智慧を貸すのではなく、力を借りるのだ | かんながら

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旅の記録です

 
 
前回のブログ(わたしたちが、願う通りに)の結論は、
 
 
 
「智慧を貸すのではなく、力を借りるのだ」
 
 
 
ってことらしい。
 
 
「ダボハゼ理論」を告げてきた踊りの先生は、
 
「政治家や実業家や芸能人などの力のある人は、孤独だから、
あなたみたいな人に聞いてもらうんですよ」
 
 
って言ってきた。
 
 
同じ話は、伊勢平氏おじさんにも言われたし、
巫女仲間をみてて、そういう役をしている人が多いからよく知ってるけど、
 
 
違うと思う。
 
 
月読釣人さんのコメントに、
 
皆様それぞれ素晴らしい学をお持ちのようですが、いつも中心には『自』があるように見えます
 
ってあったけど、

そう言う人たちは、自分を中心にした世界を創っちゃう。

 
 
 
彼らに智慧(力)を貸すんじゃなくて、
わたしたちが、彼らの力を借りるのだ。
 
 
 
弱き儚きものに、意識を向けられる人が、
思い描く天国を、この地上世界を創る。
 
 
 
縄文の時代そうだったように、
自然農の川口由一さん(卑弥呼の時代の豊かな営み 〜川口由一さんの自然農園)がそう言っていたように、
 
 
これからは、
 
 
女性が思い、男性が叶える
 
 
ように変えていくことになるんだと思う。
 
 
 
わたしたちが、願うとおりに。
 
 
 
スサノオって、泣き虫だったんだよ。
感じる力のある、男性だったんだろうな。
スサノヲがきている、って感じる今日この頃(利己的遺伝子をぶったぎる!! 〜ミミズは龍に スサノヲの到来)。
 
 
 
 
 
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