【作品#0666】パラダイン夫人の恋(1947) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

パラダイン夫人の恋(原題:The Paradine Case)

【概要】

1947年のアメリカ映画
上映時間は125分
※現在発売中のDVDや動画配信サービスでは115分のバージョンのみ視聴可能。

【あらすじ】

目の不自由なパラダイン大佐が殺される事件が発生し、パラダイン夫人が逮捕された。彼女の弁護を託されたのは有能なアンソニーだったが…。

【スタッフ】

監督はアルフレッド・ヒッチコック
音楽はフランツ・ワックスマン
撮影はリー・ガームス

【キャスト】

アリダ・ヴァリ(パラダイン夫人)
グレゴリー・ペック(アンソニー・キーン)
チャールズ・ロートン(ホーフィールド判事)
エセル・バリモア(ソフィー)

【感想】

米国に渡ってきたアルフレッド・ヒッチコック監督にとって、プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックと組んで製作した最後の作品。グレゴリー・ペックにとっては、アルフレッド・ヒッチコック監督作品には「白い恐怖(1945)」に続いての出演となったが彼の作品への出演は本作が最後となった。

当初の編集では3時間ほどあり、再編集を経て132分のバージョンがアカデミー会員向けに上映された。さらなる編集によって125分のバージョン、そして115分のバージョンと短縮されていった。エセル・バリモアはアカデミー賞助演女優賞にノミネートされたが、それはアカデミー会員向けに上映された132分のバージョンでの演技を評価したものであり、115分のバージョンでは3分程度の出演でしかない。

また、本作は法廷劇である。弁護士を演じたグレゴリー・ペックは後に「アラバマ物語(1962)」や「恐怖の岬(1962)」でも弁護士役を演じている。また、判事を演じたチャールズ・ロートンは後に法廷劇の傑作「情婦(1957)」で弁護士役を演じている。

そして、本作の邦題は「パラダイン夫人の恋」であり、ロマンス映画を惹起させるタイトルである。本作を見れば「確かに」と思う邦題だが、もう少し適切な邦題があったのではないかと思う。

それから、本作はヒッチコック映画らしく本題に入るのが手っ取り早い。冒頭の時点で殺人事件が発生し、パラダイン夫人が警察に逮捕されて連行されてしまう。そこで有能な弁護士アンソニーを紹介してもらい、事実上の主演二人が対面することになる。

本作のアンソニー弁護士は有能だということでパラダイン夫人のみならず観客にも紹介されるわけだが、彼が有能であるという描写は皆無といって良い。妻がいる彼はパラダイン夫人と接触するうちに彼女の魅力に惚れ込み、裁判中も感情的になって取り乱してしまうなどどうみても有能には見えない。

冒頭の本題に入る手っ取り早さを捨ててでも、アンソニーが有能であるという描写は入れるべきだったんじゃないだろうか。本作の描写だと、アンソニーは依頼人に惚れて感情的になっているだけにしか見えない。しかも、アンソニーが依頼人の無罪を勝ち取るためにどういった戦略で臨むのかやどういった情報を得るかという過程もほとんどない。結論が結論なので仕方ない部分もあるが、これだとアンソニーは無能な弁護士でしかない。

それから、アンソニーが惚れることになるパラダイン夫人だが、既婚者のアンソニーが惚れ込むほどの魅力があったとは到底思えない。ヒッチコックはパラダイン夫人役にイングリッド・バーグマンを希望したとされるが、少なくともパラダイン夫人を演じたアリダ・ヴァリはミスキャストじゃないだろうか。ただのわがままな女性にしか見えず、「彼女だったらしょうがない」と思える魅力はとても感じなかった。

そして、アンソニーのもとへパラダイン大佐の世話人ラトゥールが現れたことで事態は急変する。勘の良い人ならすぐに気付いただろうが、目の不自由なパラダイン大佐をよそ目に、パラダイン夫人とラトゥールは「できて」いたのだ。

ラトゥールが証言台に立ち、アンソニーが質問していくと、パラダイン夫人は「ラトゥールを犯人に仕立て上げないで」とアンソニーに詰め寄る。ネタバレになるが、パラダイン夫人が夫を殺害した犯人である。彼女が犯人でありながら無罪を勝ち取るなら、ラトゥールを犯人に仕立て上げるしかない。ところが、パラダイン夫人はラトゥールとできているからそうするわけにもいかない。こうなりゃお手上げなのだが、アンソニーはパラダイン夫人に惚れちゃってる。完全に袋小路なのだが、そんなところでもがき続けて何の意味があるのか。

その後、ラトゥールは自殺を図り、パラダイン夫人は自らの罪を認める。そして、ラトゥールを自殺に追い込んだのは俺だとアンソニーは落ち込む。そして、裁判終了後のエピローグでは、裁判長の自宅で裁判長が妻と会話している場面がある。そこで裁判長の妻はパラダイン夫人を養護する発言をしている。裁判長は一喝するのだが、裁判長の妻の考えは理解に苦しむところである。

そんな本作で一番恐ろしいのはパラダイン大佐の死が蔑ろにされている点である。パラダイン大佐という夫がいながらパラダイン夫人は世話人のラトゥールと不倫をして、邪魔になったパラダイン大佐を殺害した。パラダイン大佐が生前どんな人物だったかは別にして殺された人物を悼んだり、残念に思ったり、可哀想に思ったりする視点が本作には一切ない。パラダイン夫人もアンソニーも目先の異性のことばかり考えている。パラダイン夫人は夫を殺害したことを後悔することもない。ラトゥールの自殺をアンソニーは自分のせいだとしていたが、どう考えてもパラダイン夫人のせいであろう。

そして、パラダイン夫人に惚れていることを感じ取っていたアンソニーの妻がアンソニーのことを励まして映画は終わる。最後にあるべき場所に帰ってくるのは、後のヒッチコック映画でいえば「めまい(1958)」の別エンディングに近しいものは感じる。ただ、アンソニーの妻は男にとってあまりにも都合の良い理解のある女性として描かれている。

結局のところこの作品を通じて何を描きたかったのかは分からなかった。おまけに、どのキャラクターも自分のことばかり考えており、被害者を思いやる視点すらない。映画的には割りを食ったはずのアンソニーの妻でさえ、浮ついた夫を受け入れている。やはり女性蔑視と言われるヒッチコックだけあるなと感じてしまうのが正直なところだ。映画を見終えた後にここまで良い気がしないのもヒッチコック映画の中でも珍しい。




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