。

私は縛られるのが、大嫌いなのである。

寂しくないだろうか・・・と考えもするが、
ぜんぜん寂しくないだろう。

顧問をやっている会社もあるし・・・

ひとりでいるのも嫌いではない。

それに、何と言っても・・・

私には、
仕事をサポートしてくれる仲間が大勢いる。

フリーランスになるということは、
組織から離れて、独立することでもあるのだが・・・

だからといって、
ひとりで仕事をするわけではないだろう。

このことを理解せずに組織を離れると
大変な苦労を背負い込むことになってしまう。

そのうえ・・・きっと・・・まったく稼げない。

いや、そこそこは稼げるのだが、
あっという間に頭打ちになるだろう。

組織に所属していようと、
独立してひとりでやっていようと・・・

仕事のやり方は
基本的には同じだと考えた方がいいのだ。

自分が得意なことに、
時間とエネルギーを集中し・・・

得意でないことは人に任せる。

その代わりに、
他人の仕事のサポートもしてあげる。

得意な分野で、
お互いにサポートし合えばいいのである。

だが・・・

往々にして、独立したからには・・・

何から何まで、
自分でやらなくてはならないと
考えてしまいがちだ。

余計なお金は使わずに、
自分に出来ることは自分でやる。

その結果・・・

得意ではない仕事に膨大な時間を取られてしまい、
収入が頭打ちになってしまうのである。

組織の中でも、
「自立する」ことが良いことだとされているが・・・

これも、
ひとりで仕事をするという意味ではない。

人を頼らずに仕事ができるようになるというのは・・・

あくまでも、
自分の得意とする分野においての話だ。

何から何まで自分でやってしまったら
組織に所属している意味がないし・・・

そもそも・・・

組織としてのパフォーマンスが上がらない。

組織というのは、
それぞれの得意をつなぎ合わせることによって、
全体のパフォーマンスを最大化することが目的なのだ。

自立することは大事だが、
孤立してしまってはいけない。

組織のどこ(誰に)どのような得意があるのかを見極め、
それを活用する。

同時に・・・

自分が得意とすることで、積極的に周りをサポートする。

それが、組織での働き方だ。

では・・・独立したらどうなるか。

仲のいい人同士で助け合う。

それも、もちろん大事だが・・・

それだけでは、仕事は成り立たない。

なぜならば・・・

そんなに旨い具合に、
自分の不得意をサポートしてくれる友人など
そろっていないからだ。

それに・・・

知り合いは、
タダみたいな値段で手伝ってくれるかもしれないが・・・

結局は、出来る範囲のサポートしか頼めない。

それでは、不十分なのである。

では、どうしたらいいのか・・・


簡単なことだ。

発注すればいい。

それを得意としている専門の人に、
お金を出して頼むのだ。

お金を使って仕事を任せ・・・

それによって、
手に入れた時間でその倍の収入を稼ぐ。

100万円発注して、200万円稼ぐ。

1,000万円発注して、2,000万円稼ぐ。

発注金額が、
増えれば増えるほど自分の収入も増えるのだが、
発注できる人は少ない。

それは、
リスクであると考えてしまうからだ。

だが・・・

本当のリスクは、発注することではない。

発注しないことの方が、
よほど大きなリスクなのである。



桜も散り、新しい季節を感じる今日此頃です。

社長になって16期目を迎えました。

同じオフィスに出社し・・・

同じ社員と顔を合わせ・・・

同じように朝礼をする。


しかし、そこで話すのは・・・

15年前の私ではない。


聞く側から話す側に変わるというのは・・・

なかなか複雑な気分である。

だが、それにも慣れてきた。


子会社の雇われ社長から、
ファンドから信任を受けての少数株保有の社長、
そして・・・オーナー社長になったことによって、
他にもいろいろと変化したことがある。

何と言っても・・・

「雇われる側」から「雇う側」に変化したのだ。

そういう意味では、
天地が入れ替わったようなものかもしれない。


もちろん会社の事業体が変わった訳ではないし・・・

経営陣も長年私と経営を供にしてきた仲間なので、
まったく知らない会社に再就職したのとは訳が違う。

長い年月の中で、たぶん・・・

少しづつ、独立してきたんだと思う。


形にこだわらず、
今までと同じように経営者視点で行動する。

それは・・・周りが期待していることでもあり、
私自身がやろうとしていたことでもあるのだ。

だが、これが結構難しいらしい。


雇われ社長時代の私には、
到底解らなかったことが、今になって実感できる。

私は、もし自分が社長でなかったとしても同じように考え、
行動するだろうと信じていた。

置かれた立場に関係なく、
自分の頭で考え、自分自信の手で新しい一歩を作り出す。


それは、
自分が雇われ社長だった時に
自分以外の役員や社員に求めていたことでもあるし・・・

私自身「自分ならそうするだろう」という自信を持っていた。

なぜ、みんな自分の意志で行動しないのか。

自分の頭で考え、自分自身で決定しないのか。

やりたいということを
決して頭から否定したりしないので、
どんどん主張し、
どんどん行動してもらいたい。


私だけではなく・・・

世の中の社長は、皆そのように考えていると思う。

だが、実際に雇われ社長でなくなってみて、
その難しさを実感してしまう。

社長とそれ以外の人間とは違う。

いくら同じように考えようと思ってもできない。

残念ながら、それは事実のようだ。


何しろ、
この私自身の変化がそうなのだから、
言い訳のしようがない。


だが、いったい何故なのだろう。

何が変化したというのだろう。


 
私は相手によって態度を変えたり、
立場によって態度を変えたりする人間が一番嫌いだ。

社長だから頑張る、責任を持つ。

社長でないから頑張らない、責任を持たない。

そういう人間が嫌なのだ。


だから・・・

私は、たとえ雇われ社長であっても、
同じように責任感を持ち、
同じように自ら発案して行動するようにしてきた。

実際、この15年間は、そうやって仕事をしてきたと思う。


誰に言われなくても自ら考え・・・

誰に求められなくても、必要だと思うことは実践する。

自分個人の損得に関わらず、
組織にとって必要だと思うことに時間とお金を使ってきた。

それはオーナー社長の今と同じ。


いやそれ以上だろう。


それは・・・

私自身が意識して、
そのように心がけていたからだと思う。


そして・・・

もちろん、これからもずっと、
同じスタンスで仕事に取り組みたい。

そう思う。

それは、
会社のためであると同時に、
私自身のためでもあるのだ。

仕事として、
要望されたことはもちろんやるが、
要望されていないことでも必要だと思うことはやる。

その気持ちに変わりはない。

どうやって、
そんな気持ちの仲間を増やしていくのか・・・

後継者を育てていけばいいのか・・・


どうやら・・・

社長は社長であるというだけの理由で
やる気が湧いてくるようだ。

まるで尽きることない泉のように。


社長のやる気。

それは社長だから持てるもの。

認めたくはないが、事実のようである。




その泉がなくなってしまったら・・・

私は、
別の何かを見つけ出さなくてはならない。


随分とサボってしまいました(^_^;)

泣いても、笑っても、ボケっとしていても・・・

15期は終わり、16期がやって来ました。

さて・・・

「やりたいか・・・やりたくないか・・・

ということをベースにして、事業をを考えるならば・・・

そこには、いくつかの選択肢がある。


まず、ひとつ目は・・・

自分が、やりたい事業かどうかということ。

この時点で、
やりたくないビジネスモデルを選択する人がいるものだろうか?

それが、実は結構たくさんいるのである。


その理由は・・・

「やりたいかどうか」よりも「儲かるかどうか」

あるいは・・・

「やったことがあるかどうか」に重点を置いているからだ。


もちろん・・・

そういう人たちにとっては、
儲かるビジネスこそが
「やりたいビジネス」ということになるのだろうが・・・

私が言いたいのは、そういうことではない。

儲かるかどうかに関係なく、
その事業が好きかどうかということだ。

好きだからやる。

好きでなくとも、儲かるのならやる。

両方でないとやらない。

色々と選択肢はある。


そして、もうひとつ・・・

別な視点から見た選択肢がある。


それは・・・

自分以外の人(従業員)が、やりたいと思うビジネスかどうかだ。

たとえ、
やりたくない事業であったとしても、儲かるのならやる。

それは経営者の発想だ。

どんなに会社が儲かったとしても、
面白くもない仕事をやりたいという従業員などいない。

それでもやるとしたら・・・

給料が高いか、他に仕事がないかの、どちらかである。

給料が高いのならば、嫌なことでも我慢してやる。

それは、
儲かるかどうかで事業を考える社長と・・・

基本的には同じ発想である。

だが、この場合、ひとつ重要な問題がある。


それは・・・

嫌な仕事に相当する十分な給料を支払ったとして・・・

それでも、儲かるのかどうかである。


会社の利益というものは、
社員の給料と総じて相反する関係にある。

出来るだけ人件費を安く抑えれば、
会社としての利益は増えるし・・・

反対に人件費を払えば払うほど、
会社の利益は減っていく。

だからこそ、
不人気な事業で利益を上げようとする経営者は、
みんな考えるのだ。


そこそこの人材さえいれば、
運営していけるビジネスモデルというものを。


給料も決して高くはないが
他に仕事がないから仕方なくこの仕事をやっている。

そういう人たちで成り立つビジネスモデル。

それでいて高収益。

それこそが、
最強のビジネスモデルだと考えている経営者は多い。



結局のところ・・・

「やりたいか・やりたくないか」をベースにしたビジネスモデルは、
3パターンしかない。


1.人がやりたいと思うビジネスモデルで、優秀な人材を集める。

2.人がやりたがらない仕事で、高給を支払って人を集める。

3.人がやりたがらないけれども、
 誰がやっても成果が出るビジネスモデルを考える。

この中から、
どれを選ぶのかは経営者の考え方次第だろうが・・・

一番多いのは3を選ぶ経営者だと思う。

人材のレベルに左右されないビジネスモデル。

その上で、
面白い仕事、高い給料を与えることが出来たら最高ではないかと。

たしかに最高かもしれない。


だが・・・

そのようなビジネスモデルは、出来ないと思った方がいい。


我々は、
選択しなくてはならないのだ。


「やりたいこと」で勝負するのか・・・

「やりたくないこと」で勝負するのかを。


この選択に、答えはあるのだろうか。


やりたいことだから、頑張れるという人もいれば・・・

やりたがらないことだから、儲かるのだという人もいる。

どちらにも一理ある。


一人ひとりが、
やりたい仕事を追求していけば・・・

素晴らしい世の中になる。


そんな気もするし・・・

誰かが、
やりたくない仕事をやってくれているから・・・

世の中が、
成り立っているのだという気もする。


私にも、未だ答えは解らない。


寒いですねえ・・・予報通りで雪から雨に変わって、
ホッとしている今日この頃です(^_^;)

さて・・・

過去を変えることは出来ない。

変えられるのは未来だけだ。

啓蒙セミナーでは、
よくそんなことが言われる。


待ち合わせの時間が迫っている時の渋滞や・・・

電車の遅れにイライラしたり・・・

もう終わってしまったことを悔やんだり・・・


考えても仕方の無いことに
時間やエネルギーを使うのはやめて、
もっと前向きなことに気持ちを切り替えるべきだ。

そういうアドバイスなのだと思う。

私も同感だ。

人間だから・・・

くよくよしたり、
イライラしたりはするのだが・・・

出来るだけ早く、
気持ちを切り替えるようにしている。

それが、
人生をより有意義なものにするコツだと
知っているからだ。

ところで・・・

ビジネスの世界には
過去以外にも変えられないものがある。

それは現在だ。

今の行動を変えることは、
もちろん可能なのだが・・・

それによって、
今の結果を変えることは出来ない。

ビジネスには、
タイムラグがあるのだ。

戦略的に売上をつくる優秀なビジネスマンは、
決して今月の数字を追いかけたりはしない。

それは・・・

最早、ほとんど変えることの出来ない「結果」だからだ。

今月の数字をコントロールすることは・・・

誰にもできない。

コントロールできるのは・・・

未来の数字だけだ。

だから・・・

できるビジネスマンは
常に3ヶ月から、
半年先の売上のことを考えている。

今月の数字のために
活動できる時間は30日しかない。

しかし・・・

半年先の数字ならば、
180日かけて活動することが出来る。

これは、
単に日数が多いというだけの違いではない。

例えば・・・

今月の30日を今月のために使うのと、
半年先のために使うのとでは、
結果がぜんぜん違う。

今月のために打てる手だてには
限界があるからだ。

短期で結果が得られるもの。

今月の数字だけを考えるならば、
そこに時間を集中させるしか無い。

だが、
往々にして短期の戦略というのは
運に左右される。

運が悪ければ、
いくら頑張っても結果が出ないし、
仮に・・・ 運良く結果が出たとしても、
その成功を繰り返すことはできない。

ビジネスは、
1試合の勝敗だけで決まるのではない。

長期間のアベレージが大事なのだ。

だから・・・

再現できない成功には意味が無い。

それは・・・限りなく失敗に近い成功だ。


未来の結果は、現在によって決まる。


そのことに、
異議を唱える人はいないだろう。

問題なのは・・・

未来のために何をやっているか・・・

そして、
どのくらいの時間を割いているかということだ。

今日一日に、
120%の力を出し切る。

その連続が、
未来を明るくするのだと信じている人は多い。

だが、それは間違っている。

今日一日で、
どれほどの力を出し尽くしたとしても・・・

それを、
毎日積み重ねていったとしても・・・

未来は明るくはならない。

大事なのは・・・


全力で頑張ったかどうかではなく、
未来のために手を打ったのかどうかだ。


全力を出し切るという習慣で、
毎日を過ごしてはならない。

全力を出している時に、
人間は頭を使えないからだ。


立ち止まって考える。


過去を整理し・・・

未来のために打てる手だてを工夫する。

それは、
全力とはほど遠い姿だ。

周りから見ると、
サボっているのと大差ないだろう。

それは・・・

「何もしない時間」を作るということだからだ。


先ず、何かをやめる。


次に・・・未来の戦略を練る。

これ以外に順番はない。


最低でも20%は、
何もしない時間を作るべきだ・・・出来れば30%


人は、走りながら考えることは出来ない。

何もしない時間こそが、
未来を作るための第一歩なのである。





私は人を育てる事が、
あまり好きではない。

面倒くさいからである。

だが・・・立場上、
人を育てないわけにはいかなかった。

だから、仕方なく考えたのだと思う。

どうやったら、
人が育つのかということを・・・



何が面倒くさいといって、
育成にはとてつもない手間と時間がかかる。

さらに・・・

人は一人一人違うので、
その人に合わせた育成方法を考えなくてはならない。

そこまでしても、
育たない人は育たないし・・・

育つ人は放っておいても育つ・・・のだが、
そんなことを言ってしまったら身もふたもない。

育成には、
見返りを求めない忍耐が必要なのである。


「よし!俺は必ずこの部下を育てるぞ」

・・・と腹を括ったなら・・・

まず、
最初にやらなくてはならないのは調査だ。

育てる対象を徹底的に知り、理解すること。

これなくして育成は出来ない。

どういう性格で、
どのような短所と長所があって・・・

これまでに
どういう経験をしてきたのか。

自信を持っていることは何か。

自信をもっていないことは何か。


どういうことが好きで、
どういうことが嫌いか。

要するに・・・

その人物の
「現在の座標」を知ることが大事なのだ。

それが、解らないことには、
どんなに素晴らしい地図があっても・・・

目的地に到達することは出来ないからだ。


育てることの最初の面倒くささ。

それは
相手との壁を取り払うことである。

熱心に話を聞いてあげたり、
面白いことを言って笑わせたり、
時には酒を飲んで愚痴をこぼしてあげたり・・・と、

相手の壁を取り払うには、
相当な手間と時間がかかる。

だが・・・

この作業をやらないことには、
相手のことが解らない。

解らない人間を
育てることは出来ないのだ。

そして・・・

ある程度相手を理解できたならば、
今度は目標を定めなくてはならない。

どういうビジネスマン、
どういう社会人、
どういう人生を目標にするか。

これは、
もちろん本人の適正及び希望に基づいていなくてはならない。

適正は・・・

本人には解らないので
上司が見抜いてやる必要がある。

そして・・・

目指す目標についても、
一緒に考えてやらなくてはならない。

どうなりたいのか、
どうありたいのかを決めるためには・・・

情報とアドバイスが欠かせないからだ。

自分の時間を使って相手を知り、相手の目標を一緒に考える。

これが
育成の第一歩であるのだから
本当に面倒くさいことこの上ない。

ここまでやって初めて
育成プログラムの作成に着手できるのである。


今現在の状態。

向かうべき姿。

この二つが明確になったならば・・・

今度は、
それをつなげなくてはならない。

何をどうやったら、
今の状態が向かうべき姿に結びつくのか。

そのステップこそが、育成プログラムである。

何をやらせるか。

何をやらせないか。

どういう失敗はさせてもいいか。

どういう失敗はさせてはならないか。

経験と仮説に基づいて、
育成プログラムは作られる。

だが・・・

もちろん、
そのプログラム通りに人は育たない。

なぜ、うまくいかなかったのか。

その原因を考え、
プログラムを書き換えるのも上司の仕事だ。

育成の過程においては、
精神的なサポートもしなくてはならない。

彼らは
自分のやっていることが、
本当に成長に繋がるのか・・・

常に不安があるし、
もっと早く、
目に見える成長がしたいと望んでいる。

でも、一歩一歩前進するしかない。

君は順調に来ているのだと、
常に言い続けてあげなくてはならない。

その作業を4、5年続けてやっと人は育ち始める。

もちろん・・・

そこまでやっても育たない人もいる。

ひとりの上司が育てられるのは、
せいぜい2、3人というところか。

だが・・・

この2、3人が大事なのだ。

自分が心血を注いで育てたと言える部下がいるかどうか。

これは40、50代になった時に
ビジネスマンとしての決定的な差になる。

育成を怠った上司は
絶対に組織の長にはなれないのである。


・・・子供の育成とも一緒だね(^_^;)


七草ですねえ・・・

「せり」「なずな」「ごぎょう」「はこべら」

「ほとけのざ」「すずな」「すずしろ」でしたよねえ・・・(^_^;)

さて、新年早々2回めの更新です(^^♪



あるインターン希望者から

「なんで働かないといけないんですか?」

という質問を貰って、私はとても驚きました。

私は「働くのが当たり前だ」と思っていたからです。

でも、「当たり前」と思っていることを疑うことは
とても大切なことだと思いましたので、まじめに考えて、回答しました。

以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私も、あなたと同じように
「働くのはとてもつらく、苦しいことだ」と思っていました。

今はどうか、と言えば、
あまり変わっていないようにも感じます。

相変わらず仕事は苦しいですし、
楽であることは一つもありません。

でも、「働く」ことは
あなたに多くの物をもたらすでしょう。

それをお知らせします。

1.働くことは、お金をもたらす。

「お金などいらない」という人も世の中にはいます。
でも、あって困るものでもありませんし、
多くの人はお金がなければ生活できません。
むしろ、「お金のために働く」という人もたくさんいます。

ただ、「お金のためだけに働く」のであれば、
あなたの言うとおり、仕事はつらく、苦しい物になってしまうかもしれません。
多くの人は、人生の大半を「働いて」過ごしますが、
それがつらく、苦しい物であることはできれば避けたいでしょう。

ですから、「仕事がどうしたら楽しくなるか」ということについて、
知っておくことは大切だと思います。


2.働くことは、明確な目標をもたらす。

「なんのために生きるのか?」

という問いに対しては、私は答えることが出来ません。

でも、会社に入ってもらえれば、
「この1年、何に取り組んでもらうか」ということについては
明確なものを与えることが出来ます。

毎日を無為に過ごすよりも、明確な目標を持ち、
それを達成するために努力することは価値があります。


3.働くことは、出会いをもたらす

単に「消費」するだけなら、誰とも会わずに済みます。
そういった孤独が好きな方もいらっしゃるでしょう。
でも、ほとんどの方にとって「孤独」はつらいものだと思います。

働くことは、社会に参加することです。
働くことで、様々な出会いが発生します。
職場の人のみならず、お客様、協力会社、関連する取引先には様々な方々がいます。

もちろん、それらが全て、
あなたにとって意義ある出会いかどうかはわかりません。
ですが、「一期一会」という言葉もあるように
、一回の出会いが人生を変えることもあります。


4.働くことは、学びをもたらす。

働くことは、「学び」をもたらします。
会社に入れば知らないことだらけ、毎日学ばなければならないでしょう。
また、自分の知識が陳腐化しないよう、学びはずっと続ける必要があります。

ただ、会社をやっていると、
「学校の勉強が苦手だった」という人とよく出会います。
でも、安心してください。
学校の「勉強」と、会社における「学び」は、異なります。
学校の勉強は特定の問題をを短時間で「処理」することが目的でした。
会社における「学び」は、問題づくりから始まり、
答えを探して、現実にそれらを実行するまで全てに関わるプロセスです。
それはとても創造的な活動です。

ですから、人は「学ぶ」ことで人生を豊かに過ごすことが出来ます。


5.働くことは、信用をもたらす。

働くことは、責任を引き受けることです。
責任のない仕事はありません。
ですから、「きちんと働く人」というのは、
「きちんと責任を果たしている人」とされ、社会的に信用されます。

また、「信用」はお金で買うことが出来ません。
例を挙げましょう。
あなたは、目の前の人が
「単にお金を持っている」というだけで信用できますか?
おそらく出来ないと思います。
信用は積み上げた行動でのみ、測られるからです。
きちんと働くことは、信用を積み上げる第一歩です。


6.働くことは、自信をもたらす。

あなたには「自信」はありますか?自信は大切です。

こう言うと、いや、「自信過剰」や「妙なプライド」は持つべきでない、
というご指摘をもらうこともあり、
ネガティブな側面を思い浮かべる人も多いかもしれません。

でも、誰にとっても「真の自信を持つこと」は大事だと思います。
真の自信は、それまでにその人が積み上げた実績によってのみ得られるもので、
虚勢や高慢とは無縁です。
虚勢や高慢は、「自信」を持っている人の行動ではなく、
「自信がないから、他者に認めてもらいたい」というだけのものだからです。

本当の「自信」は他者を必要とせず、
「自分の力を発揮して、何かを成し遂げた」人だけにもたらされるものです。
働くことは、なにか成し遂げることです。
「自信」は、一生懸命働くことから生まれます。
以上です。

これは私の個人的な考え方なので、学生のあなたがどう思うかはわかりません。

でも、あなたの疑問への一つの答えとなることを祈ります。




新年あけましておめでとうございます。

株式会社プラウドは
今年も「安全」「安心」「情熱」を大切にして、
世の中に求められる企業を目指します。

本年も引き続き、宜しくお願いします。

さて・・・

新年最初のつぶやきは・・・
失敗した人をどう評価するのかということについてだ。

日本は、
失敗した人に冷たい社会だと言われている。

しかし、私自身は冷たいとは感じていない。

だが、一般的には失敗していない人の方が
失敗した人よりも信頼感があるのは確かである。

しかし、
それはその人が「成功者」と「失敗者」という
二分割で世の中を見ているからだ。

世の中には・・・

「成功者」と「失敗者」と「どちらでもない人」がいる。

この中で参考になるのは・・・

成功者の成功に至るプロセス話と
失敗者の失敗に至るプロセス話だ。

どうやったら成功するか。
どうやったら失敗するか。

みんな、それが聞きたいのである。

誤解しないでほしいのだが・・・

私は、
失敗からも学ぶことがあると言いたいわけではない。

(もちろん失敗から学ぶことはたくさんあるが・・・)

私が言いたいのは、
成功も失敗もどちらでもない状態も、
すべては、
プロセスの一部に過ぎないということだ。

失敗談は、失敗談で役に立つとは思う。

だが、重要なのは、そこではない。

その失敗者が、
成功経験を持っているかどうかだ。

「失敗した人=すべてが間違っていた」

・・・という図式で見てしまう人は多い。

だが、実際には・・・

失敗者の中には・・・

成功経験のある失敗者と
成功経験のない失敗者がいる。

もしも・・・

私が、
失敗者と組んでビジネスをやるとしたら・・・

重視するのは
「その人が失敗から何を学んだか」ではなく・・・

「どのような成功経験があるか」だ。

さらに言えば・・・

その成功体験を
繰り返すことが出来るかどうか。

つまりは・・・

成功のプロセスを理解しているかどうかである。

もちろん、
同じ失敗をしないこと重要である。

だが、最重要ではない。

なぜならば、
失敗しないというだけでは・・・

ビジネスにとってのプラスは、
何もないからである。

成功のプロセスを理解している人は、
何回やっても成功する。

それは、
成功を再現する方法を知っているからだ。

成功を再現し、
なおかつ同じ失敗を回避する方法を考えている人。

これは、
ビジネスパートナーとしては買いだと思う。

成功とは・・・プロセスの途中である。

私は、そう思う。

産業革命も・・・

資本主義も・・・

すべては、プロセスの途中にある。

すべての物事は、
あるきっかけによって・・・

成功への道を歩みだし発展する。

そして・・・

また、
あるきっかけ(原因)によって、
失敗(終息)へと向かうのである。

発展し続ける産業がないように・・・

拡大し続ける国家がないように・・・

すべては、
発展→成熟→終息というプロセスを秘めている。

だから・・・

今現在成功している人というのは、発展途上なのだと思う。

もしも・・・

ソニーの盛田さんや
松下幸之助さんが生きていたら・・・

最今の家電業界の危機は、防ぐことが出来たのだろうか!?!

私は、そうは思わない。

きっと同じように、衰退の道を辿っていたと思う。

だが、重要なのは、その衰退の先だ。

何が原因で衰退したのか。

何を変えなければならないのか。

偉人は、
ただ成功を繰り返すだけではなく・・・

失敗を繰り返さない方法を模索するだろう。

だが、それでも失敗を回避することは出来ない。

すべてはプロセスの一環なのだ。


成功とは・・・失敗しないことではない。

幾つものミスや過ちを乗り越え、
日々悪戦苦闘する事、
そして・・・失敗すること・・・

失敗までのプロセスを含めた物語が、成功なのだ。

だが、この理屈を受け入れてもらうことは難しい。

それは・・・今現在私が、未だ何も為し得ていないからだ。

失敗もプロセスの一部であること。

それを証明するためには・・・

私自身が、
成功を実現してみせる必要があるだろう。