【作品#0603】恐怖の岬(1962) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

 

恐怖の岬(原題:Cape Fear)


【Podcast】


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【概要】

1962年のアメリカ映画
上映時間は106分

【あらすじ】

弁護士サムの証言により8年間刑務所暮らしをした性犯罪者のマックスは、出所するとサムやその家族の周辺をうろつきまわる。

【スタッフ】

監督はJ・リー・トンプソン
音楽はバーナード・ハーマン
撮影はサム・リーヴィット

【キャスト】

グレゴリー・ペック(サム・ボーデン) 
ロバート・ミッチャム(マックス・ケイディ)
マーティン・バルサム(マーク・ダットン警察署長)
テリー・サヴァラス(チャーリー・シーバース)

【感想】

ジョン・D・マクドナルドの小説をジェームズ・R・ウェッブが脚色した作品。当初はアルフレッド・ヒッチコックが監督予定だったが、J・リー・トンプソンが監督を努めた。また、1991年にはマーティン・スコセッシ監督でリメイクされ、グレゴリー・ペック、ロバート・ミッチャム、マーティン・バルサムは出演し、バーナード・ハーマンの音楽も使用された。

当初アルフレッド・ヒッチコックが監督することが想定されていただけあり、物語や設定もモノクロでの映像作りもそれらしい雰囲気は出ている。ただ、当初はもっと暴力的であり、検閲の関係でセリフの削除だけではなく、編集によるカットも多数あるらしい。もちろん当時はまだヘイズ・コードが敷かれていた頃であり、本作での表現が限界だったんだろうと思う。ただ、だからといって恐怖がないというわけではなく、特にロバート・ミッチャムの魅力、バーナード・ハーマンの音楽、モノクロの映像などもあって恐怖表現は十分に担保されていると思う。

本作の主人公はあくまでグレゴリー・ペックが演じる弁護士のサム・ボーデンである(リメイクの主人公はロバート・デ・ニーロ演じるマックスになる)。ちなみに、グレゴリー・ペックは本作と同年「アラバマ物語(1962)」でも南部の州を舞台にした作品で弁護士役を演じている。当時のグレゴリー・ペックは基本的に正義の側に立つキャラクターばかり演じており、本作もその例外ではないだろう。そんな主人公が唯一と言っても良い「外れた」行為は街のチンピラを雇ってマックスを痛めつける場面くらいだろう。それ以外に主人公がいわゆる「間違った」判断は基本的にすることはない(という風に描かれている)。よって、主人公が妻と娘を囮に利用する場面も主人公に全く悪意がないように描かれているのはやはり大きな違和感を覚える。なので、あくまで「正義」のサムと「悪」のマックスという構図で進んでいく(ここがリメイクとの大きな違い)。

一方、本作の悪役マックスは、レイプ現場をサムに目撃され、裁判で証言されたことで8年の刑務所暮らしになったという男である。紛れもない犯罪者であり、それと同時に8年の刑期を終えれて罪は償ったことになっている。だから、別に何をしようが本人の勝手なのだが、うろついていれば浮浪罪に問われ、犬が殺されたら証拠もないのに疑われる。ただ、彼には基本的に同情の余地は本作には残されていない。あくまでただの逆恨みということになっている。

獄中で法律の勉強をしたというマックスは、法律の抜け穴を利用して次々に嫌がらせをしてくる。先に手を出したら駄目なことを分かっているマックスはサムを徹底的に挑発して手を出させている。また、酒場で知り合った女性に暴力を振るうと、その女性が裁判で証言することを恐れて自分が訴えられないことも理解しており、女性がレイプされたことでサムは妻や娘が同じ目に遭うのではないかと恐怖を覚えることになる。ストーカーなど何か起こらないと警察が動けないのは、半世紀以上経過した日本でも同様のことが言えるので、今もなお解決されない問題と言える。

また、同時に本作は当時衰退の道を辿り始めていた西部劇へのアンチテーゼのようにも見える。かつての出来事に因縁のある流れ者の男が主人公の住む土地にやって来て、主人公は家族を守るためにその男との戦いになるといえば西部劇でも通用する話である。その西部劇では基本的に銃が解決の手段として用いられてきた。ところがこの(1962年時点での)現代劇において、弁護士のサムがすぐに銃を手に取るわけにもいかない。もちろん彼は怒りの衝動に駆られて銃を手に取る場面こそあるが、妻の説得に応じて断念している。そう簡単に銃をぶっ放すわけにもいかないのだ。しかも西部劇の世界でも基本的には、相手が抜いたから正当防衛としてこっちも銃を抜くという理屈であり、これはアメリカの戦争の歴史から見ても伝統的なものである。

ラストのサムとマックスの戦いを見ると基本的には殴り合いであり、この殴り合いにあまり工夫がなく、当時のハリウッド映画よく描かれてきた殴り合いなのでクライマックスとしてはややチープさが残る。また、ただの殴り合いに終始したことで結局はいわゆる「男らしさ」に着地した印象は残る。

さらには、最後に銃を手に取り、マックスを殺すことのできる状況でサムは殺すことなくマックスを生かすことにする。これは卑劣なことをしてしまったサムなりの行いにも捉えることはできるし、弁護士であるサムがあくまで法の裁きを受けさせようとしているようにも見える。また、上記の前提に立てば、ただ処刑して終わりだった西部劇に比べると、少し前進した印象は持つ。確かに、死んで然るべきマックスを生かすという結末にややスッキリしない印象もあるが、当時の映画なりの姿勢だったのだろうと察する。

 

【関連作品】

 

恐怖の岬(1962)」…オリジナル

「ケープ・フィアー(1991)」…リメイク

 

 

 

取り上げた作品の一覧はこちら

 

 

 

【配信関連】

 

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