
【警告】記事中の作品のネタばれにご注意ください!
“大河ドラマ” 電子書籍化完了
今回は100%混じりっ気なしのSFのお話です。
そして、これは大傑作だから読むべしといった類いの煽りではなく、単なる、キンドル本配信開始情報にすぎません。また、「な~んだ、アシモフかよぉ」という方とは、ここでお別れとなります。 <(_ _)>
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『夏への扉』、『宇宙の戦士』のロバート・A・ハインライン、『幼年期の終り』、『2001年宇宙の旅』のアーサー・C・クラークとならび、かつてSF御三家のひとりに挙げられていたアイザック・アシモフも、このところSF界隈ではすっかり影が薄くなってしまった。その彼の(日本では)ロボットものの陰に隠れてきた “ファウンデーション/銀河帝国の興亡” シリーズの電子書籍化がこの夏ひとまずひっそりと完了したらしい(私が気づいたのは8月23日ごろ)。
このシリーズ最初の3作については、早川書房と東京創元社から刊行されてきた経緯があるが、現在では早川書房がシリーズ全巻の翻訳権を押さえているようだ。
なお、現行の(早川・創元それぞれの)訳文の出来ばえについてのコメントは控えさせていただいている。強いて言うなら、私は、ハヤカワ・SF・シリーズの中上 守訳『銀河帝国衰亡史 ファウンデーション創設』や、創元文庫の厚木 淳訳『銀河帝国の興亡』全3巻のほうにより馴染んでいるのだ。どちらももう絶版ではあるのだけれど……(^^;
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若くしてSF作家としてデビューしたアシモフは、以前から歴史全般にも興味を持ち、いつか歴史小説を書いてみたいとの夢を抱いていたが、なかなかその望みを果たせずにいた。ある日のこと、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の再読を終えていた彼は、ふとしたきっかけから閃きを得た。もしも、架空の帝国の歴史だったら……?
1941年の夏にアシモフ(当時21才)がそのアイデアを Astounding 誌の名物編集長ジョン・W・キャンベルのもとに持ち込むと、キャンベルは即座に乗ってきた。作品は単発ものではなくシリーズ化されることになった。銀河帝国の崩壊、それに続く暗黒時代、そして第二の帝国の勃興。それら歴史の大きな流れの予測を可能とする新たな学問 ‘心理歴史学’……。《アシモフが、「認めたくないものだな、自分自身の、若さ故の過ちというものを」と語ったというのは、絶対フェイク情報だと思うぞ!(^^;》
1942年5月号から1950年1月号にかけて、短編、中編がポツポツと同誌に掲載されていった。
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以下は、それらのざっくりしたおさらい。
【警告:シリーズ最初の3作を未読の方は、以下の空白部分を選択反転しないように!】
広大な銀河系の隅々までを版図におさめた銀河帝国が栄華を極めるそのただなかにあって、心理歴史学の創始者ハリ・セルダンは、ただひとり帝国の早期没落・崩壊を予見していた。
心理歴史学とは、人間集団の行動を数理的に研究する科学で、個々の人間の行動はランダムで予測不可能だが、人間の群衆の反応は統計的に処理が可能で、その規模が大きくなるほどより高い精度での予測が可能であるというもの。それは、気体分子ひとつひとつの動きは予測できなくとも、大量の分子が集まれば、その全体の動きがある程度予測可能となることにも似ている。
セルダンの分析によれば、帝国の崩壊は歴史の必然であって、もはや回避は不可能だったが、今手をうてば、それに続く3万年に及ぶ暗黒時代、文明の後退時期を一千年期にまで短縮することができるという。
セルダンは、新たに立ち上がる文明の種子たらんと、銀河系の辺境星域にあるターミナス《 Terminus:先行訳のハヤカワ・SF・シリーズ版『銀河帝国衰亡史』では ‘テルミナス’ とラテン語っぽく処理されていたと思う》に拠点ファウンデーションを築き、彼の死後そこでは、文明の精髄、古今の叡智を集成した大百科事典の編纂が始まる。
辺境にあってファウンデーションは微々たる存在にすぎず、圧倒的に武力に優る近隣星系群のなかで生き延びてゆくことは至難の技であったが、ターミナスの市長サルヴァー・ハーディンは、類いまれな政治手腕によって、誕生間もないファウンデーションの前に立ちはだかる危機を乗り越えてゆく。
セルダンはすでに没して久しかったが、彼は遠く後の世代に寄り添うように、歴史の重要な転換点に、原子時計によって不定期に解錠される霊廟《Time Vault》内に、生前に収録済み(!)の立体映像のかたちで現れ、その時点でのファウンデーションをとりまく周辺領域の現状分析を披露してみせるのだった。
セルダンの予測どおり、ファウンデーションは歴史の重要な局面で適切な選択を重ねて徐々に勢力を拡大し、遂には帝国の残存勢力を撃ち破るに至るが、ここに不測の事態が発生する。ミュール《Mule:普通名詞の mule は「ラバ」(雄ロバと雌ウマ馬の交雑で生殖能力はない)》の出現である。
ミュールは人の心を自由に操ることができるミュータントで、彼のように突出した能力を持つ個人の出現は、心理歴史学の想定外の因子だった。事実、この時期霊廟に現れたセルダンが告げる状況認識は現実世界から大きく乖離していた。ファウンデーションはそのミュールにあっけなく敗れてしまう。
だが、セルダンは銀河の “星界の果て” にもうひとつのファウンデーションを築いていた。最初のファウンデーションの生き残りとミュールたちは、それぞれ第二ファウンデーションの探索を開始するのだった……。
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『ファウンデーション』(1951年)、『ファウンデーションと帝国』(1952年)、『第二ファウンデーション』(1953年)は “ファウンデーション三部作”(The Foundation Trilogy )として好評を博したが、SFファンが選ぶヒューゴー賞は1953年に創設されたもので、この3作品には縁がなかった。ただ、後になって、1966年に設けられた Best All-Time Series 部門で受賞を果たしている。
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この ‘心理歴史学’ というアイデアに初めて触れたとき、お子ちゃまだった私がどれほどゾクゾクしたかなんてヨタ話よりも、2008年にノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンがガーディアン(紙?)に寄せたエッセイをご覧いただくほうがはるかに意義深いことではあるだろう。 (^^;
クルーグマンのお気に入りは、第3部『第2ファウンデーション』に登場する14歳の少女アーカディ・ダレルだったらしい。(^-^)
ただし、クルーグマンのエッセイは、30秒ぐらいでチャチャっと読み終えられないかもしれないので、三部作を読了後にじっくりお読みいただくのが吉かも。
クルーグマンも述べているように、アシモフはトルストイではない(まあ、それを言うならデュマでもないだろうが)。登場人物はおおむね平面的《two-dimensional cardboard cutouts》だ。そして、この三部作は「スター・ウォーズでもない。ヒーロー、ヒロインは登場するが、体力勝負のアクションや、ありきたりの ‘クリフハンガー’ はない(ただし、『ファウンデーションと帝国』の山場では、多くの人の心拍数を高めるかもしれない場面が用意されている)。
さらに付け加えておくなら、「銀河帝国の興亡」といったフレーズから、数多のアニメのように、膨大な数の宇宙艦隊同士のド派手な殲滅戦の連続を期待してはいけない。多くの場合、戦いは遠景にあって、もっぱら登場人物同士の会話を通して物語は進んでいく。あくまでも地味~な展開のドラマなのである。
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1954年には、人間とロボットの刑事ふたりがバディを組んで殺人事件の捜査にあたる『鋼鉄都市』を著し(雑誌掲載はその前年)、その後もノンフィクションを中心にアシモフの旺盛な執筆活動は続いていった。その間にも彼のもとには、ファウンデーション三部作の続編を求めるファンの声が引きも切らず、版元のダブルディ社からも強い要請を受け続けるが、アシモフはそれらをひたすら受け流して30年近くが経過した。
しびれを切らしたダブルディ社が遂に動いた。アシモフの作品に支払うアドバンス(前払金)を、この続編については通常の10倍の額(執筆開始時に半額、原稿納品時に残額支払い)で提示してきたのだ。もちろん、ブロックバスター間違いなしの超話題作に支払われるような類いの巨額なものではなかったが、ノンフィクションから続編小説執筆へとアシモフの気を引くことには成功したらしい。
あらためて元の三部作を読み直したアシモフが、これでは読者が続刊を望むのも無理はないとやっと理解できたというのだから笑ってしまうけれど、(^^; とにかく腹をくくった彼は、Biographical Encyclopedia of Science and Technology (初版は『科学技術人名事典』として邦訳あり)の改訂作業などを進めながら、続編執筆を開始した。
9カ月後の1982年3月に原稿は完成し、本は9月に店頭に並んだ。
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発売開始後『ファウンデーションの彼方へ』は25週間ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに載り続けた!
SF界でこそビッグ・ネームだったものの、アシモフはいわゆるベストセラーとは無縁で、一般読書界で多少とも話題になったのは、たしか『収縮する宇宙:ブラックホールの謎』ぐらいだったのではないか。ちなみに、『ファウンデーションの彼方へ』以前に(累計で)もっとも売れたアシモフの作品は、話題SF映画を小説化(ノベライズ)した「ミクロの決死圏」だったという。
『ファウンデーションの彼方へ』は1983年のヒューゴー賞を受賞した。ちなみに、1996年には、第2部『ファウンデーションと帝国』の後半を占める中編「ザ・ミュール」が、1946年分のレトロヒューゴー賞を受賞したという。『ファウンデーションの彼方へ』に相前後して、ハインラインやクラークらもあいついで新作を発表し、この時期、ベテラン勢大復活を印象づけた。そして、ファウンデーション/銀河帝国興亡史シリーズはその後も第7部まで書き継がれていった。
早川書房もそれらを順次刊行してゆくが、気がつけば、最初の三部作を除いていつのまにか書店店頭から姿を消してしまっていた。
それがこの夏、第4部から7部までがいきなり電子化(キンドル本化)されたのだ。それぞれ上下2巻本なので都合8冊が!
といったわけで、ファウンデーション本の話題は久々なので、ここにちょっと記しておきたいと思った次第である。
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ちなみに、アシモフの死後、3人のSF作家がこのシリーズの続編を書き継いでいる。原作者の没後、その著名シリーズの続編を他の作家が手がけることはもう珍しくもないけれど、グレゴリー・ベンフォード(『ファウンデーションの危機』)、グレッグ・ベア(『ファウンデーションと混沌』)、デイヴィッド・ブリン(『ファウンデーションの勝利』)はいずれもヒューゴー賞をはじめ数々の受賞歴に輝く一流どころばかりである。
単行本もその文庫本も刊行済みだが、そのうち電子書籍化されているのは今のところグレッグ・ベアの『ファウンデーションと混沌』のみである。今回のサガ全巻のデジタル化での売り上げによっては、いつの日かベンフォードやブリンの巻の電子版が陽の目を見ることもあるのだろうか……(^^;
岩波書店「ばけばけ」シフト完了!
話題の新作映画の公開やドラマの配信が近づくと、その原作本を抱える出版社は配給会社とタイアップして販売促進にこれ努めるのが古くからの習わしで、特に早川書房がいち早く取り組んでいたように思う。
次第に他社もそれに続くようになり、自社で映画製作まで手がけるようになった角川書店の “観てから読むか、読んでから観るか” 的な大キャンペーンによって、このタイアップ商法は頂点を極めたけれど、こうした販売促進にかなり出遅れた出版社もないわけではなかった。たとえば、岩波書店! (^^;
私の知る限りで、この手のことで岩波文庫がおずおずと動きを見せ始めたのは、アメリカ映画「レッズ」(1981年)の日本公開の時だったと思う。
これは、アメリカのジャーナリスト、ジョン・リードによるロシア革命のルポルタージュ『世界をゆるがした十日間』を、ウォーレン・ベイティ監督・主演によって映画化したものだった。
今でこそこの作品は、ちくま文庫や光文社古典新訳文庫からも出ているけれど、当時は岩波文庫一択しかなかったのだ。
岩波はいったいどんな施策を行ったのか? 映画のスチール写真を全面に押し出したカバーを用意したり、「○月○日より映画大公開!」なんて帯をかけるわけでもない。ただ、いつもなら、都内の大手書店でも既刊タイトルの棚に上下巻が1、2セット置かれていただけのものが、映画公開にあわせて、平台に新刊書などより心持ち高く平積みされたことが、ごく一部の界隈で「あの岩波が!」と話題にされたのだった。結果、『世界をゆるがした十日間』と映画「レッズ」とを結びつけることのできた人がどれほどいたのかは不明だが。《それとも、あれは書店側独自の工夫に過ぎなかったのか?》
それから幾星霜、岩波書店は試行錯誤を重ねてゆき、いまや……(^^;
2025年度後期に始まるNHK「連続テレビ小説」『ばけばけ』は、小泉八雲の妻・小泉セツをモデルにして、フィクションとして制作される。この機に乗じて岩波は、この夏ラフカディオ・ハーン関連書の復刊に動いていたのだ。
たとえば、『骨董』は1940年に刊行されたものの改版だが、訳者解説に加えて、円城塔の書き下ろし解説も収録するなどひと手間かけているところが目を引く。
さらに、岩波新書からは太田雄三の『ラフカディオ・ハーン 虚像と実像』が復刊されているし……
岩波ジュニア新書でも、河島弘美の『ラフカディオ・ハーン』が復刊され、少年文庫の既刊には、脇明子訳の『雪女 夏の日の夢』があり、こちらは、「雪女」「耳なし芳一」などの代表作に、「東洋の土を踏んだ日」、「夏の日の夢」などのエッセイ(抄)を加えたコンパクトな小泉八雲ガイドとなっている。
もちろん、他社もこの機会をとらえて、ラフカディオ・ハーン関連書の販売に力を入れているわけだ。
ちなみに、岩波文庫での訳者はどれも平井呈一となっているが、たとえば、平川祐弘《‘祐’ は旧字》の訳業なら河出文庫で読むことができる。
中性脂肪が改善?
本日は血液内科への出頭日。
血液検査で気づいたのだけれど、このところ採血は一発で成功している。以前は、血管内で針をあちこち動かしたあげくに腕を替えてやり直したり、両腕とも血管が見えないと担当者のほうから「すみません、チェンジします!」と申し出ていたことがウソのようだ。
私の名前が要注意人物として登録され、一定の経験を積んだ検査技士にまわしてるなんてわけなどないだろうに、不思議ではある。 (^^;
その検査結果を見ると、ほんとうに久しぶりに中性脂肪の数値が許容範囲内に入ってきた! 一過性の出来事かもしれないけれど、まあ、ちょっとホッとする。食生活を見直すことで他の数値も改善していければ……なあんて殊勝なことを思わないでもないお子ちゃまジジイであった。
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気分も少し明るくなって、ブックファースト新宿店に寄ってみると、2026年度版の手帳の売り出しが始まっていた! お薬手帳ならぬ健康手帳なんてものもどっかから出ているんだろうか? (^^;
イチローと雄一郎と高市と
私は趣味として英語を学んでいるけれど、全然モノになっていない。もう、いつまでたってもモノになる日がくるとは思えない。 (^^;
そんな英語弱者が人様の英語(力)を云々するなど不届き千万極まりないことを承知のうえで、最近ウェブ上で見聞きしたいくつかの映像について、私の感想文もどきをちょこちょこっと書きつけておきたい。
ちなみに、英語をうまく話せれば優れた野球選手や政治家になれるわけではないし、英語をうまく話せなければ優れた野球選手や政治家になれるわけでもない……って、あったりまえのことか。(^^;
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先日米国の野球殿堂入りを果たしたイチローが、その記念式典で行なった英語スピーチが話題となった。
このスピーチを観て聴いて、私も感心してしまった。立派だった。
イチローはスピーチのあいだ、用意してきた原稿に時おり目を落とすけれども、それから必ず頭を上げ、聴衆に目線を向けて、はっきりした声で話し続けている。自分が英語で何を話しているかを充分理解したうえで聴衆に語りかけていた。おそらく、長年連れ添った通訳者とともに入念に練り上げた原稿だったのだろう。
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さて、いま政界のイチローといえば、国民民主党の玉木雄一郎だろう。《そうなのか?(^^;》 大蔵省入省3年時に留学の機会を与えられ、英語は必死で勉強したらしい。彼の日本外国特派員協会での記者会見などを見ると、なるほど~とうなずける。
ただ、平均的な日本人、一般的な政治家の水準よりは上なのだろうけれど、ネイティブ・スピーカーのように当意即妙に英語を操れるというレベルではないのかもしれない。
参考までに、2年前のものになるけれど、同じく日本外国特派員協会で行われた、林芳正外務大臣(当時)のスピーチとQ&Aも見ておこう。
さすがに場数の違いか、非常に安定した語り口で、神保哲生が飛び入りしてきた質疑応答などもまずまず無難にこなしていたし、用意してきた原稿に頼るにしても、常に聴衆を意識した運びには好感が持てる。自身のことばとして discuss about が繰り返されたあたりはご愛敬か。
彼のお得意という Let It Be のピアノ弾き語りとやらはぜひ一度聴いてみたいものである。
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そして、今回の自民党総裁選でも注目を浴びている高市早苗の英語スピーチも見ておきたい。彼女には、「米国連邦議会Congressional Fellow(金融・ビジネス)」の経歴があり(これについては、Wikipedia にも言及あり)、英語も相当堪能だろうと期待が高まるのだが……。
スピーチは録画されたもので、おそらくはカンペというかプロンプター上に表示された英文を読み上げているのだろう。それ自体は悪いことではないけれど、目線が、カメラレンズのやや上に向いて微妙に左右を往復しているように見えてしまうのは私の気のせいか。ビデオを通じて聴衆に語りかけるにあたって、(内閣府が依頼した?)演出スタッフの工夫・配慮がいま一歩だったのではといったら酷なことなのだろうか?
そして、彼女の日本語でのシャキッとしたスピーチにくらべると、英語の発音のキレがいまいちに聞こえ、全体にボワァっとした印象になってしまったのが、個人的には残念に思えてならなかった。
先の自民党総裁選で石破茂に敗れた後、挨拶に訪れた高市早苗に対して、党の重鎮麻生太郎は「当面仲間づくりに励み、しっかり英語を勉強しておけ」とアドバイスしたと伝え聞いたことがある。
政治家麻生太郎に対する評価は人さまざまだろうが、この点についてのアドバイスはけっこうナイスだったのではないかと勝手に思っている。
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いやいやいや、他人のことなどどーでもいい。勉強すべきは私自身なのである! (^^;
患者急減の謎
今日は泌尿器科への出頭日だったのでけっこう早起きしたのだが、うっかりウトウトしてしまい、予約時間前には病院へ滑り込んだものの、診察前に済ませておくべき採血・採尿が大幅に遅れてしまった。
その血液検査の結果が出てこないと、当然診察には進めない。私の受付番号は、他の患者さんの番号にどんどん追い抜かれていった。
でも、私は(アイザック・アシモフの)キンドル本を持ち込んでいるので、待つこと自体は苦にならない。というか、読書の時間が増えてちょっとうれしいぐらいである。でも、かなり本を読み進めてから、やっとおかしなことに気がついた。
以前にくらべて、待っている患者さんの数が大幅に減っているのだ! ここの泌尿器科は常時4、5人の先生たちがフル稼働していて、各診察室前のソファはいつもなら満杯なのだけれど、今日はほぼ半減といった状態だった。
私が来てなかったあいだにとんでもない不祥事が起きて評判ががた落ちになってしまっていたとか……(^^;
それが気になって、自分の腫瘍マーカーの数値のことなどそっちのけで、「患者さんの数減りましたよね?」と直接訊いてみた。
先生は、「最近ふたりの先生が ‘配置替え’ になったらしく、その影響かなあ……」と言葉を濁す。‘配置替え’ の意味がよくわからないけれど、他の病院へ転職して患者さんもそれについていってしまったなんてことはあるのか……う~ん、ぜひ真相を知りたいところだ! (^^;
皆既月食2025:深夜の一千一秒物語
【警告:まじめな天文ファンの方はスルーお願い申し上げます <(_ _)>】
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昨夕、スーパーへ買い出しに通りへでたところ、大きなお盆のような丸い月が目に飛び込んできた。それで皆既月食があることを思い出した。
いつもなら最寄りの駅舎の入る建物の屋上が格好の見物席になるのだけれど、今回は深夜2時、3時の出来事になるので、そこは利用できない。それに、最近の天文イベントでは、きまって薄曇りにたたられ、今回もどうせショボいもんなんだろうとパスするつもりでいたのだ。
それでも気が変わったのは、以前からやってみたかった‘深夜の散歩’ にトライしてみるいい機会に思えたからだった。先日の栄養指導の先生も散歩の効用を強調されていた。といっても、昼に出歩くのは避けたい。でも夜なら熱中症にはなるまい。ちょっと歩いたところにある開けた公園からある程度の眺めは期待できそうだったし、万一天体ショーがいまいちでも、あこがれの ‘深夜の散歩’ デビューを果たせるではないか! (^^;
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深夜の通りは意外にひんやりと心地よい風が吹き……なんてことはなく、少し歩いただけで汗ばんできた。見上げた月はすでに食が始まっていて、どす黒くも感じられた。
公園にはそこここに人だかりができていて、話し声が聞こえてくる。望遠鏡を覗く人もいる。ちょっと驚いたのは、犬と散歩している人たちが何人もいたことだ!
私がよっこらしょとベンチに腰かけると、正面に月が見えた。公園内の照明は明るかったけれど、邪魔にはならなかった。
今日の月には特別な雰囲気があった。
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このとき、月は公園のすぐ上にまで降りてきていたのだ!
何度見返しても、その赤銅色をした月は、のっぺりしたお盆ではなく、立体的な陰影を帯びた完全な球体だった。それは私が今蹴りあげたサッカーボールがその先の空中で凍りついたように静止しているとしか思えなかったのだ。ボールは、向こうに見える樹木よりもこちら側にあるようにしか感じられなかった!
こんな体験は初めてのことだった。私はしばらくその空中のボールから目が離せなかったが、じきに、その左上方向に小さな光点があることに気づいた。小さいといっても、私の視界にはそれ以外に星は見えなかったから、かなりの光量だったのだろう。恒星ではなく惑星だったのかもしれない。
その光点からは、目には見えない強靭な糸が右下に延びてきて、公園のボールを振り子のおもりのように支配していた。その振り子も右側に振れた状態で静止していた。
そして、その糸をおもりの先の方向に延ばしていくと、それは地平線の向こうではなく、すぐ先の公園の芝生に突き刺さるのだった。
もう私は、蹴りあげたサッカーボールと振り子のおもりのイメージのあいだを行きつ戻りつするばかりだった。このとき、ごくかすかに風が感じられたような気がした。
じきに、月の左上のへりに強烈な光が射してきて、それとともにボールもおもりも消え、お勤めを終えたただのお盆がそこにあった。魔法の時間(マジック・アワー)は終わったのだった。
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私は、あらためて明るい夜空をふり仰いでみた。そこにはオリオン座があった。そのベテルギウスも、おおいぬ座のシリウスも、そしてこいぬ座のプロキオンもはっきり見えている。私のメガネ越しではいずれも瞬いているようには見えなかった。
公園の他の人々がどういう時間を過ごしたかはわからないけれど、この日私は稲垣足穂の『一千一秒物語』の世界を垣間見てしまったのかもしれない。 (^^;
初めて栄養指導を受ける
昨日は、以前すっぽかしてしまったMRI検査のやり直し結果の件で大学病院の消化器内科へ出頭。撮影時間が長引いた気がしてビクビクものだったのだけれど、特に問題なしとのことでホッとする。
◆ 予約すっぽかし
◆ 予約取り直し
まあ、長引いただけあって、撮影画像の量もハンパなく、先生も画面をスクロールしながら驚いていた! これって担当者の気分しだいで変わってくるものなんだろうか?(^^;
次回は1年後の夏。再びMRI検査を予約したわけだが、これってまた忘れてしまいそうだ!
で、血液検査のたびに尿酸値の要注意状況が続くのをぼやいてたら、先生から、栄養指導を受けることをすすめられた。血液内科でも以前に「どうします?」と訊かれたことがあったのだけれど、今回は、「明日でも、来週でもすぐ予約取れますよ……」と話がトントントンと進んでしまった。 (^^;
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で、本日初の栄養指導を体験! 要は、食生活の見直しカウンセリングで、正直なところ、その効能についてはやや懐疑的だったのだけれど、自身の思い込みや誤解を正す機会が得られてけっこう有意義だった。
特に、栄養を取らねばと意識しすぎた結果、私が 結果的に “食べ過ぎ” 傾向にあったことが判明するとは……(^^;
これで食生活の改善が進めば、次回の血液検査の結果が楽しみだぞ!
渋谷天津甘栗の現況 と 東京丸の内でのクマ目撃
27日は水曜日だったので、渋谷のスクランブル交差点前の天津甘栗を買って帰るつもりだった。
交差点の人混みを通して向こうに見えてくる店舗がどこか黒っぽく見えるのは……まさか……シャッターが降りていた!
◆ 月火のみ休業だったのが……
◆ 遂に週休三日制へ突入だ!
万が一、休業分の減収をカバーするために値上げに踏み切るようなことになれば、この甘栗ともお別れということになるのかもしれないな……。
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近年クマ問題が世間を騒がせているようだけれど、東京駅北口の丸の内側に1頭を発見した!
目撃場所は、丸善丸の内本店が入っているOAZO ビル前のスペースだった。ただ、一見したところでは、人に危害を加えそうな気配は感じられず、親子連れの写真撮影用スポットと化していた。 (^^;
「零日攻撃」第3話に高橋一生登場!
台湾有事を想定した配信ドラマ「零日攻撃」を私はアマゾンのプライムビデオで観ている。このほど第4エピソード「心理操作」が追加された。
第3エピソード「放送中」には早くも高橋一生が登場している。彼は中国本土の大手半導体メーカー社長の娘の随行員のかたちで台湾を訪れており、彼の大学時代の恋人が現在テレビのニュースキャスターとして活躍中という設定だ。ということで、この回は英語、中国語、日本語が飛び交うドラマとなっている。
中国語に詳しい方なら、大陸の中国語と台湾語との違いなどがわかるのだろうけれど、私などにはさっぱりだ。 (^^;
それでも、(幼稚すぎると笑われるだろうけれど)劇中の会話で「ドイブチー」とか「ブーハオイース」、電話口で「ウェイ」、そしてところどころに「メイヨー」みたいな音の切れ端が聴こえてきたような幻想に浸れるのも、日頃から漫然とでも「まいにち中国語」を聞き流してきたおかげというべきなのか。
あの「三体」のときの体験から半歩でも先へ進むことができたのなら、ちょっとうれしいぞ! (^-^)
◆ マジかよ?
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NHKラジオ第2の「まいにち中国語」はもうすぐ2025年前期の課程が終了する。後期(10~来年3月)は、2024年前期の「「おとなりさんと中国語で話そう」(講師:西 香織)の再放送となるらしい。賽の河原でまたせっせとお勉強だ......φ(.. )