今日は台風の影響とやらで、フェーン現象が発生したようで
日本列島は軒並み「熱中症→危険」状態・・・
私たちが子供の頃とは、チョイと環境が変わってしまったようです。
さて・・・
好き嫌いで物事を判断してはいけない。
それは、大人のする事ではない。
そのような常識の元に、
私たちは生まれ育ってきている。
「嫌いな事など、やらなくてもいい」
・・・というような親は、
世間からは変人扱いされ・・・
コミュニティーに、
居づらくなってしまうというのが事実である。
いじめが問題になっている中学や高校にしても・・・
「嫌なら辞めればいいんだよ」
・・・と言うのは簡単なのだが・・・
実際には・・・
「辞めたら負け」
「それは挫折だ」
「我慢する事も大事」
・・・というような論調のほうが圧倒的に多い。
確かに・・・
生きていれば、
辛い事や苦しい事はたくさんある。
その都度、
嫌な事から逃げていたのでは何もできない。
忍耐力を養う事も大事だ。
・・・という理屈も理解出来る。
私たちは
「嫌な事でも我慢するべき」なのか。
それとも・・・
「嫌なものを我慢する必要はない」というのが正しいのか。
これは、なかなか難しい問題である。
重要なのは・・・
「なぜ嫌なのか」ということ。
その理由が
「楽をするため」というのであれば・・・
我慢する事を教えなくてはならない。
だがその理由が・・・
「とにかく嫌だ」という心の問題だった場合は・・・
どうすればいいのだろうか???
私は・・・
心というのは、
とても繊細で正確なレーダーだと思っている。
訳もなく「嫌だ」と感じるとき・・・
それは本能が
「やめたほうがいい」と信号を送ってきているのだ。
その信号を無視して、嫌な事をやり続けると・・・
人は病気になってしまう。
心を病み・・・
身体も病み・・・
最後には・・・死んでしまったりもする。
心と身体は、切り離せないものなのだ。
私たちは通常・・・
この世に物理的に存在している『身体』のほうが実体で、
『心』はバーチャルな存在だと思いがちだ。
心はコントロールする事が出来るが、
肉体は実在しているのでコントロールに限界がある。
食べなくてはならないし、寝なくてはならない。
結果・・・
肉体を生かすために、心を説き伏せる人は多い。
だが・・・本当にそれでいいのだろうか・・・
なぜ?人を殺してはいけないのか。
なぜ?人のものを盗ってはいけないのか。
「それでは社会が成り立たないからだ」
・・・という理屈だろうか。
では・・・
なぜ?ペットを殺してはいけないのか。
なぜ?山にゴミを捨ててはいけないのか。
それは、
社会とは関係のない項目のはずだ。
だが現実として、
私たちはペットを殺さない。
殺したくないし、
そんなひどい事をする人間を許す事が出来ない。
山にゴミを捨てる人間も、
海に工場排水を流す会社も許す事が出来ない。
それは、環境を守るため。
結果的には、
人間が健康に生きていくため・・・なのだろうか。
私は、違うと思う。
そのような理屈は、
後付けのロジックに過ぎない。
実際・・・
私たちが
ゴミを捨てないのは「そうしたい」からだ。
ペットを虐めるよりも、
ペットを可愛がる方が気持ちいい。
ただ、それだけのことなのだ。
確かに・・・
私たちは、法律に従って生きている。
ルールがなければ、
社会は滅茶苦茶になってしまうだろう。
だが・・・
そのルールは、何に基づいて作られているのだろう。
「こうすれば社会はもっと良くなる」
・・・という論理だろうか。
では・・・どのような社会が、最も理想的な社会なのか。
衣・食・住が満たされている。
それも、もちろん大事だ。
だが、その先は?
もっと豊かになる事だろうか・・・
より、大きな家に住み・・・
より、多くの食料や衣服に囲まれる事だろうか・・・
重要なのは・・・
『心』の満足ではないのか。
私たちの『心』が気持ちいいと感じる社会。
その社会を実現するためには、
心のレーダーが必要だ。
頭で考えるのではなく、心の声に従う。
その時に最も重要なのは・・・
私たちの『心のレベル』なのである。