国王の死後はヴェルサイユから追放され、思い出の城ルーヴシエンヌの館を始めとする全財産を没収され、国事犯として戒律の厳しいポン・トー・ダームの尼僧院に送られたデュバリー夫人。
尼僧院に更迭されたデュバリー夫人は、ヴェルサイユ時代の未払い金を払えず、莫大な借金を抱えただけでなく、親しかった人達等の面会や文通は一切、許されませんでした。
厄介者がいなくなって清々したと言うアントワネットに対して、母であるマリア・テレジアはデュバリー夫人の様な身分の女性は決して好きではないけれど、同情の意を寄せました。
彼女に同情したのは女帝だけではありませんでした。
素朴であけすけな性格だと知るうちに、最初は冷たく迎えた尼僧院の人達も次第にデュバリー夫人に対して、心を開き、優しく接する様になったそうです。
そして、ウィーンにいる皇帝の右腕である、美貌の公子リーニュ公も、ヴェルサイユで公然とデュバリー夫人を庇ったそうです。
その噂を聞くと「大そうなお役目をお引き受けなさったこと!」と皮肉ったアントワネットに、「そうですとも。私が彼女を庇わずに、誰が彼女を庇うと言うのですか」と王妃に真っ向から反論したと言うから、格好いい!!
損得勘定のない人達にとって、デュバリー夫人は気さくで気の置けない社交相手だった様です。
追放から2年。
モールパ伯の援助で自由のとなり、ルーヴシエンヌの館が返されたと同時に、財産とそこから上る収入も戻り、やっと未払い金の返済も完済する事が出来ました。
嬉しい事は続くもので、ルーヴシエンヌの館に戻ると、リーニュ公が、そしてアントワネットの兄皇帝ヨーゼフ等、かつてヴェルサイユで親交のあった貴公子達が、次々と、デュバリー夫人の元を訪れる様になり、貴族達の間でルーヴシエンヌを訪れる事が流行となっていったのです。
玉座から離れた一人の女性。
このご機嫌を取っても何の得にもならない女性を、王族や貴公子達がこぞって訪問する。これこそ、デュバリー夫人の一緒にして楽しく、寛げると言う細やかな人柄である事の証明だと思うのです。
・・・to be continued