アッという間に桜が満開。一気に春めいてきました。
株式会社プラウドも16期を終え、17期に突入致しました。
良いことも、良くないことも、全部踏み越えて、頑張っていきます。
皆々様、引き続き、宜しくお願いします。(^^)ww

さて・・・

私は、とってもとっても情の薄い人間だと思います。

何度も、
そう言われているうちに自分でも気がつきました。

私のことを知っている人。

何度かあったことのある人。

そういう人は、
私のことを「情の薄い人」だとは言いません。

もっと近い人。

ずっと一緒にいる人。

そういう人から見ると、私は情の薄い人なのです。


私は縄張り意識とか、
身内びいきとかいうのが嫌いです。

これは俺のものだとか、
これは俺のものではないとか。

小さいなーと思います。

たとえ、
自分の子供であっても・・・

たとえ、
自社の社員であっても・・・

間違っていることは間違っている。

たとえ、
他人の子供だったとしても・・・

たとえ、
競合他社の社員だったとしても・・・

正しいものは正しい。

そういう人間でありたいと、ずっと思っていました。


でも・・・

それは、間違っているかもしれない。

間違ってはいないけれども、
そういう生き方をするべきではない。

そのように、
考えるようになってきました。


間違っていることを
間違っていると指摘してあげる。

正直に言ってあげることが優しさだと、
ずっとそう考えていました。

でも、
最近はちょっと悩んでいます。

本当にそれが優しさなのかな・・・と。


どんなに間違っていようとも、
それを肯定してあげる優しさ。

それは、
果たして優しさなのでしょうか。

包み込む優しさ。

それが本人のためになるのでしょうか。


正しいかどうか。

その人のためになるかどうか。

それは、
とても重要なことです。

その人を愛しているのなら、なおさら。


しかし・・・

そのような正論はどうでもいい。

そういう時もあるのです。

・・・ということが、
最近わかってきたのです。


間違っている時に、
間違っていないと言ってあげる。

とっても重要なことなのに、
そんなことはどうでもいいと言ってあげる。

そういうことが・・・人間には必要なのだ。

というようなことが、
チョットだけ解ってきたのです。


厳しく指摘してあげる愛と・・・

優しく包み込む愛。

この両方が、
人間には必要なのです。

・・・たぶん ^_^;


身内だというだけで可愛がったり、
自分の縄張りにあるものだけを大事にしたり。

それは・・・

偏った愛なのですが、
「偏った愛こそ本当の愛である」という時もあるのです。


大事なのは、バランスなのです。

私は、正論に偏り過ぎているのです。

もっともっと、
えこひいきしなくてはならないのです。

身内とか、自分自身とかを。


これからはもっと・・・

妻とか・・・

身内とか・・・

自分自身とか・・・を猫可愛がりしようと思います。


毎日、よしよしと頭をなでてやるのです。

そうしたらきっと、
私の情の薄さも少しは解消されるのではなかろうか。

そんな風に考えています。

でも・・・もしかしたら・・・

私は、全く見当違いのことをしているかもしれません。


情とは何か。

正直・・・私にはよく解らないのです。


今日はさわやかな陽射し・・・一変、冷たい風が吹いてきました。
春はもうチョイ先のようですね(^^♪
さて・・・

私はあまり好きではないが、
社内の規律が、
権力によって保たれているということは事実だ。

その権力とは・・・人事権。

賞与の査定や昇進、昇級、異動などを決める権利。

これを持っているが故に、部下は上司に逆らえない。

社員は、社長に逆らえない。

だからといって・・・

もちろん、
理不尽な要求をするのは良くない。

でも・・・

そういう良からぬ上司は、どこにでもいて・・・

事ある毎に問題を起こす・・・


では・・・

上司から人事権を取り上げたらどうなるのか。

本当は・・・

このような権限など超えた信頼関係で
上司と部下は結びついているべきではないのか。

そう思うのだが・・・

実際は・・・

人事権を失った上司の言うことを、部下は聞かない。

人間なのだから、仕方のないことなのだ。

でも・・・

部下が上司の命令を聞かない組織は、
もはや組織としては機能しない。

だから・・・上司には人事権を与えざるを得ないのだ。


上司の意見が部下の査定に影響する。

これは避けがたいことなのだろう。

しかし・・・

上司の評価を鵜呑みにするのはよくない。


上司の中には・・・

先ほど言ったような

理不尽な人や・・・

部下のことを診ていない人・・・

評価の基準がバラバラの人・・・などがいるからだ。

さらに・・・

直の上司に全ての評価を任せてしまうと・・・

部下はやる気をなくしたり・・・

不満を持って会社を辞めてしまったりする。

それは・・・

評価そのものが間違っているという場合もあるが、
そのほとんどは、
評価に対する納得度が低いことが原因だ。

なぜ?納得度が低いのか。

ひとつには・・・

その上司に対する信頼が低いから。

この場合は、
上司が努力するしかない。

そしてもうひとつは、上司だから。

上司だから・・・という理由で、
上司の評価を受け入れられない。

これは・・・

親子の関係とよく似ている。

正論なんだけれども、納得いかない。

受け入れられない。

受け入れたくない。

それは・・・

関係が近過ぎるからなのだ。

でも・・・こればかりは上司にも努力しようがない。

だからこそ・・・

完璧な評価制度を作ることは難しいのだ。

そこで・・・

こんな事を考えてみた。

それは・・・第三者による評価システムだ。

たとえば、
社外の人間にアウトソーシングするとか・・・

あるいは、
社内でも直の上司ではない人に評価をさせるのだ。

評価をする人は・・・

評価のプロとして、技術を持っていなくてはならない。

その人が、
上司や本人の話をじっくりと聞き、
客観的に成果と実力を評価するのだ。

評価には
『正しい評価』も必要だが、
『納得のいく評価』も必要だ。

評価されることによって、
自分の弱点と目標が明確になる。

強みも明確になる。

会社の期待と、やりがいも感じる。

そのような評価は
直の上司には、
なかなか出来るものではない。

近すぎることによって、
お互いに感情が入り交じってくるからだ。

では・・・

評価を第三者に委ねることによって
部下は上司の言うことを聞かなくはならないのか。

私は、ならないと思う。

そのことを含めて、評価の基準を作ればいいのだ。

言うべきことは、しっかりと上司にも言う。

そのかわり、
決定された方針には全力で従う。

評価を組織と切り離すことは、
難しいと感じるかもしれない。

でも、それこそが究極の答えなのではないか。

コロンブスの卵なのではないかと・・・

考えてしまうのだ。



今日は暖かいですね~(^^)ww 月曜日・火曜日は雪マークがついていましたが(^_^;)・・・
LINEのお友達登録が100人を超えました。HP(http://www.proud-dnet.co.jp/)で登録できますので宜しくお願いします。

さて・・・

同じハンバーガーなのに、買う人によって値段が違う。

あなたは、
美人だから50円でいいですよ。

あなたは、
性格が悪いので400円。

みたいに・・・


これは、私の未来予測です。


価格は・・・

商品ではなく、売る相手によって決定されるようになる。

もしも・・・

そんなことになったら、社会は大混乱でしょうか。

でも・・・

元々は、
きっとこうだったはずです。


個人と個人が、物々交換していた頃。

自分が欲しいものを、相手が持っている。

もちろん、
基本的にはそれが重要です。

でも・・・どうでしょう。

交換してほしいと言っている相手が、
自分の好きな人か、あるいは嫌いな人か。

それによって、
きっと条件は変わったはずです。

お客さんがお店を選ぶように、お店もお客さんを選ぶ。

そういうお店が、
どんどん増えていくと思います。

お客さんを選ばないお店よりも、
お客さんを選ぶお店の方がお客さんから選ばれる。

ややこしい話ですが、
社会はそういう方向に向かうのではないでしょうか。

性格の悪い人や・・・

自分勝手な人は・・・

たとえ、お金をたくさん持っていても住みにくい社会。

それが・・・

素晴らしい社会なのか、どうかはわかりません。

そもそも・・・

性格の悪さや・・・

自分勝手さ・・・をどうやって判断するのか。

これは、なかなか難しい問題です。

でも・・・

きっと社会は、
そういう方向に向かうでしょう。

人間は、最終的には、
必ず「損得」よりも「好き嫌い」を
優先するようにできているからです。

「お金なんて関係ないよ」と・・・誰かが最初に言い出すのです。

そして、
それに賛同する人たちが増えていく。

「あなたには売らない」

「あなたの家は建てない」

「あなたの会社では働かない」

もしもそうなったら、社会は大混乱ですね。(~_~;)

お金や権力という、
既得権益を持っている人たちは、
その力を失ってしまう。

資本主義が終わるとき。

それは。。。

「好き嫌い」がお金の価値を超える時です。

お金が万能ではなくなる。

まあ・・・

考えてみたら、
元々お金なんて万能ではないのですけど。

「お金で買えないものは無い」

・・・と言ったホリエモンは大ヒンシュクを浴びました。

でも。。。

実際、ほとんどのものは金で買える。

買えるようになってしまったのです。

学校へ行くことも・・・

学校で教えることも・・・

医療も・・・

結婚でさえも・・・

損得で考えるようになってしまった。

得だからやる。

損だからやらない。

これは結構・・・末期的な症状です。

でも・・・

末期というのは、
終わりに近いから末期と言うのです。

臨界点に達した時・・・

あっという間に・・・

それこそ一瞬にして・・・

人々の価値観は、変わるのではないでしょうか。

「損得」という、お金ではかる価値基準から・・・

「好き嫌い」という、心ではかる価値基準に。


この流れは、
もう始まっていると思います。

「お金じゃないんだよ」・・・という無言の意思表示。

いくら給料が高くても、
嫌いな仕事はやりたくない。

そんな、若者が増えてきました。

それを「贅沢だ」と言ってしまっていいのでしょうか。

お金のためなら、嫌いなことでも我慢してやる。

それは、ホリエモンの主張と
なんら変わらないのではないでしょうか。

「雇ってやっている」

「買ってやっている」

そういう性格の人は、
気をつけた方がいいですよ。

社員に、雇われてもらえない社長や・・・

店員に、売ってもらえない顧客。


これほど寂しいものはないですからね・・・(^_^;)

性格のよろしくない私も。。。

今から精進せねばならないのです。


今日は暖かい日になりました。ホッとしますね・・・ 
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さて・・・

私は長い間、
企業を相手にしたビジネス(BtoB)をやってきました。

つまり・・・

私はほぼ、
BtoBビジネスしかやったことがないのです。

個人相手に商売をしたことがない。

企業相手のビジネスしか知らなかったし、
10万、50万、100万、1,000万円と動くビジネスに
ダイナミックさを感じていました。

社長や決裁者を相手にビジネスするという
面白さもありました。

実際、とても楽しかったです。

ただ・・・

振り返ってみて思うのです。

私のビジネス人生は、かなり偏っていたなと・・・

正直・・・

若い頃は、個人相手のビジネスには
全く興味がありませんでした。

やはり、商品の単価が低かったからでしょう。

だから・・・

不動産ビジネスにだけは興味がありました。

実際、もしも不動産会社に就職していたら
私の人生は変わったでしょうね・・・

でも今は、
個人相手のビジネスにとても興味があります。

しかも・・・

単価がそんなに高くないビジネス。

数百円から数千円のビジネスです。

なぜ、私の興味が、
企業から個人に移ったのかというと・・・

それは・・・

「ものを買う動機」にあります。

「必要だから買う」という動機ではなく・・・

「欲しいから買う」という動機に対して・・・

仕事がしてみたくなったのです。


物を買う時には、
この二種類の動機がある。

私は、そう思っています。

生きていく上、
生活していく上、
企業を運営する上で、
なくてはならないものを売る。

それが「必需品」ビジネス。

なくてもいいけど・・・欲しいから買う。

そういうものを
提供するのが「嗜好品」ビジネス。

私は、ずっと必需品ビジネスをやってきました。

必要なものを売る。

こう表現すると素晴らしいですが・・・

「必要だから買う」という行為は
あまりポジティブではありません。

例えば・・・

会社に着ていくワイシャツは必需品です。

仕事をするために仕方なく買う。

でも・・・

お洒落のために買うワイシャツは嗜好品です。

なくても生きていける。

でも欲しい。

欲しいから買う。

この動機に、
ものすごく魅力を感じるようになったのです。


BtoBビジネスで嗜好品は売れるのか?

これは、ものすごく重要なテーマです。

企業は、
自らが継続発展するために
必要なものを買うべきであり・・・

必要ではないけれども欲しいものを
買うべきではない。

それが、常識ではないでしょうか。

オーナー経営者が買う絵画や彫刻は・・・

たとえ、
会社からお金が出ていたとしても
個人の買い物なのです。

企業としての買い物は・・・

必要なものを
必要なだけ
出来るだけ安く・・・が基本です。

だから・・・

必需品が入り込む余地はない。

私は、そう思います。

必要なものだけを出来るだけ安く。

このマーケットは、
決して無くなることはないでしょう。

ただ、利益はどんどん少なくなっていく。

それは・・・

企業が求めているものが、機能と価格だからです。

機能は、必ず真似されます。

そうすると・・・価格で勝負するしかない。

安くて良い商品が溢れるこの国において・・・

個人の嗜好品にフォーカスすることが
未来へとつながっていく道なのではないか。

そんな気がするのです。

何よりも、このビジネスは面白い。

顧客が喜んで買ってくれる。

高くても買ってくれる。

やりがいのあるビジネスです。


大きな会社はともかく・・・

中小企業は、
必需品マーケットでは生き残っていけない。

でも・・・嗜好品マーケットには、
無限の可能性があります。

人間の「欲しい」は無限です。

まだまだ、
顕在化されていない嗜好品が眠っています。

私は、
それを掘り起こしてみたいのです。




大掃除も終わり、あとは皆で納会@事務所です(^^)ww
今年も退屈しない1年でした。
特に12月に入ってからはジェットコースターのような日々・・・
でもね・・・一人じゃないんです。
社長!頼むよって・・・ケツを叩かれながら乗り越えって行きまっしょい!!

さて・・・

文章を読み返す時間がない私ですが、
人生を振り返る時間はたくさんあります。

というか・・・

私は人生振り返り病なのです。

人生には・・・

憶えておきたい素敵な出来事と・・・

一刻も早く忘れてしまいたい嫌な出来事があります。

若い頃は・・・

嫌なことをアっという間に忘れました。

イイ事はその記憶を倍増して憶えている。

とっても都合のいい頭の構造をしていたのです。

だから・・・

20代の頃の私は無敵でした。(タダのアホ!?!)

・・・というか無敵だと信じていました。

だって・・・

出来なかったことや
挫折したことは、
綺麗サッパリ忘れているのです。

そして・・・

チョットした成功体験を何倍にも増幅して記憶している。

恐ろしい思い込み人間だったのです。

でも、この頃は楽しかったです。

体の奥深くから、
エネルギーが涌き出してくるような・・・

そのエネルギーが、
永遠に尽きないような・・・そんな感覚でした。

頭は冴え、体は思い通りに動く。

なんだったら、
素手で空が飛べるのではないかと・・・

手をバタバタやってしまうくらい・・・

そのくらいの自信家でした。(まったく根拠の無い自信でしたが(^_^;)・・・)

それが・・・

歳を重ねる毎に変わり始めるのです。

30代になり、だんだん現実が分かってくる。

何にも成し遂げていない自分を、受け止めざるを得ない。

もしかしたら・・・

自分は大天才ではなく・・・普通の人間ではなかろうか。

こんな事を考え始めるのです。

30代半ばになって・・・

私は、ようやく努力というものをし始めました。

普通の人間なのだから、努力しないといけない。

その当たり前のスタート地点に立つために・・・

30年以上も費やしたわけです。

ここからの10年は結構、頑張りました。

人生で一番考え・・・

一番責任感を持ち・・・

一番努力した10年でした。

その甲斐あってか、
会社が少しずつ大きくなりました。

知名度も上がりました。

たいして大きな会社ではありませんでしたが、
周りから見れば自信を持ってもいい程度になっていたと思います。

ところが・・・です。

若い頃の反動なのかどうか、この頃の私は凄く弱っていました。

ほんの小さな失敗や・・・

些細ないざこざを、なかなか忘れられないのです。

若い頃だったら3分で立ち直っていた出来事が、
3ヶ月経っても立ち直れない。

忘れられない。

いや・・・それどころか・・・

どんどん記憶が鮮明になって浮かんでくるのです。

若い頃は、周りの人間を見て・・・

「なんでそんな小さいことでいつまでも悩めるのだろう」

・・・と不思議でした。

ですが・・・この頃には、

「なんで、皆そんな簡単に過去の出来事を忘れることが出来るんだ・・・」

・・・と思っていました。

180度変わってしまったのです。

・・・なぜでしょう。

真面目に社長業をやったから、職業病でしょうか。

それとも・・・

若い頃に「忘れてしまう力」を悪用したからでしょうか。

何れにしても・・・

私はどんどん・・・

「忘れられない人」

「ふりかえる人」

「落ち込み続ける人」になっていったのです。

今の私は・・・人生振り返り病です。

小さな失敗や・・・

恥ずかしい体験・・・

後悔・・・そういうものが忘れられないのです。

忘れようとすればするほど・・・

深く記憶に刻み込まれてしまう。

布団に入ると頭に浮かんでくるのです。

「こんなかっこ悪いことをしたぞ」

「あのだらし無なさは何だ」

「よくこんな失敗をして平気なもんだ」

・・・と、過去の映像とともに声が聞こえてくるのです。


そんなとき、
私は羽生結弦くんを思い浮かべます。

羽生くんの4回転ジャンプをイメージしながら・・・

「ウッシャー」と叫ぶのです。

ああ・・・こんな私はやっぱり病気です。

人生振り返り病。

若い頃に・・・

自分に都合の良い記憶ばかりを残した罰です。

これからはもう、
聖人君子になるしかないのです。

後悔とは無縁の生活をし・・・

朗らかな夢を見て生きていく。

でも・・・きっと無理ですね。

また今日も・・・

とんでもない失敗や・・・

恥ずかしいことをやってしまうに違いないのですから・・・(^^♪


いよいよ2015年も押し迫って参りました。
今朝は冷え込んで、漸く暮れを実感しています。
不定期な更新を読んで頂いている皆様、ありがとうございました。
今年も色々ありましたが、引き続き、宜しくお願いします。

さて・・・

「超訳ニーチェの言葉」という本を読んだことがある。

ニーチェが書いた様々な哲学書の中から
短い言葉を抜き出して並べた本。

言ってしまえば・・・それだけの本である。

だが、驚くほど売れた。

ニーチェ自身が書いた本よりも売れた。

それは・・・

ニーチェを読まない人が
「超訳ニーチェの言葉」を読んだからである。

なにしろ・・・私も読んだのだから(^_^;)・・・


だが・・・

不思議だとは思わないだろうか。

ニーチェを読まない人が、何故この本を読むのか。

「もしドラ」でも、同じ現象は起こっている。

ドラッカーを読まない人が・・・「もしドラ」を買って読んだ。

これは・・・

いったい、どういうことなのだろう・・・

流行っている本だから読んでみた。

そういう人もたくさんいると思う。

だが、その流行は・・・

どういうロジックで生まれたのだろう???

ニーチェやドラッカーを愛読する人ではない人が、
最初に、この本を手にした理由は何か。

それは・・・

やっぱり、知的欲求なのだと思う。

つまり・・・

人は、潜在的に・・・

ニーチェやドラッカーを読みたがっているのだ。

だが・・・読まない。

それは・・・読んでもどうせ解らないと思っているから。

そして実際、
読んでみても解らないと思う。


では・・・

「超訳ニーチェの言葉」は
解りやすいニーチェ本なのだろうか。

半分は、その通りだと思う。

だが、半分は間違っている。

なぜならば、
ニーチェが言っていることは
そもそも、解り難いことだからだ。

答えのないものに、答えを見出そうとする。

その思考のプロセス自体が、哲学である。

だから・・・

「解る」なんていうことはあり得ない。

そもそも・・・

「解らそう」と思って書かれていないのだから。


では「超訳ニーチェ」とは何か。


そして・・・なぜ、こんなにも売れたのか。

それは・・・

ひと言で言うならば、マーケットのニーズに応えた本。

だから、売れたのだと思う。

「ニーチェの思考に触れたい」という欲求ではなく・・・

「ニーチェを読みたい」という欲求。

つまり・・・

「ニーチェを読んだ自分」になりたいのである。


「超訳ニーチェの言葉」を読んだ人を
ニーチェを読んだ人と呼んでいいものかどうか・・・

それは、難しいところだと思う。

だが・・・そんなことは問題ではない。

ニーチェがどんな人か・・・

どういうことを書いたのか・・・

それを全く知らないという状態と、
ニーチェの言葉をいくつか知っている状態。

ニーチェって、
こんなこと言ってたよねと言える状態は全然違う。

ニーチェを深く理解していなくてもいい。

そこまでは求めていない。

ニーチェを知っている。

ニーチェの言葉を知っている。

それが・・・

この本を読む多くの人のゴールなのだと思う。


だが・・・勘違いしてはいけない。

彼らは別に、この本を読むことによって
「俺はニーチェを知っている」と・・・誰かに自慢したいわけではない。

満足させたいのは、自分の中の知的向上心なのだ。

ニーチェと
ちょっと・・・触れ合うことによる満足。

それは・・・

例えて言うなら・・・

カルティエのスカーフを持つことによる、
カルティエとのつながりや・・・

iPhoneを持つことによる、
スティーブ・ジョブズとのつながり・・・に似ていると思う。

それは、もちろん本当のつながりではない。

iPhoneを持ったからといって、ジョブズを理解できるわけではない。

だが、このつながり感は、とても大事だと思う。

「自分はニーチェとちょっと触れ合った」と・・・思える人と
「ニーチェなんて興味ない」と思っている人。

この差は、もの凄く大きい。

自分の中の判断軸、
つまり・・・価値観を育てていくか、いかないか。

音痴でも音楽は聴ける。

不器用でも、ゴッホの絵を見に行くことは出来る。

本物のアートや哲学を完全に理解することは難しいし・・・

そんな必要はないと思う。

大事なのは・・・

ちょっと触れ合うこと。

触れ合うことによって・・・

自分の中の価値観が、ちょっとだけ変化すること。

それこそが、
人生の大きな節目なのだと思う。


今年は暖かいですね・・・今日の夕方から冷え込むようですが。
こんな年は・・・冬型が安定していないので、
冷え込んだ途端に雪なんてありそうで、心配です。

さて・・・

もうかれこれ30年くらい、
人生の半分以上を物流&人材ビジネスに費やしてきた。

労働集約のビジネスにおいて、
活躍する人材の採用は・・・

とても重要なファクターだ。

様々なシチュエーションを省みると・・・

上手くいった事も・・・

上手くいかなかった事も・・・

・・・ある。

結果判明したことは・・・

活躍する人材を見抜くのは、
容易ではないという事実だ。

あたりまえだが・・・(^_^;)・・・

学歴・・・
リーダーシップ・・・
体育会で活躍した実績・・・
根性・・・
コミュニケーション能力・・・
コンピテンシー・・・

その他・・・

様々な角度から活躍しそうな人材を予測してみたが、
結局「これだ!」というものは見つからなかった。

もちろん・・・

これらの項目が
全く仕事と関係ないということではない。

仕事と学問は関係がないと言われるが・・・

やはり、
仕事における頭の良さも、
ある程度学歴に比例すると私は思う。

根性やコミュニケーション能力が
仕事をする時にプラスい働くことも確かだろう。

だが・・・それは絶対ではない。

学歴は高いが、仕事頭が悪い人・・・

スポーツで大活躍したのに、仕事では根性がない人・・・

コミュニケーションは得意だと言いながら、お客さんに嫌われる人。

そういう人は、いくらでもいるからだ。

学問頭と仕事頭には、
共通項もあるが、全く関係ない部分もある。

根性のある人が、
あらゆるプレッシャーに耐えられるわけではない。

世の中には、
数えきれないくらいの仕事があり・・・

その全てにおいて、
能力を発揮する人材などいないのだ。

つまり結局は・・・

仕事との相性・・・
人との相性・・・
会社との相性・・・

などなど・・・によって、
活躍するかどうかは変化する。

最終的には、
働かせてみないと解らないということだ。


・・・とはいうものの、
やはり、人材に優劣があることも確かだと思う。

仕事の種類や環境によって、
順位の入れ替えはあるものの、
最上位と最下位が入れ替わるとは思えない。

一緒に仕事をやってみて・・・

「こいつは出来るな」と感じる人材。

そこには、やはり共通点がある。

私が個人的に
「出来る」と感じるポイントは3つある。

ひとつ目は着眼点。

普通の人が見過ごしてしまうようなことを見逃さず、
普通の人が考えつかないようなことを考えつく資質。

これは、
性格や価値観に由来するので、
鍛えることは難しいと思う。


二つ目は、戦略立案能力。

「風が吹いている」という事実を
「桶屋の儲け」に結びつけることが出来るシミュレーション能力だ。

アイデアは、
そのままでは商品にはならない。

アイデアを商品という形にするには、
プロセスが必要だ。

そのアイデアは、
誰にとっての、
どういう価値に結びつくのか。

どのような商品を作り、
どのような人をターゲットにして、
どのような販売戦略を立てるのか。

このプロセスを、組み立てられる人材。

これは間違いなく「出来る人材」である。

この能力を手に入れるためには
元々の頭の良さや柔軟さに加えて、
訓練が必要である。


三つ目のポイントは行動力。

つまり・・・

仕事をこなす早さである。

「仕事が早い」は「仕事が出来る」とかなり近い。

反対に、
「仕事が遅い」は「出来ない」と言われているに等しい。

スピードこそが、
「仕事ができる」という評価への、一番の近道なのである。


では・・・

この三つの資質のうち、
どれを一番重視すべきだろう。

それは・・・

たぶん仕事によって変わると思う。

アイデアがもっとも必要とされる仕事・・・

戦略立案がもっとも必要とされる仕事・・・

スピードが最も必要とされる仕事・・・

それぞれ、あるように思う。

だが・・・

もしも私が、
それぞれの能力を持った人材の中から
一人だけ選べと言われたら、
戦略立案能力を取るだろう。

アイデアとスピードも重要だが・・・

この二つは、
人材の数によって、
カバーすることが出来るからだ。

しかし・・・

戦略立案だけは、
大勢でやるわけにはいかない。

こればかりは、
一人の脳みその中で組み立てるより他ないのだ。

面白い着眼点を持った人材や・・・

スピード感のある人材も、もちろん魅力的だ。

だが・・・

どの能力が、
最も稀少かと言われたら、
やっぱり・・・戦略立案能力だと思う。

この能力を持った人間を、
組織の中に何人引き込むことが出来るか。

それが・・・

業績を大きく伸ばすための
ボーダーラインだと思う。



昨晩、一の酉を覗いてきました(^^)ww
一年って早いですねえ・・・(^_^;)
この一年、自分は十分に頑張っただろうか???
もうチョイとふんばりましょうかね・・・

さて・・・

人が集まるところには必ずルールがある。

学校、会社、国はもとより、
サークル活動・・・卸売市場・・・

マンションの中に至るまで、ルールは作られている。

人は・・・

ルールが無ければ共同生活をすることができない。

やっていい事と・・・

やってはいけない事・・・

・・・を決めておかないと、収拾がつかなくなるからだ。

ウチの学校ではパーマは禁止・・・

ウチの会社では自動車通勤はOK・・・

ウチのマンションではネコを飼ってはいけません。

何をやってもいいか。

何をやったらいけないか。

その境い目を明確にしたものがルールである。

金魚は飼ってもいいけど、リスは駄目。

なぜか???

正直言って、
そこには誰もが納得できる理由など無い。

こちらのグループでOKだったものが、
あちらのグループでは駄目。

あちらのグループでOKだったものが、
こちらのグループでは駄目。

ルールとは、そういうものなのである。

例えば・・・

法律にしても、国が変わればころっと変わる。

死刑や中絶を合法にしている国もあれば、
違法にしている国もある。

イスラムのルールでは、
金利を取る事は違法行為である。

日本で合法な会社が他の国では違法・・・

他の国で合法な食べ物が日本では違法。

そういう事は、いくらでもある。

つまり・・・

誰がどう見ても完全無欠なルールというものは
この世には存在しないということだ。

では・・・

ルールを作るために、
必要不可欠なものは何だろうか。

知識や常識。

いや違う。

ルール作りに必要なのは、
知識ではなく権力である。

権力の後ろ盾無くして、ルールは成り立たない。

なぜならば、
ルールは違反した時の罰則とセットだからだ。

法律に違反したら警察に捕まり・・・

校則に違反したら退学になる。

社則に違反したらクビになり・・・

仲間のルールに違反したら仲間はずれにされる。

嫌なことではあるが、
ルールには違反したときの罰則が必要である。

それが無ければ、
誰もルールを守らなくなってしまうからだ。

正直に言って・・・

ルールの厳守され度合いは、
良識ではなく罰則の重さによって決まる。

車なら信号を守るのに、
徒歩だったら平気で赤信号を渡るのは、なぜか???

割り込みをするのも、
エレベーターを駆け上がるのも、
罰則が緩いからだ。

人のものを盗まない。

人を傷つけない。

殺さない。

それは、
ルールを破った時の罰則が厳しいからである。

人間は自らの良識ではなく、
罰則の重さによって行動を変えている。

認めたくはないが、
残念ながらそれが事実である。

だからこそ・・・

ルールを破った時に罰則を与える力が
ルールには不可欠なのだ。

軍事力や・・・警察力。

決裁権や・・・人事権。

それなくして、
ルールは守られない。

ルールには、番人が必要なのだ。


それゆえに、
ルールは常に強者が作ることになる。

弱者が作ったルールなど、
強者は守ろうとはしないからだ。

資本家が作ったルールに労働者が従い、
大企業が作ったルールに中小企業が従い、
先進国が作ったルールに発展途上国が従い、
アメリカが作ったルールに日本が従う。

正しいか・・・正しくないか。

正義か・・・悪か。

そんな事は、関係がない。

人間社会には、
ルールが必要であり、
ルールは強者が作るしかないのだ。

それは、
紛れもない現実であり、事実である。

日本がTPPに参加するべきかどうか・・・

オスプレイの配備を認めるかどうか・・・

そのような事は、
日本には決める権限が無いのである。

強者によって作られたルールに、
弱者は従うしかない。

なぜ?酒が良くて、
マリファナはいけないのかと食って掛かっても・・・

意味は無い。

違反すれば、罰を受ける。

ただ、それだけの事だ。

だからこそ・・・

ルールの意図を知る事が、
とても重要なのである。

強者は、
どのような意図を持って・・・

そのルールを作ったのか。

そもそも・・・

ルールを否定するのではなく、
ルールの意図を理解する。

そのためには・・・

常識や良識という先入観を捨てなくてはならない。

そこには、
百人百色のカオスが・・・

間違いなく存在しているはずだから・・・



お盆も過ぎて・・・暦は一足先に秋を知らせてくれますが・・・
暑いですね~(^O^;) さて、

実は私、子供の頃、ずっと浮いておりました。

浮いていると気がついたのは
高校生になってからですが・・・

その前から
浮いていたことは間違いございません。

小学生のときは、
近所の人から「お宅の息子さんはユニークね」と言われていたそうです。

つまり、変わった子ということです。

私は、高校生くらいになるまで、
場の空気というものがまったく解りませんでした。

だから・・・

近所でも、クラスでも、ものの見事に浮いていたと思います。

小学生のとき、私の日課はサッカーでした。

学校が終わると、すぐさまボールを蹴り始めるのです。

毎日毎日・・・シュート板に飽きもせず蹴っていました。

まあ、浦和という地域性もあったかもしれません。

毎日同じ場所で、私は蹴り続けました。

一日も欠かさずに。

おそらく・・・

私の親も、相当変わった人だったのではないでしょうか。

学校でも相当浮いていましたね。

正直言いまして、
私はひとりでもボールを蹴り続けていました。

本を読んでいるか、ボールを蹴っているか・・・

でも、全く違和感はなかったです。

ただ、恐ろしく場の空気が読めない子供だったのです。

中学生になって、
クラスメイトが「お前浮いてるぞ」と言ってくれたおかげで、
私は初めて自分が浮いていることを知りました。

そして、中学生になって初めて音楽に目覚めたのです。

高校生になって、
私はようやく普通の友達が出来るようになりました。

その後も、少しずつリハビリを重ねることによって、
私は社会に馴染んでいったのです。

今では文章を書いたり、
講義などもしたりして、
「みなさんは解っていない」みたいな話をしますが・・・

実のところ、
解っていなかったのは私の方なのです。

私が社会の常識を理解できるようになったのは、
二十歳も過ぎてからなのです。

でもどうなんでしょう・・・

今の私は社会に馴染んでいるのでしょうか?

それともやっぱり浮いているのでしょうか?

よく誤解されるのですが、
実は私は浮くことがすごく嫌なのです。

だから、
パーティーとかは行きたくないです。

だって、
必ず浮いてしまいますからね。

目立たないように、
景色に溶け込むように、
生きていきたい。

それが、
私の根底にある感情です。

でも、どうしても・・・

その色に染まりきれない自分もいます。

どんなに社交的に人と接しようとしても
10分くらいしかもたないのです。

だんだんと・・・

無愛想になり、
無表情になり、
逃げ帰ってしまいます。

社会の中には、
浮いて目立ちたいという人もたくさんいます。

でも、私には、
そんな欲求はまったくありません。

昔も今も、
そしてこれからもずっと。

私は静かに、
美味しいものでも食べながら、
のんびりと生きていきたいのです。

でも・・・きっと無理です。

私は私の中に芽生えた疑問を・・・

放置することが出来ないからです。

それを追求していくことが、
社会で浮くことにつながるとしても・・・

どうしても放っておけない。

常識を疑い・・・

突っつき回し・・・

ひっくり返す。

「これっておかしいんじゃないですか」

・・・と言わずにはいられない。


その人の常識をひっくり返すことに
どれほどの価値があるというのでしょう。

でも、どうしても、言わずにはいられない。

だから・・・

きっとこれからも、私の人生は浮いたまんまです。



梅雨明け10日といいますが・・・暑いですね(^_^;)・・・

いよいよ夏本番ですが、私はすでにサッカー焼けで真っ黒です(^^)ww

さて、そんなこんなで蒼き海について・・・

まだ、
この世に存在していないマーケットを開拓することによって
熾烈な競争から逃れる戦略。

エジソンやスティーブ・ジョブズのように
次々と新しい商品を発明することによって。

それは・・・

もちろん、
立派なブルーオーシャン戦略だと思う。

だが・・・

そんなことが普通の企業、普通の人間に可能だろうか。

彼らは、紛れもなく・・・
自他ともに認める天才であり、
数十年、いや数百年に一度しか現れないような歴史的人物である。

その頭脳、閃き、感性、カリスマ、
そして・・・集金力や運に至るまで、
常人には、
とても真似の出来ない存在と言わざるを得ない。

ブルーオーシャンなどというのは・・・

そのような、
一部の天才にのみ許された戦略であって、
一般の企業や一般の労働者は
これまで同様、
レッドオーシャンでしのぎを削るしかない。

顕在化されたマーケットの中で戦い合って・・・

傷つきながらも勝利をもぎ取るしかないのだ。

そうかたくなに考えてしまう気持ちはよくわかる。

目の前の競合よりも1円でも安く
少しでも、
いい商品をそれ以上の営業力で販売する。

それは、とても固く堅実な戦略だ。

だが・・・

本当にその戦略は、
長続きするのだろうか。

完全に心を閉ざしてしまうその前に、
もう一度、
ブルーオーシャンについて、
考えてみてはどうだろう。


そもそも・・・

ブルーオーシャンとは
革命的な発明のことを指しているのではない。

私は、そう思う。

ブルーオーシャン戦略の最大のポイントは・・・

「戦わないことだ。」

2,500年前に書かれた、
歴史上最も有名な戦術書である『孫子』にも、
戦わずして勝つことの重要性が説かれている。

では・・・

戦わずに勝つには、どうすればいいのか。

いや・・・

そもそも、そんなことは可能なのだろうか。

戦わずに勝つ。

これを、
ビジネスの用語に翻訳するならば・・・

「競争せずに販売する」

・・・あるいは、

「比較されずに買ってもらう」

・・・といったところか。

競争や比較から、
逃れる方法はひとつしかない。

それは・・・

比べようもない、ただ「ひとつ」の存在になることだ。

では・・・

そのために必要なことは何か。

他者が絶対に作れないような
革命的な商材。

それは、
もちろん最強の差別化だと思う。

だが・・・

前述したように、
そのような発明が出来るのは
運と実力を兼ね備えた一部の天才だけだ。

では・・・

他に比較から逃れる方法はあるのだろうか。

私はあると思う。

もっと簡単で・・・

誰にでも出来る身近な方法が。


iPhoneは、
なぜ比較されずに選ばれるのか。

正直言って・・・

iPhone以上の機能を持った商品は、
存在すると思う。

デザインだって、個人の好み次第だろう。

その中で・・・なぜiPhoneだけは特別なのか。

それは・・・

iPhoneが特別な商品なのではなく、
「私の中でiPhoneは特別」なのである。

例えば・・・

子犬の頃から、
ずっと可愛がってきた柴犬。

きっと、
かけがえのない友人なのだと思う。

でも・・・

他の人から見れば、
もっと可愛い、
もっと賢い、
もっとスマートな柴犬など、いくらでもいる。

いや・・・もっと言えば、
柴犬である必要もない。

その柴犬が特別なのは・・・

「私にとって特別な存在」だからである。


商品も・・・

サービスも・・・

お店も同じことではないだろうか。

もしも・・・

ある人にとって、
唯一無二の喫茶店があるとしよう。

そのお店が、
世界で唯一無二である理由は
決してコーヒーの味や店の雰囲気ではない。

そのお店を
唯一無二たらしめているのは・・・

その人の『心』なのだ。

そのお店が
舞台になって繰り広げられた過去のストーリー。

それが、
その人の中で、
そのお店を特別にしているのである。


ブルーオーシャンは・・・

新しい商品や
マーケットを意味しているのではない。

お客さんにとっての『特別な存在』。

それこそが、
ブルーオーシャンなのだ。