梅雨入りしましたね・・・約一ヶ月鬱陶しい季節です^_^;
まあ・・・それが過ぎれば「夏」。今年も暑い夏になりそうです(^^)ww

さて・・・

昔話というのは、教訓に満ちている。

人助けをして、大成功したとか・・・

覗いてはいけないものを覗いて、
全てを失ったとか。

だが・・・

昔話に
教訓が含まれているという表現は
間違っているかもしれない。

正しくは・・・

「教訓を物語にして、伝え残してきた」

・・・と言うべきだろう。

まず始めに、教訓ありきなのだ。

「人に親切にしなさい」とか・・・

「約束は破ってはいけない」という・・・教訓。

だが、
そのような直接的な教訓は、
心に響きにくい。

そして、記憶に残らない。

だから・・・

昔の人は、
わざわざ物語という形にして、
教訓を残したのだと思う。

人は物語に興味を示し、物語を聞きたがる。

そして・・・

聞かされた物語を、今度は人に伝えたがる。

物語という形を取る事によって、
教訓は人々の心を動かし・・・

そして・・・伝播して広がっていった。

決して忘れられることなく。


わらしべ長者という昔話をご存知だろうか。

観音様からもらった『わらしべ』を
いろいろな物と交換していった結果・・・

大金持ちになったという話だ。

観音様は・・・

「ここを出て最初に掴んだ物を大切にしろ」

・・・と教えてくれる。

そして、
最初に道で転んで掴んだのが・・・

『わらしべ』だった。

男は、そのわらしべに、
飛んできたアブをくくりつける。

それを・・・

泣いている子供が欲しがる。

当然、男は渡したくない。

何しろ、
観音様に大事にしろと言われているのだ。

・・・が、結局子供にあげてしまう。

そして・・・

見返りに子供のお母さんから、
みかんを受け取る。

しばらくすると・・・

今度は、
喉が渇いて倒れている人に・・・

その、
みかんをせがまれ、
高級な反物と交換する。

次は・・・

その反物を、
死にかけている馬と交換する。

交換してあげないと、
始末されそうになっていたからだ。

交換した馬は、元気になり・・・

急いで旅立とうとしている金持ちが、
貸してほしいと頼む。

もしも自分が戻らなければ、
この家をあげますよと言われて・・・

結局は、
その豪邸を手に入れてしまうというお話。


この・・・

『わらしべ長者』

・・・という物語を、
聞いた事があるという人は沢山いる。

だが・・・

ストーリーを正確に憶えている人は、少ない。

このストーリーを憶えるには、コツがあるのだ。


 何と何を交換して、最終的に金持ちになったのか。

「交換を続けて金持ちになった話」

・・・として、
この物語を捉えている人は、
その細かいステップを憶える事が出来ない。

このストーリーを簡単に記憶する方法。

それは、教訓にあるのだ。

この話に出て来る教訓は、
ひとつしか無い。

それは・・・

「目の前で困ってい人がいたら助けろ」

・・・ということ。


わらしべで助けたのは、どういう人か?

みかんで助けたのは、どういう人か?

彼らは、何で困っていたのか?

それを、
思い浮かべれば、
ストーリーはつながっていく。

『わらしべ→交換する→交換する→・・・』

・・・ではなく、

『わらしべ→困っている→助ける→困っている→助ける→・・・』

・・・という、ストーリーなのだ。

人は分断された記号のような情報を、
いつまでも記憶しておく事が出来ない。

だが、ストーリになれば別だ。

人は、ストーリーを忘れない。

ストーリーを聞きたがり、
ストーリーを伝えたがる。

このやり方は、
ビジネスでも非常に役に立つ。

分断された商品やサービスを・・・

ひとつのストーリーに乗せて、販売するのだ。

人は、
ストーリーに共感し、
ストーリーを伝える。

その、
ストーリーに乗って、
商品は売れていくのである。



10日ぶりの雨・・・暑さも一休み、アッという間の5月でした。
決算も片付き、17期本番というところですね・・・(^^♪

さて・・・

ちいさな贅沢。

それは・・・

今、現在の私にとっての大きなテーマでもあります。

もともと、
大した資産は持っていませんでしたが・・・

月々のキャッシュフローを
薄皮を重ねるように改善してきました。

だからといって、
正直ものすごく落ち込んでいたというわけではないです。

だって・・・

元々マイナスからスタートしたわけですから。

そう考えたら、
随分と頑張って元に戻っただけです。

「もう一息、一生懸命働くか」

・・・と決意を新たにしたのです。

・・・とはいっても・・・

この10年間くらいの私は、
結構な貧相な暮らしをしていました。

外食する時には、
値段を気にして注文していましたし・・・

欲しいと思う物は、
たいてい諦めてきました。

毎日のように、
チープなものをを食べていた事も事実です。

でも・・・漸く・・・

チョット・・・贅沢な暮らしを手に入れました。

土曜日はスシローにいくとか。。。

サイゼリアに行くとか。。。

一生懸命働いて・・・

一生懸命節約して・・・

たま~に、
チョット贅沢な体験をする。

これが、
今現在の私の目標とする生活なのです。

大金持ちの人からしたら、
つまんない生活ということになるかもしれません。

過去の私と比較しても、
まあ、「小さくなったね」と言われそうな暮らし。

でも、それでもいいかな、と思ってます。

私自身は、
けっこう楽しくこの生活に浸っているのです。

もちろん・・・

「もっと贅沢がしたい」

・・・と思わないわけではないです。

「これを買いたいなー」とか・・・

「あの人くらい稼ぎたいなー」とか・・・

たまには、
そういう事も思います。

でも、たまにです。

ほんとに・・・(^^)ww

正直言って・・・

私はお金自体に興味があんまりないのです。

お金無しでも結構楽しく、
幸せな日常を経験をしてしまったのです。

たとえば・・・

感動するくらいに美味しいお寿司屋さん。

でも・・・

毎日そこでご飯を食べていると、
感動など無くなるのです。

消費体験も同じです。

「欲しい」と思っても、なかなか買えない。

だからこそ、
手に入れた時の感動がひとしおなのです。

贅沢とは・・・

「美味しい物を食べ続ける事」や・・・

「欲しい物がいつでも手に入ること」・・・

・・・ではない。

負け惜しみではなく、本当にそう思います。

お金が無いなりに精一杯楽しむ事によって、
私が得た結果がそれだったのです。


小さな贅沢。


それは・・・

本当に飽きないし、心から満足できる体験。

今、それを実感しています。


コツコツとお金を貯めて、
近所のおいしいお寿司屋さんにいくとか・・・

好きな人と一緒に好きな街へ旅行に出かけるとか・・・

たまには、
チョット贅沢して1000円もする蒲鉾と
静岡産の生わさびで一杯やるとか・・・

そういうことが、ものすごく楽しいのです。

もちろん・・・

だからといって、
お金を稼がなくてもいいとは思っていないです。

「また、いっぱい稼いでやるぞ」と思っています。

でも・・・もしも、そうなったとしても・・・

バカみたいな、
お金の使い方をすることはないと思います。

それは・・・

お金を浪費すると同時に・・・
人生の楽しみをも浪費するやり方です。

もったいなさ過ぎます。

最近、私はペヤングソース焼きそばを食べながら・・・

「これは節約なのか?それとも小さな贅沢なのか?どちらだろう?」

・・・などと、ふと考えてしまうのです。

暑いですね・・・(^_^;)・・・毎年、運動会は日焼け三昧。
そろそろ、鼻の頭の皮が剥けてきそうな・・・

さて・・・

必要なことを、必要なだけやる。

それが
最も効率のいい生き方だと、
考えている人は多い。

それは、
性格の問題ではなく、物心ついた頃から、
そういう常識の中で育ってきた結果なのだろう。

私たちは、
知らず知らずのうちに・・・

効率重視の人生を選択して生きている。

必要最低限の勉強時間で、
効率よく志望校に合格し・・・

必要最低限の単位を取って、
効率よく学校を卒業し・・・

必要最低限の知識を仕入れて、
効率よく企業の面接を乗り切る。

最低限の労力で、
最大の成果を手に入れることは
良いことであり・・・

そこに、
疑問を差し挟む余地などない状況で、
私たちは育ってきた。

効率を重視することが善であり、
非効率を放置することは悪なのだ。

それは・・・

考えるまでもない常識であり、
その常識を追求しつづけることによって・・・

私たちは、
世界に冠たる経済大国へと発展してきた。

だから・・・

私もその常識が間違っていたなどと言うつもりはない。

それは、正しい常識だったのだ。

今までの・・・世界においては。

だが・・・

世界は変わってしまった。


世界が変われば常識も変わる。


私たちも、変わらざるを得ない。

とは言っても・・・

効率の追求に、
ストップがかかるわけではない。

そこが・・・難しいところなのだ。

今、私たちの常識は急速に変化しつつある。

必要なことを、
必要なだけやっていても、未来はない。

そういう人材は、
いつまでも生き残ってはいけない。

それは、
何となく分かっている。

だが・・・

そうはいっても、
目の前の作業には常に効率化が求められる。

組織には、常に・・・

「言われたことを言われた通りに」

・・・こなす人間の存在が不可欠なのだ。


一人ひとりが、
自分の頭で考えて行動し始めたら・・・

組織は成り立たない。

・・・が、その反面・・・

言われたことを
言われた通りにやる人間ばかりでも、
組織は成り立たない。

その矛盾が、
表面化し・・・最大化し・・・
方向を見失っているのが現状なのだ。

だから・・・

組織は、
矛盾する指示を出さざるを得ない。

「言われた通りに実行しろ」という指示と・・・

「自分の頭で考えろ」という指示を。

その状況の中で・・・

私たちは、
どういう選択をするべきなのだろう。

効率と非効率のバランスを、
どうやって実現したらいいのだろう。


もしも・・・

言われたことを、
言われた通りに実行するという・・・

そういう、
生き方を選ぶのならば、
それはそれでいいと思う。

組織には、
そういう人間が必要なのだ。

ただし・・・その年収は下がり続けるだろう。

大企業に勤めていれば、
無条件に高い報酬が約束されるという時代は
もう続かない。

・・・というか、続けようがない。

効率化を追求していけば・・・

最終的には、
人件費に手を付けざるを得ないからだ。

指示通りに動く人材の給料は、
国際水準まで下がり続けるだろう。

これは、もう止めようがない。

その流れに乗りたくないのであれば・・・

『効率』という概念を超えるしかない。

非効率的な時間を、
自分の仕事の中に取り入れるのだ。

指示通りに動かない時間。

不必要なことにチャレンジする時間。

そして・・・

その不必要なことの中から、
新しい価値を生み出す時間だ。

全体の何割を、
その非効率な仕事に当てるのか。

そのバランスは、
上司には決められない。

残念ながら・・・

日本の組織には、
非効率を推奨する文化はないし・・・

現状に、そのような余裕はない。

だから・・・

自分自身で決めるしかないのだ。

効率と非効率のバランスを・・・\(^o^)/


GWスタート目前・・・昨日、一昨日と連続の赤羽詣でで、チョット眠たい夕方です(^^)ww

さて・・・

もしも・・・首相公選制が実現したら・・・

どういうことが起こるのでしょうか・・・

首相公選制に反対する人の意見で多いのは、
ただの人気投票になってしまう。

・・・というもの。

もしも・・・首相公選制が導入され、
ビートたけしが総理大臣に選ばれたらどうするのだ。

・・・という意見。

私は、べつにそれでも構わないと思うのです。

だって・・・

国民が、
もしもビートたけしを選ぶのだとしたら・・・

それは、
経済や外交よりも『笑い』を優先するということだから。

国民の意思が明確になっていいじゃないか、と思います。

でも・・・

きっと、国民はビートたけしを選ばない。

もしも・・・

そのような刺激的なチョイスが出来るくらいならば、
日本はもうとっくの昔に変わっている。

そう思うのです。

一人の人間に権力を集中させるのは、危険きわまりない。

それも、
確かに事実だと思います。

もしも、
アメリカの大統領が核攻撃をすると言ったら、
誰にも止めようが無い。

過去にも、
権力者によって様々な悲劇が繰り広げられています。

しかし・・・です。

組織には、
やっぱりリーダーが必要なのです。

しかも強いリーダー。

そして賢いリーダー。

問題は・・・

そのリーダーを
国民が直接選ぶのか・・・

あるいは、
国会議員が選ぶのか・・・ということです。

国民の手で直接選び、
議会に匹敵するだけの権限を持たせる。

それは、
とても危険なことでもあるのですが・・・

そうする以外には、
組織を機能させる方法がないと思います。

選挙に行かないのも・・・

政策や公約に興味を持たないのも・・・

結局は・・・

自分に関係ないと思っているからです。

それは、
無責任なのではなく、
無責任にならざるを得ない制度の問題なのです。

自分の選んだ議員が、
どんな公約を掲げていようとも・・・

その公約が、
実現する可能性などほとんどない。

その実現のために、
自分自身が出来ることも何も無い。

これでは、
やる気が失せるのも当たり前ではないでしょうか。

もしも・・・

この国で、
首相を選ぶ直接選挙が実施されたら・・・

その投票率は、
70%を間違いなく超えると思います。

選挙方法が改革されたら、
80%を超えるかもしれません。

投票率は上がりつづけるでしょう。

何しろ自分の一票が、
直接政策に跳ね返ってくるのですから。

A:原発に反対である

B:原発に賛成である

C:どちらとも言えない

この三人の誰に投票するのか。

その場合、
どういうことが起るのか。

誰に投票したところで、問題は起こるのです。

重要なのは・・・

その問題を、
自分が選んだ結果として自覚できるかどうか。

これは・・・

国民の自立心の問題ではなく、制度そのものの問題なのです。

国民が、
自分たちの手で選んだと言えるリーダー。

そういうリーダーだからこそ、
国民に厳しいことも言える。

そういうリーダーだからこそ、
外交でも胸を張って交渉できる。

国民の意思を代表しているリーダーを、
国際社会は無視できないのです。

しかし・・・

現実的に、
このような制度を実現することは困難です。

何しろ・・・

それは、
国会議員の地位の低下につながるわけですし・・・

その国会議員の三分の二が賛成しないことには、
法律は変わらないからです。

そこがまた・・・

この制度の矛盾点なのです。

・・・という訳で、GWを皆さん楽しみましょう(^^♪


熊本にまつわる映像を朝から否応なく目の当たりにして、
東日本震災の時のように胸がギュッとされるようです。
何か出来ることをしたいと思います。

さて・・・

できる人と、出来ない人。

その差はどこにあるのだろう。

もって生まれた能力なのか?

それともやっぱり努力なのか?

私は、もうかれこれ30年くらい、
この疑問について考え続けているのだが・・・

未だ明確な答えは出ない。

人には生まれもった才能というものがあり、
努力だけでは超えられない壁がある。

それは事実だろう。

どういうわけか・・・

全く同じ環境で育った兄弟にも、
生まれながら身に付いている性格や能力の違いがある。

他人であればなおのこと。

人は生まれた時から既に違うのだ。

出来ること・出来ないこと・・・

向いていること・向いていないこと・・・

好きなこと・嫌いなこと。

当たり前の話なのだが、人間には適正や個性がある。

ただ・・・

私たち日本人は昔から「文武両道」バランスよく
何でも出来ることを良しとする傾向がある。

たとえば・・・オリンピックの体操競技。

床なら床、鉄棒なら鉄棒のスペシャリストを目指す。

・・・というのが中国などの戦略。

それぞれのスペシャリストが
世界一の技術を身につけたなら・・・

個人競技の数だけ金メダルが取れる。

そして・・・

その組み合わせである団体戦でも金メダルが取れる。

取れないのは個人総合だけ。

個人総合は、
全ての競技におけるバランスが求められる。

どの競技にも苦手が作れないし、
どの競技もかなりのレベルで演技できなくてはならない。

個人総合チャンピオンは確かにかっこいい。

だが・・・

そういう選手を組み合わせても、団体戦は勝つことが出来ない。


人間には生まれもった適正や才能がある。

これは動かしようのない事実だろう。

だが、そうはいっても
努力なしに才能を開花させることは出来ない。

確かに・・・

小学生くらいまでなら、
もって生まれた足の速さや、もって生まれた頭の良さで、
学年トップを取ることくらいは可能だろう。

だが・・・

そのままでは、
いずれ努力する人には勝てなくなる。

最後まで勝ち残るのは、
才能+努力の両方を兼ね備えた人だ。

これは間違いない。

では・・・

才能のない人は、
努力するだけ無駄なのだろうか。

所詮は才能を持った努力家には、勝てないのだろうか。

私の答えはこうだ。

努力だけでは、
才能を持った努力家には勝てない。

スペシャリストとしては。

だが、総合チャンピオンにはなれると思う。

つまりは、
勝ち方に違いがあるということだ。

スペシャリストとしてのチャンピオンを目指すのか・・・

それとも、
ゼネラリストとしてのチャンピオンを目指すのか。

まずは、
そこを決める必要がある。

ただし・・・

ゼネラリストといっても
あらゆることが出来るという意味ではない。

内村選手は、
体操では何でも出来るゼネラリストだが・・・

かといって、
絵画や音楽や勉強に至るまで、
何でも出来るというわけではない。

デキスギくんはマンガの中のお話なのだ。

人間には、生まれもった違いがある。

スポーツに向いている人や・・・

音楽に向いている人・・・

勉強に向いている人。

いろいろな違いがある。

だが、大きく分けるとしたら・・・

スペシャリストタイプと、
ゼネラリストタイプに
分かれるのではないだろうか。

もちろん・・・

どんなタイプだろうと、
努力しなければ自分の能力を開花させることは出来ない。

ここは平等だと思う。

だが、同じように努力した結果、
人は二種類のタイプに分かれていくのだと思う。

一方はスペシャリスト。

もう一方はゼネラリスト。

どちらも、
その合計点は変わらない。

変わるのは、配点のバランスだ。

スペシャリストは
強い部分と弱い部分の差がはっきりと現れるタイプ。

そして、
ゼネラリストは
強みと弱みの差がそんなに極端には出ないタイプ。

形に例えるならば、
ゼネラリストはきれいな丸に近く、
スペシャリストは尖った三角形。

形は違うが面積は同じ。

つまりはタイプが違うのだ。

スポーツやアートの世界では、
スペシャリストが活躍しやすいが・・・

ビジネスの世界では敬遠されやすい。

それは・・・

決定的な弱点をもっているからだ。

たとえば・・・

お客さんとコミュニケーションできないとか・・・

社内で浮いてしまうとか。

だが、
そういうタイプも使いようなのだと思う。

弱点を克服させるのではなく、
強みをとことん発揮させる。

弱点は、
他のスペシャリストとの組み合わせでカバーすればいい。

ゼネラリストとスペシャリスト。

どの分野においても、
その両方が必要なのだと思う。

要は・・・それぞれの生かし方なのだ。



アッという間に桜が満開。一気に春めいてきました。
株式会社プラウドも16期を終え、17期に突入致しました。
良いことも、良くないことも、全部踏み越えて、頑張っていきます。
皆々様、引き続き、宜しくお願いします。(^^)ww

さて・・・

私は、とってもとっても情の薄い人間だと思います。

何度も、
そう言われているうちに自分でも気がつきました。

私のことを知っている人。

何度かあったことのある人。

そういう人は、
私のことを「情の薄い人」だとは言いません。

もっと近い人。

ずっと一緒にいる人。

そういう人から見ると、私は情の薄い人なのです。


私は縄張り意識とか、
身内びいきとかいうのが嫌いです。

これは俺のものだとか、
これは俺のものではないとか。

小さいなーと思います。

たとえ、
自分の子供であっても・・・

たとえ、
自社の社員であっても・・・

間違っていることは間違っている。

たとえ、
他人の子供だったとしても・・・

たとえ、
競合他社の社員だったとしても・・・

正しいものは正しい。

そういう人間でありたいと、ずっと思っていました。


でも・・・

それは、間違っているかもしれない。

間違ってはいないけれども、
そういう生き方をするべきではない。

そのように、
考えるようになってきました。


間違っていることを
間違っていると指摘してあげる。

正直に言ってあげることが優しさだと、
ずっとそう考えていました。

でも、
最近はちょっと悩んでいます。

本当にそれが優しさなのかな・・・と。


どんなに間違っていようとも、
それを肯定してあげる優しさ。

それは、
果たして優しさなのでしょうか。

包み込む優しさ。

それが本人のためになるのでしょうか。


正しいかどうか。

その人のためになるかどうか。

それは、
とても重要なことです。

その人を愛しているのなら、なおさら。


しかし・・・

そのような正論はどうでもいい。

そういう時もあるのです。

・・・ということが、
最近わかってきたのです。


間違っている時に、
間違っていないと言ってあげる。

とっても重要なことなのに、
そんなことはどうでもいいと言ってあげる。

そういうことが・・・人間には必要なのだ。

というようなことが、
チョットだけ解ってきたのです。


厳しく指摘してあげる愛と・・・

優しく包み込む愛。

この両方が、
人間には必要なのです。

・・・たぶん ^_^;


身内だというだけで可愛がったり、
自分の縄張りにあるものだけを大事にしたり。

それは・・・

偏った愛なのですが、
「偏った愛こそ本当の愛である」という時もあるのです。


大事なのは、バランスなのです。

私は、正論に偏り過ぎているのです。

もっともっと、
えこひいきしなくてはならないのです。

身内とか、自分自身とかを。


これからはもっと・・・

妻とか・・・

身内とか・・・

自分自身とか・・・を猫可愛がりしようと思います。


毎日、よしよしと頭をなでてやるのです。

そうしたらきっと、
私の情の薄さも少しは解消されるのではなかろうか。

そんな風に考えています。

でも・・・もしかしたら・・・

私は、全く見当違いのことをしているかもしれません。


情とは何か。

正直・・・私にはよく解らないのです。


今日はさわやかな陽射し・・・一変、冷たい風が吹いてきました。
春はもうチョイ先のようですね(^^♪
さて・・・

私はあまり好きではないが、
社内の規律が、
権力によって保たれているということは事実だ。

その権力とは・・・人事権。

賞与の査定や昇進、昇級、異動などを決める権利。

これを持っているが故に、部下は上司に逆らえない。

社員は、社長に逆らえない。

だからといって・・・

もちろん、
理不尽な要求をするのは良くない。

でも・・・

そういう良からぬ上司は、どこにでもいて・・・

事ある毎に問題を起こす・・・


では・・・

上司から人事権を取り上げたらどうなるのか。

本当は・・・

このような権限など超えた信頼関係で
上司と部下は結びついているべきではないのか。

そう思うのだが・・・

実際は・・・

人事権を失った上司の言うことを、部下は聞かない。

人間なのだから、仕方のないことなのだ。

でも・・・

部下が上司の命令を聞かない組織は、
もはや組織としては機能しない。

だから・・・上司には人事権を与えざるを得ないのだ。


上司の意見が部下の査定に影響する。

これは避けがたいことなのだろう。

しかし・・・

上司の評価を鵜呑みにするのはよくない。


上司の中には・・・

先ほど言ったような

理不尽な人や・・・

部下のことを診ていない人・・・

評価の基準がバラバラの人・・・などがいるからだ。

さらに・・・

直の上司に全ての評価を任せてしまうと・・・

部下はやる気をなくしたり・・・

不満を持って会社を辞めてしまったりする。

それは・・・

評価そのものが間違っているという場合もあるが、
そのほとんどは、
評価に対する納得度が低いことが原因だ。

なぜ?納得度が低いのか。

ひとつには・・・

その上司に対する信頼が低いから。

この場合は、
上司が努力するしかない。

そしてもうひとつは、上司だから。

上司だから・・・という理由で、
上司の評価を受け入れられない。

これは・・・

親子の関係とよく似ている。

正論なんだけれども、納得いかない。

受け入れられない。

受け入れたくない。

それは・・・

関係が近過ぎるからなのだ。

でも・・・こればかりは上司にも努力しようがない。

だからこそ・・・

完璧な評価制度を作ることは難しいのだ。

そこで・・・

こんな事を考えてみた。

それは・・・第三者による評価システムだ。

たとえば、
社外の人間にアウトソーシングするとか・・・

あるいは、
社内でも直の上司ではない人に評価をさせるのだ。

評価をする人は・・・

評価のプロとして、技術を持っていなくてはならない。

その人が、
上司や本人の話をじっくりと聞き、
客観的に成果と実力を評価するのだ。

評価には
『正しい評価』も必要だが、
『納得のいく評価』も必要だ。

評価されることによって、
自分の弱点と目標が明確になる。

強みも明確になる。

会社の期待と、やりがいも感じる。

そのような評価は
直の上司には、
なかなか出来るものではない。

近すぎることによって、
お互いに感情が入り交じってくるからだ。

では・・・

評価を第三者に委ねることによって
部下は上司の言うことを聞かなくはならないのか。

私は、ならないと思う。

そのことを含めて、評価の基準を作ればいいのだ。

言うべきことは、しっかりと上司にも言う。

そのかわり、
決定された方針には全力で従う。

評価を組織と切り離すことは、
難しいと感じるかもしれない。

でも、それこそが究極の答えなのではないか。

コロンブスの卵なのではないかと・・・

考えてしまうのだ。



今日は暖かいですね~(^^)ww 月曜日・火曜日は雪マークがついていましたが(^_^;)・・・
LINEのお友達登録が100人を超えました。HP(http://www.proud-dnet.co.jp/)で登録できますので宜しくお願いします。

さて・・・

同じハンバーガーなのに、買う人によって値段が違う。

あなたは、
美人だから50円でいいですよ。

あなたは、
性格が悪いので400円。

みたいに・・・


これは、私の未来予測です。


価格は・・・

商品ではなく、売る相手によって決定されるようになる。

もしも・・・

そんなことになったら、社会は大混乱でしょうか。

でも・・・

元々は、
きっとこうだったはずです。


個人と個人が、物々交換していた頃。

自分が欲しいものを、相手が持っている。

もちろん、
基本的にはそれが重要です。

でも・・・どうでしょう。

交換してほしいと言っている相手が、
自分の好きな人か、あるいは嫌いな人か。

それによって、
きっと条件は変わったはずです。

お客さんがお店を選ぶように、お店もお客さんを選ぶ。

そういうお店が、
どんどん増えていくと思います。

お客さんを選ばないお店よりも、
お客さんを選ぶお店の方がお客さんから選ばれる。

ややこしい話ですが、
社会はそういう方向に向かうのではないでしょうか。

性格の悪い人や・・・

自分勝手な人は・・・

たとえ、お金をたくさん持っていても住みにくい社会。

それが・・・

素晴らしい社会なのか、どうかはわかりません。

そもそも・・・

性格の悪さや・・・

自分勝手さ・・・をどうやって判断するのか。

これは、なかなか難しい問題です。

でも・・・

きっと社会は、
そういう方向に向かうでしょう。

人間は、最終的には、
必ず「損得」よりも「好き嫌い」を
優先するようにできているからです。

「お金なんて関係ないよ」と・・・誰かが最初に言い出すのです。

そして、
それに賛同する人たちが増えていく。

「あなたには売らない」

「あなたの家は建てない」

「あなたの会社では働かない」

もしもそうなったら、社会は大混乱ですね。(~_~;)

お金や権力という、
既得権益を持っている人たちは、
その力を失ってしまう。

資本主義が終わるとき。

それは。。。

「好き嫌い」がお金の価値を超える時です。

お金が万能ではなくなる。

まあ・・・

考えてみたら、
元々お金なんて万能ではないのですけど。

「お金で買えないものは無い」

・・・と言ったホリエモンは大ヒンシュクを浴びました。

でも。。。

実際、ほとんどのものは金で買える。

買えるようになってしまったのです。

学校へ行くことも・・・

学校で教えることも・・・

医療も・・・

結婚でさえも・・・

損得で考えるようになってしまった。

得だからやる。

損だからやらない。

これは結構・・・末期的な症状です。

でも・・・

末期というのは、
終わりに近いから末期と言うのです。

臨界点に達した時・・・

あっという間に・・・

それこそ一瞬にして・・・

人々の価値観は、変わるのではないでしょうか。

「損得」という、お金ではかる価値基準から・・・

「好き嫌い」という、心ではかる価値基準に。


この流れは、
もう始まっていると思います。

「お金じゃないんだよ」・・・という無言の意思表示。

いくら給料が高くても、
嫌いな仕事はやりたくない。

そんな、若者が増えてきました。

それを「贅沢だ」と言ってしまっていいのでしょうか。

お金のためなら、嫌いなことでも我慢してやる。

それは、ホリエモンの主張と
なんら変わらないのではないでしょうか。

「雇ってやっている」

「買ってやっている」

そういう性格の人は、
気をつけた方がいいですよ。

社員に、雇われてもらえない社長や・・・

店員に、売ってもらえない顧客。


これほど寂しいものはないですからね・・・(^_^;)

性格のよろしくない私も。。。

今から精進せねばならないのです。


今日は暖かい日になりました。ホッとしますね・・・ 
最近のお仕事情報は→コチラ
http://www.proud-dnet.co.jp/cgi-local/cgi/list.html

さて・・・

私は長い間、
企業を相手にしたビジネス(BtoB)をやってきました。

つまり・・・

私はほぼ、
BtoBビジネスしかやったことがないのです。

個人相手に商売をしたことがない。

企業相手のビジネスしか知らなかったし、
10万、50万、100万、1,000万円と動くビジネスに
ダイナミックさを感じていました。

社長や決裁者を相手にビジネスするという
面白さもありました。

実際、とても楽しかったです。

ただ・・・

振り返ってみて思うのです。

私のビジネス人生は、かなり偏っていたなと・・・

正直・・・

若い頃は、個人相手のビジネスには
全く興味がありませんでした。

やはり、商品の単価が低かったからでしょう。

だから・・・

不動産ビジネスにだけは興味がありました。

実際、もしも不動産会社に就職していたら
私の人生は変わったでしょうね・・・

でも今は、
個人相手のビジネスにとても興味があります。

しかも・・・

単価がそんなに高くないビジネス。

数百円から数千円のビジネスです。

なぜ、私の興味が、
企業から個人に移ったのかというと・・・

それは・・・

「ものを買う動機」にあります。

「必要だから買う」という動機ではなく・・・

「欲しいから買う」という動機に対して・・・

仕事がしてみたくなったのです。


物を買う時には、
この二種類の動機がある。

私は、そう思っています。

生きていく上、
生活していく上、
企業を運営する上で、
なくてはならないものを売る。

それが「必需品」ビジネス。

なくてもいいけど・・・欲しいから買う。

そういうものを
提供するのが「嗜好品」ビジネス。

私は、ずっと必需品ビジネスをやってきました。

必要なものを売る。

こう表現すると素晴らしいですが・・・

「必要だから買う」という行為は
あまりポジティブではありません。

例えば・・・

会社に着ていくワイシャツは必需品です。

仕事をするために仕方なく買う。

でも・・・

お洒落のために買うワイシャツは嗜好品です。

なくても生きていける。

でも欲しい。

欲しいから買う。

この動機に、
ものすごく魅力を感じるようになったのです。


BtoBビジネスで嗜好品は売れるのか?

これは、ものすごく重要なテーマです。

企業は、
自らが継続発展するために
必要なものを買うべきであり・・・

必要ではないけれども欲しいものを
買うべきではない。

それが、常識ではないでしょうか。

オーナー経営者が買う絵画や彫刻は・・・

たとえ、
会社からお金が出ていたとしても
個人の買い物なのです。

企業としての買い物は・・・

必要なものを
必要なだけ
出来るだけ安く・・・が基本です。

だから・・・

必需品が入り込む余地はない。

私は、そう思います。

必要なものだけを出来るだけ安く。

このマーケットは、
決して無くなることはないでしょう。

ただ、利益はどんどん少なくなっていく。

それは・・・

企業が求めているものが、機能と価格だからです。

機能は、必ず真似されます。

そうすると・・・価格で勝負するしかない。

安くて良い商品が溢れるこの国において・・・

個人の嗜好品にフォーカスすることが
未来へとつながっていく道なのではないか。

そんな気がするのです。

何よりも、このビジネスは面白い。

顧客が喜んで買ってくれる。

高くても買ってくれる。

やりがいのあるビジネスです。


大きな会社はともかく・・・

中小企業は、
必需品マーケットでは生き残っていけない。

でも・・・嗜好品マーケットには、
無限の可能性があります。

人間の「欲しい」は無限です。

まだまだ、
顕在化されていない嗜好品が眠っています。

私は、
それを掘り起こしてみたいのです。




大掃除も終わり、あとは皆で納会@事務所です(^^)ww
今年も退屈しない1年でした。
特に12月に入ってからはジェットコースターのような日々・・・
でもね・・・一人じゃないんです。
社長!頼むよって・・・ケツを叩かれながら乗り越えって行きまっしょい!!

さて・・・

文章を読み返す時間がない私ですが、
人生を振り返る時間はたくさんあります。

というか・・・

私は人生振り返り病なのです。

人生には・・・

憶えておきたい素敵な出来事と・・・

一刻も早く忘れてしまいたい嫌な出来事があります。

若い頃は・・・

嫌なことをアっという間に忘れました。

イイ事はその記憶を倍増して憶えている。

とっても都合のいい頭の構造をしていたのです。

だから・・・

20代の頃の私は無敵でした。(タダのアホ!?!)

・・・というか無敵だと信じていました。

だって・・・

出来なかったことや
挫折したことは、
綺麗サッパリ忘れているのです。

そして・・・

チョットした成功体験を何倍にも増幅して記憶している。

恐ろしい思い込み人間だったのです。

でも、この頃は楽しかったです。

体の奥深くから、
エネルギーが涌き出してくるような・・・

そのエネルギーが、
永遠に尽きないような・・・そんな感覚でした。

頭は冴え、体は思い通りに動く。

なんだったら、
素手で空が飛べるのではないかと・・・

手をバタバタやってしまうくらい・・・

そのくらいの自信家でした。(まったく根拠の無い自信でしたが(^_^;)・・・)

それが・・・

歳を重ねる毎に変わり始めるのです。

30代になり、だんだん現実が分かってくる。

何にも成し遂げていない自分を、受け止めざるを得ない。

もしかしたら・・・

自分は大天才ではなく・・・普通の人間ではなかろうか。

こんな事を考え始めるのです。

30代半ばになって・・・

私は、ようやく努力というものをし始めました。

普通の人間なのだから、努力しないといけない。

その当たり前のスタート地点に立つために・・・

30年以上も費やしたわけです。

ここからの10年は結構、頑張りました。

人生で一番考え・・・

一番責任感を持ち・・・

一番努力した10年でした。

その甲斐あってか、
会社が少しずつ大きくなりました。

知名度も上がりました。

たいして大きな会社ではありませんでしたが、
周りから見れば自信を持ってもいい程度になっていたと思います。

ところが・・・です。

若い頃の反動なのかどうか、この頃の私は凄く弱っていました。

ほんの小さな失敗や・・・

些細ないざこざを、なかなか忘れられないのです。

若い頃だったら3分で立ち直っていた出来事が、
3ヶ月経っても立ち直れない。

忘れられない。

いや・・・それどころか・・・

どんどん記憶が鮮明になって浮かんでくるのです。

若い頃は、周りの人間を見て・・・

「なんでそんな小さいことでいつまでも悩めるのだろう」

・・・と不思議でした。

ですが・・・この頃には、

「なんで、皆そんな簡単に過去の出来事を忘れることが出来るんだ・・・」

・・・と思っていました。

180度変わってしまったのです。

・・・なぜでしょう。

真面目に社長業をやったから、職業病でしょうか。

それとも・・・

若い頃に「忘れてしまう力」を悪用したからでしょうか。

何れにしても・・・

私はどんどん・・・

「忘れられない人」

「ふりかえる人」

「落ち込み続ける人」になっていったのです。

今の私は・・・人生振り返り病です。

小さな失敗や・・・

恥ずかしい体験・・・

後悔・・・そういうものが忘れられないのです。

忘れようとすればするほど・・・

深く記憶に刻み込まれてしまう。

布団に入ると頭に浮かんでくるのです。

「こんなかっこ悪いことをしたぞ」

「あのだらし無なさは何だ」

「よくこんな失敗をして平気なもんだ」

・・・と、過去の映像とともに声が聞こえてくるのです。


そんなとき、
私は羽生結弦くんを思い浮かべます。

羽生くんの4回転ジャンプをイメージしながら・・・

「ウッシャー」と叫ぶのです。

ああ・・・こんな私はやっぱり病気です。

人生振り返り病。

若い頃に・・・

自分に都合の良い記憶ばかりを残した罰です。

これからはもう、
聖人君子になるしかないのです。

後悔とは無縁の生活をし・・・

朗らかな夢を見て生きていく。

でも・・・きっと無理ですね。

また今日も・・・

とんでもない失敗や・・・

恥ずかしいことをやってしまうに違いないのですから・・・(^^♪