寒いですネ~(^_^;)日々是忍耐で頑張る今日此の頃、如何お過ごしでしょうか・・・
節分も過ぎ、春を待つ今頃が一番冷え込みますが・・・あと数週間の辛抱です(^^)ww
 
さて・・・
 
言葉が通じない人とのコミュニケーションには、通訳が必要である。
 
例えば・・・
日本語が話せない外国人と、 
日本語しか話せない日本人がコミュニケーションするとき。 

こういう場面には、通訳が欠かせない。 

では・・・
 
日本人同士だったらどうだろう。
どちらも日本語が話せる。 
だから通訳は必要ない。
 
そういうことに、
なるのだろうか・・・
 
例えば・・・
方言というものがある。
方言しか話せない人とコミュニケーションするには
「方言と標準語の両方が分かる人」、 
すなわち通訳が必要である。 

そんな通訳は見たことがない?
 
確かにそうだ。
なぜだろう。 

それは、
通訳する人がいなくても、何とかなるからだ。 

例えば・・・
友人と海外旅行に行く時に通訳を伴っていく人は少ない。 
それは、通訳がいなくても何とかなるからだ。 
 
だが・・・
ビジネスで海外に行くとしたら話は違って来る。 
ビジネスの場合、ほんのちょっと伝わらないだけで大問題になりかねない。 
だから、プロの通訳を伴っていくのである。 

ほんのちょっと伝わらないだけで大問題になる。 

こういう場面において、通訳は欠かすことが出来ない。 

それは、
日本人同士のコミュニケーションにおいても、
同じなのではないだろうか。 
 
例えば・・・
自社の商品を顧客に説明する時。 
お互い日本人なのだから、もちろん言葉は通じる。 

だが・・・
言葉が通じるからと言って、 
伝えるべきことが全て伝わっているわけではない。 

顧客にとっての価値が正しく伝わらなければ、 
その商品は売れなくなってしまう。 

つまり・・・
これは営業場面においての大問題なのだ。 

営業だけではない。 

医者が患者に病状を伝える時も、 
先生が生徒に算数を教える時も、 
上司が部下に仕事の指示を出す時にも、 
伝えるべきことが正しく伝わらないと大問題が起こってしまうのである。 

だが・・・
大抵の人は、この大問題に気がついていない。 

なぜならば・・・
日本人同士なのだから、
言ったことは伝わるはずだと信じ込んでいるからだ。 

考えてみれば・・・
全ての社会活動にはコミュニケーションが伴う。 
ビジネスにも、学問にも、恋愛にも、コミュニケーションは不可欠である。

そして・・・
コミュニケーションに100%はあり得ない。 
日本人同士だろうが、男同士だろうが、長年連れ添った夫婦だろうが、 
100%のコミュニケーションを実現することは不可能なのだ。 

だからこそ・・・通訳には価値がある。 

商品価値を通訳出来る営業マン、 
会社の事業方針を通訳出来る管理職、 
被告人の言いたいことを通訳出来る弁護士、 
開発に込めた思いを通訳出来る技術者。 

こういう人たちは、
必ず社会における成功者となるだろう。 

人間社会には、
通訳という要素を伴わない職業など存在しないのである。
通訳など必要ない・・・そう考えている人が多い職業ほど 
通訳ができる人の価値は高くなる。 

全ての職業は、
通訳なのだということを前提に ・・・

「自分は 『誰に』 『何を』 伝えるべき存在なのか」を 
一度じっくりと考えてみるべきではないだろうか。 

 
今日は暖かいですね・・・三寒四温ってやつでしょうか・・・
忙しい週末を乗り越え、早くも2月に向けて準備。
その先は期末~新しい期と日々は待ってくれませんね。
 
さて・・・

高いアイスクリームが売れているそうです。 

プレミアムアイス。 

美味しいから売れるのか。
 
それとも高いから売れるのか。 

私は、どちらでもないような気がします。 

ひとつ250円のプレミアムアイスや、 
一箱1000円のプレミアムティッシュが売れていく。 

その現象だけを見ていると、 
消費者は、プレミアム商品を欲しがっているように見えます。 

でも、残念ながら、高いだけでは売れない。 

では・・・やはり、クオリティーでしょうか・・・

消費者は品質を求めている。 

いや、これもちょっと違うような気がしますよね。 

では・・・消費者は、一体何を買っているのでしょう。 

消費者は、ただ欲しくなってしまったのです。

そして、私はただ、欲しくなってしまったのです。 

そう、その商品を見つけた時、 
私はどうしても買わずにはいられませんでした。 

しかもなんと、8万数千円の商品が、 
4万数千円で売りに出されていたのです。 

しかも、数量限定。
 
もはや買わない訳にはいきません。 

即買いしてしまいました。 

では、私はこのギターを何に使っているのか。 

毎晩眺めているのです。 (チョロっと練習していますが・・・)

自宅で酒を飲みながら、このギターを眺める。 

時々部屋を暗くし、 
ちょこっと練習らしきものに興じて音色を確かめる。 

もうこれだけで、 
飲んでいる酒が20倍くらい美味しく感じてしまうのです。 

後悔したことは、一度もありません。 

「なんでそんなものに・・・」と、妻はあきれております。 

まあ、ほとんどの人はあきれてしまうでしょう。 

でもこのギターは、海外で人気があるのです。 (多分・・・(^_^;)・・・)

こんなに高いにもかかわらず。 (ギターとしては、大したことないけど)

もしもこのギターが1万円だったら、皆さんは買いますか? 

5000円だったら?
 
3000円だったら? 

恐らく、それでも買わないでしょう。 

なぜならば「欲しくない」からです。 

売れないから値段を下げる。 

そういうことが、
まことしやかに行われていますが、 
結局は欲しくないものは、
どんなに安くったって売れないのです。 

世の中には色んな「欲しい」があります。 

釣り竿に10万円出す人もいれば、 
ゴルフのクラブに20万円出す人もいる。 

中古のお皿に50万円出す人だっているでしょう。 

私は、そんなものにはお金を出しませんが、 
その人達の気持ちは、よくわかります。 

それを持っているだけで、ちょっと幸せな気持ちになれる。 

私のギターやパターと同じなのです。 

プレミアムアイスを食べたくなる人。 

プレミアムティッシュを使いたくなる人。 

これも突き詰めていけば、同じではないでしょうか。 

そのアイスを食べることによって、 
そのティッシュで鼻をかむことによって、 
何かとてもハッピーな気持ちになれる。 

人は皆、心を満たしてくれる何かを求めています。 

でも・・・その何かが、何なのか自分でも解らない。 

私だってそうです。 

世界中のギターを調べ回ったわけではありませんし、 
そもそも、ギターなんて欲しいとも思っていなかったのです。 
でも欲しくなった。 

『それ』が、目の前に現れたからです。 

皆が欲しいと言うものをつくるのではなく、 
誰かの「欲しい」が発現するものをつくる。 

そういうモノづくりが、 
今の時代には、必要なのではないでしょうか。 

そのために必要なのは、
多分・・・自分自身の感性を磨くことなのです。
 
2017年、早くも1月が終わろうとしています・・・(^_^;)
ちゃんと1/12のタスクをこなせているんだろうか!?!
あと・・・340日ほど、精進しましょう(^^)ww
 
さて・・・
 
物事には、順番というものがあり・・・
 
順番には入れ替えられるものと、
入れ替えられないものとがある。 

例えば・・・
 
洗濯物は『洗う→乾かす→畳む』の順。 

洗う前に乾かすことは出来ないし、 
畳んでから洗うわけにもいかない。 

料理の手順もよく似ている。 

調理の前に盛りつけをすることは出来ない。 

盛りつけは、必ず調理のあとだ。 

だが、入れ替えが可能なものもある。
 
例えば、調理の順番。 

焼いてから切るのか、切ってから焼くのか。 

ここには、物理的な制約はない。 

調理の手順が決まっているのは、
そのほうがスムーズだから・・・

あるいは、
そのほうが美味しく、美しく仕上がるからだ。 

おおよそ、
この世にある順番には何らかの意味がある。 

だからこそ、
何十年、何百年にわたって守られて来たのである。 

しかしながら・・・
 
順番を変えることは出来ない。 

それは歴史であり、伝統であり、常識であるのだ。 

・・・と、ほとんどの人は、無意識に信じ込んでいる。 

・・・というか、
そもそも考えるということをしない。
 
だが現実には・・・

その役目を終えてしまった順番というものもあるし、 
入れ替えたほうが、遥かに効果的という順番だってある。 

だが、そこに手をつける人はほとんどいない。
 
なぜならば・・・

順番を変えることには、大きなリスクが伴うからだ。 

例えば・・・
 
大学を出てから働くという順番を、 
働いてから大学に行くという順番に変えてみる。
 
これだけで 、大学での四年間は、
劇的に価値のあるものになるかもしれない。 

実際に・・・欧米ではこのパターンがよくある。
 
・・・が、日本では、
この順番を入れ替えることには大きなリスクが伴う。 

それによって、
就職がものすごく不利になるかもしれない 
(・・・と皆が思い込んでいる)からだ。 


実際に順番を変えることには、リスクが伴う。 

だが・・・
 
これほど簡単で、
画期的な発明方法はないとも思う。 

新しいことを考えるわけではない。 

ただ・・・順番を入れ替えるだけ。 

それだけで、
劇的に効果が出る可能性だってあるのだ。 

例えば・・・採用。
 
ほとんどの経営者は、仕事がある時に人を採る。 

この順番を入れ替えてみたらどうだろう・・・

仕事がないから人を採る。
 
つまり・・・

人を採ることによって、
仕事を増やすという発想の転換である。 

私も過去に、
色々な順番を入れ替えたことがある。 

例えば・・・給料を増やす順番である。 

利益が出たら、給料を増やす。
 
この順番を入れ替えてみた。 

まず、給料を増やす。 

そうすると、優秀な人材が集まってくる。 

結果的に利益が増える・・・と考えてみたのである。 

正直言って、
この取り組みは成功だったとは言えない。 

だが、何ごともやってみなければ解らない。 

やる前から結果は予想出来た・・・
 そういう人には、決して劇的な変化は訪れないだろう。 

売れるものを作るのではなく、作ったものを売る。 

採った人を育てるのではなく、育つ人を採る。 

順番を入れ替えるという発想、そのものが発明なのだ。 

何かを変えるから、結果が変わる。 

この順番だけは、
決して入れ替わることはないだろう。 
 
当たり前ですが・・・(^_^;)・・・(^^)ww

 

いよいよ年の瀬もおしせまり、年始からはどうしようなどと考える・・・今日此の頃

・・・いかがお過ごしでしょうか!?!

今年一年、ありがとうございました。 

来年も、引き続き、宜しくお願いします。(^^)ww

 

ところで、元旦の天気は快晴が多いような気がしませんか?

本当は普通に色々な天気があるんだけど、

家族揃って良い思い出があるから、快晴が多いような気がするんだとか・・・

 

さて・・・

 

私も最近はすっかり「暇あり」状態なのです。


本当は「暇なし」状態になって働くより他ないのですが・・・

 

株を買い取り、「金なし」状態になってしまったから・・・

 

私は別に仕事が嫌いではありません。 


だから、忙しいのはそんなに苦にはなりません。 


問題は、この「暇あり」状態がいつまで続くのかです。 

 

はい、そうです。 


「暇なし」には二つの種類があります。 
「金持ち暇なし」の状態と「貧乏暇なし」の状態。 

「金持ち暇なし」は、いずれ「金持ち暇あり」になれます。 
でも「貧乏暇なし」は、いつまで経っても「貧乏暇なし」なのです。 

 

「暇あり」にも二つの種類があります。

「金持ち暇あり」の状態と「貧乏暇あり」の状態。

「金持ち暇あり」は問題ないし・・・
でも「貧乏暇あり」は、何かを変えなければ、

いつまで経っても「貧乏暇あり」なのです。 

 

私としては出来れば「金持ち暇あり」を選びたい。 


でも、これがなかなか難しいのです。 


なぜならば・・・

 

「金持ち暇なし」の仕事が、 
最初から時給が高いわけではないからです。 

 

「貧乏暇なし」の仕事は時給が安く、 
「金持ち暇なし」の仕事は時給が高い。 


もしも・・・

 

そんなに解りやすかったら、「貧乏暇なし」を選ぶ人などいません。 


全員が「金持ち暇なし」を選び、

出来れば「金持ち暇あり」を願う事でしょう。 

 

実は「金持ち暇なし」の仕事も最初は時給が安いのです。 


もしかしたら・・・

 

「貧乏暇なし」の仕事よりも安いかもしれません。 


「貧乏暇なし」の仕事と「金持ち暇なし」の仕事。 


その二つの違いは、時給の上昇率のあるのです。 

 

「貧乏暇なし」の仕事は時給が上がらないか、上がり幅が少ない。 


あるいは、

どこかでピタリと頭打ちになってしまう。 


そういう仕事です。 


一方「金持ち暇なし」の仕事は、 
どこかの段階で急激に時給が上がり始めます。 


描いているマンガが売れ始めた時や、
携わっている事業が大きくなり始めたとき。 


そこを境に、

時給はドンドン上がっていくのです。 

 

もちろん・・・

 

事業が大きくなっても、時給が上がらない人もいます。 


携わっていた研究の成果が出ても・・・

開発していた商品が売れても・・・ 
勤めていた会社が上場しても・・・時給は上がらない。 


多少は上がっても、劇的には上がらない。 


それは・・・

 

務めている会社が悪いのではなく、 
自分自身が、

そういう選択をしたということです。 

 

世間的には、

よく「リスク」という言葉が使われます。 


漫画家になる事や、自分の会社を立ち上げる事。 


そこには、

リスクが伴うが、その代わりに当たれば大きい。 


そういった考え方です。 


私は、

それが間違っているとは思いませんが、 
ちょっと違うような気もします。 

 

リスクを取るか、取らないか。 


そういう問題ではなく、自分の能力を信じるかどうかです。 


劇的に時給が上がる仕事とは、

能力によって時給が大きく変わる仕事です。 


劇的に時給が上がらない仕事とは、 
能力によって、そんなに時給が変わらない仕事です。 


人生はギャンブルではありません。

 

私もギャンブルは嫌いです。 


でも・・・賭けてもいいと思う対象が一つだけあります。 


それは、自分の未来です。 

 

とは言っても・・・自分では解らないものなのです。 


今の私が「金持ち暇なし」に近づいているのか、 
それとも・・・「貧乏暇あり」のままなのか。 


きっと2、3年後には、

その答えが出ている事でしょう。 

 

 

CHRISTMAS前の夕方・・・(^^)ww この中途半端なスキマ時間に書いてみましょう。

今日は道路も混み模様・・・くれぐれも御安全に(^O^)/

 

さて・・・

 

あと一手の重要さ。 


この大切さを解っていない人が多いものです。 


いわゆる、詰めが甘い人。 


頭が良い人ほど、こういうタイプが多いように感じます。 


なぜなのでしょうか?

 

頭が良い人は、確率でものごとを考える癖がついている。 


そんな気がします。 


出来るだけ効率よく・・・

出来るだけ無駄なエネルギーを使わずに・・・
成果を出す。 


今の社会では、

そういう人が「できる人」と呼ばれます。 


最低限の投資で、最大限の効果が出せる人。 

 

出来るだけ勉強せずに良い学校に入り、 
出来るだけ働かずに高い収入を得る。 


それが、

最も効率のいい、頭のいいやり方だと、刷り込まれてしまっているようです。 

 

確かに効率は良いかもしれません。 


99%までは。 


99%の成果。 


それは・・・試験においては、最も効率のいいやり方なのです。 

 

99点の科目を100点に伸ばすこと。 


それは・・・試験においては、

ほとんど意味がない行為です。 


たったの1点。

 

そのために、どれほどの努力が必要か。 


それを考えた場合、

60点の科目を80点に伸ばすほうが、 
遥かに効率も結果も良くなるのです。 

 

でも・・・現実の社会においてはどうでしょう。 


3日遅れだった納品が1日遅れになる。 


60%だった達成率が80%になる。 


話も聞いてくれなかったお客さんが、話だけは聞いてくれるようになる。 


もちろん、

これらは確実な進歩ではあります。 


しかし、仕事の成果という意味では同じ。

 

つまり成果無し、ということです。 

 

12時までに届くはずの荷物が12時5分に届いた場合、 
通常の顧客は怒ります。

 

決して「頑張った」と褒めてはくれません。 


「惜しい」負けは・・・現実の世界では何の意味も持たない。 


重要なのは、

最後の一手をきっちりと指すことなのです。 

 

それは・・・

 

たとえば一つの追加資料であったり・・・


ほんの少しの企画の工夫であったり・・・


あるいは、

たった一本の確認電話や、メールであるかもしれません。 


その最後の一手が打てるかどうか。 


その一手を後回しにしないかどうか。 


それが・・・

 

社会における「出来る人」と「出来ない人」との決定的な違いなのです。 

 

90点の提案を10回やれば、確率的に3回は仕事がとれる。 


そう考えている人は結局・・・

 

一つの仕事も、一つの信頼も、 
得ることが出来ないまま終わっていくでしょう。 


大事なのは、

その90点を100点にすること。 


更には100点を101点、102点にすることなのです。 

 

もちろん・・・

 

101点の仕事など、誰も求めては来ません。 


十分に成果が上がっている仕事の更なる先など・・・

 
誰も要求して来ないのです。 


でも、その更なる要求を自分自身に突きつけること。 


誰にも求められていないのに「あと1点」にこだわること。 


そういう人のところに、世の中の仕事は集まってきます。 

 

99点の仕事をする人と、101点の仕事をする人。 


その年収には10倍くらいの開きがあるのです。 


あと一手。

 

あと一点。 


その追求こそが、

社会で成功するための鍵なのです。 

 

自戒・・・(^_^;)・・・

 

 

まもなく・・・Merry Christmas(^O^)/  ・・・ですね。先ず・・・

先般、教えている少年団の3年性が初の地区ブロック大会で優勝しました(≧∇≦)b

今後、6年生まで対戦し続ける相手に対して勝てたことは

今後の大きなアドバンテージになることでしょう・・・

 

さて・・・

サッカーと将棋の違いを考えた事があるだろうか。 


まあ、大抵の人はそんな事は考えないだろう。 


何しろ二つの競技は違いすぎる。

だが似ている点もあるのだ。 

 

まず、勝つための戦略を考える人がいる事。 


サッカーならば監督であり、将棋ならば棋士。 


そして・・・

 

その人たちが考えた作戦に従い、動くものたちがいる。 


サッカーならば選手、将棋ならば駒だ。 


ここで質問がある。 


なぜ、サッカーにはコーチがいるのに、将棋にはいないのだろうか?

 

「ふざけた質問をするな」と怒られてしまいそうだが、 
事実、将棋にはコーチがいない。

 

そして、サッカーにはコーチがいる。 


これは、とても重要な違いなのだ。 


そして・・・

 

この『違い』を真剣に考えない人は 
きっとコーチには向かないと思う。 


いや、コーチどころか、あらゆる管理職に不適任かもしれない。 


サッカーにコーチが必要な理由。 


それは・・・選手が駒ではなく人間だからだ。 


「何だ、バカらしい」と思われるだろうか。 


たしかに当たり前の話だが、

この当たり前の事を理解しないままに 
コーチや管理職をやっている人達が世の中には沢山いる。 

 

なぜ?駒にはコーチが必要ないのに、 
人間にはコーチが必要なのか。 


それは・・・

 

人間が『言った通りには動かない』駒であるからだ。 

 

もしも、監督の支持通りに100%選手が動くとしたら、 
サッカーにもコーチは必要ない。 


監督はただ「走れ」とか「寄せろ」とか 
指示を出していればいいのである。 


だが、現実問題として・・・


選手は監督の指示した通りに動かないし、動けない。

 

パスしろと言われてピッチに立ったのに、失敗してしまう。 


この選手を抑えろと指示を受けたにもかかわらず、決められてしまう。

 

人間なのだから当たり前なのだ。 


だが、将棋ならば、こんな失敗は絶対にあり得ない。 


前に進めと言っているのに横に進む駒はないし、 
斜めに移動しろと言われて失敗する角もいない。 


人間は指示した通りには動かないし、動けない。 


これが鉄則なのだ。 


パスをしろという時にパスが出来ない。 


決めなくてはならない時に決められない。 


走らなくてはならない時に止まってしまう。 


だから、コーチや監督が必要なのだ。 

 

つまり、コーチの仕事は 
「出来ないものを出来るようにすること」なのだ。 


中間管理職の仕事もまったくこれと同じ。 


出来ない部下に結果を出させるのが仕事である。 

 

・・・にもかかわらず、 
出来ない部下に嘆く上司のなんと多い事だろう。 


そういう人たちは、

解っていないのだと思う。 


もしも・・・自分の部下たちが

100%経営トップの希望する通りに動いてしまったら・・・


自分の仕事が無くなってしまうということを。 

 

だがもちろん、

中間管理職の仕事は無くなったりはしない。 


それは人間が 
「言われた通りに動かないし、動けない」駒だからだ。 


出来ないものを出来るようにする仕事。 


何とも大変な仕事ではあるのだが、 
それこそが・・・中間管理職であるコーチの仕事なのだ。 

 

急に寒くなりましたね・・・(^_^;) 鍋に熱燗でキュッといきたい今日此の頃です。(^^)ww

さて・・・

 

仕事に優劣はない。

全ての仕事は尊いものだ。 
・・・という意見に、私は反対ではない。 


そういうスタンスで、

他人の仕事を尊重することは 
とても大事なことだと思う。 


だが・・・

 

その一方で、仕事には「お金になる仕事」と 
「お金にならない仕事」があることも事実だ。 

 

誤解しないでいただきたいのだが、 
私は給料の多寡を述べているのではない。 


私が言いたいのは・・・

 

「利益を生み出す仕事かどうか」ということ。 


仕事には、

明らかに利益を生み出すものと、 
生み出さないものとが混在している。 

 

もちろん・・・

 

利益を生み出す仕事といっても 
営業や販売のような仕事だけを指しているのではない。 


直接的ではなくても、

利益に貢献している仕事はたくさんある。 


たとえば・・・

 

営業をサポートしてくれるスタッフの存在。 


そういう人がいるおかげで、

営業マンの売上が伸びるのだから、 
これも立派な利益貢献である。 


では、利益に貢献しない仕事とは、どういう仕事なのか。 


実は仕事というのは 
作り出そうと思えばいくらでもできてしまうものなのだ。 


営業マンのサポートにしても、 
至れり尽くせりにしようと思えば、

いくらでも仕事を作り出せる。 


たとえば・・・

 

営業マンのお茶を入れる仕事や、 
営業マンの机を片付ける仕事、 
営業マンの肩を揉む仕事だってあるかもしれない。 


私がやっているのは人材業を始めとする労働集約業。 

 

利益に貢献しない仕事とは、どのような仕事か。 


仕事というのは・・・

 

『分ける』ことによって増えていく。 


社長一人で、

全てをやっていたところに・・・

事務員さんを雇い、 
経理を雇い、

作業員を雇い、

営業を雇う。 


こうやって人が増えていき、

人が増えた分だけ仕事も増えていく。 


重要なのは・・・

 

仕事を分けたことによって、利益が増えるかどうか。 


これだけである。 

 

営業マンのお茶を入れたり、

肩をもんだりすることによって 
利益の総額が増えるのならば、

それはお金になる仕事だ。 


だが・・・もしも、 
それをやったところで全体の利益が増えないのであれば、 
それはお金にはならない仕事ということになる。 

 

社長の仕事は

「仕事を生み出すこと」だと言っても過言ではない。 


だが、その時に一番重要なのは・・・ 


「お金になるかならないか」をどういう図式で考えているのかだ。 


直接利益を生み出す人だけを採用する。 


それは、

一見手堅い戦略ではあるのだが、 
それだけでは、

大きな利益を生み出すことはできない。 

 

間接的な利益貢献こそが、大きな利益の源泉となるのだ。 


そういう仕事を作り出せるかどうか。 


それは、

社長の想像力にかかっている。 

 

自戒・・・^_^;

 

公私ともに忙しなく・・・暑さと雨にやられて・・・2ヶ月更新をサボりました(^_^;)・・・

ようやく・・・爽やかな陽気になってきましたので、マメに更新しましょう(^^)ww

 

さて・・・

 

私は営業職、俗に言うセールスマンが嫌いです。

「営業ということばが嫌い」などと書かせていただきましたが、 
本当のことを言うと 
私は営業という職種が嫌で嫌でたまりませんでした。 

 

初めて社会に出たときも、できれば営業職だけは避けたい。 
そう思っていました。 
でも現実というのは意地悪なものです。 


結局・・・

 

私はセールスドライバーという、

営業マンとして 
社会人生活をスタートすることになったのです。 

 

私が社会にデビューした当時、 
仕事=営業と言ってもいいほど営業することは常識でした。 


「営業が嫌」などというセリフは、 
面接の場では絶対に言ってはいけない。 


それは「逃げ」であり、「弱さ」である。 


本当にそういう常識が支配していました。 

 

私は、その時には何の決意もなく・・・

キツイ日常に追い回されていて、

ただ、ただ、日常のルーティーンをこなしていました。


それでも、営業は避けて通れない道でした。 


日常の集配を

少しでも軽くしたいのなら『営業力』は必須。 


売る力さえあれば、どんな状況でも生きていける。 
先輩も、そう教えてくれました。 


だから仕方なく、

私は志望職種に『セールスドライバー』と書いてしまったのです。 

 

体育会系については、OK。

 

コツコツ一生懸命に何かを積み上げる。


自分では、

そういう仕事のほうが向いていると思っていましたし、

営業には絶対に向いていないという自信もありました。

 

何しろ当時の私はかかってきた電話を

まともに取ることさえ出来ないほど、人見知りがすごかったのです。 

 

しかし、この長時間重労働を軽減するには

『営業』から逃げるわけにはいかない。 


そう自分自身を鼓舞し、 

朝から発声練習をし、客先で声をかけまくり、

セールスに邁進する毎日。 


それが・・・

嫌で嫌でたまりませんでした。 
本当に嫌でした。 

 

あの頃の自分が

営業の辛さから逃げようとしていたことは認めます。 


出来るだけ営業せずに売上を上げるために、

色々と知恵を絞りました。 


でもそれは『知恵』というよりは、やはり『逃げ』でした。 


周りの同僚も、上司も、そして私自身もそう感じていました。 

 

でも・・・あの頃の違和感は間違っていなかったと、 
今ではそう思います。 


「社長は営業経験者が多いので、

 がんがん営業して来るヤツが好きだ」 ・・・と、先輩や上司から教えられました。 


実際にあの頃の社長は、

そういうタイプの営業マンが好きでした。 

 

でも、時代は変わった。 


今の経営者は、

消費者と同様、営業されることが嫌いです。 


営業しにくくなったという人もいますが、 
私はすごくいい時代だと感じます。 


できれば自分が社会人デビューした時に、

このような変化が起こってくれていたら・・・と、羨ましくもなります。 

 

「営業が嫌いなんです」・・・と面接で胸を張って言える時代。 


今は、まだそこまでは来ていません。 


でもいずれその時は来るでしょう。 


常識が180度変わってしまう時が。 


 


今日は台風の影響とやらで、フェーン現象が発生したようで
日本列島は軒並み「熱中症→危険」状態・・・
私たちが子供の頃とは、チョイと環境が変わってしまったようです。

さて・・・

好き嫌いで物事を判断してはいけない。

それは、大人のする事ではない。

そのような常識の元に、
私たちは生まれ育ってきている。

「嫌いな事など、やらなくてもいい」

・・・というような親は、
世間からは変人扱いされ・・・

コミュニティーに、
居づらくなってしまうというのが事実である。

いじめが問題になっている中学や高校にしても・・・

「嫌なら辞めればいいんだよ」

・・・と言うのは簡単なのだが・・・

実際には・・・

「辞めたら負け」

「それは挫折だ」

「我慢する事も大事」

・・・というような論調のほうが圧倒的に多い。

確かに・・・

生きていれば、
辛い事や苦しい事はたくさんある。

その都度、
嫌な事から逃げていたのでは何もできない。

忍耐力を養う事も大事だ。

・・・という理屈も理解出来る。

私たちは

「嫌な事でも我慢するべき」なのか。

それとも・・・

「嫌なものを我慢する必要はない」というのが正しいのか。

これは、なかなか難しい問題である。

重要なのは・・・

「なぜ嫌なのか」ということ。

その理由が

「楽をするため」というのであれば・・・

我慢する事を教えなくてはならない。

だがその理由が・・・

「とにかく嫌だ」という心の問題だった場合は・・・

どうすればいいのだろうか???

私は・・・

心というのは、
とても繊細で正確なレーダーだと思っている。

訳もなく「嫌だ」と感じるとき・・・

それは本能が

「やめたほうがいい」と信号を送ってきているのだ。

その信号を無視して、嫌な事をやり続けると・・・

人は病気になってしまう。

心を病み・・・

身体も病み・・・

最後には・・・死んでしまったりもする。

心と身体は、切り離せないものなのだ。


私たちは通常・・・

この世に物理的に存在している『身体』のほうが実体で、
『心』はバーチャルな存在だと思いがちだ。

心はコントロールする事が出来るが、
肉体は実在しているのでコントロールに限界がある。

食べなくてはならないし、寝なくてはならない。

結果・・・

肉体を生かすために、心を説き伏せる人は多い。

だが・・・本当にそれでいいのだろうか・・・

なぜ?人を殺してはいけないのか。

なぜ?人のものを盗ってはいけないのか。

「それでは社会が成り立たないからだ」

・・・という理屈だろうか。

では・・・

なぜ?ペットを殺してはいけないのか。

なぜ?山にゴミを捨ててはいけないのか。

それは、
社会とは関係のない項目のはずだ。

だが現実として、
私たちはペットを殺さない。

殺したくないし、
そんなひどい事をする人間を許す事が出来ない。

山にゴミを捨てる人間も、
海に工場排水を流す会社も許す事が出来ない。

それは、環境を守るため。

結果的には、
人間が健康に生きていくため・・・なのだろうか。

私は、違うと思う。

そのような理屈は、
後付けのロジックに過ぎない。

実際・・・

私たちが
ゴミを捨てないのは「そうしたい」からだ。

ペットを虐めるよりも、
ペットを可愛がる方が気持ちいい。

ただ、それだけのことなのだ。

確かに・・・

私たちは、法律に従って生きている。

ルールがなければ、
社会は滅茶苦茶になってしまうだろう。

だが・・・

そのルールは、何に基づいて作られているのだろう。

「こうすれば社会はもっと良くなる」

・・・という論理だろうか。

では・・・どのような社会が、最も理想的な社会なのか。


衣・食・住が満たされている。

それも、もちろん大事だ。

だが、その先は?

もっと豊かになる事だろうか・・・

より、大きな家に住み・・・

より、多くの食料や衣服に囲まれる事だろうか・・・

重要なのは・・・

『心』の満足ではないのか。

私たちの『心』が気持ちいいと感じる社会。

その社会を実現するためには、
心のレーダーが必要だ。

頭で考えるのではなく、心の声に従う。

その時に最も重要なのは・・・

私たちの『心のレベル』なのである。



鬱陶しい天気ですね・・・(^_^;)・・・
子供達は夏休みに思いを馳せて賑やかです。
大人だけが暑さにゲンナリといった感じでしょうか・・・(^^)ww

さて・・・


世の中には、

『星の王子様を読んだ事がある人』と・・・

『星の王子様を読んだ事がない人』がいる。

と・・・世の中を二分してしまいたくなるくらい、
私は星の王子様が好きなのです。

でも最近、
「ちょっと違うかも」と思うような出来事がありました。

それは、友人の一人に

「星の王子様が読めない」と言われたからです。


私があまりにも薦めるものだから、
彼は読んでみたらしいのです。

でも、読めない。

何度読んでも途中で挫折する。

そう言ってました。

すっごく不思議です。

だって・・・

星の王子様は、
子供が読んでも解るように書かれた本です。

それにその友達は・・・

難しい本でも、
スラスラ読んでしまうくらい頭がいいのです。

・・・にもかかわらず読めないと言う。

それでちょっと、
私の中の常識が変わってしまったのです。

もしかしたら世の中には

『星の王子様を読める人』と

『星の王子様を読めない人』がいるのかもしれない。

そう思うようになったのです。


私はものすごく読解力のない人間で、
一冊本を読むのに普通の人の3倍くらいの時間がかかります。
マンガを一冊読むのにも2時間近くかかるので、
漫画喫茶に行くよりもマンガを買う方が安いくらいなのです。
でもそんな私でも星の王子様だけはスラスラと読む事が出来ました。
きっとこの本は特別な本なのです。

でも・・・何が特別なのでしょう?

星の王子様は、
サンテグジュペリという人が・・・

たった一人の友達を励ますために書いた本だそうです。

当時、ひどい迫害を受けていたユダヤ人の友人を励ますために。

よく考えてみると・・・

私が星の王子様を読み返すのは・・・

落ち込んだり、心が疲れたりしているときです。

心がボロボロになりそうな時に・・・きっと、この本は読めるのです。

心が弱っている人にしか読めない本。


とっても不思議な事ですが、
それが真実なのだという気がします。

だからもしも・・・

「私も星の王子様が読めない」という人がいたら・・・

心が疲れている時に、
もう一度そのページをめくってみて欲しいのです。

今まで見る事が出来なかった景色が・・・

きっと、心の中に広がっていく事でしょう。

(^O^)/