しゃれーどの冒頭部分、さいしょにことばを交わす、主人公のふたりが、「あれ、どこかで会いましたっけ?」というのだが、そこは、言わずもがなの、名作のあの映画を受けてのしゃれっ気満点なところが、なんともにくくて、それでいて、やっぱりせつない。まぁ、とはいえ、しゃれっ気とにくいなぁという、おかしみの部分だけを、こころに貼り付けていったならば、きっと、どれも、すばらしい思い出が増えていくのかしら...(と、言い聞かせてる自分がまたせつなくもいとおしいのではありますけれど)。前回は、いささか、何日もまったく眠ってないままの、自分でもはじめての境地のような、ことばのシャワーの中から、少しだけ、ここにはきださせてもらってもいいですか、という感じで書いたのであります いえ、言い訳ではなく、どの一瞬にしても、わたしの一部であるのはかわりなく、なんとも、こんなのでごめんなさい という気持ちですけれども
と、まぁ、書き出したらこんな風にとまらなくなるのは目に見えているので、ずっとなんとか書かないでいる方法を考え考えしてきたのですけれども。 はて、人生の残り時間は、やっぱり少しずつでも書いていくしかないのかなぁと、40十何年かかりましたが、ようやく、いたしかたのない境地を受け入れられるようになったといいますか...。恩給をことわった父の、あっぱれな姿を誇りにする身としては、ここも、書くけれども、経済と結びつくような行動はなるたけ控えて、できたら、発表はこの世をそつぎょうしてからにするのが、とってもかっこいいのでは?と、それでもまだ、無駄なあがきをしたくなってしまいます もちろん、ささやかに、できたらほんの少しのたまのぜいたくくらいな生活が安定するのが、もちろんそれはいちばんですけれども どうやら、人並みとはなかなかできないほしにうまれた、ということを自分で言うのはものすごく嫌なのですけれども
それにしても、過不足なく自分のおもいを伝えるということのなんと難しいことかを、いつもおもいます なにもやまなしいことがないのだからと、それはその通りなのですけれども、それでも、田舎で静かにいわれた以上、やっぱりなんとかそれをまもれたらなぁと、おもうの半分、いつかの大河のひとのように、ずっと先でも、もう少しだけ息のしやすい境遇になれたらと、正直おもいます でもそれは、なんというか、めいよとかちいとかそういうのとは全く無縁をイメージしているので、いつもごかいされてしまうのでしょうか と、これだけ、ことばを出せるようになっただけでも、この数年来の苦しみの甲斐はあったのだとおもっています それにしても、やっぱり元気なうちに、ゴルフはしたいものですねぇ いつかきちんとお便りしたいというのはいつもおもっています それでも、それもきっと流れといいますか、うんとえんなのかもしれないと、齢とともに、なにがなんでもという形は薄れていくもののようです かわりにしずかになにかをまっていることの静謐さを、ついどうしても愛してしまうといいますか...
と、まぁ、書き出したらこんな風にとまらなくなるのは目に見えているので、ずっとなんとか書かないでいる方法を考え考えしてきたのですけれども。 はて、人生の残り時間は、やっぱり少しずつでも書いていくしかないのかなぁと、40十何年かかりましたが、ようやく、いたしかたのない境地を受け入れられるようになったといいますか...。恩給をことわった父の、あっぱれな姿を誇りにする身としては、ここも、書くけれども、経済と結びつくような行動はなるたけ控えて、できたら、発表はこの世をそつぎょうしてからにするのが、とってもかっこいいのでは?と、それでもまだ、無駄なあがきをしたくなってしまいます もちろん、ささやかに、できたらほんの少しのたまのぜいたくくらいな生活が安定するのが、もちろんそれはいちばんですけれども どうやら、人並みとはなかなかできないほしにうまれた、ということを自分で言うのはものすごく嫌なのですけれども
それにしても、過不足なく自分のおもいを伝えるということのなんと難しいことかを、いつもおもいます なにもやまなしいことがないのだからと、それはその通りなのですけれども、それでも、田舎で静かにいわれた以上、やっぱりなんとかそれをまもれたらなぁと、おもうの半分、いつかの大河のひとのように、ずっと先でも、もう少しだけ息のしやすい境遇になれたらと、正直おもいます でもそれは、なんというか、めいよとかちいとかそういうのとは全く無縁をイメージしているので、いつもごかいされてしまうのでしょうか と、これだけ、ことばを出せるようになっただけでも、この数年来の苦しみの甲斐はあったのだとおもっています それにしても、やっぱり元気なうちに、ゴルフはしたいものですねぇ いつかきちんとお便りしたいというのはいつもおもっています それでも、それもきっと流れといいますか、うんとえんなのかもしれないと、齢とともに、なにがなんでもという形は薄れていくもののようです かわりにしずかになにかをまっていることの静謐さを、ついどうしても愛してしまうといいますか...