昨晩、一の酉を覗いてきました(^^)ww
一年って早いですねえ・・・(^_^;)
この一年、自分は十分に頑張っただろうか???
もうチョイとふんばりましょうかね・・・
さて・・・
人が集まるところには必ずルールがある。
学校、会社、国はもとより、
サークル活動・・・卸売市場・・・
マンションの中に至るまで、ルールは作られている。
人は・・・
ルールが無ければ共同生活をすることができない。
やっていい事と・・・
やってはいけない事・・・
・・・を決めておかないと、収拾がつかなくなるからだ。
ウチの学校ではパーマは禁止・・・
ウチの会社では自動車通勤はOK・・・
ウチのマンションではネコを飼ってはいけません。
何をやってもいいか。
何をやったらいけないか。
その境い目を明確にしたものがルールである。
金魚は飼ってもいいけど、リスは駄目。
なぜか???
正直言って、
そこには誰もが納得できる理由など無い。
こちらのグループでOKだったものが、
あちらのグループでは駄目。
あちらのグループでOKだったものが、
こちらのグループでは駄目。
ルールとは、そういうものなのである。
例えば・・・
法律にしても、国が変わればころっと変わる。
死刑や中絶を合法にしている国もあれば、
違法にしている国もある。
イスラムのルールでは、
金利を取る事は違法行為である。
日本で合法な会社が他の国では違法・・・
他の国で合法な食べ物が日本では違法。
そういう事は、いくらでもある。
つまり・・・
誰がどう見ても完全無欠なルールというものは
この世には存在しないということだ。
では・・・
ルールを作るために、
必要不可欠なものは何だろうか。
知識や常識。
いや違う。
ルール作りに必要なのは、
知識ではなく権力である。
権力の後ろ盾無くして、ルールは成り立たない。
なぜならば、
ルールは違反した時の罰則とセットだからだ。
法律に違反したら警察に捕まり・・・
校則に違反したら退学になる。
社則に違反したらクビになり・・・
仲間のルールに違反したら仲間はずれにされる。
嫌なことではあるが、
ルールには違反したときの罰則が必要である。
それが無ければ、
誰もルールを守らなくなってしまうからだ。
正直に言って・・・
ルールの厳守され度合いは、
良識ではなく罰則の重さによって決まる。
車なら信号を守るのに、
徒歩だったら平気で赤信号を渡るのは、なぜか???
割り込みをするのも、
エレベーターを駆け上がるのも、
罰則が緩いからだ。
人のものを盗まない。
人を傷つけない。
殺さない。
それは、
ルールを破った時の罰則が厳しいからである。
人間は自らの良識ではなく、
罰則の重さによって行動を変えている。
認めたくはないが、
残念ながらそれが事実である。
だからこそ・・・
ルールを破った時に罰則を与える力が
ルールには不可欠なのだ。
軍事力や・・・警察力。
決裁権や・・・人事権。
それなくして、
ルールは守られない。
ルールには、番人が必要なのだ。
それゆえに、
ルールは常に強者が作ることになる。
弱者が作ったルールなど、
強者は守ろうとはしないからだ。
資本家が作ったルールに労働者が従い、
大企業が作ったルールに中小企業が従い、
先進国が作ったルールに発展途上国が従い、
アメリカが作ったルールに日本が従う。
正しいか・・・正しくないか。
正義か・・・悪か。
そんな事は、関係がない。
人間社会には、
ルールが必要であり、
ルールは強者が作るしかないのだ。
それは、
紛れもない現実であり、事実である。
日本がTPPに参加するべきかどうか・・・
オスプレイの配備を認めるかどうか・・・
そのような事は、
日本には決める権限が無いのである。
強者によって作られたルールに、
弱者は従うしかない。
なぜ?酒が良くて、
マリファナはいけないのかと食って掛かっても・・・
意味は無い。
違反すれば、罰を受ける。
ただ、それだけの事だ。
だからこそ・・・
ルールの意図を知る事が、
とても重要なのである。
強者は、
どのような意図を持って・・・
そのルールを作ったのか。
そもそも・・・
ルールを否定するのではなく、
ルールの意図を理解する。
そのためには・・・
常識や良識という先入観を捨てなくてはならない。
そこには、
百人百色のカオスが・・・
間違いなく存在しているはずだから・・・