花の命はノー・フューチャー ──DELUXE EDITION (ちくま文庫)
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自民党も公明党もついに終わりの始まりを迎えたかと思わせる今年、(^^;
ちくま文庫が創刊40周年を迎えたという。
キャンペーン用に文庫サイズの40ページほどの小冊子「私だけの、とっておき。100人100冊のちくま文庫」がテイクフリーで書店に置かれていた。柴田元幸や小泉今日子といった著名人や、一般人ぽい人たち100人が選んだ100冊の本を、推薦者のコメント付きで掲載したものだ。
大型書店では、その40周年のオビをかけたちくま文庫のディスプレイが目立つけれど、今回のタイミングで復刊された10冊も通常の棚に平積みされていた。
私に拷問の趣味はないけれど、好奇心から秋山裕美の『図説拷問全書』を買ってしまった。他の文庫本より良質の紙が用いられていたのはどういう理由からなんだろうか? 美術もの、カラーものに光沢紙などが使われることはあるけれど……(^^;
『うたの心に生きた人々』は、茨木のり子による四人の詩人(与謝野晶子、高村光太郎、山之内貘、金子光晴)の評伝集だ。
梁石日の『タクシー狂躁曲』もちくま文庫に入っていたと思うのだけれど、そちらは純然たる小説なのかな?
諸星大二郎の『マッドメン』は、河出書房新社からキンドル版が刊行されており、今回復刊されたちくまの『マッドメン 完全版』(429ページ)は(今のところ)紙書籍のみだ。
両者の違いは……よくわかりません! (^^;
翻訳ものの復刊は、このオコナーの『賢い血』1冊だけだ。ただ、同じ訳者(須山静夫)によるキンドル版が別の版元から出ている。
両者の違いは……これもよくわかりません! (^^;
※
これら10冊のうちで、今回いちばんうれしかったのは、なんといっても浮谷東次郎の『がむしゃら1500キロ』の復刊だった。
これは、23歳で早逝した伝説のレーサー浮谷東次郎の “中学生日記” で、オートバイにまったく縁のない私が、なぜか高校時代に出会い、何度も読み返した本だ。この際、後の単身渡米放浪記『俺様の宝石さ』や『オートバイと初恋と』も復刊してもらえないものだろうか……。
公明党が、26年間続いてきた自由民主党との連立関係をいったん解消するとのニュースが流れた。
これには驚いたけれど、劇薬としての高市早苗がさっそく効き目を現し始めたというところか。石破茂元首相に辞任を撤回してもらい、総理総裁分離で難局をしのごうというトンデモ案までささやかれる始末である。 (^^;
私はゴジラと同年齢で、そろそろ自分自身の出口が見えてきた今、日本政治への、いや、事実上、社会全般への興味を失いかけていた。けれどここに来て、まったく新しい風景が目の前に開けてきたようで、無責任なお子ちゃまジジイには、俄然すべてが面白くなってきたのだ!
現実世界での試行錯誤にあっては、単なる思考実験とは違い、私たち自身も無傷のままでは済まない。それでも、今はあれこれ試してみるしかないのだろうと思う。
昨日は久しぶりに理髪店へ出向く。前回来たのは5月の16日だった! (^^;
たったひとりで店を切り回している30代と思われる店主とはいろいろな話をした。
ひとり暮らしの私は、ほとんど人と話しをすることがない。スーパーマーケットでの買い物では、レジで「SUICA で」と伝えるだけだし、オリジンの店内で食事をするときに、セルフレジ操作の途中で(消費税の扱いを “持ち帰り” から変更するために)「店内でお願いしま~す!」と呼びかけるだけ。あとは、ドトールで「店内で、アイスコーヒーのS」と言うぐらいだ。あ、たまに「2000円チャージお願いします」とも言うか。(^^;
基本ひと言も話さない日も少なくない私にとって、病院を除くと、この理髪店が(数ヶ月に1度)人と会話らしい会話をする実に貴重な機会となっているのだ。
※
そんな店主とのやり取りのなかで、私が、ボケ進行を幾ばくかなりともくい止めるべく、英語に加え、中国語のラジオ講座も聴いていると話したところで、店主がやけに乗ってきた。「大陸の中国語と台湾語との違いはわかりますか?」と訊いてきたのだ。 (^^;
私はそんなことがわかるレベルではないし、NHKラジオの「まいにち中国語」自体が北京語を中心にアレンジしたものだろう。でも、漢字で見れば、昔の学生運動華やかりしころの立看板に書かれた画数少なめの文字だったら大陸中国系で、画数多めの難しげなほうが台湾語かもしれないとか、い~かげんに答えていた。
この店の利用客には中国人もいるのだけれど、最近どうもこの近辺に民泊ができたらしく、観光客らしき人がこの店を利用するのだという。
「僕らが海外に旅行すれば、たとえダメダメでも、片言の現地語とか英語などを交えながら、なんとかコミュニケーションをとろうとするじゃないですか。彼らは、そんなことおかまいなしに、最初から最後まで大声で中国語をまくし立てるばかりなんですよ」
こぼす店主に、「たとえば、中国人がふたり並んでいれば、静かなほうが台湾の人って感じですかね?」とふると、「そうそう、そうなんですよ!」
やっぱりねと苦笑しつつも、私は、いつのまにか他国の人のイメージを好き勝手に思い描いている自分のいい加減さをちょっぴり反省してもいた。どういうプロセスでそんなステレオタイプができてしまったのだろうか? (^^;
※
ちなみに、その店主は、小泉進次郎が大っ嫌いだそうだ。 (^^;
もちろん、事前に「小泉進次郎どう思います?」と私に尋ねて「いやあ、まだまだ足りないところがあるんじゃないの」という答えをおさえてからの話だ。
自民党総裁選の候補者らが “解党的出直し” を謳いながら、結局、きわめて伝統的な党内の派閥争い・長老支配を露呈してしまい、自民党は “解党” へ向けてたしかな一歩を踏み出したのかもしれない。
とはいえ、この先数年を無為に過ごしてもらっていいわけではない。やるべき仕事はやってもらわなければいけない。
初の女性首相の誕生が見込まれ、すでに積極財政への期待感から株式市場も御祝儀相場で賑わいを見せている。防衛産業関連だの、核融合関連だのが脚光を浴びているらしいが、高市早苗首相(とその取り巻き連)には、投資する(多額の税金をつぎ込む)なら、くれぐれも “ワイズ・スペンディング” に徹してもらいたいものだ。
過去どれほどの血税がムダに費やされてきたかを思うとホントに涙が止まらなくなる……(T-T)
※
核融合といえば、初期のブルーバックスの一冊に『核融合への挑戦』があった。1974年に刊行されたものだ。ただ、当時は夢物語にすぎず、現実には核分裂に基づく原子力発電所が次々と建設されていった。
その新版『新・核融合への挑戦―いよいよ核融合実験炉へ 』が出たのが2003年である。
さらに20年ほどが経過して、一般向けの関連本がポツポツ現れるようになってきた。
そして、今年の初めにも『世界が驚く技術革命「フュージョンエネルギー」』などが出ている。
どれを読もうか迷っているうちに、大阪大学免疫学フロンティア研究センターの坂口志文特任教授がノーベル生理学・医学賞を受賞したとのニュースが流れてきた! う~ん、先に読むのはこっちかぁ……(^^;
4日に行われた自民党総裁選挙の結果にはちょっと驚いたけれど、同時に少しホッしたのも事実である。
事前の予想では、高市早苗 vs 小泉進次郎 なら、決選投票では進次郎の勝ちという見立てが大勢を占めていたと思うし、私もそうなるのだろうと思っていた。
私は自民党員ではないので、その党首が誰になろうと知ったことではない。ただ、日本の首相を決めるとなれば、少なくとも今の状況下では小泉進次郎は最悪の選択だろうと思う。本人が悪人というわけではない。単に、今のところは充分な資質に欠けるというところだろう。彼を総理に仕立て上げようとする、旧来のシステムの一部の思惑が頓挫したという意味でホッとしたという意味合いもある。
短期的には、能吏的な林芳正のリリーフ登板はありだと思っていたけれど、その先の展望がなかなか開けてないのが辛いところだ。
私個人としては、高市早苗を全肯定できるわけではないし、彼女もまた旧来のシステムにすがったことに変わりはない。けれど、たかだか数回の選挙で今の日本に明るい未来がバーンと開けてくるとは思えず、今後も長く続くだろう混迷期にあっては、忍耐強く試行錯誤を続けるしかない。
その意味で、高市早苗という劇薬を試す今が “少数与党” であることにも私はホッとしている。“多数与党” 下の彼女では本物の劇薬になってしまうだろう。 (^^;
麻生太郎に大きな借りを作ってしまった以上、玉木雄一郎大蔵大臣の実現は無理そうだが、(^^; チーム未来の安野貴博を(連立抜きでも)デジタル大臣に迎えるぐらいのことはやってほしい。
その連立関係再構築にあたっては、公明党の扱いが微妙だろうが、彼らが連立にとどまることを望むなら、長年独占状態に放置してきた国土交通省のポストを取り上げるべきだろう。日本の未来に関わる問題だからだ。
もう少しだけ茶飲み話を続けるなら、外務大臣だけは有能な経験者の再任をお願いしたい! 林芳正では “媚中” でダメというなら、上川陽子を起用して、副大臣に松川るいあたりをあてておけばいいのでは?
ちなみに、高市早苗は自身の英語力に幻想を抱いてはいないだろうから、即興の impromptu speech には手を出さないだろうけれど、原稿が用意された prepared speech を読み上げるにも、それなりの研鑽が必要であることは知るべきだろう。
◆ な~んちゃってね
※
今日の日本政界の混乱状況を見るにつけ、思い出すのはあのことか……。
今日は、ふだん滅多に立ち寄らない渋谷の家電量販店へ出かけてきた。
私がいま使っているアマゾンの電子書籍専用リーダーのタブレット「Kindle」は白黒オンリー(ただし、16階調のグレースケール表示は可能)だけれど、カラー対応の E Ink 電子ペーパーを採用した「Kindle Colorsoft」なるものが出たという。
たぶん、通常の液晶ディスプレイのカラー表示とはくらべものにならないことは予想できるのだけれど、ちょっと実物は見てみたい!
というわけで、実際に展示さている「Kindle Colorsoft」を観てきたのだ。はい、それだけです。 (^^;
私的には、E Ink 電子ペーパーのさらなる発展を期待し、当面はやはり、グラフィカルなものは通常のカラー液晶の「Fire」タブレットで、活字主体の本は従来の「Kindle」で、との使い分けを続けることになりそうだ。 ただ、いま使っている6インチよりひとまわり大きいものに買い替えたいのだが……
いまは、「ハロウィンジャンボ宝くじ」「ハロウィンジャンボミニ」かぁ(^^;
※
で、その量販店を出て、やって来ました天津甘栗!
最近、原材料不足の影響で、月火水は休業となっているが、実は営業日でも、ある程度で早めに切り上げてしまうことがあるので、油断ならないのだ!
でも、今日も300グラム買えてラッキー! これとポップコーンとコーラで、自民党総裁選のライブ中継を観るかな。 (^-^)
※
そのスクランブル交差点で DAILY OST の号外が配られていた! フォージャー家に大事件が起こったらしい。 (^^; タブロイド版8ページという破格の体裁だ。
さっ、4日にはどんな号外が出るのかな? (^^;
はや10月!
2025年後期のNHKラジオ語学講座が始まった。
いや、今回は9月29日(月)からすでに始まっている。かのフレッド・ホイルがいみじくも述べたように、『10月1日では遅すぎる』のだ!
私は後期もまたダラダラと「賽の河原で石を積む」わけだが、別に、自民党総裁選に出馬して英語力をアピールしたいわけではない。 (^^; 要は、ボケの進行を少しでも遅らせられればとの思いからなのだが、その効果のほどは……それでも、何もしなければ、今以上にボケぼけになることは必定である。 (>_<)
◆ やれやれ……
※
ということで、大西泰斗講師の「ラジオ英会話」から。“大西英文法” に全ベットした内容に好き嫌いが分かれるかもしれないけれど、いちおう、旧来の五文型教育の洗礼を受けてきたゴジラ世代の私の気分転換にはなっている。
まあ、アンチ大西講師向けには、別途遠山顕の英会話本が用意されているということなのか? (^^; それにしても、いま中高の現場や、塾・予備校などでの英文法教育がどうなっているのか、ちょっと覗いてみたくもある。
※
いっぽう、ごく日常的な英会話を学びたいという人なら、スティーブ・ソレイシィ講師の「英会話タイムトライアル」が吉かも。基本的な定型表現に加えて、be into と be interested in とか、be familiar with と know とのニュアンスの違いなどを丁寧に説明してくれるのがありがたい。
また、正解(の英語表現)はひとつではないことを繰り返し強調し、質問への応答練習にあたっては、単に Yes や No、定型表現だけを答えて済ませるのではなく、それにもう1文を付け加えてみるよう促す点もいい! 私は「ラジオ英会話」と並行して受講している。
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「エンジョイ・シンプル・イングリッシュ」は1回5分。約500語のやさしめの英文を読みかつ聴くオールイングリッシュの番組。
多くの人にはもの足りなく感じられる内容かもしれないけれど、私にはお似合いの音読用教材として利用させてもらっている。
※
私のレベルでは背伸びしすぎなのだけれど、「ラジオ ビジネス英語」もなんとなく聴き続けている。10月期は、2023年4月号から放送された “ワイン業界編” の再放送でややがっかり。私は酒を飲まないのだ。でも、学んだつもりでもとっくに忘れてるだろうから、また新鮮な気持ちで取り組めるかな……(^^;
ちなみに、前期のテキストについて、アマゾンの商品ページに掲載されていた “サンタまり子”さんのカスタマーレビューはたいへん興味深かった。熱心な学習者の存在は励みになるものだ。 (^-^)
そうそう、紙の(そして電子版でも)テキストがない「ニュースで学ぶ “現代英語”」については別項で……。
TBSラジオが “水と音の親和性を、水音とナレーションでお伝えするドキュメンタリー番組” と謳う「メタウォーター presents 水音スケッチ」(平日の12:26頃から放送)は、毎回日本各地の水風景を切り取った、耳で聞く絵はがきのようなショート・プログラムだ。
月~木曜日は「ジェーン・スー生活は踊る」内、金曜日は「金曜ボイスログ」内でスポット的に流されている。パーソナリティーはフリーアナウンサーの堀井美香。
その番組がこのほど10周年を迎え、9月28日の(本来なら)「安住紳一郎の日曜天国」の時間帯に2時間の特別番組を放送した。
その中で、いま話題のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の日本での生活をドラマ仕立てで描いた「ヘルンさんの水音スケッチ」が流れた。
その番組で、開始から1時間28分06秒のあたりから以下のようなエピソードが語られた。
ヘルンさんが、びしょ濡れの子猫を拾ってきたことがありました。湖で子どもたちが子猫を水に沈めたり引っ張り出したりして遊んでいたのだそうです。それを見かけたヘルンさんは、子どもたちから猫を取り上げて、懐に入れて持ち帰ってきたのです。女性や子ども、そして弱いものには、とてもやさしい人でした。
このくだりを聞いてオヤと思った。たまたま前日に、ハーンの妻セツの『思い出の記』を読んでいたからだ。そこにはこう記されていた。
ある夕方、私が軒端に立って、湖の夕方の景色を眺めていますと、直ぐ下の渚で四五人のいたずら子供が、小さい猫の児を水に沈めては上げ、上げては沈めして苛めて居るのです。私は子供達に、御詫をして宅につれて帰りまして、その話を致しますと『おゝ可哀相の小猫むごい子供ですね――』と云いながら、そのびっしょり濡れてぶるぶるふるえて居るのを、そのまま自分の懐に入れて暖めてやるのです。その時私は大層感心致しました。
『思い出の記』 小泉節子
青空文庫
つまり、子猫を拾ってきたのはセツで、そのずぶ濡れの子猫を自分の懐に入れて暖めてやったのがヘルンと読めるけれど、放送ではセツのやさしさは消し去られ、ヘルンさんひとりが “いい人” になっている。
事実に基づいたドキュメンタリー・ドラマにあって、“artistic license” はある程度許されるべきだろう。だが、そこで描かれる事件の当事者が、そのエピソードについて自ら書き残している文章がある場合は、その事実関係は極力尊重すべきだと思う私は、しょせん頑固なお子ちゃまジジイか。
それとも、もしかして、セツが『思い出の記』発表後に自身の記憶違いを正した文書などがあって、このドラマはそれを反映させたというのだろうか? NHKの朝ドラ「ばけばけ」で、ハーンの妻セツに注目が集まるこの時期、ぜひとも知りたいところだ。
例によって、Ameba の Pick では無料商品は無視されてしまうので、直接リンクは貼れないが、『思い出の記』(小泉節子)は、アマゾンから青空文庫の Kindle本としてダウンロードが可能だ。
今回は100%混じりっ気なしのSFのお話です。
そして、これは大傑作だから読むべしといった類いの煽りではなく、単なる、キンドル本配信開始情報にすぎません。また、「な~んだ、アシモフかよぉ」という方とは、ここでお別れとなります。 <(_ _)>
※
『夏への扉』、『宇宙の戦士』のロバート・A・ハインライン、『幼年期の終り』、『2001年宇宙の旅』のアーサー・C・クラークとならび、かつてSF御三家のひとりに挙げられていたアイザック・アシモフも、このところSF界隈ではすっかり影が薄くなってしまった。その彼の(日本では)ロボットものの陰に隠れてきた “ファウンデーション/銀河帝国の興亡” シリーズの電子書籍化がこの夏ひとまずひっそりと完了したらしい(私が気づいたのは8月23日ごろ)。
このシリーズ最初の3作については、早川書房と東京創元社から刊行されてきた経緯があるが、現在では早川書房がシリーズ全巻の翻訳権を押さえているようだ。
なお、現行の(早川・創元それぞれの)訳文の出来ばえについてのコメントは控えさせていただいている。強いて言うなら、私は、ハヤカワ・SF・シリーズの中上 守訳『銀河帝国衰亡史 ファウンデーション創設』や、創元文庫の厚木 淳訳『銀河帝国の興亡』全3巻のほうにより馴染んでいるのだ。どちらももう絶版ではあるのだけれど……(^^;
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若くしてSF作家としてデビューしたアシモフは、以前から歴史全般にも興味を持ち、いつか歴史小説を書いてみたいとの夢を抱いていたが、なかなかその望みを果たせずにいた。ある日のこと、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の再読を終えていた彼は、ふとしたきっかけから閃きを得た。もしも、架空の帝国の歴史だったら……?
1941年の夏にアシモフ(当時21才)がそのアイデアを Astounding 誌の名物編集長ジョン・W・キャンベルのもとに持ち込むと、キャンベルは即座に乗ってきた。作品は単発ものではなくシリーズ化されることになった。銀河帝国の崩壊、それに続く暗黒時代、そして第二の帝国の勃興。それら歴史の大きな流れの予測を可能とする新たな学問 ‘心理歴史学’……。《アシモフが、「認めたくないものだな、自分自身の、若さ故の過ちというものを」と語ったというのは、絶対フェイク情報だと思うぞ!(^^;》
1942年5月号から1950年1月号にかけて、短編、中編がポツポツと同誌に掲載されていった。
※
以下は、それらのざっくりしたおさらい。
【警告:シリーズ最初の3作を未読の方は、以下の空白部分を選択反転しないように!】
広大な銀河系の隅々までを版図におさめた銀河帝国が栄華を極めるそのただなかにあって、心理歴史学の創始者ハリ・セルダンは、ただひとり帝国の早期没落・崩壊を予見していた。
心理歴史学とは、人間集団の行動を数理的に研究する科学で、個々の人間の行動はランダムで予測不可能だが、人間の群衆の反応は統計的に処理が可能で、その規模が大きくなるほどより高い精度での予測が可能であるというもの。それは、気体分子ひとつひとつの動きは予測できなくとも、大量の分子が集まれば、その全体の動きがある程度予測可能となることにも似ている。
セルダンの分析によれば、帝国の崩壊は歴史の必然であって、もはや回避は不可能だったが、今手をうてば、それに続く3万年に及ぶ暗黒時代、文明の後退時期を一千年期にまで短縮することができるという。
セルダンは、新たに立ち上がる文明の種子たらんと、銀河系の辺境星域にあるターミナス《 Terminus:先行訳のハヤカワ・SF・シリーズ版『銀河帝国衰亡史』では ‘テルミナス’ とラテン語っぽく処理されていたと思う》に拠点ファウンデーションを築き、彼の死後そこでは、文明の精髄、古今の叡智を集成した大百科事典の編纂が始まる。
辺境にあってファウンデーションは微々たる存在にすぎず、圧倒的に武力に優る近隣星系群のなかで生き延びてゆくことは至難の技であったが、ターミナスの市長サルヴァー・ハーディンは、類いまれな政治手腕によって、誕生間もないファウンデーションの前に立ちはだかる危機を乗り越えてゆく。
セルダンはすでに没して久しかったが、彼は遠く後の世代に寄り添うように、歴史の重要な転換点に、原子時計によって不定期に解錠される霊廟《Time Vault》内に、生前に収録済み(!)の立体映像のかたちで現れ、その時点でのファウンデーションをとりまく周辺領域の現状分析を披露してみせるのだった。
セルダンの予測どおり、ファウンデーションは歴史の重要な局面で適切な選択を重ねて徐々に勢力を拡大し、遂には帝国の残存勢力を撃ち破るに至るが、ここに不測の事態が発生する。ミュール《Mule:普通名詞の mule は「ラバ」(雄ロバと雌ウマ馬の交雑で生殖能力はない)》の出現である。
ミュールは人の心を自由に操ることができるミュータントで、彼のように突出した能力を持つ個人の出現は、心理歴史学の想定外の因子だった。事実、この時期霊廟に現れたセルダンが告げる状況認識は現実世界から大きく乖離していた。ファウンデーションはそのミュールにあっけなく敗れてしまう。
だが、セルダンは銀河の “星界の果て” にもうひとつのファウンデーションを築いていた。最初のファウンデーションの生き残りとミュールたちは、それぞれ第二ファウンデーションの探索を開始するのだった……。
※
『ファウンデーション』(1951年)、『ファウンデーションと帝国』(1952年)、『第二ファウンデーション』(1953年)は “ファウンデーション三部作”(The Foundation Trilogy )として好評を博したが、SFファンが選ぶヒューゴー賞は1953年に創設されたもので、この3作品には縁がなかった。ただ、後になって、1966年に設けられた Best All-Time Series 部門で受賞を果たしている。
※
この ‘心理歴史学’ というアイデアに初めて触れたとき、お子ちゃまだった私がどれほどゾクゾクしたかなんてヨタ話よりも、2008年にノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンがガーディアン(紙?)に寄せたエッセイをご覧いただくほうがはるかに意義深いことではあるだろう。 (^^;
クルーグマンのお気に入りは、第3部『第2ファウンデーション』に登場する14歳の少女アーカディ・ダレルだったらしい。(^-^)
ただし、クルーグマンのエッセイは、30秒ぐらいでチャチャっと読み終えられないかもしれないので、三部作を読了後にじっくりお読みいただくのが吉かも。
クルーグマンも述べているように、アシモフはトルストイではない(まあ、それを言うならデュマでもないだろうが)。登場人物はおおむね平面的《two-dimensional cardboard cutouts》だ。そして、この三部作は「スター・ウォーズでもない。ヒーロー、ヒロインは登場するが、体力勝負のアクションや、ありきたりの ‘クリフハンガー’ はない(ただし、『ファウンデーションと帝国』の山場では、多くの人の心拍数を高めるかもしれない場面が用意されている)。
さらに付け加えておくなら、「銀河帝国の興亡」といったフレーズから、数多のアニメのように、膨大な数の宇宙艦隊同士のド派手な殲滅戦の連続を期待してはいけない。多くの場合、戦いは遠景にあって、もっぱら登場人物同士の会話を通して物語は進んでいく。あくまでも地味~な展開のドラマなのである。
※
1954年には、人間とロボットの刑事ふたりがバディを組んで殺人事件の捜査にあたる『鋼鉄都市』を著し(雑誌掲載はその前年)、その後もノンフィクションを中心にアシモフの旺盛な執筆活動は続いていった。その間にも彼のもとには、ファウンデーション三部作の続編を求めるファンの声が引きも切らず、版元のダブルディ社からも強い要請を受け続けるが、アシモフはそれらをひたすら受け流して30年近くが経過した。
しびれを切らしたダブルディ社が遂に動いた。アシモフの作品に支払うアドバンス(前払金)を、この続編については通常の10倍の額(執筆開始時に半額、原稿納品時に残額支払い)で提示してきたのだ。もちろん、ブロックバスター間違いなしの超話題作に支払われるような類いの巨額なものではなかったが、ノンフィクションから続編小説執筆へとアシモフの気を引くことには成功したらしい。
あらためて元の三部作を読み直したアシモフが、これでは読者が続刊を望むのも無理はないとやっと理解できたというのだから笑ってしまうけれど、(^^; とにかく腹をくくった彼は、Biographical Encyclopedia of Science and Technology (初版は『科学技術人名事典』として邦訳あり)の改訂作業などを進めながら、続編執筆を開始した。
9カ月後の1982年3月に原稿は完成し、本は9月に店頭に並んだ。
※
発売開始後『ファウンデーションの彼方へ』は25週間ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに載り続けた!
SF界でこそビッグ・ネームだったものの、アシモフはいわゆるベストセラーとは無縁で、一般読書界で多少とも話題になったのは、たしか『収縮する宇宙:ブラックホールの謎』ぐらいだったのではないか。ちなみに、『ファウンデーションの彼方へ』以前に(累計で)もっとも売れたアシモフの作品は、話題SF映画を小説化(ノベライズ)した「ミクロの決死圏」だったという。
『ファウンデーションの彼方へ』は1983年のヒューゴー賞を受賞した。ちなみに、1996年には、第2部『ファウンデーションと帝国』の後半を占める中編「ザ・ミュール」が、1946年分のレトロヒューゴー賞を受賞したという。『ファウンデーションの彼方へ』に相前後して、ハインラインやクラークらもあいついで新作を発表し、この時期、ベテラン勢大復活を印象づけた。そして、ファウンデーション/銀河帝国興亡史シリーズはその後も第7部まで書き継がれていった。
早川書房もそれらを順次刊行してゆくが、気がつけば、最初の三部作を除いていつのまにか書店店頭から姿を消してしまっていた。
それがこの夏、第4部から7部までがいきなり電子化(キンドル本化)されたのだ。それぞれ上下2巻本なので都合8冊が!
といったわけで、ファウンデーション本の話題は久々なので、ここにちょっと記しておきたいと思った次第である。
※
ちなみに、アシモフの死後、3人のSF作家がこのシリーズの続編を書き継いでいる。原作者の没後、その著名シリーズの続編を他の作家が手がけることはもう珍しくもないけれど、グレゴリー・ベンフォード(『ファウンデーションの危機』)、グレッグ・ベア(『ファウンデーションと混沌』)、デイヴィッド・ブリン(『ファウンデーションの勝利』)はいずれもヒューゴー賞をはじめ数々の受賞歴に輝く一流どころばかりである。
単行本もその文庫本も刊行済みだが、そのうち電子書籍化されているのは今のところグレッグ・ベアの『ファウンデーションと混沌』のみである。今回のサガ全巻のデジタル化での売り上げによっては、いつの日かベンフォードやブリンの巻の電子版が陽の目を見ることもあるのだろうか……(^^;
話題の新作映画の公開やドラマの配信が近づくと、その原作本を抱える出版社は配給会社とタイアップして販売促進にこれ努めるのが古くからの習わしで、特に早川書房がいち早く取り組んでいたように思う。
次第に他社もそれに続くようになり、自社で映画製作まで手がけるようになった角川書店の “観てから読むか、読んでから観るか” 的な大キャンペーンによって、このタイアップ商法は頂点を極めたけれど、こうした販売促進にかなり出遅れた出版社もないわけではなかった。たとえば、岩波書店! (^^;
私の知る限りで、この手のことで岩波文庫がおずおずと動きを見せ始めたのは、アメリカ映画「レッズ」(1981年)の日本公開の時だったと思う。
これは、アメリカのジャーナリスト、ジョン・リードによるロシア革命のルポルタージュ『世界をゆるがした十日間』を、ウォーレン・ベイティ監督・主演によって映画化したものだった。
今でこそこの作品は、ちくま文庫や光文社古典新訳文庫からも出ているけれど、当時は岩波文庫一択しかなかったのだ。
岩波はいったいどんな施策を行ったのか? 映画のスチール写真を全面に押し出したカバーを用意したり、「○月○日より映画大公開!」なんて帯をかけるわけでもない。ただ、いつもなら、都内の大手書店でも既刊タイトルの棚に上下巻が1、2セット置かれていただけのものが、映画公開にあわせて、平台に新刊書などより心持ち高く平積みされたことが、ごく一部の界隈で「あの岩波が!」と話題にされたのだった。結果、『世界をゆるがした十日間』と映画「レッズ」とを結びつけることのできた人がどれほどいたのかは不明だが。《それとも、あれは書店側独自の工夫に過ぎなかったのか?》
それから幾星霜、岩波書店は試行錯誤を重ねてゆき、いまや……(^^;
2025年度後期に始まるNHK「連続テレビ小説」『ばけばけ』は、小泉八雲の妻・小泉セツをモデルにして、フィクションとして制作される。この機に乗じて岩波は、この夏ラフカディオ・ハーン関連書の復刊に動いていたのだ。
たとえば、『骨董』は1940年に刊行されたものの改版だが、訳者解説に加えて、円城塔の書き下ろし解説も収録するなどひと手間かけているところが目を引く。
さらに、岩波新書からは太田雄三の『ラフカディオ・ハーン 虚像と実像』が復刊されているし……
岩波ジュニア新書でも、河島弘美の『ラフカディオ・ハーン』が復刊され、少年文庫の既刊には、脇明子訳の『雪女 夏の日の夢』があり、こちらは、「雪女」「耳なし芳一」などの代表作に、「東洋の土を踏んだ日」、「夏の日の夢」などのエッセイ(抄)を加えたコンパクトな小泉八雲ガイドとなっている。
もちろん、他社もこの機会をとらえて、ラフカディオ・ハーン関連書の販売に力を入れているわけだ。
ちなみに、岩波文庫での訳者はどれも平井呈一となっているが、たとえば、平川祐弘《‘祐’ は旧字》の訳業なら河出文庫で読むことができる。