どこにも苛めはある!栄光の中に地獄を見たデュバリー夫人⑤ | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

国王の死後はヴェルサイユから追放され、思い出の城ルーヴシエンヌの館を始めとする全財産を没収され、国事犯として戒律の厳しいポン・トー・ダームの尼僧院に送られたデュバリー夫人。

尼僧院に更迭されたデュバリー夫人は、ヴェルサイユ時代の未払い金を払えず、莫大な借金を抱えただけでなく、親しかった人達等の面会や文通は一切、許されませんでしたしょぼん


厄介者がいなくなって清々したと言うアントワネットに対して、母であるマリア・テレジアはデュバリー夫人の様な身分の女性は決して好きではないけれど、同情の意を寄せました。


彼女に同情したのは女帝だけではありませんでした。


素朴であけすけな性格だと知るうちに、最初は冷たく迎えた尼僧院の人達も次第にデュバリー夫人に対して、心を開き、優しく接する様になったそうです。


そして、ウィーンにいる皇帝の右腕である、美貌の公子リーニュ公も、ヴェルサイユで公然とデュバリー夫人を庇ったそうです。


その噂を聞くと「大そうなお役目をお引き受けなさったこと!」プンプンと皮肉ったアントワネットに、「そうですとも。私が彼女を庇わずに、誰が彼女を庇うと言うのですか」と王妃に真っ向から反論したと言うから、格好いい!!ラブラブ


損得勘定のない人達にとって、デュバリー夫人は気さくで気の置けない社交相手だった様です。


追放から2年。


モールパ伯の援助で自由のとなり、ルーヴシエンヌの館が返されたと同時に、財産とそこから上る収入も戻り、やっと未払い金の返済も完済する事が出来ましたニコニコ


嬉しい事は続くもので、ルーヴシエンヌの館に戻ると、リーニュ公が、そしてアントワネットの兄皇帝ヨーゼフ等、かつてヴェルサイユで親交のあった貴公子達が、次々と、デュバリー夫人の元を訪れる様になり、貴族達の間でルーヴシエンヌを訪れる事が流行となっていったのです。


玉座から離れた一人の女性。


このご機嫌を取っても何の得にもならない女性を、王族や貴公子達がこぞって訪問する。これこそ、デュバリー夫人の一緒にして楽しく、寛げると言う細やかな人柄である事の証明だと思うのです音譜


・・・to be continued