ゴルフの醍醐味は、二度とは元にもどせない瞬間に身を置けること...。なあんて、そんなことは、いまこのときだって、いつだって、いっこうに、かわりないのに。どんな瞬間だって、時間は二度ともとには戻らないのに...。ゴルフの一打に向かうとき、そのことを、より切実に実感できる。ボールのところに立つ、動き始める、打つ、飛んでいく(あるいは転がっていく)ボールを見送る。ただそれだけ...。だが、そのなかに、あらゆることが集約されていて、そこには、いくつもの、機微や、こころによぎる想いや、音のない時間や、クラブを風を切る音や、飛んでいくボールの音や、見えているボールの軌跡や....。ともあれ、打ったらもう、二度とはやり直せない。すべてが、一打完結。そのなかに、ドラマがあって、どうしようもない、せつなさや、あっぱれや、しかたなさや、あるいは、たっせいかんや、そんなこんなの、集約の繰り返し...。その、静と動の切り替えの面白さや、みずからが動き出さぬことには、なにも始まらない宿命感やこわさや、そんなこんな...。

もっとも。これらは、たとえば別のスポーツ、相撲の蹲踞にだって、あるいは、ラグビーやサッカーのプレイスキックにだって、あるいは、野球の投手の動き始めの瞬間にだって、あるいは、ネットスポーツのサーブや、コートスポーツのフリースローにも、おなじことがいえるとおもうのです。ところが、やっぱり、ゴルフには、それらとは、すべてが同一ではない、さらにもっと、なにかがあるような気がするから、奥が深い感じがするのでしょうか。すべては、個人の責任、個人の行動...であり、そんな動きをひたすら続けるだけ...というところに、他の球技や、あるいは、格闘技とは、少し違うなにか...が、ありそな気がするのでしょうか。たとえば、能や歌舞伎のなかの、あるいはたとえば、書道の筆の動きの中にあるような、なにか...(と、おなじようなもの)。そういう、常にとりかえしのつかない瞬間に、自ら身を置きに行くような、自虐的な、あるいは、刹那的な、あるいは、切迫していまにも息が詰まりそうな...そんな瞬間にふとよぎる、静謐感や、緊張感や、無常感(無情??)や....。

だからどうした、といわれたら、たしかにそれまでなのだが。ただの、遊びにすぎないのです...としか、答えようがないのだが....。でも、ことばでは、表しきれない、いろんな時間の流れがあって...こころの機微があって...。まるで、自分というものを写す鏡の用でもあり、まるで、そのひとの人生そのものの、ポートレートの連続のようでもあり。なにも、いいことばかりではないところに、出会わされるだけのところに、わざわざのこのこ出かけていくなんて...そんな、意地悪な声が聞こえないでもなく....いやいや、それだけでは、決してない、なにか、新しい発見や、まだまだ進化できるきっかけのようなものや、まだまだすてたものでないと思わせるラッキーもちゃんと用意されていたりもするのだから....。とも、おもえなくもなく...。そうなのだ。つまりは、行くたびに、まだなにかある、(気付いてない)なにかがきっとある!、そうおもえる場所だからだろうか。ひとをして、ふと、でかけてみようかとおもわせてくれる、その魅力とは....。いえ、これは、旅そのものの話をしていたのでしたっけ?人生の...^^;。