桜も散り、新しい季節を感じる今日此頃です。

社長になって16期目を迎えました。

同じオフィスに出社し・・・

同じ社員と顔を合わせ・・・

同じように朝礼をする。


しかし、そこで話すのは・・・

15年前の私ではない。


聞く側から話す側に変わるというのは・・・

なかなか複雑な気分である。

だが、それにも慣れてきた。


子会社の雇われ社長から、
ファンドから信任を受けての少数株保有の社長、
そして・・・オーナー社長になったことによって、
他にもいろいろと変化したことがある。

何と言っても・・・

「雇われる側」から「雇う側」に変化したのだ。

そういう意味では、
天地が入れ替わったようなものかもしれない。


もちろん会社の事業体が変わった訳ではないし・・・

経営陣も長年私と経営を供にしてきた仲間なので、
まったく知らない会社に再就職したのとは訳が違う。

長い年月の中で、たぶん・・・

少しづつ、独立してきたんだと思う。


形にこだわらず、
今までと同じように経営者視点で行動する。

それは・・・周りが期待していることでもあり、
私自身がやろうとしていたことでもあるのだ。

だが、これが結構難しいらしい。


雇われ社長時代の私には、
到底解らなかったことが、今になって実感できる。

私は、もし自分が社長でなかったとしても同じように考え、
行動するだろうと信じていた。

置かれた立場に関係なく、
自分の頭で考え、自分自信の手で新しい一歩を作り出す。


それは、
自分が雇われ社長だった時に
自分以外の役員や社員に求めていたことでもあるし・・・

私自身「自分ならそうするだろう」という自信を持っていた。

なぜ、みんな自分の意志で行動しないのか。

自分の頭で考え、自分自身で決定しないのか。

やりたいということを
決して頭から否定したりしないので、
どんどん主張し、
どんどん行動してもらいたい。


私だけではなく・・・

世の中の社長は、皆そのように考えていると思う。

だが、実際に雇われ社長でなくなってみて、
その難しさを実感してしまう。

社長とそれ以外の人間とは違う。

いくら同じように考えようと思ってもできない。

残念ながら、それは事実のようだ。


何しろ、
この私自身の変化がそうなのだから、
言い訳のしようがない。


だが、いったい何故なのだろう。

何が変化したというのだろう。


 
私は相手によって態度を変えたり、
立場によって態度を変えたりする人間が一番嫌いだ。

社長だから頑張る、責任を持つ。

社長でないから頑張らない、責任を持たない。

そういう人間が嫌なのだ。


だから・・・

私は、たとえ雇われ社長であっても、
同じように責任感を持ち、
同じように自ら発案して行動するようにしてきた。

実際、この15年間は、そうやって仕事をしてきたと思う。


誰に言われなくても自ら考え・・・

誰に求められなくても、必要だと思うことは実践する。

自分個人の損得に関わらず、
組織にとって必要だと思うことに時間とお金を使ってきた。

それはオーナー社長の今と同じ。


いやそれ以上だろう。


それは・・・

私自身が意識して、
そのように心がけていたからだと思う。


そして・・・

もちろん、これからもずっと、
同じスタンスで仕事に取り組みたい。

そう思う。

それは、
会社のためであると同時に、
私自身のためでもあるのだ。

仕事として、
要望されたことはもちろんやるが、
要望されていないことでも必要だと思うことはやる。

その気持ちに変わりはない。

どうやって、
そんな気持ちの仲間を増やしていくのか・・・

後継者を育てていけばいいのか・・・


どうやら・・・

社長は社長であるというだけの理由で
やる気が湧いてくるようだ。

まるで尽きることない泉のように。


社長のやる気。

それは社長だから持てるもの。

認めたくはないが、事実のようである。




その泉がなくなってしまったら・・・

私は、
別の何かを見つけ出さなくてはならない。