ふと、なにかしら、きゅうに目の前のじかんがふえたような~。そんな感じに包まれる。そんなときがあります。ほわほわぁ~っと。なにかが、いちだんらくしたのでしょうか。自分でもよくわかりませんが、ふと、冬のこおりがとけるように、やさしい時間がほわっと、舞い降りてきてくれたような、そんな感じがするときがあります。これといって、時間におわれていたのでもなく、小さな雑用は、これまでどおり、残ってもいるのですけれど。ふと。そんな風に、目の前を流れる穏やかな時間に、ほっと、救われるようなそんな気分になれるときがあるものです。
たしかに自分でもおもいます。おかねでかえないものに、たくさんめぐまれているのだと。無論、おかねもたいせつです。しかしそれは。あくまでひとつの、たいせつに使ってこそ意味のあるものと、わかっていられて、それまたありがたいと。小さなチョイスをセンスよくできたら、きっとその積み重ねで、それ自体への感覚もきっとかわるのだろうとおもいます。わたし自身は、いつからはて、そうなったのか~。自分でもよくわかりません。少なくとも。子どものころよりは使う使わずの自分なりのメリハリ、流儀が少しずつわかってくるのが、それまた面白い気が、少しだけしています。
ただ。目の付け所。判断のしどころ。どこにどれだけ使うか。メリハリとチョイスの妙がわかればわかるほど、生きた使い方ができるのだろう~と、いうことは少しずつですがわかる気がするかなぁ~と。とはいえ。しょせん、毎日のごはんのお買い物をするおばさんレベルでの話ですけれど。野菜の切り方ひとつ。切っているひとのこころの穏やかさ加減ひとつで、料理の味はまったくかわってくるものですからねぇ。センスよく選べた調味料を使えたら、なおのこと、おいしくなるでしょうねぇ。10年あるいは、それ以上やってきても、初めてやってみたひとに、あっさり負けてしまう!こともあるのが、料理であり、車の運転であり、ゴルフも?ですからねぇ。なんとも、残酷といえば、残酷なのかもしれないですが。どれも、そのひとそのひとの味が、いやおうなくでてしまうのかもしれません。
練習嫌いのわたしの屁理屈にすぎませぬが。もし、めいっぱい練習するとするでしょ。すると、コースではひとりでに練習どおりにいくかいかないか。あるいは、心配することがほかになくなれば、ひとりでにスコアのよしあしだけに気持ちが向いてしまうのでは?つまり、コースでのこころの向きよう、こころの遊び場がかえって狭くなるのでは?という心配です。こころは、常になにかをおもってしまうものですから。練習で不安の芽をつぶしてしまうと、こんどは、技術いがいの不安がこころの大半を覆ってしまってこころはそれと闘うことに消耗してしまいはしないですか?ということ。それが、練習しないと、コースでは、こういうときはどうすればいいかなぁ~。新しい攻め方はないかなぁ。あえて、挑戦の機会を増やすためにも、失敗の多い選択肢をとってみようかなぁ~。などなど。考えめぐらすことがあまりにたくさんで、たのしいので、失敗の不安を感じてる暇がない....。これを、人生にもあてはめてみたら、どうなるのでしょうか。
すみません。しょせんはおんなこともの気楽なたわごとです。いざというときなど、ほとんど訪れず、試合といえど、コンペといえど、別に(少なくともスコアで)かつ必要のないおんなの、気儘なたわごとです。でも。そうやって、ゴルフすると、ほんとにほんとに愉しいのですねぇ。コースでいろんなことが試せるから、いろんなうち方がひとりでに学べるし...。難しいライにあるほうが、わくわくしてしまうのですねぇ。だから条件の悪さをぐちるひとをみてると、だったら、はじめからコースにでなければ?と、こころのなかでおもってしまうのですねぇ。もちろん、そんなことは、ここだけの話であるのですけれど...^^;。(なあんて、ちょっぴりスパイスが多すぎたですか?)
たしかに自分でもおもいます。おかねでかえないものに、たくさんめぐまれているのだと。無論、おかねもたいせつです。しかしそれは。あくまでひとつの、たいせつに使ってこそ意味のあるものと、わかっていられて、それまたありがたいと。小さなチョイスをセンスよくできたら、きっとその積み重ねで、それ自体への感覚もきっとかわるのだろうとおもいます。わたし自身は、いつからはて、そうなったのか~。自分でもよくわかりません。少なくとも。子どものころよりは使う使わずの自分なりのメリハリ、流儀が少しずつわかってくるのが、それまた面白い気が、少しだけしています。
ただ。目の付け所。判断のしどころ。どこにどれだけ使うか。メリハリとチョイスの妙がわかればわかるほど、生きた使い方ができるのだろう~と、いうことは少しずつですがわかる気がするかなぁ~と。とはいえ。しょせん、毎日のごはんのお買い物をするおばさんレベルでの話ですけれど。野菜の切り方ひとつ。切っているひとのこころの穏やかさ加減ひとつで、料理の味はまったくかわってくるものですからねぇ。センスよく選べた調味料を使えたら、なおのこと、おいしくなるでしょうねぇ。10年あるいは、それ以上やってきても、初めてやってみたひとに、あっさり負けてしまう!こともあるのが、料理であり、車の運転であり、ゴルフも?ですからねぇ。なんとも、残酷といえば、残酷なのかもしれないですが。どれも、そのひとそのひとの味が、いやおうなくでてしまうのかもしれません。
練習嫌いのわたしの屁理屈にすぎませぬが。もし、めいっぱい練習するとするでしょ。すると、コースではひとりでに練習どおりにいくかいかないか。あるいは、心配することがほかになくなれば、ひとりでにスコアのよしあしだけに気持ちが向いてしまうのでは?つまり、コースでのこころの向きよう、こころの遊び場がかえって狭くなるのでは?という心配です。こころは、常になにかをおもってしまうものですから。練習で不安の芽をつぶしてしまうと、こんどは、技術いがいの不安がこころの大半を覆ってしまってこころはそれと闘うことに消耗してしまいはしないですか?ということ。それが、練習しないと、コースでは、こういうときはどうすればいいかなぁ~。新しい攻め方はないかなぁ。あえて、挑戦の機会を増やすためにも、失敗の多い選択肢をとってみようかなぁ~。などなど。考えめぐらすことがあまりにたくさんで、たのしいので、失敗の不安を感じてる暇がない....。これを、人生にもあてはめてみたら、どうなるのでしょうか。
すみません。しょせんはおんなこともの気楽なたわごとです。いざというときなど、ほとんど訪れず、試合といえど、コンペといえど、別に(少なくともスコアで)かつ必要のないおんなの、気儘なたわごとです。でも。そうやって、ゴルフすると、ほんとにほんとに愉しいのですねぇ。コースでいろんなことが試せるから、いろんなうち方がひとりでに学べるし...。難しいライにあるほうが、わくわくしてしまうのですねぇ。だから条件の悪さをぐちるひとをみてると、だったら、はじめからコースにでなければ?と、こころのなかでおもってしまうのですねぇ。もちろん、そんなことは、ここだけの話であるのですけれど...^^;。(なあんて、ちょっぴりスパイスが多すぎたですか?)